店舗を引き渡した後に賃借人の地位を移せなくなったら、事業譲渡代金を返還すべきか

店舗の事業を買う契約を結び、代金の一部を払って改装を始めた後、売主が店舗を第三者に使わせてしまった。この場合、売主は「既に店舗を引き渡したので義務は果たした」と主張できるのでしょうか。東京地方裁判所令和7年6月16日判決は、建物の引渡しだけでなく、賃貸借契約上の地位を移す義務が残っていたことを重視し、買主による解除と既払金1,500万円の返還請求を認めました。
本記事が扱う場面と、扱わない場面
本記事は、店舗事業の譲渡後に第三者が営業を始め、約束された賃借人の地位の移転ができなくなった判例を解説します。新規賃貸借の費用負担や、一般の賃貸借の明渡し手続とは役割を分けています。不動産・賃貸借に関する確認事項の全体像は、買収後に対象会社の不動産や賃貸借契約の問題が判明した場合の対応をご覧ください。
裁判例の基本情報と当事者の表記
| 裁判所・裁判日 | 東京地方裁判所民事第44部・令和7年6月16日 |
|---|---|
| 事件番号 | 令和4年(ワ)第21500号 |
| 事件名 | 事業譲渡代金返還請求事件 |
| 結論 | 売主に対し、既払金1,500万円及び令和4年11月20日からの年3%の金員の支払を命じた |
本記事では「買主A」「売主会社B」「賃貸人C」と独自の匿名表記を用います。譲渡対象の店舗は「本件バー」、後から第三者が営業を始めた店舗は「別の飲食店」と表記します。引用中の当事者名も置き換えています。以下は地裁判決の解説であり、上訴の有無や確定を確認した旨の表示ではありません。
事案の概要―2,300万円の店舗譲渡契約で1,500万円を先払い
売主会社Bは、賃貸人Cから借りた建物でバーを経営していました。平成25年7月27日、買主Aへその事業を2,300万円で譲渡する契約を結び、同日1,500万円の支払を受けました。残り800万円は、同年10月から毎月100万円ずつ支払う約束でした。
契約は、店舗の設備等を譲り渡すだけでなく、代金の全額支払後に建物の賃貸借契約を買主の会社名へ変更することも定めていました。買主は建物の引渡しを受けて改装工事を始めましたが、同年8月頃に刑事事件で身柄を拘束されました。
買主は、拘束後もバーを取っておいてほしい旨の手紙を売主へ届けていました。しかし、その後建物では別の飲食店の営業が始まり、賃貸借契約も令和2年3月31日に終了しました。
買主は令和4年11月19日の訴状送達により、売主の債務不履行を理由とする解除の意思表示をし、既払金1,500万円の返還を求めました。売主は既に義務を履行した、履行不能になったとしても自分に責任はない、賃料債権で相殺できるなどと争いました。
店舗の引渡しと賃借人の地位の移転を定めた契約条項
以下は判決本文に掲載された契約条項の引用です。当事者名及び対象店舗の呼称のみ、本記事の匿名表記へ変更しています。条文の一部を紹介するもので、掲載されていない条項を補ってはいません。
第1条・第3条―譲渡の対象と代金の支払
平成25年7月31日、本件バーの賃貸借契約をしている売主会社Bと家主の同意のもと、売主会社Bは、本件バー(その所有物、名称、知的財産権、商品、運営設備などのすべてを含む。)を買主Aに譲渡する。(第1条)
買主Aは、売主会社Bに対し、最初の手付金として1500万円、そして800万円を、平成25年10月10日から、毎月100万円ずつ分割して支払う。(第3条)
第6条―全額支払後の賃貸借契約の名義変更
売主会社Bは、買主Aが2300万円の振込みを完了した後、本件建物の家主との賃貸借契約を買主Aの会社名に変更する。(第6条)
本件で決定的だった条項です。店舗を継続して営業するために必要な使用権原を設定する義務が、建物の物理的な引渡し後も残っていました。
第7条―分割払を怠った場合の解除と全額返還
売主会社Bは、買主Aが毎月の100万円の分割金を振り込むことができない場合、本件バーの売却を解除する権利を有する。また、売主会社Bは、買主Aが上記ウ(第3条)の分割金のいかなる支払を怠った場合も、本件契約を解除することができる。その場合、売主会社Bは、買主Aに対し、100%の金額全てを返還する。(第7条)
「上記ウ」は判決が契約内容を列挙した箇所の参照表記を残したものです。買主は売主によるこの条項に基づく解除も主張しましたが、裁判所は、後述する履行不能を理由とする買主の解除によって返還を認めています。
第8条・第9条―責任と賃料等の負担
最初の手付金1500万円が振り込まれた時点で、売主会社Bは、それ以降、本件バーについて、法的にも、運営、管理、修繕、改修に関しても、一切の事項について責任を負わない。(第8条)
最初の手付金1500万円の支払後は、家賃、ガス、水道、電話及び電気のすべての支払は、買主Aに請求書の領収書を開示した上で、売主会社Bを通して、買主Aが支払うものとする。(第9条)
第8条のような記載がある一方で、第6条には売主による名義変更が明記されていました。判決は第1条、第3条、第6条を根拠に売主の履行義務を認めています。第8条を独立に無効と判断したと紹介することはできません。
裁判所は、第三者への転貸をどのように認定したか
売主は建物を第三者へ転貸したことを否認しました。しかし、裁判所は、地図上の店舗表示の変化、口コミの投稿、別の飲食店のウェブサイト作成日や開店周年の催しの記載、売主代表者の供述を合わせて検討しました。
売主代表者は、自社がその飲食店を経営していることを否定し、開店後は賃貸人から請求された賃料を他者へ請求していたと述べていました。これらの事情から、裁判所は平成26年1月頃には別の飲食店の関係者へ転貸していたと推認しました。売主は、その営業が行われている事情について具体的な反証を示しませんでした。
つまり、看板やウェブサイトの表示だけで直ちに転貸を断定したのではなく、時系列の資料と供述を組み合わせて認定しています。
建物を引き渡しても、事業譲渡の履行は完了していなかった
裁判所は、契約第1条、第3条、第6条から、売主には事業譲渡の一環として、賃貸借契約上の賃借人の地位を買主の会社へ変更する債務があると判断しました。買主が改装に着手したことだけで、この義務まで履行済みになるわけではありませんでした。
売主は、名義変更には家主の承諾が必要であり、契約当事者以外の意思によって事業譲渡の完了が左右されることはないと主張しました。しかし、裁判所は、名義変更を約束した条項があり、継続営業のための使用権原が必要であることから、この主張を採用しませんでした。
第三者が別の飲食店を営業するようになった以上、買主が賃借人の地位の移転を受けて本件バーを営むことは事実上不可能であり、社会通念上の履行不能になったとしました。加えて、元の賃貸借契約が令和2年3月31日に終了したことからも、履行不能を認めました。
買主の身柄拘束は、売主の責任を否定する理由になるか
売主は、買主が逮捕され連絡が取れず、事業を譲り受けられる状況になかったため、自分に責任はないと主張しました。裁判所は、身柄を拘束されても、他者を使用するなどして営業することは可能であり、直ちに事業を譲り受けられなくなるわけではないとしました。
買主からはバーを取っておいてほしい旨の手紙も届いていました。売主は残代金の支払を催告し、支払がなければ解除することもできたのに、第三者へ転貸し、後に賃貸借契約自体も終了させました。そのため、履行不能が売主の責めに帰すことのできない事由によるとは認めませんでした。
本件の契約は平成25年に締結されたもので、判決は改正前民法543条ただし書に言及しています。現在の契約について解除の要件を検討する際は、適用される法令と経過措置を別途確認する必要があります。
売主の賃料債権による相殺が認められなかった理由
売主は、第9条により買主が賃料を負担するはずだとして、平成30年10月から令和2年2月までの月額90万円、合計1,530万円の賃料債権と返還金を相殺すると主張しました。
裁判所は、第9条を、代金完済までは売主が賃借人として賃貸人に支払い、実際に店舗を使う買主が売主を通じて費用を負担する規定と解しました。買主が建物を使用できない状況でも負担させる規定ではないという判断です。
上記期間には第三者が別の飲食店を営業しており、買主が使用できる状況はありませんでした。そのため、相殺に用いる賃料支払義務は発生していないとして、売主の主張を退けました。解除すれば過去の賃料がすべて当然に消滅するという理由ではありません。
追加費用の相殺が認められた別の事案は、事業譲渡で賃貸借を承継できず新規契約した費用を、譲渡代金と相殺できるかで解説しています。相殺を主張するだけで足りるのではなく、相殺に使う債権の根拠を確認する点は共通します。
結論―既払金1,500万円の返還を認めた
裁判所は、履行不能による買主の解除に基づき、売主へ既払金1,500万円の返還を命じました。さらに、訴状送達翌日の令和4年11月20日から年3%の金員の支払を命じています。
本判決を参考にする際は、契約が何をもって履行完了とするか、店舗の引渡し後にどの義務が残るか、使用できない間の費用を誰が負担するかを確認します。これらは本件の契約解釈から得られる着眼点であり、店舗を引き渡しただけではどの契約でも履行が完了しないという一般論ではありません。
店舗の事業譲渡と返還請求についてのよくあるご質問
買主が改装工事を始めた時点で、譲渡は完了していませんか。
本件では賃借人の地位を変更する義務が残っていました。引渡しや工事着手という事実だけでなく、契約に定めた給付全体が実現したかが判断されています。
賃貸人の承諾が必要なら、売主は名義変更を約束しても責任を負いませんか。
本判決はその主張を採用しませんでした。第三者の承諾を得る必要があることと、売主が買主に対して何を約束したかは別の問題です。
第7条の全額返還条項によって返還が認められたのですか。
裁判所は、事業譲渡の履行不能を理由とする買主の解除によって返還を認めました。売主が第7条で解除したかという別の主張によって結論を出したものではありません。
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出典
東京地方裁判所令和7年6月16日民事第44部判決、令和4年(ワ)第21500号、事業譲渡代金返還請求事件。判決本文に基づき事実関係と判断を要約し、契約条項を引用しています。
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