エスクローに預けた株式譲渡代金が支払われないときの請求の方法

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第三者に預託した譲渡代金の請求に関するメインのページです。本ページは、譲渡の後に預託金の支払が滞った場面で、支払の条件と管理者の義務をご説明します。代金の留保の返還は別のページをご参照ください。
買主が自らの手元に代金を留め置く留保(ホールドバック)の場面は株式譲渡代金の留保(ホールドバック)が返還されないときの対応を、譲渡代金の全部が支払われない場面は株式譲渡代金が支払われないときに売主が採り得る手段を、それぞれご覧ください。
株式の譲渡を終え、株主名簿の書換えも済ませ、あとは預けてある代金の残りを受け取るだけであったはずなのに、預託の期間が満了しても入金がない。そのようなご相談をいただくことがあります。契約書に定められた日を過ぎても、管理者からは「買主の同意が得られておりません」との返答があるばかりで、買主に問い合わせても、確認中である、社内で検討している、といった曖昧な回答が続くという状況です。
預けられている金額は、譲渡代金の5パーセントから20パーセント程度であることが多く、1億円の譲渡であれば500万円から2000万円、5億円の譲渡であれば2500万円から1億円に及び、決して小さな額ではありません。しかも、売主は既に株式という対価をすべて引き渡しており、手元に留保できるものは何もない状態です。
もっとも、この場面で最も多い誤解は、管理者に強く求めれば払い出してもらえるはずだ、との思い込みです。管理者は中立の立場に置かれた第三者であり、契約に定められた要件が満たされない限り、売主の求めだけで金銭を動かすことはできません。誰に対して何を請求すべきかを見誤ると、時間と費用を空費することになります。以下では、エスクローの仕組みと支払の条件を整理したうえで、管理者の役割、買主との争いがある場合の対応、必要となる書類及び裁判上の手続について順に述べてまいります。
エスクロー(第三者への預託)の仕組み
エスクローとは、株式譲渡代金の全部又は一部を、売主でも買主でもない第三者に一定の期間預けておき、あらかじめ定めた条件が満たされたときに、その第三者が売主に対して支払うという仕組みです。売主、買主及び管理者の三者が契約の当事者となり、その定めに従って金銭が動きます。買主から見れば、後日に簿外債務や表明保証の違反が判明した場合の補償の引当てを確保する手段であり、売主から見れば、代金の一部の受領が先送りされる代わりに、譲渡価格そのものの減額を避けることのできる手段です。
三者間の契約としての性質
エスクローは、法律に定めの置かれた制度ではなく、当事者の合意によって作り上げられる契約です。誰が、どのような場合に、いくらを、誰に対して支払うのかは、すべてエスクロー契約の条項によって決まります。株式譲渡契約とエスクロー契約が別個の書面になっている場合もあれば、株式譲渡契約の中に預託に関する条項が置かれ、管理者との間では覚書のみを取り交わしている場合もあります。争いが生じた際に真っ先にお読みいただきたいのは、払出しの手続を定めた部分です。
中小企業のM&Aにおける利用の実情
日本の中小企業のM&Aでは、エスクローは米国ほど普及しておりません。米国では相当数の取引で用いられ、これを専門に取り扱う事業者も整備されておりますが、日本では代金の一部を留保する方法として、代金の分割払や役員退職慰労金の後払といった仕組みが選ばれることも少なくありません。エスクローが用いられる場合には、弁護士、信託銀行又は決済を業とする専用の事業者が管理者となる例が一般的です。管理者に支払う報酬は、預託額や期間によって異なりますが、売主と買主が折半する定めとされることが多くあります。
供託との違い
エスクローは、供託とは異なります。供託は、法務局に置かれた供託所に金銭を預ける国の制度であり、債権者が受領を拒んでいる場合など法律上の要件を満たすときに、債務者が債務を免れる効果が与えられております。これに対してエスクローは私人の間の契約にすぎず、預けたという事実のみによって買主の代金支払義務が当然に消滅するわけではありません。この違いは実務上重要です。買主が代金債務を免れていないのであれば、売主は管理者に対してのみならず、買主に対しても支払を求める余地が残るからです。もっとも、預託をもって代金の支払に代えるという趣旨の定めが置かれている場合もありますので、契約書の文言を確認する必要があります。
支払の条件
払い出してもらえない理由の大半は、契約に定められた払出しの要件が満たされていないという一点に尽きます。感情的な対立が背景にあるとしても、管理者の立場から見れば、要件を満たすか満たさないかという形式的な判断があるだけです。まず行うべきは、契約書の払出条項を一字一句読み、どの類型に当たるのかを見極めることです。払出しの条件は、おおむね次の三つに分かれます。
期限の到来のみを条件とする定め
最も単純な類型は、クロージング日から12か月又は24か月を経過した日に、管理者が売主の口座に残額を送金するという定めです。この場合、期限が到来すれば、買主の同意がなくとも払い出されるのが原則です。もっとも、この類型であっても、その期限までに買主から補償請求の通知がなされたときは、当該請求に係る金額を留保するという但書が置かれていることがほとんどです。期限が過ぎても入金がない場合には、買主から通知が出されているかどうかを、まず管理者にお尋ねください。
双方の指図を必要とする定め
次に多いのが、売主及び買主が連名で署名した払出指図書の提出を、払出しの要件とする定めです。この類型では、買主が署名を拒めば、期限が到来していても管理者は動けません。買主に署名を求める内容証明郵便を送付し、それでも応じない場合には、後述するとおり、指図書への署名という意思表示を求める訴訟の提起を検討することになります。契約に、一方の当事者が払出しを請求し、他方が一定期間内に異議を述べなかったときは払出しができるという定めがある場合には、その手続に従って請求書面を発することが第一歩です。
留保することができる金額の範囲
買主が補償請求の通知を発したとしても、預託金の全額を留保できるとは限りません。契約には、留保できるのは請求額に相当する金額に限るという定めが置かれていることが多く、その場合、請求額を超える部分については、期限の到来とともに払い出されるべきです。買主が3000万円の預託金に対して500万円の補償を主張しているのであれば、残る2500万円は支払われるべきであるとの主張が成り立ち得ます。また、補償請求には、一定額に達するまでは請求できないとする下限額の定めや、総額の上限の定めが置かれていることが通例ですので、買主の主張額がこれらの範囲に収まっているかも併せてご確認ください。
管理者の役割と義務
管理者は、売主の代理人でも買主の代理人でもありません。三者間の契約に基づき、双方から等距離を保ちつつ、預かった金銭を分別して管理し、契約に定められた要件が満たされたときにこれを支払うという事務を担う存在です。この中立性こそがエスクローの根幹であり、売主がいかに正当な言い分をお持ちであっても、管理者が売主の側に立って判断することはありません。管理者に対する抗議を重ねても、事態は動きません。
中立性と形式的な審査にとどまること
管理者が行うのは、原則として形式的な審査です。提出された書面が契約に定められた様式を備えているか、署名者が正当な権限を有するか、期限が到来しているかといった点を確認するにとどまり、買主の主張する表明保証の違反が実体として存在するかどうかを判断することはありません。買主が形式の整った補償請求の通知を発すれば、その内容が根拠に乏しくとも、管理者は当該金額の払出しを止めるのが通常です。実体的な当否の判断は、当事者間の交渉又は裁判所の役割です。
善良な管理者の注意義務と分別管理
管理者は、委任又は寄託に類する契約上の地位に立ちます。民法第644条は、受任者は委任の本旨に従い善良な管理者の注意をもって委任事務を処理する義務を負う旨を定めております。具体的には、預託金を自己の固有財産と分別して管理すること、要件が満たされていないにもかかわらず一方に払い出さないこと、残高や入出金の状況について当事者の照会に誠実に応じることなどが求められます。管理者が弁護士である場合には、預り金の管理に関する規律にも服します。もし管理者が、要件を満たさないまま買主に返還してしまった場合には、管理者に対する損害賠償の請求を検討する余地があります。
免責条項の確認
他方で、エスクロー契約には、管理者の責任を限定する条項が置かれているのが通例です。故意又は重大な過失がある場合を除き責任を負わない、提出された書面の真正について調査する義務を負わない、当事者間に争いが生じたときは払出しを停止し又は預託金を供託することができる、といった内容です。管理者を相手方とする請求を検討される際には、これらの条項をお読みいただき、どの範囲であれば責任を問い得るのかを見極める必要があります。もっとも、多くの場合、争いの実質は買主との間にあります。
売主と買主との間に争いがある場合
買主が補償請求の通知を発し、管理者が払出しを停止しているという状況は、突き詰めれば、売主と買主との間に、表明保証の違反の有無又は損害額をめぐる争いがあるということです。管理者はその争いの当事者ではありません。したがいまして、解決の道筋は、買主との間で交渉によって決着をつけるか、又は裁判所の手続によって決着をつけるかの二つです。まず取り組むべきは、買主の通知の内容を精査することです。
買主の通知の内容を精査する
買主の通知については、次の各点をご検討ください。第一に、株式譲渡契約のどの表明保証の条項に違反すると主張しているのかが特定されているかどうかです。単に想定より業績が悪いというだけでは、表明保証の違反にはなりません。第二に、損害の内容と金額の算定根拠が示されているかどうかです。第三に、契約に定められた通知の期限内に発せられたものかどうかです。補償請求は、クロージングから一定の期間内に通知することを要件とする定めが通常ですので、期間を経過した後の請求は認められません。第四に、買主が主張する事実が、デュー・ディリジェンスの過程で既に開示されていた事項ではないかどうかです。開示別紙に記載された事項や、データルームに格納して閲覧に供した資料に現れていた事項については、補償の対象から除外されている場合が多くあります。
交渉及び一部の払出しによる解決
精査の結果、買主の主張が根拠に乏しい場合には、その旨を書面で反論し、払出指図書への署名を求めます。他方、買主の主張に一定の理由があると考えられる場合には、争いのない部分だけでも先に払い出してもらうという交渉が現実的です。預託金3000万円のうち、買主の請求額が500万円であるならば、まず2500万円の払出しについて双方が指図書に署名し、残る500万円について引き続き協議するという合意です。この方法は、買主にとっても紛争の範囲を限定できますので、応じられることが少なくありません。合意ができた場合には、これを書面にしたうえで、管理者にも写しを交付してください。
請求に必要となる書類
交渉に進むにせよ、裁判所の手続に進むにせよ、主張を裏づける書類を整えることが出発点です。譲渡から時間が経つほど、資料は散逸しがちです。M&A仲介業者やファイナンシャル・アドバイザーが関与していた案件では、資料の一部が当該業者の手元にしか残っていないこともありますので、早めに写しの交付を求めておくことが肝要です。主として必要となる書類は、次のとおりです。
| 区分 | 書類 | 確認する事項 |
|---|---|---|
| 契約関係 | 株式譲渡契約書、エスクロー契約書、これらの変更に関する覚書 | 払出しの要件、補償の期間、下限額及び上限額、通知の方法 |
| 取引の履行 | 株主名簿、株主名簿記載事項証明書、譲渡の承認に関する議事録、クロージング確認書 | 売主が引渡義務を完全に履行したこと |
| 金銭の動き | 預金口座の入出金明細、管理者からの預託金の受領証、残高報告書 | 預託された金額、現在の残高、未払の金額 |
| 買主の主張 | 買主が発した補償請求の通知書、これに添付された資料、往復の電子メール | 通知の日付、特定された条項、損害額の算定根拠 |
| 反論の資料 | 開示別紙、データルームの資料一覧及び閲覧記録、質疑応答の記録 | 買主が主張する事実が既に開示されていたこと |
| 催告 | 売主から発した内容証明郵便、配達証明 | 請求の日、遅延損害金の起算点 |
とりわけ重要なのは、デュー・ディリジェンスの過程における開示の記録です。買主が問題として持ち出す事項の多くは、実は調査の段階で資料が提出されていたというものです。データルームの閲覧記録や質疑応答の一覧が残っていれば、買主が当該事実を知り得た状態にあったことを示すことができ、補償の対象外であるという反論の柱となり得ます。電子的な記録は期間の経過とともに閲覧できなくなる場合がありますので、速やかに保全なさることをお勧めいたします。
支払の請求及び仮処分
交渉によって解決に至らない場合には、法的な手続に進むことになります。手続の選択は、エスクロー契約の払出しの要件がどのように定められているかによって変わってまいります。誰を相手方とし、何を求めるのかを誤りますと、勝訴しても金銭の回収に結びつかないことがあります。以下は一般的な整理であり、実際にとるべき手続は事案により異なります。
書面による催告
まず、内容証明郵便によって請求を明示いたします。宛先は買主と管理者の双方とし、買主には払出指図書への署名を求め、管理者には要件が満たされていることを指摘して払出しを求めます。あわせて、預託金の残高、買主からの通知の有無及びその写しの交付を管理者に求めておきますと、その後の主張の組立てに役立ちます。催告を書面で行っておくことは、遅延損害金の起算点を明確にする意味も持ちます。
訴訟による解決
払出しに双方の指図を要する定めが置かれている場合には、買主に対し、払出指図書への署名という意思表示を求める訴訟が考えられます。意思表示を命ずる判決が確定いたしますと、民事執行法第177条第1項により、債務者が意思表示をしたものとみなされますので、その確定判決を管理者に提出して払出しを受けるという道筋になります。他方、買主が代金支払義務を免れていないと解される場合には、買主に対する譲渡代金の残額の支払を求める訴訟という形をとることもあります。また、管理者が要件を満たしているにもかかわらず払出しに応じない場合には、管理者に対する預託金の支払を求める訴訟も選択肢となりますが、まずは買主との争いを終わらせることが本筋です。
保全処分の検討
訴訟には相応の期間を要しますので、その間に預託金が買主に返還されるおそれがある場合には、保全処分を検討いたします。買主の管理者に対する預託金の返還請求権を対象とする仮差押えは、民事保全法第20条第1項に基づくものです。また、係争中は払出しをしてはならないという内容の仮処分については、民事保全法第23条第2項に定める仮の地位を定める仮処分として申し立てることが考えられます。もっとも、金銭の支払を先取りするような内容の仮処分は、認められる場面が限られております。いずれの保全処分についても、被保全権利と保全の必要性を疎明する必要があり、担保として一定額を裁判所に納めることを求められるのが通常です。費用と時間、預託金の額及び買主の資力を勘案してご判断いただくことになります。
よくあるご質問
エスクローに預けた代金の支払に関して、実際にお寄せいただくことの多いご質問にお答えいたします。
管理者に強く求めれば払い出してもらえるのではないでしょうか
管理者は中立の立場にありますので、売主の求めだけで払い出すことはできません。期限の到来や双方の指図といった契約上の要件が満たされてはじめて、支払の義務が生じます。管理者に対しては、抗議ではなく、預託金の残高、買主から通知が発せられているか否か、発せられているのであればその写しの交付という三つの事項の照会を、書面で行うことが有益です。回答の内容によって争いの所在が明らかになり、次にとるべき手段が定まります。
買主から補償請求の通知が届きましたが、内容が抽象的です
通知の内容が抽象的である場合には、まず、どの表明保証の条項に違反すると主張するのか、損害の内容と金額の算定根拠は何か、その根拠となる資料は何かを、書面で明示するよう求めてください。契約には、通知に記載すべき事項が定められていることが多く、これを欠く通知は有効な補償請求とはいえないという主張が成り立つ余地があります。管理者に対しても、通知が要件を欠いている旨を書面で指摘しておくことが考えられますが、これによって直ちに払出しがなされるとは限らず、結論は事案により異なります。
預託の期間が満了いたしましたが、管理者から何の連絡もありません
期限到来型の定めであれば、期限の経過をもって払出しを請求できるのが原則です。管理者が当事者からの請求を待つ運用としている場合もありますので、まずは書面で払出しを請求してください。その際、払出先の口座、請求額及び根拠となる条項を明記いたします。買主から通知が発せられているために停止されているのであれば、その旨の回答が得られるはずです。
支払が遅れた分について、利息を請求することはできますか
買主が代金支払義務を負っている場合、その履行が遅れたことによる遅延損害金を請求できる余地があります。契約に遅延損害金の利率の定めがあればそれにより、定めがなければ法律の定める利率によることになります。起算点は、契約に定められた支払期日、又は催告をした日の翌日と解されることが一般的です。もっとも、預託をもって支払に代えるという定めが置かれている場合など、契約の内容によって結論は変わります。
エスクローと供託とは、どのように違うのでしょうか
供託は法律に基づく国の制度であり、供託所に金銭を預けることによって、債務者が債務を免れるという法律上の効果が認められる場合があります。これに対しエスクローは、当事者の合意によって作られる契約にすぎず、法律が特別の効果を与えているものではありません。したがって、預けたという事実だけで買主の支払義務が消滅するわけではなく、権利義務の内容は契約の定めに従って判断されます。なお、エスクロー契約の中に、当事者間に争いが生じたときは管理者が預託金を供託することができるという条項が置かれていることがあり、供託がなされますと、その後は供託金の還付を受けるための手続が必要となります。
どの段階で弁護士に相談すればよろしいでしょうか
買主から補償請求の通知が届いた時点、又は預託の期間の満了が近づいた時点が一つの目安です。補償請求に対する反論には、契約の解釈とデュー・ディリジェンスにおける開示の経緯の双方についての検討が必要であり、初期の対応で述べた内容が後の手続に影響いたします。通知に対する異議の申述に期間の定めが置かれている場合、これを徒過いたしますと不利な立場に置かれかねません。契約書、通知書及び開示の記録をお手元にご用意のうえ、早い段階でご相談いただくことをお勧めいたします。
具体的なご相談をお考えの皆様へ
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