株価算定書の評価に異論があれば株式譲渡契約を解除できるか―東京地方裁判所平成22年3月8日判決

株式の取得後に、対象会社Cの業績が計画を下回り、土地や無形固定資産の評価にも疑問が生じた場合、買主会社Aは表明保証違反を理由に契約を解除できるのでしょうか。本判決は、株価算定書の「虚偽」と「評価の妥当性」を区別し、契約条項と開示資料に即して解除原因の有無を検討した裁判例です。
本記事は、株式を取得した後、算定書の内容を理由に契約の解除を検討している買主の皆様に向けた判例解説です。
本記事が扱う場面と、扱わない場面
株価算定書の虚偽を理由とする解除について、平成22年3月8日判決が評価方法、開示資料及び代金合意をどのように検討したかを扱います。解除・取消しの一般的な手順や、仲介会社の責任全般を説明する記事とは役割を分けています。
一般的な検討の枠組みは、株式譲渡契約を解消する場合の要件と効果をご覧ください。
当事者の表記
本記事では、買主を「買主会社A」、売主側を代表して契約を締結した会社を「売主会社B」、株式譲渡の対象会社を「対象会社C」と表記します。売主会社B以外にも売主がおり、これらを併せて「売主ら」といいます。以下の引用を含め、当事者名は本記事独自の匿名表記に置き換えています。
裁判例の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 裁判所 | 東京地方裁判所民事第7部 |
| 裁判日 | 平成22年3月8日 |
| 事件番号 | 平成20年(ワ)第34582号、平成21年(ワ)第13200号 |
| 事件名 | 不当利得返還等請求本訴、売買代金請求反訴事件 |
| 結論 | 買主会社Aの解除を前提とする請求を棄却し、売主側の残代金請求を認容 |
| 原文の所在 | 東京地方裁判所平成22年3月8日判決本文 |
以下は本判決の判断を説明するものであり、判決の確定又は上訴審の結論を確認した旨の表示ではありません。
事案の概要―約10億円で印刷会社の全株式を取得する契約
買主会社Aは印刷業等を営む会社であり、印刷及び印刷紙器類の製造等を営む対象会社Cの発行済株式全部を取得することを計画しました。対象会社Cには土地のほか、偽造防止技術に関する特許の通常実施権の再実施許諾を受けた無形固定資産がありました。
交渉の当初から、当事者は株式譲渡代金を総額約10億円とする方向で協議していました。平成20年3月31日の基本合意を経て、同年7月31日に株式譲渡契約が締結されました。対象株式は3万8,200株、1株当たりの代金は2万6,179円であり、契約上の代金総額は10億3万7,800円と定められました。
売主側は、契約締結前に株価算定書、不動産鑑定評価書、決算書及び事業計画に関する説明資料を買主会社Aへ交付していました。株価算定書では、時価純資産方式による1株2万6,456円を下限、ディスカウンテッド・キャッシュ・フロー方式による1株5万9,656円を上限とする評価が示されていました。買主会社Aも別の専門会社に株価評価を依頼し、無形固定資産についての調査を行っていました。
その後、買主会社Aは代金の一部を支払い、その支払に対応する株式の名義書換も行われました。しかし、対象会社Cの業績や資産評価を問題として価格調整を求め、協議がまとまらなかったため、平成20年11月4日到達の通知によって契約解除の意思表示をしました。
買主会社Aは、支払済代金約5億9,950万円の返還等を求めました。これに対し、代金を受領していない売主4名は、反訴により合計約4億54万円の代金支払を求めました。
契約条項の具体的内容
本判決は、次の各条項について、契約書をそのまま全文掲載する形式ではなく、条項の内容を説明する文章を記載しています。以下は、その判決本文の記載を引用したものです。契約書原本の条文全文として再構成したものではありません。当事者名及び当事者名を含む資料名のみ独自の匿名表記に置き換え、判決本文で省略されている条項は補っていません。
第2条第2項―価格調整
本件株式譲渡契約書二条二項は、本件株式の譲渡の対価の合計を一〇億〇〇〇三万七八〇〇円とし、売主会社Bの平成一九年九月三〇日現在の修正貸借対照表における財産状況と本件株式の譲渡の実施日(以下「譲渡日」という。)の財産状況に一〇%を超える変動があった場合(平成一九年九月三〇日現在の修正貸借対照表上の財産内容に誤りがあった場合を含む。)には、買主会社A及び売主らは、それぞれ相手方に対して譲渡代金額の調整を請求することができる旨定めている。
財産状況の変動が10パーセントを超える場合を対象とする価格調整条項です。判決本文のこの記載では修正貸借対照表の名義を売主会社Bとしていますので、対象会社Cに読み替えず、記載どおり引用しています。
第6条第4号・第6号―表明保証
本件株式譲渡契約書六条は、売主らは、買主会社Aに対し、本件株式譲渡契約締結日及び譲渡日において同条各号の事項を表明し保証する旨定め、同条四号二文は、買主会社Aが売主会社Bから交付を受けた対象会社Cの平成一九年九月三〇日現在の修正貸借対照表を含む平成二〇年二月二九日付け「対象会社Cの株価算定と企業価値」(以下「本件株価算定表」という。)の重要な点において虚偽がないことを定め、同号三文は、平成一九年九月三〇日以後、対象会社Cの財政状態に悪影響を及ぼす重要な事実が生じていないことを定め、同条六号は、対象会社Cの平成一九年九月三〇日現在の修正貸借対照表について引当不足が存在しないこと等を定めている。
第4号第2文の「重要な点において虚偽がないこと」、同号第3文の「悪影響を及ぼす重要な事実」、第6号の引当不足が、それぞれ異なる争点に対応しています。
第15条―契約解除
本件株式譲渡契約書一五条は、買主会社Aは、本件株式譲渡契約書六条により売主らが表明保証した事項に関し、虚偽があり、又は重大な事項が不正確であった場合は、直ちに本件株式譲渡契約を解除できる旨定めている。
表明保証した事項に虚偽がある場合又は重大な事項が不正確な場合の解除についての記載です。価格調整条項とは要件及び効果が異なるため、資産評価の相違が直ちに解除原因となるかを分けて検討する必要があります。
買主会社Aが主張した表明保証違反
買主会社Aの主張は、主として次の点に分かれていました。
| 問題とされた事項 | 買主会社Aの主張の概要 |
|---|---|
| 業績予測 | 計画上の営業損失約1,580万円に対し、実績の営業損失が約5,429万円に拡大していた |
| 株価算定方法 | 規模に伴うリスクや非流動性による減価が十分考慮されていなかった |
| 土地評価 | 売主側の評価約10億9,000万円に対し、買主会社Aが取得した鑑定では約4億7,900万円と評価された |
| 無形固定資産 | 約4億円の資産計上について、資産の存在及び価値に疑問があった |
| 税引後利益の計算 | 株価算定に用いた利益から税額が控除されていなかった |
| 退職給与引当金 | 従業員全員の退職を前提とした退職金総額に比べ、計上された引当金が少なかった |
これらは買主会社Aの主張であり、そのすべてが裁判所の認定した表明保証違反というわけではありません。裁判所は、それぞれについて契約条項の対象に含まれるかを検討しました。
裁判所の判断過程
業績予測と実績の相違だけでは、算定書の虚偽にはならない
裁判所は、株価算定の基礎となった中期事業計画について、将来の営業利益を予測したものと捉えました。そのため、予測と実績に差が生じたことだけから、遡って算定書の記載が虚偽であったとは認めませんでした。
買主会社Aは、売主側がより大きな赤字見込みを把握しながら、損失の小さい数値を選んだとも主張していました。しかし、裁判所は、算定会社から求められた中期計画が提出された経緯や、月次変動をその都度反映する計画が作成されていなかったことを検討し、意図的に誤った数値を使用したとまでは認定しませんでした。
本判決は、将来予測であれば何を記載しても責任が生じないとしたものではありません。本件の計画の性質及び作成経緯から、買主会社Aが主張した虚偽を認めることができなかったという判断です。
評価方法への異論と、評価資料における虚偽は別の問題
規模に伴うリスクの加算や非流動性による減価について、裁判所は、考慮するか、どの程度考慮するかは株価評価の妥当性に関する問題であり、算定書の虚偽とは別であるとしました。
対象会社Cの土地についても、買主会社Aの主張は不動産鑑定の手法や評価の妥当性に関するものでした。無形固定資産については、特許の通常実施権の再実施許諾が存在したことを認定した上で、その価値を約4億円と評価することの当否と、資産が存在しないことを区別しています。
裁判所は、対等な取引当事者が資産価値や株価について交渉するという本件の性質も踏まえ、これらの評価の妥当性自体は、本件の算定書に重要な虚偽がない旨の表明保証の対象ではないと判断しました。
税額控除の問題では、実際の合意価格への影響を検討した
算定書には、営業利益と税引後営業利益の欄に同一の金額が記載されていました。裁判所は、この点を誤記とみる余地を認めつつ、それが重要な点の虚偽に当たるかを別途検討しました。
税額を控除して計算した場合の株価は1株4万1,306円とされ、実際の譲渡価格である1株2万6,179円をなお大きく上回っていました。さらに、当事者が交渉当初から総額約10億円で合意する方向にあったことも考慮し、修正後の評価額が算定書に記載されていても、本件の代金合意には影響しなかったと認定しました。
したがって、数値に問題があるかという点だけで判断を終えず、本件の価格形成との関係から「重要な点」の虚偽を否定しています。
財政状態の悪化と、それを生じさせた重要な事実を区別した
裁判所は、営業利益の数値そのものと、その数値に悪影響を及ぼす具体的事実を区別しました。買主会社Aが損失の拡大を指摘するだけで、その原因となる具体的事実を十分に主張していなかったことに加え、設備投資に伴う減価償却費の増加も検討しています。
土地については、仮に価格が下落していたとしても、土地固有の条件の変化が認められず、一般的な不動産市況の下落等によるものであれば、本件の表明保証に基づく解除原因とはならないと判断しました。他方、価格調整条項の原因となる余地には言及しています。価格調整請求が実際に認容されたという判決ではない点に注意が必要です。
退職給与引当金では、事前に開示された計上方法を重視した
対象会社Cでは、当時の税制変更に伴い、従前の退職給与引当金を一定期間にわたり取り崩していました。その取扱いは、買主会社Aへ交付された資料に記載されており、従業員全員が退職した場合の支給総額を引当計上しているものではないことが開示されていました。
裁判所は、この開示内容を踏まえ、従業員全員の退職金総額について引当不足がないことまで、本件の表明保証の対象となっていたとは解しませんでした。これは本件の契約と開示に即した判断であり、税務上の取扱いだけで、企業会計上必要な引当計上の有無が一般的に決まるとしたものではありません。
結論―解除に基づく返還請求は認められず、残代金の支払が命じられた
以上の検討により、裁判所は表明保証違反に基づく解除原因を認めず、買主会社Aの支払済代金返還等の請求を棄却しました。
一方、買主会社Aには契約を履行する意思がないことが明らかであるとして、反訴を提起した売主側の残代金請求を認めました。買主会社Aによる解除の主張が認められなかった結果、未払代金の支払義務が残ることになった事案です。
なお、売主側は、買主会社Aの解除が信義則に反するとの主張もしていましたが、裁判所は解除原因自体がないとの判断で請求を排斥しています。本判決を、買主会社Aが事前調査を十分にしなかったため信義則違反だけで敗訴した事件と理解することは適切ではありません。
本判決から検討すべき事項
本判決を参考にする場合、まず、保証された内容が既存の事実の正確性なのか、評価の妥当性なのか、将来の業績達成なのかを区別する必要があります。これらは当然に同じ内容ではありません。
次に、表明保証条項だけでなく、開示された計算書類、事業計画及び説明資料を併せて確認する必要があります。本件では、退職給与引当金の取扱いが既に開示されていたことが、表明保証の対象を判断する事情となりました。
また、価格調整、補償及び契約解除は、契約上の要件及び効果が異なります。本判決は解除に基づく返還請求の可否を判断したものであり、資産評価の相違があればあらゆる金銭請求が否定されるというものではありません。現在の契約で何を請求できるかは、その契約の文言と具体的事実に即して検討します。
本件の契約は平成20年に締結されたものです。当時の契約及び法令の下での判断と、現在の契約に適用される規律を区別する必要があります。
この判決を踏まえて確認していただきたいこと
- 問題となる数値が、過去の実績、将来予測、資産の存在、資産評価のいずれについての記載かを確認します。
- 表明保証条項と解除条項に加え、別に価格調整条項があるかを確認します。
- 契約前に受け取った算定書と説明資料を、受領した版のまま保存します。
株価算定書と解除についてのよくあるご質問
別の鑑定で資産評価が下がれば、解除が認められますか。
本判決は、評価の相違と資料の虚偽を区別しました。異なる鑑定結果があるだけで解除できるとはしていません。何が保証され、解除原因がどのように定められたかが出発点となります。
土地評価の下落を理由とする価格調整も否定した判決ですか。
本判決は、そのような一般的な否定をしていません。価格調整の原因となる余地に言及していますが、価格調整請求を認容した判決でもありません。解除に基づく返還請求の判断と区別してください。
買主の調査不足を理由に、信義則で請求を退けたのですか。
裁判所は解除原因そのものを認めませんでした。売主側の信義則の主張を判断して結論を出したものではありません。
仲介会社にも説明上の問題がある場合は、契約解除とは別に、その業務と説明内容を検討します。説明義務が問題となった別の事案は、株式買収後の業績悪化について売主・M&A仲介会社の責任を問えるか―東京地方裁判所平成29年3月10日判決で解説しています。
表明保証違反に関するご相談
株価算定書や財務資料の内容に疑問がある場合は、問題となる記載と契約上の表明保証の範囲を対応させて検討することが必要です。弁護士法人M&A総合法律事務所では、株式譲渡契約に関する紛争について御相談をお受けしています。
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出典
東京地方裁判所平成22年3月8日民事第7部判決、平成20年(ワ)第34582号・平成21年(ワ)第13200号、不当利得返還等請求本訴・売買代金請求反訴事件。同判決本文に基づき、事実関係と判断を要約しています。
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