会社売却後に元の顧客へ連絡したところ契約違反と指摘された場合

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元の顧客への連絡を指摘された場合に関するメインのページです。本ページは、会社を売却した後に契約違反を指摘された場面で、勧誘と連絡の違いと立証をご説明します。元の従業員の採用の指摘は別のページをご参照ください。
競業避止義務そのものの一般的な内容はM&A後の競業避止義務違反とは?会社・元社長・元従業員が負う法的義務を解説で述べておりますので、あわせてご覧ください。
会社を売却してから半年ほどが過ぎ、長年お付き合いのあった取引先の社長から食事に誘われた。あるいは、創業のころから世話になった得意先の会長のご葬儀に参列し、久しぶりに旧知の方々と言葉を交わした。そうした出来事の後で、買主の代理人弁護士から書面が届き、「株式譲渡契約の競業避止義務及び顧客の勧誘の禁止に違反する行為であるから、直ちに中止し、違約金を支払われたい」と記されている。中小企業のM&Aでは、このような通知が売主のもとに届く例が実際にあります。
この書面を受け取られた元経営者の方が驚かれるのは、ご自身では取引を奪うつもりなど全くなく、長年の人間関係の延長として連絡をしただけだからです。ところが買主の側から見ますと、売却後に前の経営者が顧客と接触しているという事実だけで、取引が引き抜かれるのではないかという強い警戒が生じます。この認識の隔たりが、そのまま紛争になります。中には、顧客の側から相談を持ちかけられて応じただけの場面で、違約金を請求されている例もあります。
もっとも、株式譲渡契約に署名した以上、売却後の行動が一切自由であるとはいえません。他方で、契約に定められた義務は、元経営者と顧客との通常の人間関係までを一律に断ち切ることを予定したものとは限りません。本稿では、競業避止義務、顧客の勧誘の禁止、秘密保持という三つの義務を区別したうえで、顧客へ連絡したという具体的な場面に絞って、何を確認し、どの資料を集め、どのような順序で対応していくかを整理します。
どの条項に基づく指摘なのかを特定する
最初にすべきことは、反論の文案を考えることではなく、買主がどの条項を根拠にしているかを特定することです。買主の書面には「契約に違反する」とだけ記され、条項の番号や違反行為の内容が具体的に書かれていないことが少なくありません。根拠が特定されないまま議論を始めますと、売主の側が心当たりを次々と説明してしまい、買主が把握していなかった事実まで自ら提供する結果になります。まず条項を確定し、その条項の要件に沿ってのみ検討します。
契約書のどこを見るか
該当する条項は、株式譲渡契約の後半、実行後の当事者の義務を定めた部分に置かれているのが通例です。表題は「競業避止」「勧誘の禁止」「秘密保持」などとされています。加えて、次の書面も併せて確認してください。役員を退任する際に提出した誓約書、売却後に締結した顧問契約や業務委託契約、基本合意書に定められて最終契約に引き継がれた条項、そして対象顧客や対象事業を列挙した別紙です。義務が複数の書面に分かれて定められていることは珍しくありません。売主が署名したすべての書面を一度机の上に並べ、日付順に整理することから始めます。
三つの義務はそれぞれ別のものです
競業避止義務とは、一定の期間、一定の地域において、対象会社と同種の事業を自ら営み、又は他社の役員等としてこれに関与しないという義務です。顧客の勧誘の禁止とは、対象会社の顧客に対して、取引を他へ移すよう働きかけないという義務です。秘密保持義務とは、対象会社の営業上又は技術上の情報を第三者に漏らさず、自らも用いないという義務です。三つは重なる場面もありますが、要件は別です。顧客に連絡したという事実だけでは、同種の事業を営んだことにはなりませんので、競業避止義務の問題としては成り立ちにくい場面が多くあります。買主の書面が競業避止義務のみを根拠としている場合、そもそも指摘の枠組みが事案に合っていない可能性を検討すべきです。
期間、地域、対象の範囲を読む
条項を特定したら、次に射程を読みます。期間は実行日から2年か3年か、地域の限定はあるか、対象となる顧客はどう定義されているかを確認します。「対象会社の顧客」という語には定義条項が付されていることが多く、実行日前1年以内に取引のあった者に限る、一定額以上の取引先に限る、別紙記載の者に限る、といった限定が置かれている例があります。連絡の相手方がこの定義に含まれない場合、そもそも条項の適用範囲外です。あわせて、違約金の定めの有無、金額、1件ごとの計算か総額かも確認します。
顧客の勧誘と単なる連絡との違い
この種の紛争で中心となる争点は、売主の行為が「勧誘」といえるかどうかです。条項の多くは「勧誘してはならない」「働きかけてはならない」と定めており、顧客と接触すること自体を一律に禁じているわけではありません。したがって、連絡したという事実の有無ではなく、その連絡の内容と目的が問われます。買主の書面が「接触した事実がある」とだけ述べている場合、それは条項の要件を満たす主張になっていません。
勧誘にあたり得る行為
取引を移すよう働きかけたと評価されやすいのは、次のような行為です。売主が関与する新たな会社の事業内容や価格を記した案内を送ること、見積書や提案書を提示すること、対象会社との契約を解約するよう求めること、契約書の案を送ること、対象会社と自社との条件を比較した資料を示すこと、取引の開始時期を協議することなどです。これらは、内容そのものが取引の移転を目的としていますので、「久しぶりの挨拶にすぎない」という説明は通りにくくなります。
通常の人間関係に基づく連絡
他方で、年賀状や暑中見舞いの送付、葬儀や法要への参列、同窓会や地域の会合での会話、業界団体の行事への出席、退任の挨拶状の送付、近況を尋ねる電話といった行為は、取引の移転を目的とするものではありません。中小企業の経営者と取引先との関係は、20年、30年にわたる個人的な信頼の上に築かれていることが通例であり、売却によってその関係が消滅するわけではありません。これらの連絡が直ちに勧誘にあたると評価されるとは限りません。ただし、挨拶の場で新たな事業の話に及んだ場合には、その部分が別に評価される余地があります。挨拶と営業とを、時間的にも内容的にも分けておくことが実際上の防御になります。
相手方から求められた場合
顧客の側から「売却後に対応が変わって困っている」「相談に乗ってほしい」と連絡があり、これに応じたという場面も多くあります。勧誘とは、通常、能動的に働きかける行為を指しますので、相手方からの求めに応じただけであれば、勧誘には当たらないと主張する余地があります。もっとも、条項が「勧誘」ではなく「取引をしてはならない」「役務を提供してはならない」と定めている場合には、働きかけの有無にかかわらず結論が変わります。ここでも、条項の文言を読むことが出発点になります。
記録として残しておくこと
後日の説明のために、連絡の日時、手段、相手方、話した内容の要点を記録に残してください。特に、相手方から先に連絡があったことを示す資料は重要です。着信の履歴、受信した電子メール、招待状、会合の案内などを保存します。記憶に頼った説明は、時間の経過とともに揺らぎ、かえって信用を損ないます。記録は、指摘を受けてから作り直すのではなく、その都度残しておくことが望まれます。
秘密情報を用いたといえるか
買主の書面には、しばしば「対象会社の顧客名簿を用いた」という主張が併せて記載されます。秘密保持義務の違反は、契約上の違約金の対象となるほか、不正競争防止法上の問題として扱われる場合もありますので、勧誘の点とは別に検討する必要があります。ここでの分水嶺は、資料を持ち出したかどうかです。
資料の持ち出しと記憶との区別
顧客名簿の写し、電子データの複製、業務用の電子メールの私用のアドレスへの転送、退任後も使用し続けた業務用端末といった事情がある場合、秘密情報を用いたという主張は現実味を帯びます。他方、長年その会社を経営してきた者が、主要な取引先の社名や担当者の顔と名前を記憶していることは自然なことであり、記憶に基づいて連絡したにとどまる場合には、情報を持ち出したという評価には直ちに結び付きません。まずご自身で、退任時に何を返還し、何を削除したか、私用の端末や記憶媒体に業務上の資料が残っていないかを確認してください。名刺の扱いについても、返還や廃棄の合意があったかどうかを確認します。
秘密情報にあたらない情報
顧客の社名や所在地が、会社案内、ウェブサイト、業界の名鑑、公的な入札の公表資料などから誰でも知り得る場合、その情報は公然と知られたものといえます。不正競争防止法第2条第6項は、営業秘密を、秘密として管理されている事業活動に有用な情報であって公然と知られていないものと定めています。したがって、社内で誰でも自由に閲覧でき、施錠も権限の設定もされていなかった名簿は、法律上の営業秘密には当たらないと主張する余地があります。ただし、株式譲渡契約における「秘密情報」の定義は、法律上の営業秘密より広く定められていることが通例です。契約上の義務と法律上の保護とは別に検討してください。
買主が示すべき立証の資料
売主の側が先に弁明を並べる必要はありません。義務の違反を主張するのは買主ですから、まず、その主張を裏付ける事実と資料の開示を求めます。開示を求めること自体は、争う姿勢を示すものではなく、検討に必要な手続として穏当に伝えられます。
開示を求めるべき事項
- どの顧客に対し、いつ、どのような方法で、どのような働きかけがあったとするのか、その具体的な特定
- その根拠となる資料、すなわち顧客からの報告書や陳述書、電子メールの写し、提案書や見積書の現物
- 当該顧客との取引が実際に減少し、又は終了したことを示す売上の推移の資料
- その取引が売主又は売主の関与する会社に移ったことを示す資料
- 秘密情報を用いたとする場合は、どの情報が、どのように秘密として管理されていたかの説明
- 請求額の計算根拠、違約金の条項に基づく場合はその適用要件の充足に関する説明
これらのうち、特に重要なのが、取引の減少と売主の行為との結び付きです。買主の主張が、売主が顧客と会った時期と売上が落ちた時期が近いという点にとどまるのであれば、それは推測にすぎません。
取引が減った原因は他にもあります
売却後に取引が減る原因は、売主の行為以外にも多く考えられます。買主による値上げ、支払条件の変更、担当者の交代、納期や品質の低下、与信方針の厳格化、社名や屋号の変更に伴う信用の変動、業界全体の需要の減少などです。顧客が取引を減らした理由は顧客自身に聞くほかありませんので、買主が顧客から取得した報告書があるのであれば、その全文の開示を求めます。抜粋のみが示されている場合、前後の文脈で評価が変わることがあります。
違約金の定めがある場合
契約に1件あたりの違約金額が定められていることがあります。民法第420条第1項は、当事者が債務の不履行について損害賠償の額を予定することができると定めており、この定めがある場合、買主は損害額の立証を要しないのが原則です。もっとも、それは条項の適用要件が満たされていることが前提です。勧誘の事実がない、対象顧客の定義に含まれない、期間が経過しているといった反論は、違約金の定めがあっても妨げられません。金額の当否を論じる前に、要件の充足を争うことが順序になります。
差止めの請求を受けた場合
中小企業のM&Aにおいても、買主の対応が書面による警告にとどまらず、裁判所の手続に進むことがあります。売主の行為を止めることを求める場合、本案の訴訟の判決を待たずに、仮処分の申立てがされる例があります。この手続は進行が速く、対応の遅れがそのまま不利益になりますので、書面を受け取った時点で速やかに準備に入る必要があります。
仮の地位を定める仮処分の手続
民事保全法第23条第2項は、争いがある権利関係について、債務者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるために必要があるときに、仮の地位を定める仮処分命令を発することができると定めています。この類型の仮処分では、通常、審尋の期日が指定され、双方が主張と疎明の資料を提出します。期日までの期間は数週間程度と短いことが多く、その間に陳述書と資料を整えることになります。なお、命令が発せられる場合には、申立てをした側が担保を立てることを求められるのが通例です。
期日までに整えるもの
準備すべきは、売主自身の陳述書、連絡の日時と内容を示す記録、相手方から先に連絡があったことを示す資料、退任時に資料を返還し又は削除したことを示す記録、現在の業務の内容を示す資料です。現在、対象会社と同種の事業を営んでいないのであれば、その事実を客観的に示す資料、たとえば現在の職務の内容や、関与する会社の事業目的を示す資料を用意します。
差止めの範囲を争う
争い方は、請求の全部を否定することに限られません。求められている差止めの範囲が、契約の定めより広いことがあります。対象顧客の範囲、禁止される行為の内容、期間のいずれについても、契約に定められた限度を超える部分は理由がないと主張し得ます。契約の期間の残りが数か月であれば、その点も考慮されます。実務上は、審尋の過程で、対象と期間を限定した内容での解決に至る例もあります。
回答書の作成と和解による解決
買主の書面に対しては、期限内に書面で回答するのが穏当です。電話で説明することは避けてください。口頭のやり取りは記録が残らず、後に「認めた」と主張される危険があります。回答は代理人を通じて行い、以後の連絡先を一本化する旨を明記しておくと、顧客や従業員への個別の接触を避けることにもつながります。
回答書に記載すべきこと
第一に、指摘の根拠となる条項の番号と、違反にあたるとされる具体的な行為の特定を求めます。第二に、事実関係のうち争いのない部分と争う部分を明確に分けます。連絡した事実自体を否定するのではなく、連絡はしたが取引の移転を働きかけたものではない、という形で整理するのが実際に即しています。第三に、前記の開示すべき資料の提出を求めます。第四に、検討のための期間を求めます。この段階で結論を出す必要はありません。
記載を避けるべきこと
買主が把握していない他の顧客との接触について、自ら列挙して説明することは避けてください。誠実に説明したつもりが、請求の対象を広げる結果になります。また、記憶に頼った断定的な記述、買主や現在の経営陣を非難する記述も避けます。感情的な応酬は、和解の余地を狭めるだけでなく、後に裁判所に提出される資料として残ります。買主の顧客に対して、自ら経緯を説明して回ることも控えてください。
和解による解決の形
この種の紛争は、判決による白黒よりも、当事者間の取決めによって収束することが多い類型です。和解の内容としては、残存する期間について特定の顧客への営業活動を控えること、連絡が許される範囲を書面で明確にすること、既に移転した取引の扱いを定めること、相互に誹謗しない旨と本件を公表しない旨を定めること、そして清算条項を置くことが考えられます。売主の側では、譲渡代金の一部が留保されている場合や、業績連動の追加代金が残っている場合、買主がこれらの支払を止める動きに出ることがありますので、和解の際にはその支払についても併せて取り決めておくことが望まれます。以上の検討を、条項の特定、行為の性質、秘密情報の有無、立証の資料という順序で進めることが、この場面での基本の道筋になります。
よくあるご質問
以下は、会社の売却後に元の顧客へ連絡された元経営者の方から、実際に多く寄せられるお尋ねです。いずれも契約の文言と個別の事情によって結論が変わり得る事柄ですので、一般的な考え方としてお読みください。
年賀状や暑中見舞いを出すことも契約違反になりますか
時候の挨拶を送ることは、取引の移転を働きかける行為ではありませんので、勧誘の禁止に触れると評価されるとは限りません。ただし、挨拶状に新たな事業の案内や連絡先の変更を記載し、取引を促す趣旨が読み取れる場合には、評価が変わる余地があります。挨拶と営業の案内とを同じ書面に混在させないことが安全です。
顧客の側から相談を受けました。応じてよいですか
相手方から求められて応じたにとどまる場合、能動的な働きかけがないため、勧誘には当たらないと主張する余地があります。もっとも、条項が取引そのものを禁じている場合には結論が異なりますので、まず契約の文言を確認してください。あわせて、相手方から先に連絡があったことを示す記録を保存しておいてください。
顧客名簿は持ち出していませんが、記憶している取引先に連絡しました。秘密保持義務の違反になりますか
資料を持ち出さず、経営者として当然に記憶している範囲の情報に基づいて連絡したにとどまる場合、秘密情報を用いたという主張には無理があると考えられます。もっとも、契約上の「秘密情報」の定義が広く定められている例もありますので、定義条項を確認する必要があります。事案により結論は異なります。
違約金として1件あたり数百万円を請求されました。支払わなければなりませんか
違約金の定めがある場合でも、その条項の適用要件が満たされていることが前提です。勧誘の事実があるか、相手方が対象顧客の定義に含まれるか、期間内の行為かといった点は、金額の議論とは別に争うことができます。まず要件の充足を検討し、次に金額の当否に進む順序が適切です。
競業避止義務の期間が過ぎていれば、顧客に自由に連絡してよいですか
競業避止義務の期間と、勧誘の禁止の期間、秘密保持義務の期間は、別々に定められていることがあります。秘密保持義務については期間の定めがなく、又は長期間とされている例も多く見られます。それぞれの条項の期間を個別に確認してください。
買主に直接会って誤解を解いてもよいですか
善意で説明に赴いた結果、発言の一部が「認めた」ものとして記録され、後に不利に用いられる例があります。やり取りは書面に一本化し、代理人を通じて行うことをお勧めします。事実関係の説明は、資料を確認したうえで行っても遅くはありません。
従業員に声をかけた場合も同じ扱いになりますか
従業員の勧誘の禁止は、顧客の勧誘の禁止とは別の条項として定められているのが通例であり、対象となる従業員の範囲や期間も別に定められています。転職を勧める行為と、退職後の元同僚と会食する行為とは性質が異なりますが、条項の文言によっては接触自体が制限されている場合もありますので、該当条項を確認してください。
具体的なご相談をお考えの皆様へ
本ページの主題に関し、当事務所の取扱内容、対応の進め方及び費用の考え方は、次のご案内のページに整理しています。あわせてご覧ください。


