株式買収後の業績悪化について売主・M&A仲介会社の責任を問えるか―東京地方裁判所平成29年3月10日判決

買収した会社の業績が事前の説明を大きく下回ったとき、売主やM&A仲介会社Eに損害賠償を請求できるのでしょうか。本判決では、買主会社Aが営業権の評価や売上予測の説明を問題としましたが、裁判所は、評価資料の作成方法、買主会社Aによるデューデリジェンス、買収後の経営状況を検討し、請求を棄却しました。
本件の株式譲渡契約には財務諸表に関する表明保証条項がありました。ただし、判決の中心は、売主の説明義務と仲介会社Eの説明義務・善管注意義務の違反が認められるかという問題です。表明保証違反に基づく補償請求の要件を一般的に示した裁判例とは区別して読む必要があります。
本記事は、買収後の業績悪化について、契約前の説明をした売主や仲介会社への請求を検討している買主の皆様に向けた判例解説です。
本記事が扱う場面と、扱わない場面
平成29年3月10日判決の事案を通じ、営業権の試算、売上予測及び買収後の経営と、売主・仲介会社の説明義務との関係を扱います。仲介責任の一般的な枠組みや、売主の表明保証違反による契約解除の判例とは区別しています。
一般的な検討の枠組みは、M&A仲介会社の善管注意義務が問題となる場面をご覧ください。
当事者の表記
本記事では、株式の買主を「買主会社A」、売主である元代表取締役を「売主B」、もう1名の売主である元取締役を「売主C」、買収対象会社を「対象会社D」、仲介会社を「仲介会社E」と表記します。「売主ら」は売主B及び売主Cを指します。以下の引用を含め、当事者名は本記事独自の匿名表記に置き換えています。
裁判例の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 裁判所 | 東京地方裁判所民事第23部 |
| 判決日 | 平成29年3月10日 |
| 事件番号 | 平成27年(ワ)第33201号 |
| 事件名 | 損害賠償請求事件 |
| 結論 | 売主2名及び仲介会社Eに対する買主会社Aの請求をいずれも棄却 |
| 出典 | 東京地方裁判所平成29年3月10日判決本文 |
事案の概要―約2億円の株式譲渡と1億円の退職慰労金
買主会社Aは電子部品等の販売会社であり、通信機器や音響機器等を扱う対象会社Dの全株式600株を取得しました。売主は、対象会社Dの元代表取締役である売主Bと、元取締役である売主Cの2名です。売主Bに後継者がいなかったことから、買主会社Aが買収を検討し、金融機関から紹介された仲介会社Eへ情報提供と仲介を依頼することになりました。
当初の参考資料は、時価純資産額に営業権の評価額を加算する方法で、対象会社Dの価値を試算していました。その後、退職慰労金の支給を織り込んだ資料が作成され、当事者は株式譲渡代金を約2億円、対象会社Dから売主らへの退職慰労金を合計1億円とする条件を了承しました。裁判所は、この取引を、実質的な譲渡代金を3億円とし、そのうち1億円を退職慰労金とする形式を採ったものと認定しています。
平成24年10月31日に基本合意書を交わし、買主会社A側は同年11月11日にデューデリジェンスを行いました。買主会社A担当者、仲介会社E担当者及び専門家側の担当者が立ち会い、約5時間にわたって、現預金、借入金、在庫、売掛金等の確認が行われました。その後、買主会社Aは、仲介会社Eが提供した資料との間で想定外の大きな相違はなかったと判断し、同年11月27日に株式譲渡契約を締結しました。
買収後は買主会社A側の担当者が対象会社Dの代表取締役に就任しました。売主Bも経営を支援するため対象会社Dに残りましたが、後に業績の悪化が判明します。買主会社Aは、営業権の評価が高すぎたことや、売上げ・利益の見通しについて虚偽の説明があったことなどを主張し、売主らと仲介会社Eに約1億8,433万円の損害賠償を求めました。
契約上の役割と、買主会社Aが問題にした事項
仲介契約では、仲介会社Eの業務として、情報の収集・調査、買主会社Aが企業価値を判断するための参考資料の作成、デューデリジェンスの手配・立会い・助言などが定められていました。同時に、買主会社Aが自らの費用で調査し、最終的な判断と責任に基づいて意思決定を行うこと、仲介会社Eが将来予測の実現を保証しないことなども記載されていました。
株式譲渡契約には、一定の調査で判明した事項を除き、交付済みの財務諸表が所定の会計基準に従って作成され、財政状態等を概ね適正に示している旨の表明保証がありました。他方、本訴で買主会社Aが中心的に主張したのは、売主による説明義務違反と、仲介会社Eによる説明義務・善管注意義務違反です。さらに、同じ事実に基づく共同不法行為責任も主張しました。
具体的な問題は、営業権の高額評価、将来の売上げや受注に関する説明、繰延税金資産の計上、取締役会・監査役の設置状況、買収後の売主Bの行動に及んでいました。裁判所は、これらを一括して「買主会社Aの自己責任」と処理するのではなく、個別に検討しています。
判決に掲載された契約条項
以下は、判決本文に掲載された株式譲渡契約及び提携仲介契約の条項を引用したものです。当事者名は上記の表記に置き換えています。「(略)」は判決本文における省略であり、その内容は補っていません。読みやすさのため字下げを調整しています。
株式譲渡契約第9条―財務諸表に関する表明保証
第9条 売主らの表明及び保証
売主らは,本件株式譲渡契約締結日において,以下の事項を表明し,保証する。
1号ないし9号 (略)
10号 財務諸表
基本合意書第5条による調査の結果判明した別紙1(略)記載のものを除き,対象会社Dが,買主会社Aに対して交付した対象会社Dの貸借対照表及び損益計算書(試算表を含む。)は,日本において一般に公正妥当と認められている会計基準に従って作成されており,各作成基準日時点における対象会社Dの財政状態及び経営成績を概ね適正に示していること。
11号以下 (略)
第10号は、財務諸表の作成基準と財政状態・経営成績の表示を対象とし、調査で判明した別紙記載事項を除外しています。将来の売上げや利益の達成をそのまま保証する文言ではありません。本判決で検討された説明義務の問題と、この契約上の保証内容を区別して読む必要があります。
提携仲介契約第3条―仲介業務の範囲
第3条 本件業務の範囲
仲介会社Eは,本件提携の仲介に関する以下に列挙する本件業務を,第20条に規定する仲介者の業務を遵守の上,本件提携の進捗等に応じて適宜執り行うものとする。
① 本件提携に必要な情報の収集・調査及び資料の作成
② 買主会社Aが行う対象会社Dの企業価値判断の参考資料の作成
③ないし⑥ (略)
⑦ 本件提携に必要な企業精査(デューデリジェンス)のセッティング,立会い及び助言
⑧ (略)
企業価値判断のための「参考資料」の作成と、企業精査の「セッティング,立会い及び助言」が業務として規定されています。買主会社A自身の調査と仲介会社Eの業務との関係を理解する上で重要な条項です。
提携仲介契約第20条―注意義務・保証の範囲・責任制限
第20条 仲介者としての義務・責任
1項 仲介会社Eは,買主会社A及び対象会社D双方にとって有意義な企業提携を実現することを目的として,善良な管理者の注意をもって,本件提携仲介契約に規定する本件提携の仲介に関する専門的な業務を執り行うものとする。
2項 仲介会社Eは,本件提携の実現を保証するものではなく,買主会社Aは,自己の最終的な判断及びその危険負担に基づいて,自己の責任において本件提携に関する意思決定を行うものとする。
3項 買主会社Aは,第3条①に基づき仲介会社Eから提供を受ける各種情報,資料等については仲介会社Eがその真実性,正確性,妥当性,網羅性を保証するものではなく,また,その中に将来予測,見込みおよび予定等が含まれている場合に,その実現可能性について仲介会社Eは何らの責任を負うものではないことを確認し,買主会社Aが自己の費用負担のもとデューデリジェンスを実施し,自己の最終的な判断及びその危険負担に基づいて,自己の責任において本件提携に関する意思決定を行うものとする。
4項 仲介会社Eは,最終契約の成立後において,当事者が最終契約上の義務を履行すること並びに当事者が最終契約において表明・保証した事項の真実性を保証するものではなく,また,本件提携に係る将来予測,見込み及び予定等について保証するものではない。
5項 仲介会社Eは,本件提携に関し,故意または重過失がない限り,買主会社A及びその他の者に対して損害賠償を含む一切の責任を負わないものとし,買主会社Aは仲介会社Eを免責する。なお,故意又は重過失によって仲介会社Eに損害賠償の責が生じた場合の支払額は,仲介会社Eが本件提携仲介契約第5条ないし第8条に基づき受領した金額を限度とするものとする。
第1項の善良な管理者の注意義務に加え、第2項から第4項には意思決定の主体及び保証の範囲が、第5項には免責及び賠償額の制限が規定されています。ただし、裁判所は本件の具体的な資料提供や調査の経過から義務違反自体を否定しており、第5項だけを根拠として結論を出したものではありません。
裁判所が請求を認めなかった理由
営業権の評価方法と、買主会社A自身の調査結果
裁判所は、買主会社Aが自ら選任した監査人を通じてデューデリジェンスを行い、提供資料と想定外の大きな相違がないと判断していた点を重視しました。その経緯から、買主会社Aは仲介会社Eの評価を理解し、不合理ではないと判断したと認定しています。
また、営業権の評価は、修正貸借対照表や修正損益計算書を基礎に行われていました。売主の口頭の売上見込みを取り込んで評価額を算定したと認めるに足りる証拠はありませんでした。このため、裁判所は、買主会社Aが問題とする発言と仲介会社Eによる営業権評価を直結させませんでした。
買主会社Aは、後に算定した営業権の相続税評価額がゼロであることも根拠としました。しかし、裁判所は、本件の営業権を相続税評価額によって評価することが相当であるとする根拠が明らかでないとして、この主張を採用しませんでした。税務上の評価額がゼロであることから、M&Aで合意した営業権の対価も直ちに不当になるとは判断しなかったのです。
売上予測の説明と、評価額が決まった経緯
買主会社Aは、売主が売上げ、経常利益、受注について事実に反する説明をしたと主張しました。これに対し、裁判所は、買主会社Aの主張によっても当該発言は将来の見込みに関するものであり、営業権の試算にその発言が考慮された証拠もないとしました。
本判決の判断には、説明の性質だけでなく、その説明が価格評価のどの部分に影響したのかという点が関係しています。将来予測という形式であれば虚偽説明が常に許されるという判断ではありません。既に把握していた事実に反する説明や、重要な事実の秘匿があったかは、別途、具体的な証拠によって検討すべき事項です。
繰延税金資産は資料に明記されていた
買主会社Aは、時価純資産額の算定で繰延税金資産を考慮したことも不当だと主張しました。しかし、繰延税金資産の計上は、株式評価資料の添付書類に明記されていました。裁判所は、この事情から、買主会社Aが譲渡代金を検討するための資料提供が不当だったとはいえないと判断しました。
ここで判断されたのは、本件における資料提供の適否です。繰延税金資産はどのような場合でも全額を株価に反映できるという一般的な会計判断を示したものではありません。
機関設計が買収条件だったとは認められなかった
買主会社Aは、対象会社Dが取締役会設置会社・監査役設置会社であることを買収の条件にしていたと主張しました。裁判所は、登記事項証明書を確認すれば分かる事項であるのに確認した様子がないことや、全株式取得後に定款を変更できたにもかかわらず、その措置を採っていなかったことなどを検討しました。
その結果、この機関設計を買主会社Aが買収条件と考えていたとは解せず、契約の重要な要素であったと認める客観的事情もないと判断しました。契約前に買収条件として何を共有し、どのような記録を残したかが問題となった部分です。
買収後の業績悪化を売主Bに帰する証拠がなかった
買主会社Aは、買収後に残った売主Bの活動が売上減少の原因であるとも主張しました。裁判所は、これは契約締結時の説明義務違反に直接関係するものとは考え難いとしつつ、念のため判断しています。
売主Bが別の団体や会社に関わっていたことは認定されましたが、それが対象会社Dの売上げや利益の減少を招いたと認める証拠はありませんでした。他方、買主会社A側から就任した新代表者の出社が減り、監査や役員派遣を拒否したこと、従業員が短期間で全員退職し又は退職させられたことなどが認定されました。
裁判所は、この経過から、新代表者の経営に問題があったと解するのが自然であるとし、売上減少が売主らの行為に起因するとは認めませんでした。なお、新代表者の損害賠償責任を認容した判決ではありません。
結論と本判決の射程
裁判所は、売主らの説明義務違反と仲介会社Eの説明義務・善管注意義務違反を否定しました。同じ事実関係に基づく共同不法行為の主張も認めず、買主会社Aの請求をすべて棄却しています。
仲介契約には免責や責任制限の条項もありましたが、本判決を「免責条項があるので仲介会社Eは責任を負わない」とだけ理解するのは適切ではありません。裁判所は、実際にどのような資料を提供し、買主会社Aがどう調査・判断したかを検討した上で、義務違反自体を否定しています。
本件から検討できるのは、買収後の不振と契約前の説明義務違反を区別し、問題となる説明、当時の客観的事実、価格算定への影響、買収後の経営という一連の関係を確認する必要があるということです。デューデリジェンスを実施した事実だけで、売主や仲介会社Eへの請求が常に妨げられるというものではありません。
また、財務諸表に関する表明保証がある場合でも、その条項に基づく請求と、仲介会社Eの業務上の義務違反を理由とする請求では、相手方、対象となる行為及び検討すべき要件が異なります。本判決の契約は平成24年に締結されたものであり、現在の個別契約については、その文言と適用法令を踏まえて検討します。
買収前後の説明と経営状況を照合するために
- 株式譲渡契約と仲介契約を分け、保証の対象、業務の範囲、責任制限の条項を確認します。
- 営業権の試算資料、将来予測の説明、デューデリジェンスの回答を、それぞれ作成日・受領日とともに保存します。
- 買収前から存在した問題と、買収後の経営変更によって生じた問題を時系列で区別します。
本判決の読み方についてのよくあるご質問
免責条項があるために請求が認められなかったのですか。
裁判所は、実際の資料提供、調査及び意思決定の経過から義務違反自体を否定しました。免責条項の存在だけで結論を出したものではありません。
デューデリジェンスを行えば、その後は責任を問えないのですか。
そのような一般論を示した判決ではありません。本件では、買主が実施した調査と、その結果をどのように理解して契約したかが判断材料となりました。
営業権の相続税評価額がゼロなら、買収代金も不当になりますか。
本判決は、相続税評価額によって本件の営業権を評価すべき根拠が明らかでないとしました。税務上の評価と、当事者が合意したM&Aの対価を同一視していません。
株価算定書の内容を理由に売主との契約解除を主張した事案とは、請求の根拠と対象が異なります。その判断過程は、株価算定書の評価に異論があれば株式譲渡契約を解除できるか―東京地方裁判所平成22年3月8日判決で解説しています。
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出典
東京地方裁判所民事第23部平成29年3月10日判決、平成27年(ワ)第33201号・損害賠償請求事件。東京地方裁判所平成29年3月10日判決本文に基づき、事案と判断を要約しています。
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