裁判例「M&Aの買主が被告らに対して適正情報開示義務違反があったとして会社法429条1項による損害賠償権に基づき損害賠償を請求した事案」

〔事例〕東京地方裁判所判例|令和4年1月28日|平成30年(ワ)第39042号 損害賠償等請求事件(第1事件)、平成31年(ワ)第2726号 損害賠償等請求事件(第2事件)

M&A取引の概要

本件は、投資事業有限責任組合である原告が、その無限責任組合員であるA1株式会社(以下、「A1社」という)がB1株式会社(以下、「B1社」という)の事業を取得することを目的としてその親会社であるC1株式会社(以下、「C1社」という)の株主であった被告らとの間でC1社の株式等の譲渡契約を締結したことにつき、B1社の取締役でありかつC1社の代表取締役でもあった被告Y1及びB1社の社外取締役であった被告Y2に対し、当該契約の締結に際して、B1社の平成28 年度の事業計画の達成可能性等についての適正情報開示義務違反及び監視義務違反等があったことを理由とする会社法429条1項による損害賠償請求権に基づき、損害賠償請求を行った事案です。

当該紛争事案の概要

それでは、前提事実を整理します。

(1)原告は、A1社を無限責任組合員とする投資事業有限責任組合であり、投資対象会社の企業価値向上を目指す投資ファンドです。株式会社D1(以下、「D1」といい、原告およびA1社と併せて「原告ら」という)は、原告が被告らとの間における契約を通じてC1社の株式及び転換社債型新株予約権付社債(以下、総称して「本件株式等」という)を取得するために用いた特別目的会社であり、原告の完全子会社です。

(2)B1社はスマートフォンなどに用いられるデジタル画像ソフトウェアやアルゴリズムの開発、ライセンスビジネス等の事業を営む会社です。

(3)被告らは、平成28年10月7日当時、本件株式等を保有していました。被告Y 1を除く被告らは、韓国に居住していたことから、被告Y 1が窓口となって原告らとの間で、株式等譲渡契約の締結に向けた交渉が行われました。当時、被告Y 1はC 1社の代表取締役及びB 1社の取締役を務めており、被告Y2はB 1社の社外取締役を務めていました。

(4)E 1(以下、「E 1」という)は、平成27年6月26日から平成29年6月29日までの間、B 1社の代表取締役を務めており、現在は退社しています。

(5)E 1は、平成28年6月14日、売上金額を10億8230万円とする平成28年度の事業計画(以下、「本件事業計画」という)を作成し、B1社は、同日30日付けの取締役会議決によって本件事業計画を策定しました。

(6)E1は、平成28年9月5日、原告らに対し、被告Y1同席の下本件事業計画についての説明を行いました。

(7)B 1社の実際の平成28年度の売上げ実績約4億1300万円であり、当期純損失は約2億4866万円でした。

(8)原告らは、平成28年4月頃から同年8月4日頃まで、C1社及びB1社との間で継続的な情報開示のやり取りをし(以下、このやり取りを「初期的DD」という)、同月 29日以降,正式に本件株式等の取得に向けたデュー・ディリジェンス(以下「正式DD」という)を実施しました。

(9)原告は、平成28年10月7日、B1社に投資することを目的として、被告Y1、C1社及びB1社との間で、本件株式等を対象として、株式及び転換社債型新株予約権付社債譲渡契約(以下、被告ら全員との間で成立した契約全体を指して「本件契約」という)を締結しました。

(10)原告は、被告らがB 1社の実情に反して極端に楽観的な観測である本件事業計画を作成し報告したことにより、当初予定した売り上げを達成することができないどころか、損失が出たとして、適正情報開示義務違反により損害賠償請求を行いました。裁判所は、B1社のいくつかの取引先についてリスク事項を伝えなかったことは適正情報開示義務違反を構成するものと言えるので、損害賠償請求を認めるという判断を下しました。

以上が、当該紛争事案の概要となります。

問題の所在(法律や契約書のどういう条文に該当するか違反するかが問題になったのか)

原告の主張は以下の通りです。

B1社の取締役であった被告Y1は、取締役の善管注意義務の一内容として、投資者である原告らに対する適正情報開示義務を負っていたところ、被告Y1がE1をして、本件事業計画を達成できないことを基礎づけるリスク事項及び取引先との商談において既に発覚していた事実や顕在化していたリスクについて開示しなかったこと等は、原告らに対する適正情報開示義務違反であると主張しています。

また、そもそも、本件事業計画自体は、被告Y1の要求に沿うように、数字の具体性に関し一切の根拠が存在しないまま、単にB1社の希望的観測を詰め合わせてずさんに作成されたものにすぎず、B 1社の実情に反して極端に楽観的な観測である本件事業計画を開示したことが適正情報義務違反に当たるとしています。

さらに被告Y1は、本件契約締結以前の時点である平成28年8月28日以降も、リスク事項や、本件事業計画の達成が不可能又は相当厳しいものであることについて把握していたにもかかわらず、正式DDの際に、E1の説明を訂正や補足することさえせず漫然と放置していました。

また仮に、被告Y1自身が上記事項を把握していなかったとしても、取締役として原告らに対し適正情報開示義務を負う以上、E1に指示をし、本来説明すべき事項については説明を行わせ、自らの適正情報開示義務を果たす必要があるのは当然のことであるから、被告Y1の任務懈怠について悪意又は重過失があることは明らかであるとしています。

よって、投資者である原告に対する適正情報開示義務違反があり、会社法429条1項に基づく損害賠償責任を負うとしています。

被告の主張は以下の通りです。

本件において、原告のオーナーであるA1社は、適格機関投資家特例業務届出者であって、M&Aの専門家集団であり、本件契約に係る取引についての情報収集・分析能力を十分に有しており、特にA1社の交渉窓口となり調査も担当したP1(以下「O1」という)は、公認会計士の資格を有する財務及び事業分析の専門家であり、更に主式DDには、法務・財務・技術の各専門家集団が関与したものであって、原告らは、B1社の事業や財務状況等の分析・調査を行う専門的能力を十分に備えていました。また、本件においては、通常のM&Aの過程とは異なり、原告の意向表明書の提出前に初期的DDを実施して詳細な情報開示を行った上、平成28年8月29日以降の正式DDにおいても広範かつ詳細なB1社の情報を開示していました。

そうすると、原告らから個別具体的な質問がなかった場合に、被告Y1及びE1の側から積極的に情報を開示する必要はなかったし、本件事業計画のリスク評価を誤ったことは原告ら自身の責任であるとしています。

また、そもそも原告が主張するようなリスク事項はなかったと言えるので、被告Y 1には適正情報開示義務違反は認められないとしています。

さらに被告Y1は、B1社の取締役であったが、本件契約の売主という立場でもあるため、平成28年8月26日の基本合意書締結以降は、B1社の運営会議等には参加しておらず、商談状況を常に把握し、本件事業計画の達成見込みや取引先との商談状況等の具体的な内容について十分認識していたことはないため、悪意又は重過失はないとしています。

 裁判所の認定内容

(1)正式DD時点において、いくつかの取引先との取引において、確実に失注するというリスク事項が顕在化していたとまでは認めがたく、具体的に失注の可能性があるとのリスク事項が顕在化していたものと認められます。

(2)正式DD期間中である平成28年9月13日時点において、本件事業計画に組み入れていた 3000万円の取引を受注しないことが確定していたことが認められ、この事実をE1も 認識していたことが認められます。

(3)本件事業計画全体に対して、具体的に失注の可能性があるとのリスク事項が顕在化していた取引先が占める売上げ割合は大きいものであることから、確定的な情報ではないとしても、事前に開示すべきリスク事項であったというべきであるとしています。

(4)原告は、本件事業計画自体がそもそもずさんに作成されたものであった旨を主張しています。しかし、本件事業計画は、数次にわたり検討・修正を重ねて作成されたものであると認められるところ、事業計画が事前に達成目標を提示するという性格を帯びるものであるという観点からみても、それ自体がずさんなものであったとまでは認め難いので、原告の主張は本件事業計画を事後的又は結果論的に批判するものであるといわざるを得ず、採用することができないとしています。

(5)本件リスク事項は、個別の取引先からしか取得し得ない情報であって、B1社側、具体的にはE1において開示する外には、原告らが独自に調査をする方法がないものであるから、本件リスク事項が実現した場合の影響の大きさに照らし、E1において、正式DDにおいて本件リスク事項自体を認識していながら原告らに開示せず、漫然と従前の本件事業計画を説明したこと(すなわち、本件リスク事項を殊更に説明しなかったこと)は、B1社の株主となろうとする投資者である原告に対する適正情報開示義務違反を構成するものというべきであるとしています。

(6)被告Y1は、個別具体的に質問がなかった場合に、被告Y1及びE1の側から積極的に情報を開示する必要はない旨を主張していますが、本件リスク事項は、E1において開示する外には、原告らが独自に調査して把握することはできないものであったから、このような考え方は本件リスク事項には当てはまらないものというべきであるとしています。

(7)以上のことから、被告Y 1が原告に対して本件リスク事項について開示しなかったことは、B1社の取締役として株主となろうとする投資者である原告に対して開示すべき情報を開示しなかったものといえ、適正情報開示義務違反を構成するというべきであるから、被告Y1は、原告に対して会社法429条1項に基づく損害賠償責任を負うとしています。

裁判所の判断

以上によれば、原告の被告Y1に対する会社法429条1項に基づく損害賠償請求は理由があるからこれを認容するとしています。