最終契約の締結後に買主から価格の変更を求められた場合と対象会社の業績が急に悪化した場合

この記事の位置付け

最終契約の締結後に買主から買収価格の引下げを求められた場合、売主にこれに応じる義務は原則としてありません。本記事では、買主が挙げる事由の当否の見極めと、売主が採り得る対応を整理いたします。

クロージングの直前に引継条件の変更を求められた場合の対応については別の記事で扱っています。あわせて御覧ください。

株式譲渡契約に署名を済ませ、あとは決済と株式の引渡しを待つばかりという段階になってから、買主に「価格をもう一度見直させてほしい」と切り出されることがあります。理由として挙げられるのは、署名後に行った追加の調査で新たな事実が見つかったという説明であったり、直近の月次の数字が落ちているという指摘であったりします。売主としては、既に社内の主要な従業員にも一部の取引先にも説明を済ませ、後戻りのしにくい状態に入っていますから、この申入れは強い動揺をもたらします。

もう一つ、よく起きるのが、契約締結後に対象会社の業績が急に悪化する場面です。大口の取引先を失った、原材料の価格が跳ね上がった、季節の要因で受注が落ち込んだ、主要な従業員が退職を申し出た、といった事情はいつでも起こり得ます。買主はこれを捉えて、価格の引下げを求めたり、契約に定められた前提条件が満たされていないと主張したり、場合によってはクロージングそのものを拒む姿勢を見せたりします。

この記事では、株式譲渡契約を締結した後、クロージングまでの間に買主から買収価格の引下げを求められた場合、及び対象会社の業績が急に悪化した場合の対応を、売主の立場を中心に整理します。応じる義務があるのかどうか、買主の挙げる理由のうちどれに理があってどれに理がないのか、契約に価格の調整の定めがある場合にそれがどのように働くのか、そして買主がクロージングを拒んだときに売主が何をなし得るのかを、順に説明します。弁護士法人M&A総合法律事務所が中小企業のM&Aの現場で受けるご相談を踏まえた整理です。

Contents
  1. 最終契約の締結後に価格の変更を求められる場面の全体像
    1. 署名からクロージングまでの期間に何が起きるか
    2. 売主が最初に確認すべき3つの点
  2. 契約締結後の価格変更に応じる義務は原則としてありません
    1. 合意の拘束力と一方的な変更の可否
    2. 再交渉に応じないことの意味と実務上の限界
  3. 買主が価格の変更の根拠として挙げる事由の類型と当否の見極め
    1. クロージングまでの追加調査で判明した事項
    2. 対象会社の業績の悪化
    3. 前提条件の不充足の主張
    4. 重大な悪影響がないことを内容とする条項への該当の主張
  4. 契約に価格調整の定めがある場合の適用の可否
    1. 純資産額に応じた調整
    2. 運転資本の調整
    3. 条件付対価の定め
  5. 業績の悪化が一時的なものか構造的なものかの切り分け
    1. 数字で切り分けるための資料の作り方
    2. 説明の順序と反論の組み立て
  6. 売主が採り得る対応の選択肢
    1. 応じない
    2. 条件付きで応じる
    3. 条件付対価に振り替える
    4. クロージングを先行させて紛争を後に回す
  7. 買主が一方的にクロージングを拒む場合の対応
    1. 催告と履行の請求
    2. 解除と違約金の請求
    3. 保全の検討
  8. 交渉の記録の残し方
    1. 議事の記録と書面化
    2. 社内及び対象会社への影響の管理
  9. よくあるご質問
    1. 契約に署名した後でも、買主の求めに応じて価格を下げなければならないのでしょうか
    2. 買主が前提条件が満たされていないと言ってきました。どのように確かめればよいのでしょうか
    3. 業績が落ちたのは事実です。それでも当初の価格を主張してよいのでしょうか
    4. 価格を下げる代わりに条件付対価にするという案を出されました。注意すべき点は何でしょうか
    5. 買主がクロージングの日に決済をしませんでした。すぐに解除すべきでしょうか
    6. 契約に違約金の定めがあれば、その金額を必ず受け取れるのでしょうか
    7. 交渉の記録はどの程度まで残しておくべきでしょうか
  10. まとめ

最終契約の締結後に価格の変更を求められる場面の全体像

株式譲渡契約の締結からクロージングまでには、通常、2週間から3か月程度の期間が置かれます。この期間は、許認可の承継の手続、取引先や金融機関への通知と同意の取得、買主の資金の手当て、対象会社の株主総会又は取締役会の承認の取得といった、実行のために必要な作業に充てられます。契約はこの期間の存在を前提に組み立てられており、その間に何が起きたらどうするかを定めた条項が置かれているのが通常です。

署名からクロージングまでの期間に何が起きるか

この期間中、対象会社の事業は動き続けます。月次の決算が締まり、新たな受注が入り、あるいは失注が生じます。買主は、契約の締結後も、資金の手当てのために金融機関へ説明を続け、その過程で改めて対象会社の数字を点検します。売主が想定していなかった追加の質問や資料の請求が、この段階で出てくることは珍しくありません。買主の社内で、決裁を経た当初の前提と現在の数字との間にずれが生じ、それが価格の見直しの申入れという形で表面化する、というのが実際に起きていることです。

ここで押さえておくべきなのは、買主の申入れが、必ずしも契約上の権利の行使として整理されて出てくるとは限らない、という点です。「実務上、この数字では社内が通らない」「もう一度検討させてほしい」といった、契約の条項に触れない言い方で始まることが多くあります。この場合、それは契約上の請求ではなく、事実上の再交渉の申入れにすぎません。両者を区別しないまま応対を始めると、応じる義務がない話に売主が譲歩を重ねる結果になりかねません。

売主が最初に確認すべき3つの点

申入れを受けたら、その場で回答せず、まず次の3点を確認してください。第1に、買主の主張が契約のどの条項に基づくものかです。前提条件の条項なのか、表明保証の条項なのか、価格の調整の条項なのか、それとも条項に基づかない事実上の申入れなのかを、書面で明示するよう求めます。第2に、買主が根拠として挙げる事実が何かです。どの数字を、どの期間について、どの資料から読み取ったのかを特定させます。第3に、買主が求めている結論が何かです。金額の引下げなのか、支払時期の変更なのか、条件付対価(アーンアウト)への振替えなのかによって、検討の筋道は全く異なります。

この3点を書面で確認する作業自体が、交渉上の意味を持ちます。条項に基づかない申入れであることが明らかになれば、売主は落ち着いて対応できます。逆に、契約上の権利の行使として構成されているのであれば、その要件が実際に満たされているかどうかを検証する必要があり、感情的な応酬に入る前にやるべき作業が明確になります。

契約締結後の価格変更に応じる義務は原則としてありません

出発点は単純です。株式譲渡契約は、当事者が価格を含む条件について合意し、署名をした時点で成立しています。成立した契約の内容を一方の当事者が一方的に変更することはできません。買主が価格の引下げを求めても、売主がこれに応じる義務は、原則としてありません。売主は、契約に定められた価格での決済を求める立場にあります。

合意の拘束力と一方的な変更の可否

契約の変更は、新たな合意によってのみ可能です。買主が「価格を下げてほしい」と述べることは自由ですが、売主が同意しない限り、価格は変わりません。売主が同意しないことを理由に買主が損害賠償を求めることもできません。この点は、交渉の場で売主が明確に述べてよい事柄です。「応じる義務はないと理解していますが、御社の御事情は伺います」という姿勢が、最も安定した立ち位置になります。

ただし、契約の中に価格の調整に関する定めが置かれている場合は別です。純資産額に応じた調整、運転資本の調整、条件付対価といった定めがある場合、その要件が満たされれば、価格は契約の定めに従って自動的に動きます。これは価格の「変更」ではなく、契約の「履行」です。買主の申入れが、この調整の定めの適用を求めるものであるならば、売主は要件の充足の有無を検証したうえで、契約の定めどおりに処理することになります。したがって、まず自らの契約に価格の調整の定めがあるかどうかを読み直すことが、あらゆる検討の前提となります。

再交渉に応じないことの意味と実務上の限界

法律上応じる義務がないことと、交渉の場で一切話を聞かないこととは、同じではありません。買主が資金の手当てに現に窮しているのであれば、当初の価格に固執した結果、クロージングが実現せず、契約が宙に浮くという事態も起こり得ます。売主にとって、代金を受け取れないまま時間が経過することは、それ自体が損失です。対象会社の従業員の動揺、取引先への説明の困難、次の買手を探す場合の再開の負担を考えれば、交渉の余地を全く残さないという判断が常に最善とは限りません。

そこで実務上は、応じる義務がないことを明確に述べたうえで、買主の事情を具体的に聞き取り、価格以外の条件での調整の可能性を探る、という運び方をとることが多くあります。支払時期の分割、表明保証の対象範囲の限定、補償の上限額の引下げ、クロージング後の売主の関与の期間の短縮といった項目は、買主にとって価値があり、売主にとっては受入れの余地があることが少なくありません。価格という一点だけで押し合う構図を避けることが、交渉を前に進める鍵になります。

買主が価格の変更の根拠として挙げる事由の類型と当否の見極め

買主が価格の引下げの理由として挙げる事由は、実務上、いくつかの類型に整理できます。それぞれについて、契約上の根拠があるかどうか、事実の裏付けがあるかどうか、そして価格への影響がどの程度かという3段階で検証していきます。以下では、代表的な4つの類型を取り上げます。

クロージングまでの追加調査で判明した事項

「署名後に追加の調査を行ったところ、新たな問題が見つかった」という主張です。ここでまず確認すべきは、その事項が、契約締結前のデュー・ディリジェンスの過程で既に開示されていたかどうかです。開示資料の一覧、データルームへの登載の記録、質問と回答の一覧を突き合わせ、既に買主が知り得た情報であれば、それを理由とする価格の引下げの主張には根拠がありません。多くの株式譲渡契約には、開示された事項については表明保証の違反を構成しない旨の定めが置かれています。

次に、その事項が表明保証の違反に当たるかどうかを検討します。当たる場合であっても、契約は通常、補償の手続を定めており、価格そのものを引き下げるのではなく、クロージング後に補償請求を行うという処理が予定されています。したがって、「表明保証の違反があるから価格を下げる」という主張は、契約の予定する処理と異なります。売主としては、補償の枠組みで処理すべき事柄であると反論することが可能です。さらに、契約に補償の下限額(一定額に達しない請求は行えないとする定め)が置かれている場合、買主が挙げる事項の金額がその下限に達しているかどうかも確認します。

対象会社の業績の悪化

「直近の月次の数字が計画を下回っている」「今期の着地見込みが下方修正された」という主張です。この場合、まず確認すべきは、契約に業績を前提条件とする定めがあるかどうかです。中小企業のM&Aでは、特定の業績の水準の達成をクロージングの前提条件とする定めが置かれていないことのほうが多くあります。定めがないのであれば、業績の悪化は、それだけでは価格の引下げの契約上の根拠になりません。

次に、買主が指摘する数字の読み方を検証します。月次の数字は、売上の計上の基準、季節の変動、大口の案件の期ずれによって大きく振れます。1か月の数字だけを取り出して傾向を語ることには無理があるのが通常です。前年の同月との比較、直近12か月の移動平均、受注残高の推移といった複数の指標を並べ、買主の指摘が一時的な変動を捉えたものにすぎないことを示せる場合が少なくありません。

前提条件の不充足の主張

クロージングの前提条件は、これが満たされなければ買主が決済の義務を負わないという性質の定めですから、買主にとっては強い主張の根拠になります。典型的なものとして、表明保証がクロージングの日においても真実であること、売主が契約上の義務を履行していること、必要な許認可や第三者の同意が取得されていること、対象会社に重大な悪影響が生じていないこと、といった項目が挙げられます。

売主としては、買主が「充足していない」と主張する項目を1つずつ特定させ、その根拠となる事実と資料の提示を求めます。前提条件は、契約に列挙された項目に限られます。列挙されていない事柄を持ち出して不充足を主張することはできません。また、前提条件の不充足を理由に決済を拒む場合であっても、価格を引き下げる権利が生じるわけではありません。買主に与えられているのは、条件が満たされるまで決済をしない、あるいは条件を放棄して決済をする、という選択にとどまります。「条件が満たされていないから価格を下げろ」という主張は、契約の構造と一致しません。

重大な悪影響がないことを内容とする条項への該当の主張

多くの株式譲渡契約には、契約の締結からクロージングまでの間に対象会社の事業、財政状態又は経営成績に重大な悪影響を及ぼす事由が生じていないことを、クロージングの前提条件とする定めが置かれています。買主が業績の悪化を捉えてこの条項への該当を主張してくることは、実務上しばしばあります。

この条項の該当性は、一般に厳格に判断されるべきものと考えられています。単に業績が計画を下回ったという程度では足りず、対象会社の収益力そのものに長期にわたって影響を及ぼす、構造的で重大な変化があることが必要です。加えて、多くの契約では、業界全体に共通して生じた事情、一般的な経済情勢の変動、法令の改正、天災といった事由を、この条項の対象から除外する定めが置かれています。買主が主張する事情がこの除外の対象に当たるのであれば、条項への該当は否定されます。

売主としては、条項の文言そのもの、除外事由の列挙、そして買主が挙げる事実の3つを机の上に並べ、該当しないことを具体的に示すことになります。除外事由の列挙は契約ごとに異なりますから、自らの契約の文言を確認することが不可欠です。

契約に価格調整の定めがある場合の適用の可否

契約に価格の調整の定めが置かれている場合、買主の申入れは、その定めの適用を求めるものとして構成されることがあります。この場合、売主が検討すべきは「応じるかどうか」ではなく「要件が満たされているかどうか」です。定めの種類ごとに、確認すべき事項が異なります。

純資産額に応じた調整

クロージングの日を基準とする対象会社の純資産額が、契約に定めた基準額を下回った場合に、その差額に応じて代金を減額するという定めです。中小企業のM&Aでは比較的よく用いられます。確認すべきは、第1に基準日がいつかです。契約の締結日なのか、クロージングの日なのか、直前の月末なのかによって、対象となる数字が変わります。第2に、純資産額の算定の方法です。どの会計方針によるのか、どの科目を含めるのか、税効果をどう扱うのかといった点が定められているはずです。第3に、算定を行う主体と、その結果に売主が異議を述べる手続です。

買主が示す算定の結果をそのまま受け入れる必要はありません。減価償却の方法、引当金の計上の水準、棚卸資産の評価、仮払金や貸付金の扱いといった項目は、判断の余地がある部分です。売主側でも会計の専門家に確認を依頼し、契約に定められた方法に従った算定になっているかを検証してください。異議の申立ての期間が契約に定められている場合、その期間を徒過すると買主の算定が確定してしまう定めになっていることがありますから、期間の管理には十分な注意が必要です。

運転資本の調整

売掛金、棚卸資産、買掛金といった運転資本の水準が、基準となる水準からずれた場合に、その差額を代金に反映させるという定めです。事業の季節性が強い会社では、基準となる水準の設定の仕方によって、調整の金額が大きく動きます。過去12か月又は24か月の平均を基準とする定めが置かれていることが多く、その場合、特定の月の数字だけを取り出して調整を求める買主の主張には根拠がありません。

また、運転資本の調整と純資産額の調整の両方が定められている場合、同じ要素について二重に減額が生じないよう、契約に調整の関係が定められているのが通常です。買主の算定が二重の控除になっていないかどうかを確認してください。売掛金のうち回収が困難なものについて、貸倒引当金の計上と運転資本からの控除の両方が行われている、といった例が実際にあります。

条件付対価の定め

クロージング後の一定の期間における対象会社の業績が、あらかじめ定めた水準に達した場合に、追加の代金を支払うという定めです。既にこの定めが契約に置かれている場合、業績の悪化は、固定の代金部分ではなく、条件付対価の部分に反映されるべき事柄です。買主が固定の代金部分の引下げを求めてきたときは、業績の変動は条件付対価によって既に処理される仕組みになっている旨を指摘することが、有力な反論になります。

条件付対価の定めについては、業績の指標が何か(売上高か、営業利益か、経常利益か)、算定の期間がいつからいつまでか、算定の方法をだれが決めるか、クロージング後に買主が対象会社の経営方針を変更した場合の扱いはどうかといった点を、改めて確認しておいてください。買主の裁量によって指標が左右される構造になっていると、条件付対価が実際には支払われない結果になり得ます。

業績の悪化が一時的なものか構造的なものかの切り分け

業績の悪化を理由とする価格の引下げの申入れに対しては、その悪化が一時的な変動なのか、収益力そのものの構造的な低下なのかを切り分けることが、議論の中心になります。この切り分けを言葉ではなく資料で行うことができれば、交渉の力関係は大きく変わります。

数字で切り分けるための資料の作り方

まず、悪化の原因を、金額の大きい順に分解します。売上高の減少であれば、どの取引先で、どの商品で、どの月に生じたのかを一覧にします。利益の減少であれば、売上高の減少によるものか、原価率の上昇によるものか、販売費及び一般管理費の増加によるものかを分けます。この分解を行うだけで、「全体として悪い」という漠然とした印象が、「特定の1社の受注が翌期にずれた」といった具体的な事実に置き換わることが多くあります。

次に、そろえるべき資料として、次のものが挙げられます。

  • 直近24か月の月次の試算表と、前年の同月との比較の表
  • 取引先別、商品別又は事業所別の売上高の推移の表
  • 受注残高及び引合いの状況の一覧(悪化が一時的であることを示す最も有力な資料になり得ます)
  • 原材料の価格、外注費、人件費といった原価の変動の要因の分析
  • 失注した案件について、その理由と、代替の案件の獲得の状況を記載した書面
  • 退職した従業員がいる場合、その職務と、後任の手当ての状況を記載した書面

これらの資料は、買主に求められてから作るのではなく、悪化が生じた時点で売主側が自発的に整えておくことが望ましいと考えます。買主の指摘に対して即座に数字で応答できることが、交渉における信頼を保ちます。

説明の順序と反論の組み立て

説明の順序は、事実、原因、見通し、対策の4段階で組み立てます。第1に、何がどれだけ落ちたのかという事実を、数字で示します。第2に、その原因を特定します。第3に、今後どうなる見通しかを、受注残高や引合いの状況といった根拠とともに示します。第4に、対象会社として既に着手している対策を述べます。この順序で説明すると、悪化を隠していないという姿勢が伝わり、かつ悪化の性質についての売主の評価が説得力を持ちます。

反論の組み立てにおいて重要なのは、悪化の事実を否定しないことです。数字が落ちているのであれば、それは動かせません。争うべきは、その悪化が対象会社の収益力の構造的な低下を意味するのかどうかという評価の部分です。ここを混同して事実自体を争おうとすると、資料との矛盾が生じ、かえって売主の説明全体の信頼を損ねます。事実は認め、評価を争う、という組み立てを守ってください。

売主が採り得る対応の選択肢

検証の結果を踏まえ、売主が採り得る対応には、大きく4つの方向があります。どれを選ぶかは、契約の内容、買主の資金の状況、売主にとってクロージングを実現することの重要性、そして他の買手候補の有無によって変わります。以下では、それぞれの選択肢の内容と、選ぶ際の判断の材料を述べます。

応じない

契約上の根拠がなく、買主の主張する事実にも裏付けが乏しい場合、応じないという判断が基本になります。この場合、売主は、契約に定められた期日に決済を行うよう書面で求め、自らの側の義務(株券の交付、名義書換えに必要な書類の準備、役員の辞任届の用意といった事項)の履行の準備が整っていることを明らかにします。売主が履行の準備を整えていることを記録として残すことは、後に買主の債務不履行を主張する場面で意味を持ちます。

応じないという判断を採る場合でも、その伝え方には配慮が必要です。買主の主張の一つ一つについて、根拠のない理由を具体的に示したうえで結論を述べれば、買主の社内でも「これ以上は動かない」という判断が形成されやすくなります。単に「応じられません」とだけ回答すると、買主が主張を変えて繰り返すことになり、交渉が長引きます。

条件付きで応じる

買主の主張に一定の理があり、かつクロージングの実現を優先すべき事情がある場合、条件を付して応じるという選択があります。ここで重要なのは、譲歩を一回限りのものとして確定させることです。具体的には、価格の引下げに応じる代わりに、買主が今後この件に関して一切の追加の請求を行わないこと、当該事項について表明保証の違反や補償の請求を行わないこと、そしてクロージングの期日を確定させることを、変更の合意書に明記します。

この合意書には、変更後の代金額、変更されない事項(他の条項は従前のとおり効力を有すること)、クロージングの期日、そして本件の申入れに関する当事者間の債権債務がこの合意をもって終了することを、明確に書き込んでください。口頭の了解にとどめると、クロージングの直前に再度の申入れがなされる余地を残します。

条件付対価に振り替える

業績の悪化の性質について当事者の評価が分かれ、いずれの見方が正しいかを現時点で決められない場合、その差額を条件付対価に振り替えるという処理が有効なことがあります。すなわち、固定の代金部分は買主の主張する水準まで引き下げる一方、クロージング後の一定の期間に対象会社の業績が一定の水準を回復した場合には、その差額に相当する額を追加して支払う、という組み立てです。売主が悪化を一時的なものと考えているのであれば、この提案は売主にとって受け入れやすく、買主にとっても反対しにくいものになります。

条件付対価を新たに設ける場合、次の点を必ず定めてください。業績の指標と算定の方法、算定の対象となる期間、算定を行う主体と売主が資料の開示を受ける権利、支払の期日、買主が対象会社の経営方針を変更した場合や他社と合併させた場合の取扱い、そして買主が指標の達成を意図的に妨げた場合の効果です。これらが曖昧なままだと、条件付対価は絵に描いた餅になりかねません。

クロージングを先行させて紛争を後に回す

買主の主張が表明保証の違反や補償の対象となり得る事柄である場合、価格の議論をクロージング前に決着させず、まず契約どおりの金額で決済を実行し、その後に補償の手続で処理するという運び方があります。売主にとって、代金を確実に受け取ったうえで争うことは、受け取らないまま争うことよりも一般に有利です。買主にとっても、取引の実行を遅らせずに済むという利点があります。

ただし、この方法を採る場合、補償の請求が実際に行われる可能性を織り込んでおく必要があります。代金の一部を一定期間留保する仕組み(第三者に預託する方法を含みます)が契約に定められているかどうか、補償の上限額と請求の期間がどうなっているかを確認し、留保される可能性のある金額を把握したうえで判断してください。決済を急ぐあまり、実質的には価格の引下げと変わらない結果になることは避けたいところです。

買主が一方的にクロージングを拒む場合の対応

交渉が整わず、買主が期日に決済を行わなかった場合、売主は契約上の権利の行使を検討することになります。ここからは、交渉ではなく、契約の履行を実現する、あるいは契約を終了させて損害の回復を図る段階です。手順を誤ると、後の主張が通りにくくなりますから、順序を守ることが重要です。

催告と履行の請求

まず、売主自身の債務の履行の準備が整っていることを明らかにしたうえで、買主に対し、相当の期間を定めて代金の支払を求める書面を送ります。この書面は、配達証明付きの内容証明郵便によることが通例です。書面には、契約の特定、履行の期日が経過していること、売主の側は履行の準備を完了していること、指定する期間内に支払うべきこと、そして期間内に支払がない場合は契約を解除し損害の賠償を求める意向であることを記載します。

売主が履行の準備を整えていることの立証は、実務上重要です。株券が発行されている会社であれば株券の所在、株券が発行されていない会社であれば株主名簿の名義書換えに必要な書類、役員の辞任届、対象会社の実印及び通帳の引渡しの準備といった事項について、いつどのように準備を整えたかを記録に残してください。買主が代金を支払わない状態が続けば、買主は履行遅滞に陥り、売主は履行の請求とともに、遅延による損害の賠償を求めることができます。債務の不履行による損害賠償については民法第415条第1項に定めがあります。

解除と違約金の請求

催告をしても買主が期間内に履行しない場合、売主は契約を解除することができます。催告による解除については民法第541条に定めがあります。解除をすると、契約は効力を失い、売主は株式を保有したままとなります。そのうえで、買主の債務不履行によって生じた損害の賠償を求めることになります。

多くの株式譲渡契約には、当事者の一方の責めに帰すべき事由によってクロージングが実現しなかった場合の違約金の定めが置かれています。違約金は、当事者があらかじめ賠償額を定めておく趣旨のものとして扱われるのが通常であり、賠償額の予定については民法第420条第1項に定めがあります。この定めがある場合、売主は実際の損害額を細かく立証することなく、定められた額の支払を求めることができます。もっとも、違約金の定めの文言によっては、その額を超える損害の賠償を別途求められるかどうかの解釈が分かれますから、契約の文言を確認してください。

解除を選ぶかどうかは慎重に判断する必要があります。解除をすれば、その取引は終わります。買主が資金の手当ての遅れによって一時的に決済ができないだけであり、なお実行の意思がある場合には、期日を延期する変更の合意を結んだうえで待つほうが、結果として売主の利益にかなうことがあります。他の買手候補の有無、対象会社の従業員及び取引先への影響、そして時間の経過による対象会社の価値の変動を総合して判断してください。

保全の検討

買主に十分な資力があるかどうかに疑いがある場合、損害賠償の請求権を保全するため、買主の財産に対する仮差押えを検討することがあります。仮差押えは、金銭の支払を目的とする債権について、将来の強制執行が困難になるおそれがあるときに認められる手続であり、民事保全法第20条第1項に定めがあります。申立てには、被保全権利の存在と保全の必要性を疎明する資料が必要であり、担保金の供託を求められるのが通常です。

実際に保全の手続に進むかどうかは、買主の資産の状況、担保金の負担、そして手続に要する時間を踏まえて判断します。買主が事業を継続している法人であり、資力に特段の疑いがない場合には、保全の必要性が認められにくいこともあります。他方、買主が特別目的会社であり、資産が乏しい場合には、親会社の保証の有無を確認することが先決になります。契約の締結の段階で親会社の保証を取得しておくことが、この局面での売主の立場を大きく左右します。

交渉の記録の残し方

価格の見直しをめぐる交渉は、後に紛争となったときの証拠の宝庫になります。誰が、いつ、どのような根拠で、何を求めたのか。売主がどう応答し、買主がどう反応したのか。この経過の記録が、買主の主張の変遷を示し、あるいは売主が誠実に対応してきたことを示す資料になります。

議事の記録と書面化

面談や電話で交渉を行った場合、その日のうちに、日時、場所、出席者、買主の発言の要旨、売主の回答の要旨を記載した記録を作成してください。記憶は速やかに薄れます。特に、買主が価格の引下げの根拠として述べた事実の内容は、正確に記録しておく必要があります。後に買主が別の根拠を持ち出したとき、主張が変遷していることを指摘できるからです。

さらに、重要なやり取りは、面談の後に電子メールで確認の書面を送り、相手方の認識との一致を確保しておくことをお勧めします。「本日の御協議では、貴社から次の3点の御指摘をいただいたと理解しております。認識に相違があれば御指摘ください」という形式の書面を送っておけば、その内容が当事者間の共通の理解として残ります。返信がない場合も、送信の事実自体が記録になります。

また、買主に対して資料や根拠の提示を求めた場合、その求めと、買主が実際に提示したかどうかを記録に残してください。買主が根拠の提示を求められながら応じなかったという経過は、その主張に裏付けがなかったことを推認させる事情になり得ます。

社内及び対象会社への影響の管理

交渉が長引くと、対象会社の内部に情報が漏れ、従業員が動揺し、取引先が不安を抱くという二次的な問題が生じます。この段階で誰に何を伝えるかは、慎重に決める必要があります。原則として、情報を知る者の範囲を最小限にとどめ、対応の窓口を1人に限定し、外部への説明の内容をあらかじめ決めておいてください。

あわせて、交渉が長引いたことによって売主又は対象会社に生じた費用や損失も、記録に残しておいてください。専門家に支払った費用、延期に伴って生じた追加の費用、失われた事業の機会といった事項は、後に損害の賠償を求める場面で意味を持つことがあります。日付と金額と内容が分かる形で、簿外にせず整理しておくことが望まれます。

よくあるご質問

ここでは、最終契約の締結後の価格の見直しや、対象会社の業績の悪化に関して、売主の方から実際にお寄せいただくことの多い御質問を取り上げ、考え方の筋道をお示しします。個別の結論は契約の文言と事案の事情によって異なりますから、あくまで検討の出発点としてお読みください。

契約に署名した後でも、買主の求めに応じて価格を下げなければならないのでしょうか

原則として、応じる義務はありません。株式譲渡契約は署名によって成立しており、その内容を一方の当事者が一方的に変更することはできません。ただし、契約に価格の調整の定めが置かれている場合は別であり、その要件が満たされていれば、契約の定めに従って金額が動きます。まず御自身の契約に調整の定めがあるかどうかをお確かめください。定めがない場合、買主の申入れは事実上の再交渉の申入れにすぎず、応じるかどうかは売主の判断に委ねられます。

買主が前提条件が満たされていないと言ってきました。どのように確かめればよいのでしょうか

前提条件は、契約に列挙された項目に限られます。まず、買主に対し、どの項目が満たされていないと考えるのか、その根拠となる事実と資料は何かを、書面で明示するよう求めてください。列挙されていない事柄を持ち出しての主張には根拠がありません。また、前提条件が満たされていないことは、買主が決済をしない理由にはなり得ても、価格を引き下げる権利を生じさせるものではありません。この点の区別は、交渉の場で明確に述べてよい事柄です。

業績が落ちたのは事実です。それでも当初の価格を主張してよいのでしょうか

業績の悪化という事実があることと、それが価格の引下げの根拠になることとは、別の問題です。契約に業績を前提条件とする定めがなく、また重大な悪影響がないことを内容とする条項に該当するといえる程度の構造的な変化でもないのであれば、当初の価格を主張することに問題はありません。もっとも、事実を否定することは避け、悪化の内容と原因、今後の見通しを数字で説明したうえで、それが一時的な変動である旨を示すという組み立てが有効です。

価格を下げる代わりに条件付対価にするという案を出されました。注意すべき点は何でしょうか

業績の悪化についての評価が分かれている場面では、有力な解決の方法です。ただし、条件の設計が甘いと、追加の代金が実際には支払われない結果になり得ます。業績の指標を何にするか、算定の期間はいつからいつまでか、算定を行う主体と売主が資料の開示を受ける権利、支払の期日、そしてクロージング後に買主が対象会社の経営方針を変更した場合や他の会社と統合した場合の取扱いを、必ず明文で定めてください。指標が買主の裁量で左右される構造になっていないかを、特に注意して御確認ください。

買主がクロージングの日に決済をしませんでした。すぐに解除すべきでしょうか

すぐに解除するかどうかは、慎重に御判断ください。まずは、売主の側の履行の準備が整っていることを明らかにしたうえで、相当の期間を定めて支払を求める書面を送ることが基本の手順です。買主が資金の手当ての遅れによって一時的に決済ができないだけで、なお実行の意思がある場合には、期日を延期する変更の合意を結ぶほうが結果として有利なこともあります。他の買手候補の有無、対象会社への影響、時間の経過による価値の変動を総合して御判断ください。

契約に違約金の定めがあれば、その金額を必ず受け取れるのでしょうか

違約金の定めがあれば、実際の損害額を細かく立証しなくても、定められた額の支払を求め得る立場に立ちます。もっとも、そのためには買主の責めに帰すべき事由によってクロージングが実現しなかったといえることが必要であり、その点が争われれば立証の負担が生じます。また、買主に支払の資力がなければ、権利があっても現実の回収は困難です。契約の締結の段階で、買主の資力や親会社の保証の有無を確認しておくことが、この場面での差を生みます。

交渉の記録はどの程度まで残しておくべきでしょうか

面談や電話の都度、日時、出席者、買主の発言の要旨、売主の回答の要旨を記載した記録を、その日のうちに作成することをお勧めします。加えて、重要なやり取りは電子メールで確認の書面を送り、相手方の認識との一致を図ってください。買主に根拠の提示を求めた事実と、買主が応じたかどうかも記録に残します。これらは、後に買主の主張の変遷を指摘する場面や、売主が誠実に対応してきたことを示す場面で意味を持ちます。

まとめ

最終契約の締結後に買主から価格の変更を求められた場合、売主がこれに応じる義務は原則としてありません。まず確認すべきは、買主の主張が契約のどの条項に基づくのか、それとも条項に基づかない事実上の申入れにすぎないのかという点です。契約に純資産額に応じた調整、運転資本の調整、条件付対価といった定めがあれば、その要件の充足の有無を検証し、契約の定めどおりに処理します。定めがないのであれば、価格は合意された金額のままです。

対象会社の業績が急に悪化した場合には、その悪化が一時的な変動なのか、収益力の構造的な低下なのかを、月次の推移、受注残高、原因の分解といった資料で切り分けます。事実は認めたうえで評価を争うという組み立てが、最も説得力を持ちます。そのうえで、応じない、条件付きで応じる、条件付対価に振り替える、クロージングを先行させて紛争を後に回すという4つの選択肢の中から、契約の内容と自らの事情に照らして選ぶことになります。

買主が一方的にクロージングを拒む場合には、履行の準備を整えたうえで催告を行い、それでも履行がないときに解除と違約金の請求を検討します。財産の保全が必要な場面もあります。いずれの局面でも、交渉の経過を記録として残しておくことが、売主の立場を守ります。判断に迷われる場面では、契約の文言を手元に置いたうえで、早い段階で弁護士に御相談いただくことをお勧めします。弁護士法人M&A総合法律事務所は、こうした局面における売主の対応について、御相談をお受けしています。

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