競業避止義務の違反を弁護士に依頼して追及するとき 譲渡の後に顧客を奪われた場合の手当て

会社を買い取って数か月が経ったころから主要な取引先が一つ、また一つと離れていき、調べてみると前の経営者や退職した従業員が近くで同じ事業を始めていた、という御相談をいただきます。本記事は、株式又は事業を譲り受けた買主の方、及びその対象会社が、売主であった前の経営者、元取締役又は元従業員に対して競業避止義務の違反を追及しようとしておられる場面を対象としています。取り上げるのは、いつ弁護士に依頼すべきか、何を任せることができるのか、そして奪われた顧客と利益をどこまで取り戻せるのか、という三つの事項です。
競業避止義務そのものの一般的な説明は、本記事の目的ではありません。誰がどのような義務を負うかを理解しても、既に離れてしまった取引先が戻ってくるわけではないからです。この類型で成否を分けるのは、どの根拠を選ぶかという判断と、証拠が失われる前に動けるかどうかです。
そして、この類型には他のM&Aの紛争にはない特徴があります。損害が日々拡大していくという点です。表明保証違反であれば損害の額は譲渡の時点で既に定まっていますが、顧客の離脱は放置すれば増え続け、しかも一度移った取引関係は時間が経つほど「相手方の努力の成果」という色を帯びていきます。相談が遅れることは、損害の増加と、立証の困難という二つの不利を同時に招きます。
本記事が扱う場面と、扱わない場面
前の経営者側の行為を追及するといっても、行為の種類によって用いる条文も、求める救済も、時間の制約も異なりますので、次のとおり整理しております。
- 前の経営者や元従業員が同じ事業を行い、顧客が奪われた場面……本記事
- 前の経営者が会社と取引をして会社の財産を社外へ流出させた場面……利益相反取引の責任追及を弁護士に依頼するとき 前の経営者による会社財産の流出を取り戻す
顧客が離れ始めた時点から、時間はこちらに味方しません
数か月で、取引の帰属は固まってしまいます
取引先が完全に移りきってしまう前であれば、差止めによって流出を止めるという選択肢があります。しかし発注が数回続き、担当者どうしの関係が新しい会社との間で定着してしまいますと、裁判所に差止めを命じてもらったところで取引が戻るとは限りません。求めるものが「止める」から「金銭で埋める」へと変わり、必要な立証も一段重くなります。
離脱の事実を、日付と金額で記録してください
損害の主張で最も効くのは、月ごとの取引先別売上高の推移です。どの取引先が、いつから、いくら減ったのか。これを譲渡の前後で比較できる形にしておくと、後の立証が格段に楽になります。取引先から「別の会社から声を掛けられた」と告げられた場合には、日付、担当者、告げられた内容を、その日のうちに記録に残してください。
相手方に警告を出す前に、証拠の所在を確認してください
感情の面では、まず内容証明郵便を送りたくなります。しかし早すぎる警告は、相手方に顧客名簿や電子データを消去させる契機を与えます。何が持ち出されたのかを社内で確認し、対象会社に残っているアクセスの記録や引継ぎの資料を確保してから接触する方が、はるかに有利です。
誰に対して、どの根拠で請求するのか
まず契約書に競業避止の特約があるかを見ます
株式譲渡契約書には、売主が一定の期間、一定の地域で同種の事業を行わない旨の条項が置かれていることが多くあります。特約があれば、これが最も使いやすい根拠です。契約違反として損害賠償を請求でき(民法第415条第1項)、違約金の定めがあれば損害の額を立証する負担も軽くなります。まず契約書のこの条項を確認してください。
事業譲渡であれば、法律が競業を禁じています
株式譲渡ではなく事業譲渡の形をとった場合には、特約がなくても法律上の制限が働きます。事業を譲渡した会社は、当事者の別段の意思表示がない限り、同一の市町村の区域内及びこれに隣接する市町村の区域内において、その事業を譲渡した日から20年間は同一の事業を行ってはなりません(会社法第21条第1項)。
例えば、事業を譲渡した日が令和8年4月1日である場合、初日を算入せずに数えますので(民法第140条)、この禁止は令和28年4月1日の終了をもって満了します。当事者が同一の事業を行わない旨の特約をした場合には、その特約はその事業を譲渡した日から30年の期間内に限り効力を有しますので(会社法第21条第2項)、仮に契約書に35年と書かれていても、令和38年4月1日を超える部分は効力を有しません。なお、これらの規定にかかわらず、譲渡会社は不正の競争の目的をもって同一の事業を行ってはならないとされています(同条第3項)。
元取締役に対しては、損害額の推定が用意されています
相手方が対象会社の取締役の地位にあった期間の行為であれば、より強い武器があります。取締役が自己又は第三者のために会社の事業の部類に属する取引をしようとするときは、重要な事実を開示して株主総会(取締役会設置会社では取締役会)の承認を受けなければなりません(会社法第356条第1項第1号、第365条第1項)。承認を得ずに競業取引をした場合、その取引によって取締役又は第三者が得た利益の額が会社の損害の額と推定されます(同法第423条第2項)。持分会社の業務を執行する社員についても同様の制限があります(同法第594条)。
顧客名簿や技術情報が持ち出されていれば、別の法律が使えます
顧客名簿、仕入価格の一覧、設計図面といった情報が持ち出されている場合には、営業秘密の侵害として不正競争防止法による請求ができます。窃取、詐欺、強迫その他の不正の手段による取得や使用、及びこれを知りながら行う取得や使用などが不正競争とされ(同法第2条第1項第4号から第10号まで)、差止請求(同法第3条)と損害賠償請求(同法第4条)が可能です。損害の額については推定の規定も置かれています(同法第5条)。悪質な場合には刑事罰の対象ともなります(同法第21条)。
差止めを求めるのか、金銭を求めるのか
仮処分は速さと引き換えに担保を求められます
争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるため必要があるときは、仮の地位を定める仮処分命令を申し立てることができます(民事保全法第23条第2項)。競業行為の差止めや営業秘密の使用の差止めは、この類型です。判決を待たずに営業活動を止められる強力な手続ですが、相手方の営業を止める以上、裁判所は相応の担保を求めます。また、原則として相手方を呼び出して意見を聴く手続を経ますので、密行性はありません。
損害額の立証は、推定規定を使えるかどうかで重さが変わります
金銭の請求だけを立てる場合、通常は失われた利益の額を主張立証しなければなりません。ここで会社法第423条第2項や不正競争防止法第5条の推定が使えるかどうかが、作業量を大きく左右します。推定が使えない場合には、離脱した取引先ごとの過去の取引実績と利益率を積み上げるという地道な作業になります。どの根拠を選ぶかは、この立証の重さを見て決めます。
二つを並行させるのが実務の通例です
まず仮処分を申し立てて流出を止め、その手続の中で相手方から出てくる資料を踏まえて損害賠償の本訴を組み立てる、という順序をとることが多くあります。仮処分の審理の過程で和解に至る例も少なくありません。どちらか一方を選ぶという発想ではなく、時間軸の中に両方を配置するとお考えください。
依頼の前に集めておいていただきたい資料
四つの区分に分けて整理してください
| 区分 | 具体的な資料 | 何を示すためのものか |
|---|---|---|
| 義務の根拠 | 株式譲渡契約書、事業譲渡契約書、誓約書、就業規則、秘密保持契約書 | 誰がどの範囲の義務を負うか |
| 競業の事実 | 相手方の法人の登記事項証明書、案内状、見積書、名刺、公開されている情報 | 同一の事業を行っているか |
| 損害の裏付け | 取引先別月次売上高、粗利益率の資料、受注の履歴、解約の通知 | いつから、いくら失われたか |
| 情報の持出し | アクセスの記録、電子メールの送受信の記録、貸与機器の返却の記録 | 営業秘密が持ち出されたか |
三点あれば、初回の見立てはできます
譲渡契約書、直近2期分の取引先別の月次売上高、そして相手方の法人の登記事項証明書の3点があれば、どの根拠が使えそうか、差止めを求める余地があるか、損害の規模がどの程度かについて、おおよその見通しを申し上げることができます。
手元にない資料を集める方法があります
弁護士が受任している事件について所属弁護士会に申し出て、公務所又は公私の団体に照会し必要な事項の報告を求める制度があります(弁護士法第23条の2)。訴訟に入れば、相手方や第三者に対する文書提出命令の申立てが可能です(民事訴訟法第220条)。電子データのように改変や消去のおそれが高いものについては、あらかじめ証拠調べをしておかなければ証拠の使用が困難となる事情があるとして、訴えの提起の前に証拠保全を申し立てることも考えられます(同法第234条)。
「秘密として管理されていた」と言えるかが分かれ目です
営業秘密には三つの要件があります
不正競争防止法の営業秘密として保護されるには、秘密として管理されていること、事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であること、公然と知られていないことの三つが必要です。実務で争いになるのは、ほぼ常に一つ目の秘密管理性です。顧客名簿が誰でも閲覧できる共有フォルダに置かれていた、秘密である旨の表示がなかった、という事情があると、この要件が否定される危険があります。
譲渡の後に管理体制が緩んでいないかを確認してください
買収の直後は、引継ぎのために情報へのアクセスを広く開放しがちです。前の経営者に顧問という肩書きで残っていただき、社内システムへのアクセス権も残したままにしているという例が非常に多く見られます。この状態は、後に「自由に見られる情報であった」という反論を招きます。心当たりがある場合は、いつからいつまで誰にアクセス権があったのかを整理しておいてください。
いまからでもできる手当てがあります
過去の管理状態を作り変えることはできませんが、今後の被害の拡大を防ぐ手当てはできます。アクセス権の見直し、秘密である旨の表示、貸与機器の回収、退職時の誓約書の様式の整備です。これらは、現に生じている紛争においても、会社が情報を秘密として扱う姿勢をとっていたことを示す事情として働きます。
相手方はなぜ「顧客が自分の意思で移った」と述べるのか
第一に、取引関係は自分個人に属していたと述べます
長年にわたって自分が築いた信頼関係であって、会社の資産ではないという主張です。中小企業では実際に代表者個人の人的関係で取引が続いていることが多く、この主張には一定の実感が伴います。これに対しては、取引の履歴が会社の名義で継続していたこと、譲渡代金にその取引関係が織り込まれていたことを示していくことになります。
第二に、競業避止の合意はしていないと述べます
契約書に条項がない、あるいは条項はあるが対象となる事業の範囲に含まれない、という主張です。だからこそ、契約上の根拠だけに頼らず、会社法や不正競争防止法による構成を並行して検討する必要があります。根拠が複数あることは、交渉の局面でも意味を持ちます。
第三に、職業選択の自由を持ち出します
とりわけ元従業員が相手方である場合の定番の反論です。退職後の競業避止の特約は、制限される期間、地域及び職種の範囲、その従業員の地位、代償となる措置の有無といった事情を総合して、合理的な範囲に限って効力が認められるという判断の枠組みがとられています。したがって、広く書いてある条項ほど強いとは限りません。相手方が在職中に得ていた処遇と、契約書の文言との釣り合いを、依頼の前に見ておく必要があります。
費用と回収の見込みの均衡をどう考えるか
回復すべきは失われた利益であって、売上ではありません
年間5,000万円の取引先を失った場合でも、請求できるのは原則としてその取引から得られたはずの利益であり、粗利益率が20パーセントであれば1,000万円が出発点となります。ここに、その取引がどれだけの期間続いたはずかという見積りが掛かります。依頼を検討される段階で、粗利益率と取引継続の見込み年数の二つを押さえておかれると、費用との釣り合いを判断しやすくなります。
差止めの価値は、請求額には表れません
金銭の請求としては小さくとも、流出を止めることの価値が大きい場合があります。残っている取引先への波及を防ぐという効果は、金額に換算しにくいものの、事業の継続にとっては決定的です。金銭の見込みだけで依頼の可否を判断されないようお願いいたします。
売主に対する契約上の請求と併せて考えます
顧客の離脱は、譲渡の際に説明されていた収益力が失われたことを意味しますので、表明保証違反や契約解除の問題と重なることがあります。競業の差止めを求めながら、同時に売主に対する契約上の請求を検討するという組み立てが有効な場合があります。契約上の通知期間が定められているときは、そちらの期限が先に来ることもありますので、初回の御相談で必ず確認いたします。
いま確認していただきたいこと
- 譲渡契約書を開き、競業避止の条項の有無、対象となる事業の範囲、期間及び地域の定め、違約金の定めを確認してください。
- 直近2期分の取引先別月次売上高を、譲渡の前後で比較できる形に整理してください。粗利益率も併せて出してください。
- 相手方が設立した法人の登記事項証明書を取得し、目的欄の記載と設立の年月日を確認してください。
- 前の経営者及び退職した従業員について、社内システムへのアクセス権がいつ停止されたかを確認してください。停止していない場合は直ちに停止してください。
- 相手方に対する警告や問い合わせは、証拠の所在を確認するまで待ってください。
よくあるご質問
契約書に競業避止の条項がありません。何もできませんか
そのようなことはありません。相手方が対象会社の取締役であった期間の行為であれば会社法による構成が、事業譲渡の形をとっていれば会社法第21条が、営業秘密の持出しがあれば不正競争防止法が、それぞれ使える可能性があります。契約書に条項がないことは、検討の出発点が変わるということであって、結論ではありません。
相手方は前の経営者ではなく、その息子が代表者となっている会社です
実質的に誰が事業を行っているかを見ます。前の経営者が資金を出している、実際の営業を行っている、従業員が対象会社から移っているといった事情があれば、名義がどうであれ責任を追及する余地があります。相手方の法人の登記事項証明書と、その法人の営業活動の実態を示す資料を集めることが最初の作業になります。
すぐに差止めの仮処分を申し立てるべきでしょうか
相手方の営業を止める手続ですので、要件の疎明が不十分なまま申し立てますと、かえって不利な心証を与えます。また相応の担保を積む必要があります。まず根拠と証拠を整理し、担保の目途を立ててから判断されることをお勧めします。ただし、判断のために何か月も費やすことは避けていただきたいところです。
元従業員が数名まとまって移りました。全員を相手にできますか
理論的には可能ですが、実務では相手方を絞る方が有効なことが多くあります。中心となって勧誘した人物と、その受け皿となった法人に集中する方が、立証も回収も現実的です。誰を相手方とするかの選定は、依頼を受けた弁護士が最初に行う判断の一つです。
おわりに
顧客を奪われるという事態は、買収の目的そのものが崩れていく出来事であり、経営者の方にとって精神的な負担が非常に大きいものです。しかし、この類型には契約、会社法、不正競争防止法という複数の根拠があり、そのうちのいずれかが使える場合が少なくありません。難しいのは根拠の選択と、証拠が失われる前に動くことです。
契約書に何も書いていない、証拠と呼べるものがあるか分からない、という状態で構いません。譲渡契約書と、取引先別の売上高の資料をお持ちになって、御相談ください。必ず解決できますから、一緒に頑張りましょう。
競業避止義務の違反の追及に関する御相談
弁護士法人M&A総合法律事務所 電話番号 03-6435-8418
受付時間 8時00分から21時00分まで(土曜・日曜・祝日を含みます)
出典
- 会社法第21条第1項、第2項、第3項(譲渡会社の競業の禁止)
- 会社法第356条第1項第1号(取締役の競業取引に係る承認)
- 会社法第365条第1項、第2項(取締役会の承認及び取引後の報告)
- 会社法第423条第1項、第2項(損害賠償責任及び損害額の推定)
- 会社法第594条(持分会社の業務執行社員の競業の禁止)
- 不正競争防止法第2条第1項第4号から第10号まで(営業秘密に係る不正競争)
- 不正競争防止法第2条第6項(営業秘密の定義)
- 不正競争防止法第3条(差止請求権)、第4条(損害賠償)、第5条(損害の額の推定等)
- 不正競争防止法第21条(罰則)
- 民法第140条(期間の初日不算入)
- 民法第415条第1項(債務不履行による損害賠償)
- 民法第709条(不法行為による損害賠償)
- 民事保全法第23条第2項(仮の地位を定める仮処分命令の必要性)
- 民事訴訟法第220条(文書提出義務)、第234条(証拠保全)
- 弁護士法第23条の2第1項、第2項(弁護士会照会)
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