基本合意書の締結後に取引を中止する場合と独占交渉義務の解除
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基本合意書を締結した後に取引を中止する場合には、どの条項に法的拘束力が認められるかの切り分けが出発点となります。本記事では、中止の申入れの手順と、独占交渉義務からの離脱に伴う責任を整理いたします。
M&A仲介業者から示された基本合意書を確認する手順については別の記事で扱っています。あわせて御覧ください。
買主候補との間で基本合意書を取り交わし、これから買主側のデュー・ディリジェンスが始まるという段階になって、売主の側に迷いが生じることがあります。取引先から思わぬ話を聞いた、後継者となる予定の親族が翻意した、直近の月次決算が想定よりも良く、この価格で手放してよいのか分からなくなった、といった理由はさまざまです。買主の側にも同じことが起こります。デュー・ディリジェンスの初期の段階で想定していなかった債務が見つかった、社内の投資委員会が難色を示した、あるいは自社の資金繰りの前提が変わった、という場合です。いずれの立場であっても、次に頭に浮かぶのは、いま止めることができるのか、止めた場合に何を請求されるのか、という問題です。
基本合意書は、最終契約である株式譲渡契約と異なり、その全部が法的な拘束力を持つ書面ではありません。むしろ、買収価格や取引条件については拘束力を持たせず、独占交渉義務や秘密保持義務についてのみ拘束力を持たせるという組み方が、中小企業のM&Aでは一般的です。したがって、中止を検討する場面で最初にすべきことは、感情の整理でも相手方への連絡でもなく、手元にある基本合意書の条文を一つずつ読み、どの部分に拘束力があり、どの部分にないのかを切り分ける作業です。この切り分けを飛ばして先に電話をしてしまうと、本来は自由に離脱できた場面でありながら、余計な責任を負う入口を自ら作ってしまいます。
ここでは、基本合意書(意向表明書を含みます)を締結した後に取引を中止したい場合、又は独占交渉義務から離脱したい場合の対応を、実務の手順として整理します。条項の拘束力の切り分け、中止の申入れの時期と方法、独占交渉義務の期間と解除事由の確認、違反した場合に生じ得る責任、デュー・ディリジェンスの結果を理由とする場合の説明の仕方、M&A仲介業者との契約との関係、そして中止後に別の相手方と交渉を開始する場合の留意点という順に述べます。譲渡代金が1億円から10億円程度の非上場の同族企業を念頭に置き、売主と買主の双方の立場から見ていきます。
基本合意書のどの条項に法的拘束力が認められるのか
基本合意書は、最終契約に向けた当事者の意思を確認し、その後の手続の進め方を定める書面です。一般に、その内容の全部に法的な拘束力を持たせることはしません。拘束力の範囲は、書面の末尾近くに置かれる「法的拘束力」と題する条項によって定められることが通常ですので、まずこの条項を探し出し、どの条項番号が拘束力を持つものとして列挙されているかを確認します。ここが確認の出発点であり、この一条をどう読むかで、その後にとり得る対応が変わります。
拘束力を持たせないことが一般的な部分
買収価格、譲渡の対象となる株式の数、取引の形式、役員の処遇、従業員の雇用の維持、譲渡の実行の予定時期といった、取引の中身に関する条項は、拘束力を持たせないことが一般的です。これらは、デュー・ディリジェンスの結果や、その後の交渉によって変わり得る事項であり、この段階で確定させる性質のものではないからです。したがって、基本合意書に「株式の譲渡代金を5億円とする」と書かれていても、拘束力の条項でその部分が除外されていれば、売主も買主も、その金額で契約を締結する義務を負いません。買主が価格の引下げを申し入れることも、売主がその申入れを断って交渉を打ち切ることも、原則として自由です。ここを誤解し、書いてしまった以上はその価格で売らなければならないと思い込んでいる経営者の方は少なくありません。
拘束力を持たせることが一般的な部分
これに対し、独占交渉義務、秘密保持義務、費用の負担、有効期間、準拠法及び管轄裁判所に関する条項は、拘束力を持たせることが一般的です。独占交渉義務は、一定の期間、他の候補者と交渉をしてはならないという義務です。秘密保持義務は、別に秘密保持契約を締結している場合には、そちらの定めが引き続き適用される旨を確認する形をとることもあります。費用の負担は、各当事者が自ら要した費用を各自負担するという定めが通常であり、これがあることで、中止した場合に相手方の調査費用まで負担させられる事態は避けられます。有効期間の条項は、基本合意書そのものがいつまで効力を持つのかを定めるものであり、独占交渉義務の期間と一致していない場合がありますので、両者を別々に読む必要があります。
手元の書面で具体的に何を確認するか
実際の作業としては、基本合意書を印刷し、次の点に印を付けていきます。第一に、拘束力を持つ条項として列挙されている条項番号です。第二に、独占交渉義務の条項の全文であり、期間、対象となる行為の範囲、例外の定めを分けて読みます。第三に、有効期間の条項と自動更新の定めの有無です。第四に、違約金又は損害賠償の額を予定する条項の有無であり、金額が書かれているかどうかを確認します。第五に、解除に関する条項であり、どのような場合に、どのような手続で解除できるかを見ます。第六に、通知の方法を定める条項であり、書面によるのか、電子メールでよいのか、宛先は誰かを確認します。この6点を押さえれば、自らが置かれている状況の輪郭はほぼ把握できます。あわせて、基本合意書とは別に締結している秘密保持契約、M&A仲介業者との契約も並べて確認します。
取引の中止を申し出る場合の手順
中止の意思が固まったとしても、伝え方を誤ると、本来は生じないはずの紛争を招きます。逆に、手順を踏んで伝えれば、相手方との関係を保ったまま終えることができ、事情が変われば将来もう一度話をする余地も残ります。中止の申入れは、時期、方法、理由の述べ方、記録の残し方という4つの要素に分けて設計します。
申入れの時期を選びます
最も避けるべきなのは、買主のデュー・ディリジェンスが本格的に進み、外部の専門家に相応の費用が発生した後になってから、実は初めから売る気がなかったという趣旨の説明をすることです。この経過は、相手方に、交渉を不当に引き延ばされたという印象を与え、後述する契約締結上の過失の主張を呼び込みます。迷いが生じた時点で早めに伝えることが、結果として双方の損失を小さくします。反対に、独占交渉義務の期間の満了が数週間後に迫っているという場合には、あえて申入れをせず、期間の満了をもって自然に義務が消滅するのを待つという判断もあり得ます。どちらが適切かは、相手方が現に費用を投じているかどうか、自動更新の定めがあるかどうかによって変わります。
伝える方法と順序を決めます
伝える相手と順序を先に決めます。M&A仲介業者が間に入っている場合には、まずM&A仲介業者の担当者に伝え、そのうえで相手方の経営者に直接伝えるという順序が通常です。M&A仲介業者を飛ばして相手方に直接連絡をすると、M&A仲介業者との関係がこじれ、その後の手続の整理に支障が出ます。伝える場面は、電話又は対面で先に趣旨を述べ、その後に書面で確認するという二段構えが適切です。いきなり書面だけを送りつけると、相手方は不意を突かれたと感じ、態度を硬化させます。伝える内容は、中止するという結論、その理由の要旨、そして今後の資料の取扱いという3点に絞ります。
理由の述べ方と書面の残し方
理由については、事実に反することを述べないことが最も重要です。虚偽の理由を述べ、それが後に判明した場合には、誠実に交渉する義務に反したという評価を受ける余地が生まれます。もっとも、社内の事情や親族間の事情の細部まで開示する必要はありません。「社内における検討の結果、現時点では本件の取引を進めない旨の結論に至りました」という程度の記載でも、理由として不十分とはいえません。書面には、中止する旨、基本合意書に基づく独占交渉義務及び有効期間の取扱い、秘密保持義務が引き続き存続すること、受領した資料の返還又は破棄の方法と期限、費用は各自の負担とすることを記載します。送付は、電子メールに加えて、記録が残る郵送の方法を併用することが安全です。送信した書面と相手方からの返信は、日付が分かる形で保存します。
独占交渉義務の期間、自動更新及び解除事由の確認
独占交渉義務からの離脱を考える場合、最も簡明な方法は、期間の満了を待つことです。そのためには、その期間がいつ始まり、いつ終わるのかを正確に把握しなければなりません。ここを感覚で捉えていると、すでに終わっているはずの義務に縛られ続けたり、逆に、まだ存続している義務に違反したりします。
起算点と満了日を確定します
独占交渉義務の期間は、「本基本合意書の締結の日から3か月」といった形で定められることが多くあります。締結の日とは、書面に記載された日付なのか、双方が記名押印を完了した日なのかが問題になることがありますので、押印の順序と日付、電子契約であれば署名の完了日時の記録を確認します。「最終契約の締結までの間」という定め方をしている場合には、最終契約が締結されないまま時間が経過したときに、義務がいつまで続くのかが不明確になります。この場合には、有効期間の条項に定められた基本合意書全体の期間が上限になると考えるのが自然ですが、争いを避けるためには、相手方との間で期間の終期について確認の書面を取り交わしておくことが確実です。
自動更新の定めの有無を見ます
独占交渉義務の条項の末尾に、期間の満了の一定の日数前までにいずれの当事者からも書面による申出がない場合には同一の条件で更新されるという定めが置かれていることがあります。この定めがある場合、何もしないでいると義務が延び続けます。したがって、更新を望まないのであれば、定められた日数を逆算し、期限までに更新をしない旨の通知を出す必要があります。通知の方法についても条項の指定に従います。書面によることを求めているのに電子メールだけで送った場合、有効な通知として扱われない余地が残ります。カレンダーに期限を書き込み、余裕をもって発送することをお勧めします。
解除事由と当然に失効する場合
基本合意書には、一定の事由が生じた場合に解除できる旨の条項が置かれていることがあります。相手方が基本合意書に違反した場合、対象会社の財産の状態に重大な変動が生じた場合、法令に違反する事実が判明した場合、といった内容です。また、デュー・ディリジェンスの結果、当事者が合意できない事項が生じたときには、いずれの当事者も書面による通知により本基本合意書を終了させることができる、という定めが置かれていることもあります。この定めがある場合には、これを用いるのが最も摩擦の少ない方法です。さらに、当事者の双方が合意すれば、いつでも基本合意書を終了させることができます。相手方も内心では前に進む意欲を失っていることがありますので、合意による終了を提案してみる価値はあります。
独占交渉義務に違反した場合に生じ得る責任
独占交渉義務に違反して他の候補者と交渉を始めた場合、又は基本合意書に反する行為をした場合には、責任を問われる余地があります。もっとも、その責任の内容と範囲は、違約金の定めがあるかどうかによって大きく変わります。ここを理解しておくと、相手方から示された請求額が過大であるかどうかを判断できます。
違約金又は損害賠償の額の予定がある場合
基本合意書に「独占交渉義務に違反した場合、違反した当事者は相手方に対し金1000万円を支払う」といった条項が置かれている場合があります。これは、民法第420条第1項が定める損害賠償の額の予定に当たるものと考えられ、この場合、請求する側は、実際にいくらの損害が生じたかを立証する必要がなく、定められた金額を請求できるのが原則です。したがって、この種の条項がある基本合意書に署名している場合には、独占交渉義務の違反は、そのまま金額の負担に直結します。中小企業のM&Aの基本合意書では、この条項が置かれていない例のほうが多いのですが、買主が事業会社であり、取引の規模が大きい場合には置かれていることがあります。まず自らの書面にこの定めがあるかどうかを確認してください。
違約金の定めがない場合
違約金の定めがない場合、相手方は、民法第415条第1項に基づき、独占交渉義務の違反によって生じた損害の賠償を求めることになります。この場合、請求する側が、損害の発生と金額、そして違反行為との因果関係を立証しなければなりません。ここが実際には容易ではありません。買主が「その会社を買えていれば得られたはずの利益」を主張しても、最終契約が締結されるかどうか自体が不確実であった以上、そのような利益が確実に得られたとは認めにくいと考えられます。結局、賠償の対象として認められ得るのは、デュー・ディリジェンスに要した弁護士、公認会計士、税理士の費用、往復の交通費、社内の担当者の人件費といった、交渉のために現に支出した費用の範囲にとどまるのが通常と考えられます。ただし、費用は各自の負担とする条項が基本合意書に置かれている場合には、その条項との関係で、そもそも請求ができるのかという議論も生じます。
契約締結上の過失として賠償を求められる場合
独占交渉義務の違反とは別に、交渉の打切りそのものが問題とされることがあります。交渉が相当に進み、相手方が契約の成立を信じても無理はないという段階に至った後に、正当な理由なく一方的に交渉を打ち切った場合には、契約締結上の過失として賠償責任を負う余地があるという考え方です。これは条文に明記された制度ではなく、裁判例の積み重ねによって形成されてきた考え方です。責任が認められる場合であっても、賠償の範囲は、契約が成立していれば得られたはずの利益にまでは及ばず、原則として、交渉のために支出した費用の範囲にとどまると考えられています。したがって、中止の申入れをするに当たっては、相手方が現にどれだけの費用を投じているかを把握し、その水準を念頭に置いて対応を検討することになります。相手方が調査に着手する前に伝えれば、そもそも費用が発生していませんので、この問題は生じません。
デュー・ディリジェンスの結果を理由として中止する場合の説明の仕方
買主が、デュー・ディリジェンスの結果を理由として取引を中止する場合には、説明の仕方に固有の難しさがあります。調査によって知った情報は秘密保持義務の対象であり、また、指摘の仕方によっては、対象会社の信用に関わる問題として受け止められるからです。ここでは、中止の通知と調査結果の伝え方を分けて考えます。
中止と条件の見直しを区別します
まず、自らの立場を明確にします。取引そのものを取りやめるのか、それとも、価格の引下げ、表明保証の追加、譲渡の実行の前提条件の追加といった条件の見直しによって進める余地があるのかという区別です。多くの場面では、後者の余地が残されています。簿外の債務が見つかった場合、未払の割増賃金が判明した場合、不動産の権利関係に問題が見つかった場合であっても、その金額を価格から控除する、売主が個別に補償する、実行の前に是正することを条件とする、といった処理が可能なことがあります。中止の判断は、これらの処理をしても引き受けられない性質の問題であるかどうかを検討したうえで行います。売主の側も、買主から中止の申入れを受けた際には、条件の見直しによって進める余地がないかを尋ねてみる価値があります。
どこまで説明するかを決めます
理由の説明は、事実に基づき、かつ、必要な範囲にとどめます。「調査の過程で、当社の投資の基準に照らして受け入れることが難しい事項が判明したため、今回は見送らせていただきます」という程度の説明でも足ります。他方、売主が今後も別の相手方に対して譲渡を検討するのであれば、指摘された事項を知っておくことが売主の利益になります。この場合には、指摘の内容を書面で共有してもらえないかを申し入れることが考えられます。買主としては、調査を行った専門家の報告書そのものを渡すことは通常しませんが、指摘事項の要点を口頭又は簡単な書面で伝えることは差し支えありません。報告書の提供を求める場合には、その報告書を作成した専門家との関係で第三者への開示が制限されていることが多いため、あらかじめその点を確認する必要があります。
秘密保持義務との関係を整理します
買主は、デュー・ディリジェンスを通じて、対象会社の顧客の一覧、原価の構成、従業員の給与、係争中の案件といった情報を取得しています。中止をした後も、これらの情報について秘密保持義務は存続します。存続する期間は、秘密保持契約に定められた期間によりますが、契約の終了から2年又は3年といった定めが置かれていることが多くあります。買主の側では、社内で共有された資料の回収、電子データの削除、外部の専門家に渡した資料の破棄の指示を、期限を切って行います。売主の側では、返還又は破棄の完了を書面で報告するよう求め、その報告を保存しておきます。買主が同業他社である場合には、この点の管理が特に重要になります。
M&A仲介業者との契約との関係
取引を中止する場合、相手方との関係だけでなく、M&A仲介業者との間で締結しているM&A仲介契約の整理も必要になります。ここを放置すると、取引が成立していないにもかかわらず手数料の請求を受ける、あるいは、次の相手方との取引が成立した際に二重に手数料を支払う、といった事態が生じます。
中間金の取扱いを確認します
M&A仲介契約では、着手金、基本合意書の締結の時点で支払う中間金、譲渡の実行の時点で支払う成功報酬という組み方がとられていることがあります。中間金は、基本合意書の締結という事実に対して支払われるものとされていることが通常であり、その後に取引が中止となった場合であっても、返還されない旨が定められている例が多くあります。まずは契約書の該当条項を読み、返還の有無、返還される場合の条件、次の案件に充当できる旨の定めがあるかどうかを確認します。充当の定めがない場合でも、M&A仲介業者に対して、引き続き別の相手方を探してもらう前提で、次の案件の中間金に充当してもらえないかを交渉することは可能です。中止の連絡と同時に、この点も併せて申し入れるのが効率的です。
テール条項の内容を読みます
M&A仲介契約には、契約が終了した後の一定の期間内に、M&A仲介業者が紹介した相手方との間で取引が成立した場合には、成功報酬を支払う義務を負うという条項が置かれていることがあります。これは一般にテール条項と呼ばれます。期間は、契約の終了から1年、2年、3年といった定め方がされています。今回は中止したものの、1年後に同じ相手方から改めて話が来て取引が成立したという場合には、この条項によって手数料の支払義務が生じ得ます。したがって、確認すべきは、対象となる期間、対象となる相手方の範囲、そして対象となる相手方の氏名又は名称が一覧として特定されているかどうかです。一覧が作成されていない場合には、後から範囲について争いになりますので、M&A仲介契約を終了させる際に、対象となる相手方の一覧を書面で確定しておくことをお勧めします。
M&A仲介業者への伝え方と契約の整理
M&A仲介業者に対しては、中止の理由と、今後も譲渡の検討を続けるのか、当面は取りやめるのかを明確に伝えます。今後も続けるのであれば、M&A仲介契約を継続したうえで、次の候補者の探索を依頼します。当面は取りやめるのであれば、M&A仲介契約の解約の手続を確認します。解約に予告の期間が定められている場合がありますし、専任の定めがある場合には、他のM&A仲介業者に依頼できる時期が制限されます。あわせて、M&A仲介業者に預けた決算書、株主名簿、賃貸借契約書といった資料の返還を求め、匿名の企業概要書が他の候補者に配布されている場合には、その配布の停止と回収を依頼します。
中止後に別の相手方と交渉を開始する場合の留意点
中止の目的が、別の相手方との取引を進めることにある場合には、進め方を誤ると、前の相手方から責任を追及される事態を招きます。順序を守れば、その危険は大きく減らせます。
独占交渉義務が完全に終了したことを確認します
新たな相手方との接触を開始する前に、独占交渉義務が終了していることを客観的な資料で確認します。期間の満了によって終了した場合には、基本合意書の締結の日と期間の定めを照らし合わせ、満了日を特定した記録を残します。合意によって終了させた場合には、終了の合意書、又は終了を確認する電子メールのやり取りを保存します。ここで注意すべきは、独占交渉義務が終了する前の段階で、他の候補者と接触を始めてしまう例が実際に見られることです。M&A仲介業者から次の候補者を紹介され、面談の日程が先に決まってしまう、という経過が典型です。日程の設定そのものが違反に当たるかどうかは条項の書き方によりますが、争いの種を作らないためには、満了日より後に設定することが安全です。
秘密保持義務と資料の整理を先に済ませます
前の相手方との間の秘密保持義務は、取引が中止された後も存続します。売主の側でも、前の買主候補から受け取った資料、例えば買主の会社概要、資金調達の計画、株主の構成といった情報については、同様に取扱いに注意します。新たな相手方に対して、前の交渉の経緯を説明する際に、前の相手方の名称や提示された金額を明かすことは避けてください。前の相手方の名称は、それ自体が秘密保持義務の対象とされていることが通常です。また、前の買主候補が作成したデュー・ディリジェンスの指摘事項を新たな相手方に示す場合には、その資料が誰の権利に属するのかを確認する必要があります。
新たな相手方に対する説明と再発の防止
新たな相手方からは、前の交渉がどうなったのかを尋ねられることがあります。この場合、前の相手方を特定しない形で、「以前に1件、基本合意書の締結まで進んだ案件があったが、条件面で折り合わず終了した」という程度の説明をすることが考えられます。事実に反する説明をすると、後の交渉で信頼を損ないます。あわせて、同じ経過を繰り返さないために、前回の中止の原因を整理しておきます。価格に対する認識の差が原因であったのであれば、次回は基本合意書の締結の前に価格の考え方を詰めます。簿外の債務が原因であったのであれば、事前に自ら調査を行い、判明した事項を早い段階で開示します。従業員や取引先への説明の準備が整っていなかったことが原因であれば、その段取りを先に作ります。
相手方から中止を申し入れられた場合の対応
ここまでは中止を申し出る側の立場から述べましたが、申入れを受ける側になることもあります。受けた側の対応にも、押さえるべき順序があります。感情的に応じる前に、事実と書面を確認してください。
まず条項と経過を確認します
申入れを受けたら、直ちに返答をせず、基本合意書の条項と、これまでの経過を確認します。確認するのは、拘束力を持つ条項の範囲、独占交渉義務の残存期間、違約金の定めの有無、そして自らがこれまでに支出した費用の額です。費用については、弁護士、公認会計士、税理士に対する請求書、旅費の精算書、社内の担当者が費やした時間の記録を集めます。この金額が、後に交渉又は請求を検討する場合の基礎になります。相手方の申入れが、独占交渉義務の違反を伴うものか、単に交渉を打ち切るというものかによっても、とり得る対応は変わります。
取引を戻せる余地があるかを探ります
中止の理由によっては、条件を調整することで話を戻せることがあります。価格が理由であれば、譲渡代金の一部を業績に連動させる仕組みや、分割払とする方法によって、双方が受け入れられる水準に近づけられることがあります。簿外の債務が理由であれば、その金額を価格から控除し、あわせて売主が個別に補償する条項を置くことで対応できる場合があります。相手方の社内の承認が得られないことが理由であれば、承認の障害となっている事項を特定し、それを取り除く資料を提供することが考えられます。まずは、中止の理由を具体的に聞き取ることから始めます。
請求を検討する場合の判断
相手方に責任を追及することが考えられる場合であっても、請求に踏み切るかどうかは慎重に判断します。前述のとおり、違約金の定めがない場合に認められ得る賠償の範囲は、交渉に要した費用の範囲にとどまるのが通常と考えられ、その金額は、訴訟に要する時間と費用に見合わないことがあります。加えて、紛争が生じたという事実自体が、次の相手方との交渉において不利に働く場合もあります。他方、違約金の定めがある場合、又は相手方が明らかに独占交渉義務に違反して他の候補者と契約を締結した場合には、請求を検討する実益があります。判断に当たっては、証拠として残っている資料の内容を整理したうえで、弁護士に相談することをお勧めします。
よくあるご質問
基本合意書の締結後の中止と独占交渉義務について、経営者の方から実際に多く寄せられるご質問を整理しました。結論は個々の契約の文言と事案の経過によって変わりますので、考え方の道筋としてご参照ください。
基本合意書に価格が書かれていますが、この価格で売らなければならないのでしょうか。
多くの場合、その義務はありません。基本合意書では、買収価格や取引条件に関する部分には法的拘束力を持たせないという組み方が一般的だからです。まず、書面の末尾近くにある法的拘束力に関する条項を読み、拘束力を持つ条項として列挙されている条項番号の中に、価格に関する条項が含まれているかどうかを確認してください。含まれていなければ、その価格で契約を締結する義務は原則としてありません。ただし、価格の部分にも拘束力を持たせる旨が明記されている例外的な書面もありますので、思い込みで判断せず、必ず条文を確認してください。
独占交渉義務の期間が満了すれば、何も通知をしなくても自由に他の相手方と交渉できますか。
自動更新の定めがなければ、期間の満了によって義務は消滅しますので、通知を要しないのが原則です。もっとも、自動更新の定めがある場合には、期限までに更新しない旨の通知を出さなければ、義務が延びてしまいます。また、基本合意書全体の有効期間と独占交渉義務の期間が一致していないこともあります。安全を期すのであれば、満了の前後に、基本合意書が終了したことを確認する簡潔な書面を取り交わしておくことをお勧めします。後になって、義務が続いていたかどうかを争う事態を避けられます。
独占交渉義務に違反して他の候補者と話を進めた場合、どのくらいの金額を請求されるのでしょうか。
違約金の定めがあるかどうかで大きく変わります。定めがあれば、その金額が請求され得ます。定めがない場合には、相手方が損害の発生と金額を立証する必要があり、認められ得る範囲は、原則として、デュー・ディリジェンスの費用や交通費といった交渉のために現に支出した費用にとどまると考えられます。相手方が主張することの多い「買収できていれば得られたはずの利益」は、最終契約が締結される保証がなかった以上、認められにくいと考えられます。もっとも、事案の経過によって結論は異なりますので、請求を受けた場合には、根拠とされている条項と金額の内訳を確認したうえで対応を検討してください。
デュー・ディリジェンスの費用は、中止した場合に相手方に支払う必要がありますか。
基本合意書に、各当事者が自ら要した費用を各自負担する旨の条項が置かれていることが一般的であり、その場合には、原則として支払う必要はありません。まずこの条項の有無を確認してください。ただし、一方の当事者が相手方の調査費用を負担する旨の特別な定めが置かれている場合や、中止の経過が著しく不誠実であったと評価される場合には、別の議論が生じ得ます。中止を検討する段階で、相手方がどの程度まで調査を進めているかを把握しておくことが、こうした議論を避けるうえで有効です。
中止した場合、M&A仲介業者に支払った中間金は返してもらえますか。
M&A仲介契約の定めによります。中間金は基本合意書の締結という事実に対して支払われるものとされ、その後に取引が中止となっても返還しない旨が定められている例が多くあります。まず契約書の該当条項を確認してください。返還の定めがない場合でも、引き続き別の相手方の探索を依頼するのであれば、次の案件の中間金に充当する扱いにしてもらえないかを申し入れることは可能です。交渉の余地はありますので、中止の連絡と併せて相談することをお勧めします。
テール条項があると、いつまで手数料の支払義務が残るのでしょうか。
M&A仲介契約に定められた期間によります。契約の終了から1年、2年、3年といった定め方が見られます。重要なのは、対象となる相手方の範囲です。M&A仲介業者が紹介したすべての相手方が対象なのか、実際に面談を行った相手方に限られるのかによって、影響は大きく変わります。契約を終了させる際に、対象となる相手方の氏名又は名称を一覧として書面で確定しておけば、後の争いを防げます。この作業は、終了の時点で行うのが最も容易です。
買主から中止を申し入れられました。理由を詳しく教えてもらうことはできますか。
求めること自体は差し支えありません。買主には理由を詳細に説明する義務まではありませんが、今後も別の相手方への譲渡を検討するのであれば、指摘された事項を知っておくことは売主の利益になります。デュー・ディリジェンスの指摘事項の要点を、書面又は口頭で共有してもらえないかを申し入れてみてください。買主が作成させた報告書そのものの提供は、専門家との契約上、第三者への開示が制限されていることが通常ですので、要点の共有という形で求めるのが現実的です。
まとめ
基本合意書を締結した後に取引を中止したいと考えた場合、最初にすべきことは、手元の書面を読み、どの条項に法的拘束力があるのかを切り分ける作業です。買収価格や取引条件に関する部分には拘束力を持たせないことが一般的であり、その場合、その価格で契約を締結する義務はありません。他方、独占交渉義務、秘密保持義務、費用の負担、準拠法及び管轄裁判所に関する条項には拘束力を持たせることが一般的ですので、これらについては、期間、自動更新の定めの有無、解除事由を正確に確認する必要があります。
中止の申入れは、相手方が費用を投じる前の早い段階で、M&A仲介業者を含めた順序を決めたうえで行い、事実に反しない理由を述べ、記録の残る方法で書面を交わすことが基本です。独占交渉義務に違反した場合の責任は、違約金の定めがあるかどうかで大きく異なり、定めがない場合に認められ得る賠償の範囲は、原則として交渉に要した費用にとどまると考えられます。あわせて、M&A仲介契約の中間金とテール条項を整理し、次の相手方との交渉は、独占交渉義務の終了を客観的な資料で確認してから開始してください。
基本合意書の条項の読み方、中止の通知の書き方、独占交渉義務の終了の確認、M&A仲介契約の整理は、いずれも書面の文言に即した具体的な検討を要する作業です。弁護士法人M&A総合法律事務所では、基本合意書の締結後に取引の中止を検討される場面、相手方から中止の申入れを受けた場面、独占交渉義務をめぐって争いが生じた場面のいずれについても、書面の点検から通知の作成、相手方との交渉までを一体としてお引き受けしています。判断に迷われた段階で、基本合意書、秘密保持契約及びM&A仲介契約の写しをお持ちのうえ、ご相談ください。
具体的な御相談をお考えの皆様へ
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