売主が買収後に同じ事業を始めた場合の競業避止義務と差止めの進め方

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売主が同じ事業を始めた場合の競業避止義務に関するメインのページです。本ページは、譲渡の後に競業を指摘された場面で、対象の範囲と差止めの手続をご説明します。引抜きの禁止の違反は別のページをご参照ください。

売主の立場から競業避止義務の違反を指摘された場面は会社売却後に元の顧客へ連絡したところ契約違反と指摘された場合を、競業避止義務そのものの一般的な内容はM&A後の競業避止義務違反とは?会社・元社長・元従業員が負う法的義務を解説を、それぞれ御覧ください。

買収の代金を払い終え、引継ぎも一区切りついたと思っていた頃に、営業担当者から「前の社長が近くで同じ商売を始めたようです」と報告が上がってくることがあります。登記を調べると、譲渡から半年ほどの時期に新しい会社が設立されており、代表者は売主の配偶者や子、あるいは元役員の名前になっていることも少なくありません。取引先に確かめると、すでに何社かは新会社と取引を始めているという話が出てきます。

この場面で買主が感じる憤りはもっともですが、憤りのままに動くと、かえって不利な立場に置かれます。売主が始めた事業が本当に契約で禁じられた事業に当たるのか、地域や期間の定めに当てはまるのかは、契約書の文言と実際の事業の中身を突き合わせて初めて判断できます。要求の根拠が弱いことに後から気づき、引くに引けなくなるという展開は避けたいところです。

本稿では、中小企業を買収した買主の方を念頭に、競業を避ける義務の範囲をどう確定し、どのような手続で差止めを求め、損害をどう立証していくかを順に述べます。この種の事案の勝敗は、法律論よりも、契約の文言の読み方と、事実を裏づける資料をどれだけ早く押さえられるかで決まる場合が多くあります。

Contents
  1. 競業を避ける義務の条項を確認する
    1. 契約書のどの条項を見るか
    2. 誰が義務を負っているか
    3. 契約に定めがない場合の会社法の規定
    4. 株式譲渡の場合には当然には適用されない
    5. 契約に定めがない株式譲渡でも争える余地
  2. 対象となる事業、地域及び期間
    1. 対象となる事業の範囲
    2. 地域の範囲
    3. 期間の長さと起算点
    4. 制限が広すぎる条項は効力が制限される余地がある
  3. 売主の行為が競業に当たるか
    1. 名義と実質のずれをどう見るか
    2. 従業員の引抜きと取引先の勧誘
    3. 競業に当たらないと判断される場合
  4. 差止めを求める手続
    1. まず通知書を送る
    2. 仮処分による暫定的な差止め
    3. 本案の訴訟と履行の確保
  5. 顧客の流出と損害額
    1. 逸失利益をどう組み立てるか
    2. 違約金の条項がある場合
    3. 立証が尽くせない場合の扱い
  6. 集めるべき証拠
    1. 自社の中にある資料
    2. 外部から集める資料
    3. 手元にない資料をどう得るか
  7. 交渉及び訴訟
    1. 交渉での着地点をどこに置くか
    2. 訴訟を選ぶ場合の見通し
    3. 表明保証や補償の条項との関係
  8. よくあるご質問
    1. 契約書に競業を禁じる条項がない場合、まったく請求できないのでしょうか
    2. 新会社の代表者は売主の配偶者ですが、請求できるでしょうか
    3. 競業を禁じる期間が10年と定められていますが、そのまま有効でしょうか
    4. 売上が落ちたことは分かりますが、損害額をどう計算すればよいでしょうか
    5. 売主が競業しているらしいと聞いたばかりですが、今すぐ何をすべきでしょうか
    6. 取引先が売主の新会社と取引を始めてしまいました。取引先にも責任を問えるでしょうか

競業を避ける義務の条項を確認する

最初にすることは、売主への抗議でも取引先への説明でもありません。手元の契約書を開き、競業を避ける義務がどのような文言で定められているかを読み直す作業です。中小企業のM&Aでは、譲渡代金が1億円から10億円程度の規模であっても、競業に関する条項が定型的な一文で済まされていることがあり、その一文の解釈がそのまま結論を分けます。

契約書のどの条項を見るか

株式譲渡契約書であれば、「競業の禁止」「競業避止」といった見出しの条項が置かれているのが通常です。あわせて、従業員の引抜きを禁じる条項、取引先の勧誘を禁じる条項、秘密を保持する義務の条項も確認します。売主の行為が競業の条項には触れなくても、勧誘の禁止や秘密の保持の条項には触れる場合があるからです。違約金の条項、解除の条項、管轄の裁判所を定める条項の有無も、この段階で押さえます。

誰が義務を負っているか

次に確認すべきは、義務を負う主体の範囲です。契約書に署名しているのが売主本人だけであれば、原則として義務を負うのはその本人です。売主の親族が経営する別の会社が同じ事業を始めた場合に請求できるかどうかは、「売主は、その親族及び自己が支配する法人をして本条の義務を遵守させる」といった趣旨の定めがあるかで大きく変わります。定めがない場合には、名義上の主体と実質的な主体が異なることを事実として立証していく必要が生じます。

契約に定めがない場合の会社法の規定

契約書に競業の条項が見当たらない場合でも、直ちに諦める必要はありません。会社法には、事業を譲り渡した会社について、当事者の別段の意思表示がない限り、同一の市町村及びこれに隣接する市町村の区域内において、譲渡の日から20年間は同一の事業を行ってはならないという定めが置かれています(会社法第21条第1項)。特約でこの期間を延ばすこともできますが、30年を超えることはできないとされています(同条第2項)。さらに、これらの期間にかかわらず、不正の競争の目的をもって同一の事業を行うことは禁じられています(同条第3項)。個人が営む商売を譲り渡した場合についても、商法に同様の趣旨の定めがあります。

株式譲渡の場合には当然には適用されない

ここに重要な違いがあります。今申し上げた会社法の定めは、事業そのものを譲り渡す取引、すなわち事業譲渡を対象とするものであり、株式を譲り渡す取引には当然には適用されません。株式譲渡では、事業を営む会社そのものは何ら変わらず、その株主が入れ替わるだけです。事業を譲り渡した者が存在しない以上、事業の譲渡人に課される競業の禁止の規定を、そのまま株式の譲渡人に及ぼすことはできないと解されています。中小企業のM&Aの多くは株式譲渡の形をとりますので、この違いは実務上きわめて大きな意味を持ちます。株式譲渡において売主に競業を避ける義務を負わせるには、契約でその旨を明確に定めておかなければならないわけです。

契約に定めがない株式譲渡でも争える余地

もっとも、株式譲渡の契約に競業の条項がない場合に、買主が常に無力とは限りません。売主が在職中に築いた顧客の名簿や仕入先の情報を持ち出して使用しているのであれば、営業秘密の不正な使用の問題として、不正競争防止法に基づく請求を検討する余地があります。売主が譲渡の後も役員や顧問として残る約束をしていた場合には、その地位に伴う義務の違反として構成できることもあります。交渉の過程で売主が競業しない旨を明言していた事実が議事録や電子メールに残っていれば、黙示の合意があったと主張する余地も生じます。

対象となる事業、地域及び期間

競業を避ける義務の条項が存在することを確認できたら、次はその射程を確定します。条項は通常、禁じられる事業の内容、地域の範囲、期間の長さという三つの要素で構成されています。売主の新しい事業がこの三つのすべてに当てはまって初めて、条項に違反したと言えます。一つでも外れていれば、その条項を根拠とする請求は成り立ちません。

対象となる事業の範囲

「対象会社が現に営む事業と同一又は類似の事業」といった書き方が多く見られますが、この「類似」の判断が争いの中心になります。取り扱う商品や役務の内容、想定する顧客の層、価格の帯、必要となる許認可、営業の方法といった要素を並べて比較します。譲り受けた会社が法人向けに設備の保守を請け負っていたところ、売主が個人の住宅向けの修繕業を始めた場合には、同じ工事であっても顧客も営業の方法も異なり、類似と評価されないことがあり得ます。他方、屋号や取扱商品の構成がよく似ており、同じ取引先を回っているのであれば、類似と評価される方向に傾きます。売主の言い分を鵜呑みにせず、買主の側も印象だけで判断せず、要素ごとに比較してください。

地域の範囲

地域の定めは、「日本国内」「本店の所在する都道府県及び隣接する都道府県」「営業所から半径50キロメートルの範囲」といった形で書かれます。注意すべきは、譲り受けた会社の実際の商圏と条項の定める地域とが一致しているとは限らない点です。近隣の数市町村でしか商売をしていないのに条項が日本国内と定めている場合、その条項は売主の職業を選ぶ自由を過度に制約するものとして効力を争われる可能性があります。通信を用いて全国の顧客に役務を提供する事業では、地域という基準自体が機能しにくく、対象事業と期間の定めがより重い意味を持ちます。

期間の長さと起算点

期間は、譲渡の実行の日から3年、5年といった定めが一般的です。まず確認すべきは起算点であり、契約を締結した日か、代金を決済して株式を引き渡した日か、売主が役員を退任した日かによって、満了の時期が数か月から1年以上ずれることがあります。売主が退任の後も顧問として関与していた場合には、顧問契約の中に別の競業の条項が置かれていることもあります。期間が既に満了していれば競業の条項を根拠とする請求はできませんが、秘密を保持する義務の条項は期間の定めがないか、より長く設定されていることがあり、そちらでの構成が残る場合があります。

制限が広すぎる条項は効力が制限される余地がある

買主として押さえておくべき点として、競業を避ける義務の条項は、書いてありさえすればそのまま全面的に通用するとは限りません。この種の条項は売主が職業を選び営業を営む自由を制約するものですから、目的に照らして合理的な範囲を超える場合には、公の秩序又は善良の風俗に反するものとして、その全部又は一部の効力が否定される余地があります(民法第90条)。裁判所は一般に、譲渡の対価の額、売主が顧客との関係や技術情報にどの程度関与していたか、禁じられる事業の範囲、地域の広さ、期間の長さ、代償となる措置の有無といった要素を総合して判断するものと理解されています。

したがって、「日本国内において一切の事業を20年間行ってはならない」といった極端に広い条項をそのまま振りかざしても、思うような結果は得られない可能性があります。むしろ、譲り受けた事業の価値を守るために本当に必要な範囲を見定め、その範囲で請求を組み立てる方が通りやすくなります。

売主の行為が競業に当たるか

条項の射程を確定したら、売主の行為がその射程に入るかどうかを事実に即して検討します。ここでの誤りは、「新会社の代表者は売主ではないから請求できない」と早々に諦めることと、逆に「どう見ても同じ商売だから当然に違反だ」と決めつけることの両方にあります。名義と実質、行為の態様、条項の文言との対応を一つずつ確かめてください。

名義と実質のずれをどう見るか

売主が競業の条項を意識している場合、自らが代表者として名を連ねることは避け、配偶者、子、元役員、古くからの取引先の名義を用いることが実際にあります。ここで問題となるのは、その事業を実質的に営んでいるのが誰かという点です。手がかりとしては、新会社の設立の資金を誰が出したか、事務所や倉庫の賃貸借の名義と保証人が誰か、金融機関との折衝に誰が出ているか、従業員の採用を誰が決めたか、取引先への挨拶に誰が回ったかといった事実が挙げられます。登記簿の役員の欄だけでなく、実際に誰が意思を決めているかを示す事実を積み重ねる必要があります。

従業員の引抜きと取引先の勧誘

売主の行為は、競業そのものとして現れるとは限りません。売主が新たに事業を始めていなくとも、譲り受けた会社の従業員に声をかけて他社へ移らせている、取引先に「あの会社はもう自分が見ていない」と伝えて取引を打ち切らせている、という形をとることもあります。契約書に引抜きを禁じる条項や勧誘を禁じる条項があれば、これらは独立した義務の違反となり得ます。退職した従業員が自らの判断で応募した場合と、売主が積極的に働きかけた場合とでは評価が異なりますので、働きかけの有無と内容を確かめることが重要です。

競業に当たらないと判断される場合

他方で、売主の行為が条項に当たらないと判断される場面も現実にあります。譲渡の際に対象会社の事業の一部を明示的に競業の対象から除外していたのであれば、売主がその分野で事業を始めても違反にはなりません。売主が他社に雇用され従業員として働いているにすぎず、条項が「事業を営むこと」のみを禁じている場合には、文言上その行為を捉えられないことがあります。単に株式を保有しているだけで経営に関与していない場合も同様です。条項の文言に当てはまらない行為を無理に違反だと主張すると、交渉全体の説得力を損ないますので、当てはまる部分と当てはまらない部分を切り分けて整理してください。

差止めを求める手続

売主の行為が競業を避ける義務に違反すると判断できた場合、買主が取り得る手段は、行為をやめさせること、すなわち差止めと、生じた損害の賠償を求めることの二つに大別されます。顧客が日々流出している場面では、金銭の賠償を後から得るよりも、まず流出を止めることの方が事業にとって重要です。手続には段階があり、要する時間と費用、求められる立証の程度が異なります。

まず通知書を送る

多くの事案では、内容証明郵便による通知から始めます。通知書には、どの契約のどの条項に基づくのか、売主のどの行為が違反に当たるのか、何をいつまでに求めるのかを具体的に記載します。「競業行為を直ちにやめよ」とだけ書いた通知では、売主がどの行為をやめればよいのか判断できず、後に裁判所へ持ち込んだ際にも、買主が何を問題としていたのかが伝わりません。求める内容は、特定の取引先への営業の停止といった形に絞ることもでき、絞った要求の方が早期の解決につながる場合もあります。

仮処分による暫定的な差止め

通知に応じない場合、正式な訴訟の判決を待っていては損害が拡大するという事情があるときは、裁判所に仮処分を申し立てることを検討します。競業の停止を求める類型は、判決の確定を待たずに暫定的な地位を定めるものとして、仮の地位を定める仮処分に当たります(民事保全法第23条第2項)。この申立てでは、有効な競業の条項と売主の違反行為という権利の存在と、今止めなければ回復し難い不利益が生じるという保全の必要性の双方を、書面と資料で疎明する必要があります。審理は通常の訴訟より早く進みますが、多くの場合、裁判所は買主に対して担保として一定額を供託するよう求めます。事案の規模によっては相当の金額になりますので、資金の手当てを事前に検討しておいてください。

本案の訴訟と履行の確保

仮処分はあくまで暫定的な措置ですので、終局的な解決を得るには本案の訴訟を提起することになります。訴訟では、競業の停止を求める請求と、損害の賠償を求める請求を併せて立てることが一般的です。差止めを命じる判決を得ても売主が従わない場合には、履行しない期間に応じて一定額の金銭の支払を命じる間接強制という方法によって履行を促すことができます。判決の主文となる差止めの内容は、執行の段階で何をすればよいかが明確でなければなりませんので、事業の内容、地域、期間を特定した請求を立てる必要があります。

顧客の流出と損害額

差止めと並んで問題となるのが、既に生じた損害の回復です。この種の事案で買主が最も苦労するのは、違反の事実そのものではなく、その違反によっていくらの損害が生じたのかという点の立証です。売上が落ちたことは決算の数字で示せても、その落ち込みが売主の競業によるものだと結びつける作業には、相応の工夫が要ります。

逸失利益をどう組み立てるか

基本となる考え方は、売主の違反行為がなければ得られたはずの利益と、現実に得られた利益との差額を求めるというものです(民法第415条第1項)。実務では、流出した顧客を個別に特定し、その顧客から従前得ていた売上の額と利益率を掛け合わせ、失われた期間を乗じるという積上げの方法をとることが多くあります。この方法には、顧客ごとの取引の履歴、原価の資料、粗利益の率を示す資料が必要です。全社の売上高の減少額をそのまま損害と主張する方法は、景気の変動、仕入価格の上昇、他の競合先の参入といった要因を排除できず、そのままでは通りにくいと考えられます。

違約金の条項がある場合

契約書に、競業の条項に違反した場合の違約金や損害賠償の額の予定が定められている場合には、その条項を根拠に請求することが考えられます。当事者は損害賠償の額を予定することができるとされており(民法第420条第1項)、この定めがあれば、買主は損害の具体的な額を立証することなく、定められた額を請求できるのが原則です。もっとも、予定された額が実際の損害に比して著しく過大である場合には、一部の効力が否定される余地もあります。

立証が尽くせない場合の扱い

損害が生じたことは明らかであるものの、その性質上、額を立証することがきわめて困難な場合には、裁判所が口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づいて相当な損害額を認定する仕組みが置かれています(民事訴訟法第248条)。ただし、これは立証の努力を省いてよいという趣旨ではありません。損害の発生とその大まかな規模を裏づける資料を可能な限り提出した上で、なお精密な計算が困難であるという場面で機能する規定です。

集めるべき証拠

ここまで述べた請求のいずれについても、支えとなるのは資料です。しかも、この種の事案では、動き出すのが遅れるほど資料は失われていきます。売主の競業を疑った段階で、まず着手すべきは資料の確保です。

自社の中にある資料

手元にある資料から着実に押さえます。まず、株式譲渡契約書及びその附属の書面、覚書、変更の合意書の原本を確認します。次に、譲渡の前後それぞれの期間について、顧客ごと月ごとの売上の一覧を作成し、取引が減少あるいは停止した顧客を特定できる形にします。あわせて、売主の在職当時の顧客の名簿、見積書、価格の一覧、仕入先の一覧といった、持ち出しが疑われる情報の範囲を確定します。従業員の退職の時期の一覧と、退職者の転職先に関する情報も整理します。買収の交渉の過程で作成された議事録、電子メール、意向表明書、デュー・ディリジェンスの報告書も、競業に関する当事者の認識を示す資料として意味を持つことがあります。

外部から集める資料

次に、売主側の事業の実態を示す資料を集めます。新会社の登記事項証明書は誰でも取得でき、設立の時期、本店の所在地、役員の構成、目的の記載が分かります。売主の関与を示す資料としては、新会社のウェブサイト、会社の案内、求人の広告、交流サイトの投稿、業界の紙誌の記事などがあります。これらは削除されることがありますので、発見した時点で、日時が表示される部分を含めて画面全体を保存してください。取引先から「前の社長が挨拶に来た」といった話を聞いた場合には、聞き取った日時、相手方、内容を記録に残します。取引先から書面の交付を受けられれば有力ですが、取引先を紛争に巻き込みますので、関係への影響を考えた上で判断してください。

手元にない資料をどう得るか

新会社の帳簿や取引先との契約書といった売主側の内部の資料は、当然ながら買主の手元にはありません。訴訟においては、相手方や第三者が持つ文書の提出を裁判所に命じてもらう仕組みがあり(民事訴訟法第220条)、また、訴えの提起の前でも、あらかじめ証拠調べをしておかなければその証拠を使用することが困難となる事情があるときは、証拠を保全する手続を申し立てることができます。いずれも要件の定められた手続であり、どのような文書がどこにあるのかを一定程度特定して示す必要がありますので、外形から分かる事実を先に固めておくことが前提となります。なお、売主の事業所に無断で立ち入るといった方法は、それ自体が違法な行為となり、得られた資料も使えないばかりか、こちらの立場を著しく悪くしますので、決して行ってはなりません。

交渉及び訴訟

資料が一定程度そろったら、どのように解決するかを選びます。訴訟が唯一の道ではありません。むしろ、事業を続けながら解決を図るという観点からは、交渉によって実質的な目的を達する方が望ましい場合も多くあります。ここでは、それぞれの選択肢の意味と、判断の際に考慮すべき点を述べます。

交渉での着地点をどこに置くか

交渉においては、売主の事業を完全に止めさせることだけが解決ではありません。実務上の着地点としては、特定の取引先への営業を行わないこと、譲り受けた会社の従業員に接触しないこと、残りの期間を区切って一定の地域では営業しないこと、既に流出した顧客について一定の金銭を支払うことといった内容が考えられます。売主の側にも、生活の糧を得る必要や長年の取引先との関係を保ちたいという事情があります。双方が受け入れられる線を探る方が、判決を得るよりも早く、履行も得られやすい場合があります。合意に至った場合には、内容を書面にし、違反した場合の違約金や公正証書の作成も検討してください。

訴訟を選ぶ場合の見通し

交渉が調わない場合や、売主が事実そのものを否認して協議に応じない場合には、訴訟を選ぶことになります。検討すべきは、要する期間と費用、そして得られる結果の見込みです。第一審の判決までに1年から2年程度を要することは珍しくなく、その間の弁護士費用及び訴訟の費用も負担となります。審理の過程では、顧客の一覧や利益の率といった情報が、相手方の目に触れる形で提出されることにもなります。

表明保証や補償の条項との関係

売主の競業は、競業の条項の違反であると同時に、他の条項の問題を伴っていることがあります。譲渡の時点で既に売主が新会社の設立の準備を進めていたのであれば、契約における表明保証の違反や、誠実に交渉する義務の違反が問題となる余地があります。表明保証に基づく補償の請求には、通常、請求できる期間の制限や、一定額を超えた部分のみを請求できるといった制限が定められていますので、期間が過ぎないうちに、競業の条項に基づく請求と併せて検討することが重要です。譲渡代金の一部を分割で支払っている途中であれば、支払を留保できるかどうかも契約の文言に照らして確認してください。

よくあるご質問

ここでは、売主の競業が問題となる場面で、買主の方から実際に寄せられることの多い疑問を取り上げます。いずれも事案の内容によって結論が変わり得るものですので、一般的な考え方を示すものとしてお読みください。個別の判断にあたっては、契約書の文言と具体的な事実を確認する必要があります。

契約書に競業を禁じる条項がない場合、まったく請求できないのでしょうか

株式譲渡の場合、事業譲渡について定められた会社法の競業の禁止の規定は当然には適用されませんので、契約に定めがなければ、競業それ自体を理由とする請求は難しくなります。ただし、売主が顧客の名簿や技術の情報を持ち出して使用しているのであれば営業秘密の問題として、売主が譲渡の後も役員や顧問として関与していたのであればその地位に伴う義務の問題として、それぞれ請求を検討する余地があります。

新会社の代表者は売主の配偶者ですが、請求できるでしょうか

名義がどうであれ、実質的に売主がその事業を営んでいると評価できる場合には、売主の義務の違反として構成し得ます。設立の資金の出所、事務所の賃貸借の名義、取引先への挨拶に誰が回ったか、従業員の採用を誰が決めたかといった事実を積み重ねることになります。契約書に、売主が親族や自己の支配する法人にも義務を遵守させる旨の定めがあれば、より主張しやすくなります。

競業を禁じる期間が10年と定められていますが、そのまま有効でしょうか

期間が長いというだけで直ちに無効となるわけではありませんが、譲渡の対価の額、売主が事業に関与していた程度、禁じられる事業や地域の広さといった事情に照らして、制約が合理的な範囲を超えると判断されれば、その全部又は一部の効力が否定される余地があります。買主としては、条項の文言をそのまま押し通すことに固執するよりも、譲り受けた事業の価値を守るために本当に必要な範囲を見定めて請求を組み立てる方が、結果として通りやすい場合があります。

売上が落ちたことは分かりますが、損害額をどう計算すればよいでしょうか

全社の売上高の減少額をそのまま損害と主張する方法は、他の要因を排除できないため通りにくいと考えられます。流出した顧客を個別に特定し、その顧客から従前得ていた売上と利益の率を基に積み上げる方法が基本となります。契約書に違約金の定めがあれば、それを根拠とする請求も検討できます。損害の性質上その額を立証することが極めて困難な場合に、裁判所が相当な損害額を認定する仕組みもありますが、これに頼る前に、できる限りの資料を整えることが前提となります。

売主が競業しているらしいと聞いたばかりですが、今すぐ何をすべきでしょうか

まず、証拠となり得る情報の保存です。新会社のウェブサイトや求人の広告、交流サイトの投稿は削除される可能性がありますので、日付が分かる形で保存してください。次に、顧客ごとの売上の推移を作成し、取引が減った先を特定します。あわせて契約書の競業の条項を確認します。売主本人への連絡は、これらの確認を終え、要求の内容を具体的に定めてから行う方が安全です。

取引先が売主の新会社と取引を始めてしまいました。取引先にも責任を問えるでしょうか

取引先は原則として競業を避ける義務の当事者ではありませんので、単に取引先を変えたというだけで責任を問うことは難しいと考えられます。取引先が売主の義務の違反を知りながら積極的に加担したといえる特別の事情がある場合に、別途の検討の余地が生じるにとどまります。実務的には、取引先を相手方とするより、取引先から事情を聞き取り、売主に対する請求の資料として活かす方が現実的です。取引関係を維持したい先であれば、なおさら慎重な対応が求められます。

具体的な御相談をお考えの皆様へ

本ページの主題に関し、当事務所の取扱内容、対応の進め方及び費用の考え方は、次の御案内のページに整理しています。あわせて御覧ください。