株式譲渡代金の留保(ホールドバック)が返還されないときの対応

この記事の位置付け

株式譲渡代金の留保の返還に関するメインのページです。本ページは、譲渡の後に留保された金銭の返還が滞った場面で、解除の条件と補償との関係をご説明します。売主が採り得る手段の全体は中核のページをご参照ください。

譲渡代金の全部が支払われない場面の対応は株式譲渡代金が支払われないときに売主が採り得る手段を、第三者に預託するエスクローの場面はエスクローに預けた株式譲渡代金が支払われないときの請求の方法を、それぞれご覧ください。

株式譲渡の実行を終え、会社の代表者の地位も退き、引継ぎも一段落したにもかかわらず、譲渡代金の一部が入金されないままになっている。契約書を読み返すと、代金の2割に相当する金額を一定期間留保する旨の条項が置かれている。買主に問い合わせても「社内で確認中です」「税務の状況を見ています」といった返答が繰り返され、いつ支払われるのか判然としない。このようなご相談は、中小企業のM&Aの現場で決して珍しいものではありません。

代金の一部の留保(ホールドバック)とは、譲渡代金の一部を実行時には支払わず、買主が一定期間手元に留め置く仕組みをいいます。これは本来、譲渡の実行後に表明保証の違反や簿外債務が判明した場合に、売主に対する補償の請求の引当てとするために設けられるものです。裏を返せば、定められた期間が経過し、補償の請求も現に生じていないのであれば、留保された金額は売主に支払われるべき代金の一部にほかなりません。それを支払わないことは、単なる支払の先延ばしではなく、代金支払債務の不履行となり得ます。

本稿では、売主のお立場から、留保の解除の条件、補償の請求との関係、及び返還の時期を契約上どのように整理すべきかを申し上げます。契約の交渉の段階でお読みいただく場合には不当な長期の留保を防ぐための備えとして、既に留保が長期化している場合には返還を求めるための手順として、それぞれお役立ていただけるものと存じます。

代金の一部を留保する仕組み

中小企業の株式譲渡においては、譲渡代金の全額を実行日に一括して支払う例が多い一方、買主が譲渡の実行後の不確実性を懸念する場合には、代金の一部を留保する条項が置かれることがあります。留保される金額は、譲渡代金の1割から2割程度とされる例が多く、譲渡代金が3億円であれば3,000万円から6,000万円が実行時には支払われないこととなります。売主にとっては、手取りの資金計画に直接影響する重大な条項です。

買主が留保を求める理由は、主として3つに整理できます。第一に、決算期をまたいだ後に税務調査が入り、過年度分の追徴課税が生じるおそれがあること。第二に、未払残業代、退職金の引当ての不足、係争中の取引先との紛争といった簿外の負担が、譲渡の実行後に表面化するおそれがあること。第三に、売主の表明保証の違反が判明した場合に、売主の資力を追いかけるよりも、手元にある金額から回収する方が確実であること。いずれも買主側の便宜に基づくものであり、売主にとって有利な仕組みではないことを、まずご認識いただく必要があります。

エスクロー(第三者への預託)との違い

留保と類似する仕組みとして、エスクロー(第三者への預託)があります。両者の実質的な違いは、金銭を誰が握っているかという一点にあります。留保は、買主が自らの手元に金銭を持ったまま支払を留保する形です。これに対しエスクローは、信託銀行や弁護士等の第三者の口座に金銭を預け、あらかじめ定めた条件が満たされたときに、その第三者が売主又は買主に交付する形です。

売主のお立場からは、エスクローの方が明らかに安全です。留保の場合、買主が支払を渋れば、売主は買主を相手に請求せざるを得ず、その間の資金は買主の事業の運転資金として使われている可能性すらあります。買主の資金繰りが悪化すれば、留保された金額の回収そのものが危うくなります。エスクローであれば、金銭は第三者が分別して管理しており、買主の信用状態から切り離されております。留保を求められた場合には、まずエスクローへの変更を提案し、それが受け入れられないのであれば、後述する解除の条件と期間を厳格に定めることが、売主の側の防御となります。

留保を解除する条件及び期間

不当な長期の留保を防ぐうえで最も重要なのは、返還の時期を客観的な事実で決めることです。「買主が必要ないと判断したとき」「懸念が解消したとき」といった、買主の主観に委ねる定め方をしてはなりません。このような条項があると、買主は返還を無期限に先送りすることができてしまいます。返還は、暦の上で確定する日をもって行われるべきです。

具体的には、「譲渡の実行日から18か月を経過した日の翌営業日に、留保された金額の全額を売主の指定する口座に振り込む」といった定め方をいたします。ここで重要なのは、売主からの請求を待たずに買主が自動的に支払う建て付けとすることです。「売主の請求があったときに支払う」という定め方ですと、請求の有無をめぐる争いが生じますし、売主が請求を失念した場合に長期間放置されるおそれもあります。

期間そのものについては、留保の目的から逆算して定めます。税務上の懸念が理由であれば、法人税の更正の期間や税務調査の実務を踏まえて期間が長めに求められることがありますが、そうであれば税務に関する部分だけを切り出し、その余の金額は早期に返還する二段階の設計とすべきです。労務や取引先との紛争に関する懸念であれば、12か月から18か月で足りる場合が多くあります。留保の期間が表明保証の存続期間より長いという定めは、論理的に説明がつきませんので、両者を一致させるか、留保の期間を短くするよう求めます。

契約書のどこを確認するか

既に締結済みの契約について返還を求める場合には、株式譲渡契約書の次の各条項を突き合わせて読みます。すなわち、代金の支払に関する条項(留保の金額、返還の期日、振込先)、表明保証に関する条項(その存続期間)、補償に関する条項(請求の期限、通知の方法、金額の上限及び下限)、並びに相殺に関する条項です。これらが互いに矛盾している契約書も少なくなく、その矛盾自体が交渉の材料となります。加えて、契約締結時のメールや議事録に、留保の趣旨についての当事者の説明が残っていることがありますので、併せてお手元でご確認ください。

補償の請求との関係

留保された金額は、補償の請求のための引当てです。したがって、買主が留保を継続してよいのは、補償の請求が現に生じている場合に限られるはずです。ここでいう「現に生じている」とは、契約に定められた方法により、買主から売主に対して補償の請求の通知がなされ、その内容が特定されている状態を指します。買主が漠然と「何か出てくるかもしれない」と考えているだけでは足りません。

そこで契約においては、補償の請求の通知の要件を具体的に定めておくことが有用です。すなわち、書面によること、留保の期間の満了日までに到達していること、違反したとされる表明保証の条項を特定していること、請求の原因となる事実を記載していること、及び請求する金額又はその合理的な見積額を記載していることです。これらを欠く通知は、留保を継続する根拠とはならない旨を明記いたします。

また、補償の請求には、通常、一定額の下限(その金額に達しない請求はできないという定め)及び上限が設けられます。この下限に達しない事項をいくつも並べて留保を続けることはできない旨、並びに補償の請求の対象は留保された金額を上限とし、それを超える請求は行わない旨を定めておけば、売主の負担は数字の上で確定いたします。中小企業のM&Aにおいては、この上限の定めが売主にとって極めて重要です。

逆に、買主から適法な通知がなされた場合には、留保された金額のうち、その請求額に相当する部分のみが留保の対象として残り、残余は期日どおりに返還されるべきです。この点を明記していない契約書が多く、買主が請求額の多寡にかかわらず全額を留保し続ける原因となっております。

買主が留保できる範囲

期間が経過した後もなお買主が支払を拒む場合、その主張が法的に成り立つかどうかを検討いたします。買主の言い分は、多くの場合、次のいずれかに分類できます。第一に、補償の請求が生じているから相殺するという主張。第二に、まだ調査が終わっていないから支払えないという主張。第三に、業績が想定を下回ったから応じられないという主張です。

第一の主張については、補償の請求権が実際に発生しているか、その金額はいくらか、契約に定める通知がなされているかを一つ一つ確認いたします。相殺は、対立する債権が存在して初めて成り立つものですので、買主の側に請求権があることの説明を求め、根拠となる資料の提示を求めます。仮に請求権が認められる場合であっても、留保できるのはその金額の範囲に限られ、それを超える部分は支払われなければなりません。

第二の主張については、契約に定められた期間が経過している以上、調査が終わっていないことは支払を拒む理由になりません。留保の期間とは、まさに買主が調査を行うために与えられた猶予期間だからです。第三の主張に至っては、契約に業績の連動に関する定め(いわゆる条件付きの追加の代金の定め)がない限り、法的な根拠を欠きます。買収後の業績は買主自身の経営の結果でもあり、これを理由に代金の支払を拒むことは認められません。

期間が経過し、適法な補償の請求もないにもかかわらず返還がなされない場合、それは代金支払債務の履行遅滞に当たり得ます。売主は、履行の請求に加え、遅延損害金を請求し得る立場に立ちます。金銭の支払を目的とする債務の不履行については、損害の証明を要しないものとされておりますので、売主の側で損害額を立証する負担はありません。ただし、具体的な帰結は契約の文言及び事案の事情により異なりますので、個別のご検討が必要です。

返還を求める際の証拠

返還を求める交渉又は訴訟に備え、次の資料をお手元にそろえていただきます。第一に、株式譲渡契約書の原本、及び締結後の変更の合意書の一切です。第二に、譲渡の実行を証する資料、すなわち株主名簿の写し、株式の譲渡承認に係る取締役会又は株主総会の議事録、及び実行日に支払われた代金の入金が記帳された預金通帳の写しです。留保の期間は実行日から起算されますので、実行日を動かしがたい形で特定できる資料が要です。

第三に、買主とのやり取りの記録です。返還の期日の前後に交わしたメール、書簡、面談の記録をすべて時系列に整理いたします。買主が「期日には支払います」と述べていた記録、あるいは「特段の問題は見つかっておりません」と述べていた記録は、後に買主が補償の請求を持ち出した際に、その主張の信用性を減殺する材料となります。

第四に、補償の請求の通知が存在しないこと、又は契約の定める要件を満たしていないことを示す資料です。買主から何らかの書面が届いている場合には、その到達日、記載された条項の特定の有無、金額の記載の有無を確認いたします。第五に、譲渡の対象となった会社の決算書、法人税の申告書、及び税務調査の結果に関する書面です。買主が税務上の懸念を理由としている場合、調査が終了し追徴がなかった事実は、留保を続ける理由が消滅したことの直接の証拠となります。これらの資料は、譲渡の実行前にお手元に控えを残しておくことが肝要です。実行後は会社の資料に接することができなくなるためです。

交渉及び訴訟

まずは、期日を明示した書面による催告を行います。内容証明郵便により、契約の該当条項、留保された金額、返還の期日が既に経過している事実、及び支払を求める期限(例えば到達の日から2週間)を記載し、あわせて補償の請求があるのであればその内容と根拠資料の提示を求めます。書面を送ることの実益は、支払を促すことのみならず、買主に主張を書面で述べさせ、その内容を固定させることにもあります。後になって主張が変遷すれば、それ自体が買主の信用性を損なうこととなります。

買主が支払に応じない場合、法的な手続の選択肢としては、支払督促、民事調停、及び訴訟の提起があります。留保の金額が数千万円に及ぶ場合には、訴訟の提起を選ばれることが多くなります。契約書に留保の期日が明記されており、買主から適法な補償の請求の通知がなされていないという事案であれば、争点は比較的絞られたものとなり得ます。もっとも、買主が表明保証の違反を主張して争う場合には、その主張の当否をめぐる審理が必要となり、期間を要することがあります。

買主の資力に不安がある場合、又は財産の流出のおそれがある場合には、訴訟の提起に先立ち、又はこれと並行して、仮差押えの申立てを検討いたします。仮差押命令は、金銭の支払を目的とする債権について、強制執行ができなくなるおそれがあるとき等に発せられるものです。申立てに際しては担保を立てる必要がありますので、留保された金額の規模と、担保の負担とを比較して判断いたします。

なお、請求できる期間には限りがあります。債権は、権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないときは、時効によって消滅するものとされております。返還の期日が到来した時点から進行いたしますので、長年放置なさっている場合には、まず時効の完成が迫っていないかをご確認ください。交渉が長引く場合には、時効の完成を猶予するための措置を講じることが必要となる場合もあります。

よくあるご質問

留保された代金の返還につきまして、売主の皆様から実際にお寄せいただくことの多いご質問と、その考え方をまとめました。いずれも契約の文言及び事案の事情により結論が異なり得ますので、一般的な整理としてお読みください。

留保の期間が経過しましたが、買主から何の連絡もありません。こちらから請求しなければならないのでしょうか

契約の定め方によります。「期間の経過をもって当然に支払う」と定められている場合には、買主は請求を待たずに支払うべき立場にあります。もっとも、実務上は、請求をなさらないまま放置されますと、支払がないまま年月が経過してしまいます。期日が経過した段階で速やかに書面により支払を求め、その記録を残しておかれることをお勧めいたします。請求の記録は、後に遅延損害金の起算点や時効の関係で意味を持ちます。

買主から「表明保証の違反が見つかった」との連絡がありましたが、金額の記載がありません。留保は続くのでしょうか

契約に、補償の請求の通知に金額又はその合理的な見積額の記載を要する旨の定めがある場合には、その要件を欠く通知は留保を継続する根拠とならないと主張し得ます。まずは契約の当該条項をご確認のうえ、買主に対し、違反したとされる条項の特定、原因となる事実、及び請求額の内訳を書面で示すよう求めてください。示されない場合には、留保の根拠を欠くものとして返還を求めることとなります。

買主は「税務調査が終わるまで返せない」と述べていますが、契約には期間の定めがあります

契約に定められた期間が経過している以上、税務調査が継続していることは、それ自体では支払を拒む理由にはなりません。期間の定めとは、そうした調査の可能性を織り込んだうえで当事者が合意した猶予です。ただし、契約に「税務調査の結果が判明するまで」といった別段の定めが置かれている場合には、その文言に従うこととなりますので、契約書の確認が出発点となります。

留保された金額の一部だけでも先に返してもらうことはできますか

買主が主張する補償の請求額が留保された金額を下回る場合には、その差額の支払を求めることは合理的です。交渉の場面では、争いのない部分を先に受領し、争いのある部分についてのみ協議を続けるという進め方が現実的な解決に結び付くことがあります。この考え方をあらかじめ契約に明記しておけば、後の争いを相当程度防ぐことができます。

これから契約を結びます。留保を求められた場合、どのように条件を整えればよろしいでしょうか

第一に、エスクロー(第三者への預託)への変更を提案いたします。第二に、留保が避けられない場合には、返還の期日を暦の上で確定する日として定め、売主の請求を待たずに支払う建て付けといたします。第三に、留保の期間を表明保証の存続期間と一致させ、これを超える留保を認めないことといたします。第四に、補償の請求の通知の要件を具体的に定め、要件を欠く通知では留保を継続できない旨を明記いたします。第五に、返還が遅れた場合の遅延損害金の利率を定めておきます。

返還を求めると、買主から逆に損害賠償を請求されないか心配です

正当な代金の支払を求めることは売主の権利の行使ですので、それ自体が請求を招く理由にはなりません。もっとも、買主が表明保証の違反を主張する余地がある事案では、交渉の過程でその主張が持ち出されることはあります。そのため、返還を求めるにあたっては、あらかじめ譲渡の実行前後の開示の状況を整理し、どのような主張があり得るかを検討したうえで臨むことが穏当です。見通しは事案の事情により異なりますので、契約書と資料をお持ちのうえ、弁護士にご相談いただくことをお勧めいたします。

具体的なご相談をお考えの皆様へ

本ページの主題に関し、当事務所の取扱内容、対応の進め方及び費用の考え方は、次のご案内のページに整理しています。あわせてご覧ください。