前の経営者が退職を働きかけていた場合の責任追及

会社の株式を取得いたしましたが、譲渡の後に中核となる従業員が相次いで退職いたしました。退職した従業員から事情を聴きましたところ、前の経営者から「新しく会社を作るので来てほしい」と誘われていたことが判明いたしました。前の経営者は、株式譲渡契約において競業を行わない旨を約束していたはずです。責任を追及することはできるのでしょうか。このようなご相談をいただくことがあります。

結論から申し上げます。前の経営者が従業員に退職を働きかけていた場合には、株式譲渡契約における勧誘を行わない旨の誓約の違反、競業を行わない旨の誓約の違反、取締役としての義務の違反、不法行為という4つの根拠による責任の追及が考えられます。もっとも、いずれの根拠によるにせよ、働きかけの事実を示す資料が必要となります。本記事では、資料の収集と主張の組み立てを整理いたします。

第1節 まず契約の定めを確認いたします

 勧誘を行わない旨の誓約

株式譲渡契約においては、売主が決済の後の一定期間、対象会社の役員又は従業員に対して転職の勧誘を行わない旨が定められているのが通例です。

表1 勧誘を行わない旨の誓約において確認する事項

事項 確認の内容
期間 決済日から何年間か
対象者 役員のみか、従業員を含むか
行為の範囲 勧誘のみか、雇用することも含むか
義務者の範囲 売主本人のみか、その関係者を含むか
例外 公募への応募等が除外されているか
違約金 違反した場合の金額の定めがあるか

 競業を行わない旨の誓約

売主が一定の期間、対象会社と競合する事業を行わない旨が定められているのが通例です。前の経営者が新たに会社を設立して同種の事業を行っている場合には、この誓約の違反が問題となります。

期間、地域、事業の内容の範囲を確認いたします。また、売主本人が役員となる場合のみならず、実質的に関与する場合を含むかどうかも確認いたします。

 違約金の定め

誓約に違反した場合の違約金が定められている場合には、損害の額を立証することなく、その金額を請求することが考えられます。違約金は、賠償額の予定と推定されます(民法第420条第3項)。

この定めがある場合には、立証の負担が大幅に軽減されますので、まずこの点を確認いたします。

 差止めに関する定め

誓約に違反した場合に、その行為の差止めを求めることができる旨が定められていることがあります。この定めがある場合には、仮処分の申立てを検討することが考えられます。

第2節 働きかけの事実を示す資料

 資料の種類

表2 働きかけの事実を示し得る資料

資料 入手の方法
退職者からの陳述 面談による聴取と書面化
在籍者からの報告 勧誘を受けたが応じなかった者からの聴取
電子メール 対象会社が保有する記録
会社の通信の記録 業務用の機器における記録
新会社の登記事項証明書 設立の時期、役員の構成
新会社の求人及び広報 採用の状況、事業の内容
取引先からの情報 営業に関する接触の状況

 退職者からの聴取

退職した従業員から事情を聴くことが、最も直接的な方法です。もっとも、退職者は、前の経営者との関係から、協力を得られないことがあります。

聴取に際しては、任意の協力を求めるにとどめ、不当な圧力を加えることのないよう配慮する必要があります。

 在籍者からの報告

勧誘を受けたものの応じなかった従業員がいる場合には、その者からの報告が有力な資料となります。退職者よりも協力を得やすいことがあります。

 社内に残された記録

前の経営者が使用していた業務用の電子機器や、会社の電子メールの記録に、働きかけの痕跡が残っていることがあります。

もっとも、これらの記録の調査に際しては、個人情報及び通信の秘密に関する配慮が必要です。会社が業務上正当な目的により行う調査の範囲を超えないよう、進め方を検討する必要があります。

 新会社の状況

前の経営者が設立した会社の登記事項証明書を取得し、設立の時期、役員の構成、目的を確認いたします。設立の時期が退職の時期に先行している場合には、計画的な行動であったことをうかがわせる事情となります。

第3節 誓約の違反に基づく請求

 請求の内容

誓約の違反があった場合には、債務不履行に基づく損害賠償を請求することが考えられます(民法第415条第1項)。違約金の定めがある場合には、その金額を請求いたします。

また、誓約の履行として、勧誘の停止及び競業の中止を求めることが考えられます。

 「勧誘」の意味

前の経営者から、「従業員の方から相談を受けたにすぎない」との反論がされることがあります。この場合、いずれから接触したかが争点となります。

もっとも、従業員の側から相談があった場合であっても、その後に具体的な条件を示して転職を促した場合には、勧誘に当たると解する余地があります。誓約の文言と、具体的なやり取りの内容から判断することとなります。

 損害の主張

違約金の定めがない場合には、損害の額を主張し、立証する必要があります。代替の人員の採用に要した費用、業務の引継ぎに要した費用、外部への委託に要した費用、取引先の離脱により失われた利益が考えられます。

失われた利益については、退職がなければ得られたであろう利益を示す必要があり、立証は容易ではありません。

 通知

誓約の違反を主張する場合には、書面によりその旨を通知いたします。通知には、違反する行為の内容、根拠となる条項、求める措置、回答の期限を記載いたします。

内容証明郵便に配達証明を付すことにより、内容と到達の日を記録に残すことができます。

第4節 取締役としての責任

 譲渡後も取締役であった場合

前の経営者が譲渡の後も対象会社の取締役の地位にあった場合には、会社に対する任務懈怠責任が問題となり得ます(会社法第423条第1項)。

取締役は、会社に対して善良な管理者の注意をもって職務を行う義務を負い(会社法第330条、民法第644条)、また法令及び定款並びに株主総会の決議を遵守し、会社のため忠実にその職務を行わなければならないとされております(会社法第355条)。

 競業に関する規制

取締役が自己又は第三者のために会社の事業の部類に属する取引をしようとするときは、株主総会(取締役会設置会社にあっては取締役会)において、当該取引につき重要な事実を開示し、その承認を受けなければならないとされております(会社法第356条第1項第1号、第365条第1項)。

承認を受けずに競業を行った場合には、責任が問題となります。

 請求の主体

この責任を追及する主体は、対象会社です。買主自身ではありません。買主は、対象会社の株主として、会社に責任の追及を行わせることとなります。

 退任後の行為

取締役を退任した後の行為については、取締役としての義務に基づく責任を問うことは困難です。この場合には、契約上の誓約の違反又は不法行為によることとなります。

第5節 不法行為に基づく請求

 契約に定めがない場合

株式譲渡契約に勧誘を行わない旨の誓約が置かれていない場合であっても、不法行為に基づく損害賠償の請求が成り立つ余地があります(民法第709条)。

 違法と評価される場合

もっとも、従業員には職業を選択する自由があり、転職そのものを妨げることはできません。また、前の経営者が新たに事業を営むこと自体も、当然に違法となるものではありません。

違法と評価されるのは、勧誘の態様が社会通念上相当な範囲を著しく超える場合に限られます。

 考慮される事情

勧誘を受けた者の人数と職位、勧誘の時期と方法、対象会社の業務への影響の大きさ、虚偽の情報を伝えていたかどうか、計画性の有無といった事情が考慮されると考えられます。

中核となる従業員が一時に大量に引き抜かれ、対象会社の事業の継続が困難となった場合には、違法と評価される方向に働きます。

 新会社の責任

前の経営者が設立した会社についても、共同不法行為として責任を負う場合があります(民法第719条第1項)。また、前の経営者の行為について、使用者としての責任が問題となる場合もあります(民法第715条第1項)。

第6節 進め方

 資料の保全

まず、社内に残された記録を保全いたします。時間の経過により、記録が失われることがあります。

 通知

誓約の違反を主張する場合には、速やかに書面により通知いたします。通知が遅れますと、退職がさらに進み、損害が拡大いたします。

 差止めの検討

誓約に差止めに関する定めがある場合には、仮処分の申立てを検討いたします。もっとも、要件が厳格であり、認められる場面は限られております。

 補償の請求との関係

従業員に関する表明保証の違反が併せて問題となる場合には、契約上の請求期間内に通知を行う必要があります。誓約の違反に関する請求と、補償の請求とは、根拠が異なりますので、それぞれについて手続を進めます。

 残る従業員への対応

責任の追及と並行して、残る従業員の離職を防ぐことが重要です。法的な手段のみでは、事業の維持を図ることができません。

第7節 弁護士に相談する意味

この類型について弁護士が行う業務は、次のとおりです。第一に、株式譲渡契約における誓約の内容を確認し、違反の有無を検討することです。第二に、働きかけの事実を示す資料を収集し、記録として整理することです。第三に、違約金の定めの有無を確認し、請求の構成を判断することです。第四に、通知の書面を作成し、その後の交渉又は手続を進めることです。第五に、社内の記録の調査に際して、法令上の留意点を助言することです。

この類型においては、働きかけの事実を示す資料が結論を左右いたします。退職が続いている段階で、速やかに資料の保全に着手することが重要です。

具体的な資料の収集及び主張の組み立ては、契約の定め、退職の状況、前の経営者の行動等により異なり、当事務所が個別案件を通じて蓄積してきた実務上のノウハウにも属するため、本記事では詳細を開示しておりません。

よくあるご質問

質問1 従業員から相談があっただけだと言われました。

いずれから接触したかが争点となります。もっとも、従業員の側から相談があった場合であっても、その後に具体的な条件を示して転職を促した場合には、勧誘に当たると解する余地があります。具体的なやり取りの内容を確認いたします。

質問2 契約に勧誘を禁ずる定めがありません。

この場合には、競業を行わない旨の誓約の違反、又は不法行為に基づく請求を検討いたします。もっとも、不法行為として違法と評価されるのは、勧誘の態様が社会通念上相当な範囲を著しく超える場合に限られます。

質問3 社内のパソコンの記録を調べてもよいですか。

会社が業務上正当な目的により行う調査として、一定の範囲で認められる余地があります。もっとも、個人情報及び通信の秘密に関する配慮が必要ですので、進め方について事前に検討することをお勧めいたします。

質問4 損害の額をどのように主張しますか。

違約金の定めがある場合には、その金額を請求いたします。定めがない場合には、代替の人員の採用に要した費用、業務の引継ぎに要した費用、失われた利益を主張いたします。失われた利益の立証は容易ではありません。

質問5 退職した従業員本人にも請求できますか。

退職そのものを理由として責任を問うことはできません。他方、営業秘密を持ち出した場合や、退職後の競業避止に関する有効な定めに違反した場合には、別途の検討の対象となります。

弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談

弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕。東京都港区虎ノ門)では、譲受け後の従業員の引抜きに関するご相談をお受けしております。

  • 電話番号 03-6435-8418
  • 受付時間 8時00分から21時00分まで
  • 土曜日、日曜日及び祝日も受付いたします
  • ご相談は事前予約制です

ご相談の際に、株式譲渡契約書、退職届及び面談の記録、前の経営者が設立した会社の登記事項証明書、社内に残された記録をご用意いただけますと、検討が早く進みます。

弁護士費用は、弁護士費用一覧のページをご覧ください。結果は事案ごとに異なります。本記事の記載は一般的な説明であり、特定の結果を保証するものではありません。

本記事の根拠条文

民法 第415条第1項(債務不履行による損害賠償)、第420条(賠償額の予定)、第627条第1項(期間の定めのない雇用の解約の申入れ)、第644条(受任者の注意義務)、第709条(不法行為)、第715条第1項(使用者等の責任)、第719条第1項(共同不法行為者の責任)

会社法 第330条(株式会社と役員等との関係)、第355条(忠実義務)、第356条第1項第1号(競業の制限)、第365条第1項(取締役会設置会社における承認)、第423条第1項(役員等の株式会社に対する損害賠償責任)

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