表明保証条項を削除した買収で粉飾の賠償を請求できるか―東京地裁令和4年3月18日判決

買収後に粉飾決算が判明した場合、契約から表明保証条項を削除していても、売主に損害賠償を請求できるのでしょうか。東京地方裁判所令和4年3月18日判決は、会計処理が適正であるとの虚偽説明について、売主の詐欺による不法行為責任を認め、40億円の賠償を命じました。表明保証条項違反に基づく補償を認めた判決ではなく、虚偽説明、故意、買収判断との関係を具体的な証拠から認定した判決です。

本記事が扱う場面と、関連する解説

本記事では、入居前払金の不適切な会計処理を巡る本判決について、契約交渉、面談記録、買収監査、損害額の算定を解説します。詐欺的取引の類型や対応全般は、M&A詐欺の手口と対策とは?売主・買主が知っておくべき事例や最新動向を弁護士が解説をご覧ください。

裁判例の基本情報と当事者の関係

対象は、東京地方裁判所令和4年3月18日判決(平成31年〔ワ〕第792号・令和元年〔ワ〕第35243号、損害賠償請求事件・損害賠償請求反訴事件)です。以下では、実名や判例資料固有の表記を使わず、買主会社A、売主Bさん、対象持株会社C、介護事業会社D、薬局会社Eという独自の呼称を用います。引用箇所の当事者名も、この呼称に置き換えています。

買主会社Aは介護事業を営み、事業規模の拡大を目指していました。売主Bさんは持株会社Cの全株式を保有しており、Cは介護事業会社Dと薬局会社Eを完全子会社としていました。Aが買ったのはCの全株式であり、DとEの事業価値を踏まえて売買代金を交渉する構造でした。

49億円の買収に至る交渉と、表明保証条項の削除

財務資料の数字を前提に買収価格を交渉

A側は平成30年6月2日、税理士らとともにDを訪問し、決算書や総勘定元帳等を受領しました。Bさんは、決算報告書や試算表の数値について、適正に処理された正しい数字であると説明したと認定されています。買主側は、その数字に基づいて企業価値を計算し、買収価格の交渉を進めました。

交渉ではDの評価に加えてEを9億円とする評価が用いられ、最終的にCの全株式の代金を49億円としました。契約は平成30年7月6日に締結され、Aは同日に手付金5億円、同月18日に残代金44億円を支払いました。

財務諸表の適正性を保証する条項は、最終契約に残らなかった

交渉途中の契約案には、計算書類等が一般に公正と認められる会計基準に従って作成され、対象会社の財産状態等を重要な点で適正に示すことなどを表明保証する条項がありました。しかし、Bさんが削除を求め、A側はその条項を削除した修正案を送っています。

したがって、契約案の条項を最終契約の条項として引用し、「表明保証条項違反が認められた」と説明することはできません。本訴は、適正な会計処理であるとの虚偽説明を理由とする不法行為の損害賠償請求でした。表明保証条項の削除は判断の背景として重要ですが、削除しただけで詐欺が成立するわけでもありません。

入居前払金の一括売上計上が問題となった理由

Dは有料老人ホームの入居者から将来の家賃等に充てる入居前払金を受領していました。入居契約が予定期間より前に終了すれば、契約に基づく返還義務が生じる性質の金銭です。

ところがDでは、まず翌期分の売上げを当期に前倒しして黒字に見せる処理が行われ、その後、特定の施設について新たに受け入れた前払金を負債に計上せず、直ちに全額を売上げにする処理が行われました。判決が「本件一括償却」と呼ぶ処理です。平成30年4月末までの過剰償却額は23億3,875万9,000円に及びました。

裁判所は、未提供の役務に対する対価を当期の収益に含めること、返還義務につながる金銭を負債に計上しないことが、収益と財政状態の双方を誤って見せると判断しました。会社法第431条について、判決は次の規定を引用しています。

株式会社の会計は、一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行に従うものとする。

「非上場の中小企業である」「税理士が税務上問題ないと言った」という売主の説明も採用されませんでした。裁判所は、前受収益を適切な期間に配分する規律は企業規模にかかわらず重要であり、税務上の扱いだけで不適切な会計処理が正当化されるものではないとしています。また、一定範囲の初期償却が認められることと、受領額の全額を直ちに売上げにする本件の処理も区別しています。

虚偽説明と売主の故意を認定した証拠

面談メモと計算資料を突き合わせて説明内容を認定

Bさんは、買主側担当者とは挨拶程度で、会計処理を説明していないと争いました。裁判所は、面談時の質問事項に加えられた手書きの回答、決算書の年度、資料中の企業価値の計算式、担当者の証言を照合しました。

メモには、数字が正しく適正に処理されているという趣旨の書込みがあり、企業価値の計算式も交付資料と一致していました。裁判所は、単に一方の証言を採用するのではなく、記録の作成経緯と内容の整合性から、Bさんが虚偽の説明をしたと認めています。

税理士への一任という説明だけでは故意を否定できなかった

Bさんは、月次決算で前倒し計上を承認し、一括償却についても金融機関への説明が必要だという税理士の忠告を受けていたと認定されました。税理士の説明は「税務上問題ない」だけでなく、債権者への説明をしなければ問題があるという内容を含んでいました。

裁判所は、こうした認識がありながら、粉飾された数字に基づく資料を用いて会計処理が適正だと説明したことから、欺く故意を認めました。決算に誤りがあったという事実だけでなく、売主が何を知り、何を説明したかを示す証拠が結論につながっています。

買主の調査不足と、損害との因果関係

Bさんは、買主が契約前に粉飾を知っていた、又は財務資料を調べれば容易に分かったと主張しました。しかし、事前の認識を裏付けるとされた資料の日付や資金手当ての説明は、主張する事実を十分に裏付けるものではないと判断されています。

裁判所は、買主の調査方法に不十分な点があったとみる余地自体は認めました。それでも、前払金残高の減少等が直ちに粉飾を示すほど単純ではなく、買主の調査は、決算書が正しいという売主の説明に誘引された面もあるとしています。調査不足があったとしても、虚偽説明と損害の因果関係は直ちに否定されませんでした。

過失相殺についても、本件は悪質な粉飾を知る売主が買主を誤信させた詐欺被害であり、衡平な損害分担の調整を要する事案ではないとして、適用・類推適用を否定しました。これは「買収監査に不備があっても常に減額されない」という一般論ではありません。判決自身が、通常の取引上の注意義務や表明保証条項の履行を問題とする場合とは分けて説明しています。

買収監査と契約上の補償責任の関係を扱った別の事案は、買収監査で会計処理の問題を見抜けなかった買主は補償を求められるか―東京地裁平成18年1月17日判決で解説しています。請求の根拠と事実関係を区別して読む必要があります。

賠償額が49億円ではなく40億円となった理由

Aは売買代金49億円相当の賠償を求めました。裁判所は、契約が解除されていないことを前提に、支払代金と本来の株式価値の差額を検討しています。

  • 薬局会社Eの9億円:問題の会計処理と関連せず、修正後の価値も変わらないため、損害から除外しました。
  • 持株会社C単体:子会社からの利益の付替え等にとどまり、独立した価値はゼロと評価しました。
  • 介護事業会社D:粉飾を修正した収益状況等から、単体の企業価値はゼロと評価しました。

その結果、49億円からEの価値9億円を控除した40億円を損害と認めました。Dの施設や人員を一括取得できる価値、他社からの高額な買収提案等も検討されていますが、事実に基づく企業価値と切り離して損害を否定する根拠にはならないとされています。買収額や後日の倒産だけから損害額を機械的に決めたわけではありません。

主文では、40億円に加え、うち5億円について平成30年7月6日から、うち35億円について同月18日から、それぞれ支払済みまで年5%の遅延損害金を認めています。これは本件に適用された当時の法令による利率です。

売主の保証解除に関する反訴と、完全合意条項

Bさんは、自身の金融機関に対する連帯保証をAが解消する約束を守らなかったとして、4億9,435万5,360円の損害賠償を反訴で求めました。ここでは、契約第10条第4項の文言が問題となりました。判決に掲載された条項は次のとおりです。

本契約は、口頭によるか書面によるかを問わず、本契約に先立ち締結された全ての合意、契約その他の約定に優先し、これらの約定は、本契約の締結をもって全て失効する

裁判所は、借換えを予定していたことは認めつつ、実施時期や実施主体が曖昧で、一定期日までにAが保証を解消する確定的な合意は認め難いとしました。さらに、仮にその合意があったとしても、本件では株式売買契約に付随する交渉上の合意であり、契約本文に盛り込まれないまま完全合意条項により失効すると判断しました。

保証解除の説明を詐欺とする予備的な主張も退けられ、反訴は棄却されました。本件の判断は、あらゆる口頭合意が必ず無効になるという意味ではありません。合意の成立、内容、最終契約との関係を具体的に検討したものです。

本判決を契約・紛争対応に生かす際の着眼点

本判決からは、契約の最終版だけでなく、削除前の案、修正依頼、面談メモ、会計資料の交付時期が重要であることが分かります。同じ粉飾の問題でも、表明保証に基づく補償と、虚偽説明による不法行為とでは、主張・立証する事項が異なります。

また、買収した複数事業のうち問題の影響が及ぶ範囲を分け、取引時点の価値を検討する必要があります。保証解除等の付随条件については、誰が、いつ、どの行為をする義務を負うかを、最終契約と整合する形で確認することが重要です。

本判決についてよくある質問

表明保証条項がなければ、売主の虚偽説明を問題にできませんか

本件では、表明保証条項を削除した経緯があっても、詐欺による不法行為責任が認められました。ただし、虚偽説明、売主の故意、買主の誤信、損害との関係が具体的な証拠で認定された事案です。

買収監査で粉飾を見抜けなかったら請求できませんか

本判決は調査不足の可能性を認めつつ、因果関係を否定せず、過失相殺も認めませんでした。悪質な粉飾を知る売主の説明に誘引された事情を踏まえた判断であり、他の事案にも一律に当てはまる結論ではありません。

支払った買収代金の全額が損害になりますか

本件では49億円全額ではなく、粉飾と関係のない薬局会社の価値9億円を除いた40億円が認められました。残る株式価値や取引の構造を確認する必要があります。

このページの位置付けと、関連するページ

本ページは、令和4年3月18日判決における粉飾会計と詐欺による損害賠償を扱う判例解説です。詐欺的取引の一般的な対応と、買収監査を巡る別判決は、次のページで扱っています。


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