事業譲渡で賃貸借を承継できず新規契約した費用を、譲渡代金と相殺できるか

事業を買い受けたものの、売主の賃料滞納を理由に賃貸借の承継を断られ、新しい契約の保証金や手数料を支払うことになった。その費用は、事業譲渡代金から差し引けるのでしょうか。東京地方裁判所令和7年7月16日判決は、通常の移管費用を買主負担とする契約でも、売主が円滑な承継に協力しなかったため生じた支出まで買主が負担するとは限らないと判断した事案です。

本記事が扱う場面と、扱わない場面

本記事は、事業譲渡に伴って新たな賃貸借契約が必要となり、その費用と譲渡代金の相殺が争われた判例を解説します。株式譲渡における支配権変更条項、賃貸人との明渡し紛争、店舗を利用できなくなった場合の契約解除全般とは役割を分けています。関連する問題の全体像は、買収後に対象会社の不動産や賃貸借契約の問題が判明した場合の対応をご覧ください。

裁判例の基本情報

裁判所・裁判日 東京地方裁判所民事第37部・令和7年7月16日
事件番号 令和6年(ワ)第21439号
事件名 事業譲渡代金請求事件
結論 買主の訴訟上の相殺により代金債務250万円は消滅したとして、売主の請求を棄却

当事者は、本記事独自の匿名表記で「売主会社A」「買主会社B」とします。引用内の当事者の呼称も同じ表記へ置き換えています。以下は上記地裁判決の説明であり、上訴の有無や確定を確認した旨の表示ではありません。

事案の概要―スタジオの事業と機材を250万円で譲渡

売主会社Aと買主会社Bは、令和6年2月1日、制作スタジオの運営事業、動画・音楽・インターネットサイト等の制作に関する事業、及び売主が運営する自社サイトの運営事業を譲渡する契約を締結しました。代金は250万円でした。

譲渡対象には、事業の拠点となるスタジオに置かれた機材、施設、設備等の動産も含まれていました。事業を継続するためには、機材を取得するだけでなく、同じスタジオを使用できる状態を整えることが必要でした。

ところが、スタジオの賃貸人は、売主会社Aに賃料の支払遅延が度々あったことを理由に、買主会社Bへの賃借人の地位の承継を拒否しました。買主はやむなく新規の賃貸借契約を締結し、2月29日、保証金、初回賃料、仲介手数料等の合計282万5,000円を支払いました。

その後、売主が代金250万円等の支払を求めたのに対し、買主は、この費用などを売主に代わって負担したとして相殺を主張しました。

契約の内容―協力義務、承継債務、移管費用を合わせて読む

判決には、契約書の条番号を付した条文全文ではなく、証拠から認定した契約内容が記載されています。以下はその記載の引用です。原資料にない条番号を補ったり、契約書原本の文面として再構成したりしていません。

売主の全面的な協力義務

売主会社Aは、本件事業譲渡に当たり、売主会社Aから買主会社Bに対する譲渡対象事業・譲渡対象動産等の移管・移籍等が円滑に行われるよう、買主会社Bに全面的な協力を行うことを約していたこと

裁判所は、譲渡対象の事業がスタジオを拠点として営まれ、必要な動産も譲渡されることから、売主は賃借人の地位が円滑に移転するよう協力すべき立場にあったと判断しました。

買掛金以外の債務は引き受けない約束

買主会社Bは、本件事業譲渡に当たり、本件事業譲渡時における売主会社Aの全ての買掛金を譲り受ける一方で、売主会社Aが有する買掛金以外のあらゆる債務(公租公課、借入金、未払金、公的機関からの課徴金等及び第三者への損害賠償金・和解金等本件事業譲渡時に発生若しくは確定、あるいは顕在化していない債務、その他全ての債務を含む。)については、一切譲り受けないと約していたこと

何を承継し、何を承継しないかが明確に分けられていました。事業を譲り受けたという理由だけで、売主に関係する支出のすべてが買主負担になる契約ではありませんでした。

移管費用は原則として買主負担

本件事業譲渡に当たっては、売主会社Aから買主会社Bに対する譲渡対象事業・譲渡対象動産等の移管・移籍等のために要する費用につき、原則として買主会社Bが負担するものとされていたこと

この条項だけを読むと、新規契約に要した費用も買主が負担すべきだと考える余地があります。しかし、裁判所は、協力義務及び承継しない債務の約束と合わせ、その費用がなぜ発生したのかを検討しました。

買主が主張した費用と、裁判所が判断した費用

買主は新規賃貸借の費用のほかにも支払があったと主張していました。主張の総額と、裁判所が相殺の結論を導くために認定した金額を混同しないことが重要です。

買主が主張した項目 金額
職員3名の未払給与 30万円
職員に対する業務手数料 10万5,325円
外注費、広告費、スタジオ使用料 24万4,500円
諸雑費 10円
新規賃貸借契約の費用 282万5,000円
主張の合計 347万4,835円

裁判所は、このうち新規賃貸借契約の費用282万5,000円について売主の支払義務を認め、これだけで250万円の代金債務を消滅させるに足りると判断しました。給与等を含む347万4,835円の全額について、個別の支払義務を認定した判決ではありません。

裁判所の判断過程

賃貸借の承継を妨げた原因を売主の側に認めた

売主は、買主との間に賃借人の地位を承継する合意はなく、新規契約の費用は買主自身の債務だと主張しました。しかし、裁判所は、事業とその拠点、そこで使う機材等を一体として捉え、売主には賃貸借の円滑な移転に協力する義務があるとしました。

承継を拒絶された原因は、売主の度重なる賃料支払遅延でした。そのため、買主が支払った新規契約費用は、通常の移管のために予定された支出ではなく、売主が円滑な事業譲渡に協力しなかったために生じた想定外の支出であると評価されました。

原則的な費用負担条項があっても、追加費用の発生原因を検討した

裁判所は、承継債務の範囲と原則的な移管費用の負担条項を踏まえても、282万5,000円は買主が負担すべき性質のものではないと判断し、売主が支払うべきものとしました。

この判断は、新たな賃貸借の保証金や初回賃料が、いつでも売主負担になるという意味ではありません。本件の契約内容と、売主の支払遅延により既存契約の承継が拒まれたという経緯に基づくものです。通常の新規出店の費用や、買主が自ら希望して条件を変更した場合まで同じ結論になるとはいえません。

相殺の合意は認めなかったが、訴訟上の相殺を認めた

買主は、売主との間で既に相殺の合意をしたと主張していました。しかし、その時期等が特定されておらず、この合意を認めるだけの証拠はないと判断されました。

他方、買主は令和7年6月4日の口頭弁論期日に、自己の債権と売主の代金債権を対当額で相殺する旨を明示しました。裁判所はこの訴訟上の意思表示を認めました。代金の支払時期は別途協議で定めることになっていましたが、本件では相殺適状にあると判断しています。

その結果、250万円の代金債務は相殺によって消滅し、売主の請求は棄却されました。事前の相殺合意が証明できないことと、訴訟で相殺を主張できないことは、同じではありません。

本判決から確認できることと、判断されていないこと

本判決の中心は、事業譲渡契約の協力義務、承継債務、費用負担を一体として読み、賃貸借の承継を妨げた原因から追加支出の負担者を判断した点です。また、相殺に用いる債権が存在することと、相殺の意思表示があることをそれぞれ確認しています。

本判決は、買主に282万5,000円の全額を現金で支払うよう主文で命じたものではなく、売主の代金請求を棄却したものです。代金との差額32万5,000円の支払を命じた判決と紹介することも正確ではありません。

また、賃貸人に承継を承諾するよう命じたものでもありません。売主と買主の間で、実際に生じた追加費用を誰が負担するかが争われた事案です。

事業用の賃貸借を確認する際には、取引の方式も区別します。株式譲渡と賃貸借の関係は、賃貸借契約における支配権の変動に関する条項とM&Aで説明されています。本件は賃借人の地位を移す事業譲渡の事案であり、株主だけが交代する場合と同一ではありません。

新規賃貸借の費用と相殺に関するよくあるご質問

契約に「移管費用は買主負担」とあれば、請求を諦める必要がありますか。

本判決はその一文だけで結論を出していません。協力義務、承継しない債務の範囲、追加費用が生じた原因を合わせて検討しました。ただし、異なる契約でも同じ結論になるとは限りません。

保証金の支払記録があれば、代金から自由に差し引いてよいのですか。

支払った事実だけでなく、売主に対する債権が成立する根拠と相殺の要件が必要です。本件でも、裁判所は契約内容と費用発生の原因を認定したうえで、訴訟上の相殺の意思表示を確認しました。

買主が主張した給与や広告費も、すべて認められたのですか。

そのようには読めません。新規賃貸借契約の費用282万5,000円により代金250万円を相殺できるとの判断であり、他の各費用についての認定を一般化できません。

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引継ぎの段階で想定外の支出が生じた場合は、事業譲渡契約の義務の分担、承継を断られた理由、実際の支払を対応させて検討します。買収後の問題については、会社を買った後に聞いていた話と違う事実が判明しお困りではありませんかをご覧ください。

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出典

東京地方裁判所令和7年7月16日民事第37部判決、令和6年(ワ)第21439号、事業譲渡代金請求事件。判決本文に基づき、事実関係と判断を要約し、契約内容の記載を引用しています。

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