M&Aトラブルが刑事の問題となる場合と民事の問題との区別
この記事の位置付け
M&Aの紛争においては、相手方の行為が刑事の問題となり得るかどうかが問われることがあります。本記事では、民事の問題との性質の違いを整理したうえ、刑事の手続を用いることの利点と危険を扱います。
内容証明郵便を送る前及び訴えを提起する前の確認事項については別の記事で扱っています。あわせて御覧ください。
会社を譲り渡してしばらく経ってから、買主より示されていた資金計画が実際とはまるで違っていたことに気づく。あるいは、譲り受けた会社の決算書に載っていた売掛金の大半が、実は回収の見込みのないものであったと分かる。預けたはずの手付金が返ってこない。そうした場面に立たれた方から、しばしば同じ言葉をうかがいます。「これは詐欺ではないのですか」「警察は動いてくれないのですか」という言葉です。
気持ちとしては当然のことです。相手方の説明を信じて会社を渡し、あるいは代金を払ったのに、後になって話が違っていたのですから、だまされたという感覚を持つのは自然です。しかし、日本の法制度において、民事の問題と刑事の問題は、目的も、動かす主体も、必要とされる証拠の重さも異なります。この違いを踏まえずに動くと、時間と費用を費やしたうえに、かえって不利な立場に置かれることがあります。
本稿では、M&Aをめぐる紛争のうち、刑事の問題となり得る場面と、あくまで民事の問題にとどまる場面との区別を整理します。あわせて、刑事の手続を用いることの利点と危険、民事の請求を先行させることの実務上の意味、そして相手方から刑事の問題として申し立てられてしまった場合の初動についても述べます。なお、ある行為が犯罪に当たるかどうかは、証拠の内容と事案の具体的事情によって大きく左右されますので、本稿では断定的な評価を避け、あくまで一般的な考え方の枠組みをお示しします。
民事の問題と刑事の問題は何が違うのか
最初に、両者の性質の違いを押さえておきます。この点があいまいなまま相談に来られる方が非常に多く、そのために方針を誤ることがあるからです。民事の問題とは、私人と私人との間の権利義務の争いです。刑事の問題とは、国家が犯罪の嫌疑を受けた者に刑罰を科すかどうかを判断する手続です。同じ一つの出来事が両方の性質を帯びることはありますが、それぞれ別の手続として進みます。
誰が当事者となるのか
民事の手続では、あなたが原告となり、相手方が被告となります。訴えを起こすかどうか、いくら請求するか、どの時点で和解するか、途中で取り下げるかは、すべてあなたが決められます。手続の主導権はあなたにあります。
これに対して刑事の手続では、当事者は検察官と被告人です。被害を受けたとされる方は、当事者ではありません。告訴をすることはできますし、事情聴取に応じ、場合によっては証人として法廷で証言を求められることもありますが、起訴するかどうかを決めるのは検察官であり、処罰を望むかどうかの意向は考慮の一要素にとどまります。「自分が訴えた事件」という感覚を持たれる方が多いのですが、制度上は国家が行う手続に協力する立場です。この違いは、途中で相手方と話がついた場合の扱いにも表れます。民事であれば和解して終わりですが、刑事では捜査機関が既に動いている以上、被害の申告を取り下げても手続がそのまま終わるとは限りません。
求められる立証の程度が違う
証拠の重さも大きく異なります。民事の裁判では、どちらの言い分がより確からしいかという水準で判断されます。証拠がすべて揃っていなくても、取引の経緯、やり取りの記録、業界の慣行などを積み重ねて、裁判所に「そちらのほうが確からしい」と考えてもらえれば、請求が認められる余地があります。
刑事の手続では、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度まで立証されなければ、有罪とはされません。相手方の言い分にも一応の筋が通る余地が残っているのであれば、その時点で有罪の認定は困難になります。M&Aの紛争は、契約交渉という長い過程の中で生じますので、相手方には「そのときはそう考えていた」「見通しが外れただけだ」という説明の余地が残ることが多く、この水準を越えることは容易ではありません。
手続の進み方と得られる結果が違う
民事では、訴状を提出すれば、原則として手続が始まります。第1回の期日は通常1か月から2か月ほど先に指定され、その後はおおむね1か月から2か月に1度の頻度で期日が開かれます。中小企業のM&Aをめぐる紛争であれば、判決まで1年半から3年程度を要することも珍しくありません。得られる結果は、金銭の支払や、契約の効力に関する判断です。相手方に資産があれば、判決に基づいて強制執行により回収を図ることができます。
刑事では、告訴や告発をしても、捜査機関がただちに捜査を始めるとは限りません。捜査が始まっても、その進み具合や見通しが逐一知らされるわけではありません。そして仮に有罪判決が出たとしても、それは相手方に刑罰が科されるということであり、あなたにお金が戻ることを直接には意味しません。刑事の手続の中でも被害の回復に関わる制度は設けられていますが、対象となる犯罪の範囲や手続の要件がありますので、金銭の回収を目的とするのであれば、民事の手続を軸に据えるのが基本になります。
M&Aの紛争で刑事の問題となり得る場面の類型
そのうえで、実際に刑事の問題となり得る場面を類型ごとに見ていきます。ここで挙げるのは、あくまで「刑事の問題として検討する余地がある」という類型であり、これに当てはまれば犯罪が成立するという意味ではありません。いずれの類型でも、後述するとおり、故意があったといえるかどうかが最大の分かれ目になります。
決算書類の重大な虚偽記載を示して代金を得た場合
最も相談の多い類型です。売主が、実際には存在しない売掛金を計上した決算書、あるいは架空の在庫を計上した決算書を買主に示し、買主がそれを前提に企業価値を算定して代金を支払った、という場面です。人を欺いて財物を交付させる行為については、刑法第246条第1項に詐欺罪の定めがあり、この類型はこれに当たり得ると評価される余地があります。
ただし、ここで問われるのは、数字が結果として誤っていたかどうかではなく、売主が虚偽であることを知りながら、代金を得る目的でこれを示したといえるかどうかです。確認すべき資料としては、買主に交付された決算書及び試算表、それと対応する総勘定元帳、売掛金の得意先元帳と入金の記録、実地棚卸の記録、税務申告書の控え、そして交渉の過程で交わされた電子メールや面談の記録が挙げられます。決算書の数字と元帳の数字が食い違っており、かつ売主がその食い違いを認識していたことをうかがわせるやり取りが残っている場合には、検討の対象となり得ます。
対象会社の資産を無断で流出させた場合
株式譲渡契約を結んだ後、決済までの間に、売主が対象会社の預金を自分の口座へ移した、会社名義の不動産や車両を親族の名義に移した、あるいは会社の資金で個人の債務を返済した、という場面です。会社の財産を預かる立場にある者が、その財産を自分のものとして処分する行為については、刑法第252条第1項の横領罪の定めがあり、業務としてこれを預かっていた場合については刑法第253条に業務上横領罪の定めがあります。また、取締役等が任務に背いて会社に損害を加えた場合については、会社法第960条に特別背任罪の定めが置かれています。これらに当たり得ると評価される余地があります。
この類型では、資産が動いた時点と、株式譲渡契約における効力発生の時点との前後関係が決定的な意味を持ちます。確認すべきは、対象会社の預金口座の全期間の入出金明細、固定資産台帳、不動産の登記事項証明書と登記された日付、車両の登録事項証明書、取締役会又は株主総会の議事録、そして株式譲渡契約書の条項のうち、決済までの間の会社運営に関する制限を定めた部分です。契約書に、通常の業務の範囲を超える財産の処分を禁じる条項が置かれていることが多く、この条項に反しているかどうかが最初の手掛かりになります。
預かった資金を費消した場合
手付金や保証金、あるいは決済の準備のために一時的に預けた資金を、預かった側が自分の用途に使ってしまったという場面です。この類型でも、前記の横領罪の定めが問題となり得ます。もっとも、預けたお金が「他人のもの」として区別されていたのか、それとも借入れとして相手方のものになっていたのかによって、評価は変わります。
確認すべきは、資金を渡した際の書面の文言です。「預託」「保管」といった語が用いられ、使途が限定され、一定の場合には返還すると定められているのであれば、他人の財産を預かったものと評価されやすくなります。他方、単に「支払う」とだけ記載され、使途の制限もなければ、返還請求権の問題、すなわち民事の問題にとどまることが多くなります。あわせて、預けた資金が相手方の一般の運転資金と混ざっていたのか、別の口座で管理されていたのかも確認します。分別して管理されていた資金が使われた場合には、刑事の問題として検討する余地が広がります。
書類の偽造と帳簿の改ざんが問題となる場面
次に、書類そのものが作られたり書き換えられたりした場面を取り上げます。これらは、数字の見積りや将来の見通しといった評価の幅がある事柄とは異なり、事実として存在したかどうかが比較的はっきりする類型ですので、刑事の問題として取り上げられる可能性が相対的に高い領域です。
契約書や議事録が作られていた場合
他人の名義を用いて文書を作成する行為については、刑法第159条第1項に私文書偽造罪の定めがあり、これを行使する行為については同法第161条に定めがあります。M&Aの場面では、株主全員の同意があったかのように装った株主総会の議事録、実際には開かれていない取締役会の議事録、退職した従業員の名義を用いた同意書、取引先の押印を写して作られた基本契約書といったものが問題となり得ます。
確認の方法としては、まず押印された印影を、他の書面の印影と見比べます。同じ印章によるものかどうか、印影の位置や重なり方に不自然な点がないかを見ます。次に、書面の作成日とされる日に、そこに記名されている者が実際にその場にいられたかどうかを、当時の予定表、出張の記録、入退館の記録から確かめます。名義とされた方が現に存命であり、連絡が取れる場合には、その方から事情を伺うことが最も確実です。なお、登記の申請に虚偽の内容を記載した書面を用いた場合には、公正証書の原本に不実の記載をさせる行為として、刑法第157条第1項の問題となり得ます。
対象会社の帳簿が書き換えられていた場合
会計帳簿の改ざんは、決算書の虚偽記載と結び付いて問題となります。会計ソフトを用いている場合、伝票の入力日と、その伝票が対象とする取引の日付とを対照することで、後から遡って入力された記録を見つけられることがあります。多くの会計ソフトには、入力の履歴や修正の履歴が残る機能があり、この履歴を出力してもらうことが実務上の要点になります。
あわせて、預金の入出金明細と帳簿上の記載とを一件ごとに突き合わせます。帳簿には入金として記載されているのに、預金口座に対応する入金がない取引は、要注意です。売掛金であれば、得意先に残高の確認を求める書面を送り、その回答と帳簿の残高を比べる方法があります。株主であれば、会社法第433条第1項により、会計帳簿及びこれに関する資料の閲覧又は謄写を請求できる場合があり、この手続を通じて資料を確保することも考えられます。
粉飾決算に基づく金融機関からの借入れ
対象会社が、実態と異なる決算書を金融機関に提出して融資を受けていた、という事実が譲受け後に判明する場合があります。この場合、欺かれた相手は金融機関であって、買主ではありません。したがって、買主が直接の被害を受けた者として刑事の問題を申し立てられる立場にあるかどうかは、慎重に検討する必要があります。
実務上重要なのは、買主がこの事実を知った後にどう振る舞うかです。事実を知りながら同じ決算書を用いて追加の融資を受ければ、今度は買主側が問われる側に回りかねません。判明した時点で、まず提出済みの決算書の内容と実態との差異を整理し、金融機関への説明の方針を弁護士と検討することが穏当です。あわせて、売主に対しては、表明保証の違反や契約上の補償条項に基づく民事の請求を検討することになります。
刑事の問題とすることが容易でない理由
ここまで挙げた類型に当てはまりそうに見えても、実際に刑事の手続が動くとは限りません。むしろ、動かないほうが多いというのが実情です。その理由を三つの角度から説明します。理由を知っておくことは、悲観するためではなく、どの証拠を集めれば道が開けるのかを見極めるために必要です。
故意があったことの立証という壁
最大の壁は、相手方が「知っていた」ことの立証です。詐欺に当たり得るというためには、相手方が、示した数字が事実と異なることを知りながら、これによって代金を得ようとしたといえなければなりません。決算書の数字が結果として誤っていたことは、帳簿を見れば分かります。しかし、売主が誤りを認識していたかどうかは、売主の頭の中の事柄ですので、外形から推認するほかありません。
推認の材料となるのは、社内の電子メール、会議の記録、税理士とのやり取り、金融機関に提出した資料と買主に示した資料との相違、そして同じ内容の指摘を過去に受けていた事実です。たとえば、税理士から「この売掛金は回収が困難であり、貸倒れとして処理すべきです」と書面で指摘されていたにもかかわらず、そのまま資産として計上した決算書を買主に交付していた、といった事実は、認識をうかがわせる材料となり得ます。逆に、こうした材料がなく、売主が「経理は担当者に任せきりで、自分は把握していなかった」と述べる場合、これを覆すことは容易ではありません。
契約の交渉における評価の幅
M&Aの交渉では、将来の見通しが語られます。「この取引先とは来期も継続する見込みです」「新製品の売上げは伸びる予定です」といった発言は、その時点での予測です。予測が外れたことをもって、直ちに欺いたと評価することはできません。企業の価値の算定にも幅があり、同じ会社について複数の算定方法があり得ます。
この評価の幅があるために、捜査機関としては、当事者間の見解の相違にすぎないのか、それとも事実に反する事柄を意図的に示したのかを、切り分けなければなりません。切り分けの手掛かりとなるのは、将来の見通しではなく、過去及び現在の事実に関する記載です。決算書に計上された売掛金が実在するか、在庫が実際に倉庫にあるか、係属中の訴訟が開示されていたか。これらは客観的に確かめられる事実ですので、ここに明確な虚偽があれば、評価の幅という説明は通りにくくなります。
告訴の受理をめぐる実務
告訴とは、犯罪の被害を受けた者等が、捜査機関に対して犯罪の事実を申告し、処罰を求める意思を表示することをいい、刑事訴訟法第230条に定めがあります。法律上、告訴は受理されるべきものですが、実際には、警察署の窓口で「これは民事の問題ですね」と説明され、書面を受け取ってもらえないことがあります。特にM&Aの紛争は、契約書があり、専門家が関与し、多額の金銭が動いているため、当事者間の民事の争いとして扱われやすい領域です。
受理に向けては、準備の程度が結果を左右します。具体的には、時系列に沿って事実を整理した書面、行為ごとに対応する証拠を示した一覧、被害の額の計算根拠、そして相手方の認識をうかがわせる資料を、あらかじめ整えて持参します。口頭で経緯を説明するだけでは、争いの全体像が伝わりません。弁護士に告訴状の作成を依頼し、証拠の写しを添えて提出する方法が実際的です。また、事案の内容によっては、警察署ではなく検察庁に対して申告することも検討の対象となります。
刑事の手続を用いることの利点と危険
刑事の手続を視野に入れるかどうかは、費用や時間だけでなく、それによって何が起きるかを踏まえて判断すべき事柄です。利点は確かにありますが、危険も同じ程度に大きく、しかもその危険は申し立てた側に向かってくることがあります。
相手方に対して事実上の圧力となること
刑事の手続が現実に動き始めれば、相手方にとっては極めて重い事態です。捜査機関から連絡が入り、事情聴取を受け、場合によっては自宅や事務所の捜索を受けます。これらは相手方の生活や事業に直接の影響を与えますので、それまで交渉に応じなかった相手方が、支払や解決に向けて態度を変えることがあります。この事実上の効果を期待して、刑事の申告を検討される方は少なくありません。
ただし、この効果は、あくまで捜査機関が動いた場合に生じるものです。告訴状を出したという事実だけでは、相手方の態度は変わらないことが多く、かえって相手方が態度を硬化させ、それまで進んでいた交渉が止まることもあります。
事実に反する申告がもたらす反作用
証拠の裏付けがないまま、あるいは事実と異なる内容で申告を行った場合、それ自体が問題となり得ます。虚偽の申告により他人に刑事の処分を受けさせる目的があったと評価されれば、虚偽告訴の罪が問題となる余地があります。また、事実に反する内容を第三者に伝えて相手方の信用や業務を害したと評価されれば、刑法第233条及び第234条が定める信用毀損又は業務妨害の問題となる余地もあります。
さらに、民事の面でも反作用があります。相手方から、名誉を毀損されたとして、あるいは不当な申告により損害を受けたとして、民法第709条に基づく損害賠償を請求される可能性があります。実際に、こちらが提起した訴訟に対して、相手方が反訴を提起してくる例があります。当初は代金の回収を求めていたはずが、いつのまにか自分が被告として応訴する立場に置かれる、ということが起こり得ます。
脅迫や強要と評価される危険
最も注意を要するのは、交渉の場面での言葉の使い方です。「支払わなければ告訴します」「警察に行きますよ」といった発言を、支払を求める場面で用いることには、相当の危険があります。害を加える旨を告知して相手方を畏怖させる行為については刑法第222条に脅迫罪の定めがあり、これによって義務のないことを行わせる行為については同法第223条に強要罪の定めがあります。正当な権利の行使であっても、その方法が社会通念上相当な範囲を超えると評価されれば、これらの問題となる余地があります。
安全な進め方は、刑事と民事とを混ぜないことです。民事の請求は、請求の根拠と金額を示した書面で行います。刑事の申告を行うのであれば、それは捜査機関に対して独立して行い、相手方との交渉の材料として持ち出しません。相手方とのやり取りは書面又は電子メールで行い、記録を残します。感情が高ぶった状態での電話や面談は避けます。相手方が録音していることを前提に振る舞うことが、結果として自分を守ります。
民事の請求を先行させることの実務上の意味
以上を踏まえると、多くの事案では、民事の請求を先行させることが合理的です。これは刑事の手続を軽んじるという意味ではなく、順序の問題です。民事を先に進めることには、目的の面でも、証拠の面でも、実際的な理由があります。
目的が金銭の回復であるならば民事が本筋であること
ご相談の多くは、結局のところ、支払った代金を取り戻したい、あるいは受け取るはずだった代金を受け取りたい、というものです。この目的に対して直接に応える手続は民事です。株式譲渡契約に表明保証の条項と補償の条項が置かれていれば、それに基づく請求ができます。置かれていなくても、契約上の債務の不履行として民法第415条に基づく損害賠償の請求、不法行為として民法第709条に基づく損害賠償の請求、また、欺かれて契約を結んだ場合には民法第96条に基づく取消しの主張が考えられます。
回収の実効性を確保するためには、訴訟の提起に先立ち、相手方の財産を保全することを検討します。相手方の預金口座、不動産、譲渡代金の入金先といった財産を把握したうえで、仮差押えの申立てを行い、判決を得るまでの間に財産が散逸することを防ぎます。仮差押えには担保金の供託が必要となりますが、判決を得ても回収できないという事態を避けるためには、この段階の判断が重要です。
民事の手続を通じて証拠が整うこと
民事の訴訟では、相手方が答弁書や準備書面を提出し、当事者尋問において法廷で説明します。この過程で、相手方の説明が変遷したり、以前の説明と矛盾する事実が明らかになったりすることがあります。また、文書提出命令の申立てや調査嘱託の申立てによって、こちらの手元にない資料を裁判所を通じて入手できる場合があります。
こうして整った記録は、後に刑事の申告を行う場合に、そのまま資料として用いることができます。相手方が法廷で述べた内容と客観的な資料とが食い違っていれば、それは認識をうかがわせる有力な材料になります。何も手元にない段階で告訴状を持ち込むよりも、民事の手続を経た後のほうが、受理に向けた説明がはるかに容易になります。
両方を並行させる場合の留意点
事案によっては、民事と刑事を並行させることが適切な場合もあります。資産が急速に散逸している場合、相手方が国外に出ようとしている場合、書類の偽造という明確な事実がある場合などです。並行させる場合には、いくつかの点に注意します。
- 民事の書面と刑事の申告書面とで、主張する事実が食い違わないようにします。食い違いは、いずれの手続でも不利に働きます。
- 刑事の手続で捜査機関に提出した資料の原本が戻らないことがありますので、提出の前に写しを取り、民事で用いる分を確保します。
- 刑事の手続が動いている間、相手方の代理人との交渉は事実上止まることがあります。和解による早期の解決を望むのであれば、この点を織り込んで判断します。
- 相手方に前科や前歴があるかどうか、同種の紛争を他にも抱えているかどうかによって、捜査機関の対応が変わることがあります。同じ相手方から被害を受けたとする方が他にもいる場合には、その方々と歩調を合わせることが有効な場合があります。
相手方から刑事の問題として申し立てられた場合の初動
立場が逆になる場合もあります。譲り渡した後になって、買主から「決算書に虚偽があった、詐欺である」として告訴されたと告げられる、あるいは警察署から連絡が入る、という場面です。この場合の初動は、その後の展開を大きく左右します。動揺したまま独りで対応することは、避けるべきです。
連絡を受けた直後に行うこと
まず、資料を確保します。交渉の過程で交わした電子メール、企業概要書、買主に交付した決算書とその控え、デュー・ディリジェンスで提出した資料の一覧と提出の記録、株式譲渡契約書とその添付資料、開示事項を記載した別表、そして議事録類です。特に、買主側から発せられた質問と、それに対するこちらの回答の記録は要となります。買主が調査の過程で問題点を認識していた、あるいは認識し得たという事情は、こちらの説明を支える材料になります。
次に、事実の時系列表を作ります。いつ、誰が、誰に対し、どの資料を渡し、何を述べたかを、日付順に並べます。記憶が鮮明なうちに作成することが大切です。そのうえで、弁護士に相談します。刑事の事件を扱う弁護士と、M&Aの契約に通じた弁護士のいずれもが関わることが望ましい場面です。弁護士法人M&A総合法律事務所においても、こうした双方の性質を帯びた事案のご相談をお受けしています。
供述をする前に確認しておくこと
捜査機関から事情を聴かれる場合、その聴取が参考人としてのものか、被疑者としてのものかを確認します。位置付けによって、置かれている状況が異なります。聴取に応じるかどうか、応じる場合にどの範囲で述べるかは、弁護士と相談したうえで決めます。
供述調書は、自分の言葉がそのまま記載されるとは限りません。署名や押印を求められた際には、必ず全文を読み、記憶と異なる部分があれば、その場で訂正を申し立てます。訂正に応じてもらえない場合、署名を控えることも選択肢です。また、記憶があいまいな事柄について、資料を確認しないまま断定的に述べることは避けます。後に資料と食い違いが生じれば、そのこと自体が不利に働きます。
社内及び取引先への説明
捜査が始まると、事業への影響が生じます。従業員が動揺し、取引先や金融機関から問い合わせが来ることがあります。この段階での説明は、確定していない事柄を断定せず、事実として確認できた範囲にとどめます。誰が窓口となるかを決め、複数の者がばらばらに説明する状態を避けます。
あわせて、対象会社の事業の継続に必要な措置を検討します。金融機関との取引、主要な取引先との契約、許認可の維持といった事項について、影響が及ぶ範囲を早い段階で把握しておきます。刑事の手続そのものへの対応と、事業を止めないための対応とは、別の作業として並行して進める必要があります。
刑事と民事の境界を見極めるための確認事項
最後に、実際の場面でどちらの問題として扱うべきかを判断するために、順に確認していただきたい事項を整理します。相談に来られる前にこれらを整理しておくと、方針の検討が格段に早くなります。
事実として何が起きたのかを分解する
「だまされた」という一つの言葉の中には、通常、複数の出来事が含まれています。決算書の数字の問題、開示されなかった債務の問題、譲渡後の資産の持ち出しの問題は、それぞれ別の事実であり、評価も異なります。まず、出来事を一つずつに分解し、それぞれについて、いつ起きたのか、誰が関与したのか、どの資料に表れているのかを書き出します。
次に、それぞれの出来事について、契約書のどの条項に関係するかを対応させます。表明保証の条項、補償の条項、決済までの間の運営に関する条項、開示事項を記載した別表のどれに関わるのかを見ます。契約の条項に対応する出来事であれば、まず民事の枠組みで検討することになります。契約の枠組みの外で、財産が動かされた、書類が作られたという事実があれば、刑事の問題として検討する余地が生じます。
証拠の重さを見積もる
集まった資料を、客観的な資料と、当事者の説明とに分けます。客観的な資料とは、預金の入出金明細、登記事項証明書、電子メール、会計ソフトの入力履歴、税務申告書の控えなど、後から作り直すことが難しいものです。当事者の説明とは、面談での発言や、後から作成された報告書です。刑事の問題として検討する余地があるかどうかは、客観的な資料がどれだけあるかにおおむね比例します。
相談の際に持参する資料
弁護士に相談される際には、次の資料をお持ちいただくと、初回から具体的な検討ができます。
- 株式譲渡契約書その他の契約書の一式(添付の別表を含みます)
- 基本合意書、秘密保持契約書、意向表明書
- 買主に交付した決算書、試算表、企業概要書
- デュー・ディリジェンスの過程で交わされた質問と回答の記録
- 交渉の経緯が分かる電子メール及び通信手段上のやり取り
- 対象会社の預金の入出金明細(争いのある時期の前後を含みます)
- M&A仲介業者又はファイナンシャル・アドバイザーとの契約書及び担当者とのやり取り
- ご自身で作成した時系列表
資料が全部揃っていなくても差し支えありません。揃っていないこと自体が方針を決める要素になります。むしろ、揃うまで待つことによって時効の期間が進み、あるいは相手方の資産が失われることのほうが問題です。
よくあるご質問
ここでは、刑事の問題と民事の問題の区別について、実際にお受けすることの多いご質問にお答えします。個別の事案では結論が変わり得ますので、あくまで一般的な考え方としてお読みください。
決算書に嘘があったのですから、詐欺として警察に届け出れば動いてもらえますか
決算書の記載が事実と異なっていたというだけでは、動くとは限りません。捜査機関が見るのは、相手方がその記載を虚偽であると知りながら、代金を得る目的で示したといえるかどうかです。したがって、決算書と総勘定元帳との食い違いを示す資料に加えて、相手方がその食い違いを認識していたことをうかがわせる資料、たとえば税理士からの指摘の書面や社内の電子メールを揃えることが要になります。これらがない段階では、民事の請求から着手し、その過程で資料を集めることが現実的です。
民事の訴訟と刑事の告訴は、両方同時に行ってよいのですか
制度上、両方を行うことは可能です。ただし、双方で主張する事実が食い違わないよう、書面を一元的に管理する必要があります。また、刑事の手続に提出した資料の原本が返還されない場合がありますので、提出の前に写しを確保します。並行させるべきかどうかは、資産の散逸のおそれ、書類の偽造といった明確な事実の有無、和解による早期の解決を望むかどうかによって判断が分かれます。
相手方に対し、支払わなければ告訴すると伝えてもよいのですか
お勧めしません。正当な権利を主張する場面であっても、その方法が相当な範囲を超えると評価されれば、脅迫や強要の問題となる余地があります。実務上は、民事の請求を根拠と金額を明示した書面で行い、刑事の申告を行う場合は捜査機関に対して独立して行う、という形で切り分けます。相手方とのやり取りは書面又は電子メールに限り、電話や面談での交渉は控えることが安全です。
告訴状を持って行ったところ、民事の問題だと言われて受け取ってもらえませんでした
実際によくあることです。多くの場合、事実の整理と証拠の対応付けが十分でないことが理由となっています。時系列に沿った事実の整理、行為ごとに対応する証拠の一覧、被害額の計算根拠を書面としてまとめ、証拠の写しを添えて再度提出する方法があります。弁護士に告訴状の作成と提出への同行を依頼することも考えられます。それでも受理されない場合には、民事の手続を先行させ、そこで得られた記録を踏まえて改めて検討する順序になります。
刑事で有罪になれば、支払ったお金は戻ってきますか
有罪の判決は、相手方に刑罰が科されることを意味するものであり、それだけでお金が戻るわけではありません。刑事の手続の中にも被害の回復に関わる制度は設けられていますが、対象となる犯罪の範囲や要件がありますので、すべての事案で利用できるわけではありません。金銭の回収を目的とされるのであれば、民事の請求と、相手方の財産の保全を軸に据えることになります。
譲渡代金を受け取る前に、売主が会社の預金を引き出していました。これは刑事の問題になりますか
検討の余地がある類型です。会社の財産を預かる立場にある者が、これを自分のものとして処分したと評価されれば、横領や特別背任の問題となる余地があります。判断の分かれ目は、引き出された時点が株式の移転の前か後か、その支出に会社の業務としての実質があったか、株式譲渡契約に決済までの間の運営を制限する条項が置かれていたかという点です。まず預金の入出金明細を全期間について取り寄せ、一件ごとに支出の相手先と名目を確認してください。
買主から詐欺だと言われて告訴されました。会社の事業は続けられますか
捜査が始まったことのみを理由として、事業を停止しなければならないわけではありません。もっとも、取引先や金融機関からの問い合わせが生じますので、説明の窓口を一本化し、確認できた事実の範囲で対応することが必要です。並行して、弁護士とともに、交付した資料と交渉の記録を整理し、こちらの説明を支える材料を確保します。買主がデュー・ディリジェンスの過程で当該事項を認識し、又は認識し得たという事情は、重要な意味を持つことがあります。
まとめ
M&Aをめぐる紛争において、刑事の問題と民事の問題は、目的も、動かす主体も、必要とされる証拠の重さも異なります。裏付けとなる客観的な資料があり、相手方が事実に反することを知りながら行ったといえる事情が示せる場面では、刑事の問題として検討する余地があります。他方、数字の見積りや将来の見通しに関する見解の相違にとどまる場面では、民事の枠組みで解決を図ることになります。
多くの事案では、民事の請求を先行させ、その過程で資料と相手方の説明を固めたうえで、必要に応じて刑事の申告を検討するという順序が実際的です。交渉の場で刑事の申告を持ち出すことは、かえって自らを危うくしますので、避けてください。逆に、相手方から刑事の問題として申し立てられた場合には、資料の確保と時系列の整理を最優先とし、供述をする前に弁護士に相談してください。いずれの立場であっても、初動の判断が結果を左右します。弁護士法人M&A総合法律事務所では、こうした民事と刑事の双方に関わる案件について、事実の整理から手続の選択までを一体としてご相談をお受けしています。
具体的な御相談をお考えの皆様へ
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