譲り受けた会社の従業員が相次いで退職した場合に確認する事項

会社の株式を取得いたしましたが、決済から半年の間に、中核となる従業員が相次いで退職いたしました。技術を担う社員と、主要な取引先を担当していた営業の社員が含まれており、事業の継続に支障が生じております。売主は、譲渡の際に「従業員は残る」と説明しておりました。また、退職した従業員の一部は、前の経営者が新たに設立した会社に移ったとの情報もあります。どのように対応すればよいのでしょうか。このようなご相談をいただくことがあります。

結論から申し上げます。この類型においては、まず事実を確定することが第一です。退職の時期、理由、退職後の就業先、前の経営者の関与の有無を確認いたします。そのうえで、株式譲渡契約における表明保証及び誓約の違反、前の経営者の競業避止義務の違反、退職者による営業秘密の持出しという3つの観点から、採り得る手段を検討いたします。あわせて、残る従業員の離職を防ぐことが、事業の維持において最も重要となります。本記事では、確認すべき事項を順に整理いたします。

第1節 まず事実を確定いたします

 退職の状況の整理

表1 整理すべき事項

項目 確認の内容
退職の時期 退職の申出の日、退職の日
職位及び担当 担っていた業務、代替の可否
退職の理由 退職届の記載、面談における説明
退職後の就業先 判明している範囲
申出の時期の集中 複数の者が近接した時期に申し出たか
譲渡前の兆候 譲渡の前から退職の意向があったか

 譲渡前の状況の確認

譲渡の前の段階において、既に退職の意向が示されていたかを確認いたします。人事に関する記録、面談の記録、前の経営者と従業員とのやり取りが手掛かりとなります。

譲渡の前から退職の意向が示されていたにもかかわらず、これが開示されていなかった場合には、表明保証の違反が問題となります。

 デューデリジェンスにおける確認事項

デューデリジェンスにおいて、従業員の在籍及び退職の予定について質問し、回答を得ていた場合には、その回答の内容を確認いたします。

回答が事実と異なっていた場合には、これを示す資料となります。質問と回答の記録は、保管しておく必要があります。

 退職者からの聴取

退職した従業員から、退職の経緯について聴取することが考えられます。前の経営者からの働きかけがあった場合には、その事実が判明することがあります。

もっとも、聴取に際しては、相手方に不当な圧力を加えることのないよう配慮する必要があります。

第2節 株式譲渡契約における根拠

 表明保証の確認

株式譲渡契約においては、従業員に関する表明保証がされているのが通例です。次のような事項が対象とされます。

表2 従業員に関する表明保証の例

事項 内容
在籍の状況 従業員の一覧が正確であること
退職の予定 退職の意向を示している者がいないこと
労働条件 労働条件に関する記載が正確であること
紛争の不存在 従業員との間に紛争がないこと
法令の遵守 労働に関する法令を遵守していること

「退職の意向を示している者がいない」旨の表明保証がされている場合において、譲渡の前から意向が示されていたときは、その違反となり得ます。

 誓約の確認

契約においては、決済の後の一定期間における売主の義務が定められていることがあります。従業員の引抜きを行わない旨、対象会社の事業に協力する旨、競業を行わない旨が該当いたします。

これらの誓約に違反した場合には、契約上の義務の違反として損害の賠償を請求することが考えられます(民法第415条第1項)。

 重要な従業員に関する定め

契約において、特定の従業員が一定期間在籍することを前提とする定めや、これを条件とする代金の定めが置かれていることがあります。この定めがある場合には、これに基づく請求を検討いたします。

 通知の期限

補償の請求については、契約に定められた期間内に通知を行う必要があります。従業員の退職が続いている場合には、事実の確定を待たずに、まず通知を行っておくことが望まれます。

第3節 前の経営者の関与

 競業避止義務

株式譲渡契約においては、売主が一定の期間、対象会社と競合する事業を行わない旨が定められているのが通例です。前の経営者が新たに会社を設立して同種の事業を行っている場合には、この定めの違反が問題となります。

定めの範囲としては、期間、地域、事業の内容が定められます。違反の有無は、これらの定めに照らして判断いたします。

 従業員の引抜きを行わない旨の定め

売主が対象会社の従業員に対して勧誘を行わない旨の定めが置かれていることがあります。前の経営者が退職を働きかけていた場合には、この定めの違反となります。

違反を主張するためには、働きかけの事実を示す資料が必要となります。退職者からの聴取、電子メール、通信の記録が手掛かりとなります。

 取締役としての責任

前の経営者が譲渡後も対象会社の取締役の地位にあった場合には、会社に対する任務懈怠責任が問題となり得ます(会社法第423条第1項)。また、取締役の競業に関する規制が適用される場面があります(会社法第356条第1項第1号)。

 不法行為

契約上の定めがない場合であっても、社会通念上相当な範囲を超える態様により従業員を引き抜いた場合には、不法行為に基づく損害賠償の請求が成り立つ余地があります(民法第709条)。

もっとも、従業員には職業を選択する自由があり、転職そのものを妨げることはできません。違法と評価されるのは、態様が著しく不当である場合に限られます。

第4節 退職者による営業秘密の持出し

 営業秘密に該当するか

不正競争防止法においては、秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないものを営業秘密と定義しております(不正競争防止法第2条第6項)。

したがって、顧客名簿や技術に関する情報が営業秘密として保護されるためには、秘密として管理されていたことが必要です。誰でも閲覧できる状態に置かれていた情報については、この要件を満たさないことがあります。

 管理の状況の確認

対象会社において、情報がどのように管理されていたかを確認いたします。閲覧の権限の設定、記録媒体の持出しの制限、秘密である旨の表示、就業規則における定めが該当いたします。

中小の会社においては、管理が十分でないことが少なくありません。この場合には、営業秘密としての保護を受けることが困難となります。

 採り得る手続

営業秘密に該当し、不正の手段により取得され、又は使用されている場合には、差止めを請求することができます(不正競争防止法第3条第1項)。また、損害の賠償を請求することができます(同法第4条)。

あわせて、雇用契約又は誓約書における秘密保持の定めに基づく請求を検討いたします。

 退職後の競業避止

従業員の退職後の競業避止義務については、雇用契約又は誓約書に定めがある場合に問題となります。定めがある場合であっても、期間、地域、職種の範囲、代償の措置の有無により、その効力が制限されることがあります。

職業選択の自由を過度に制約する定めについては、効力が否定される余地があります(民法第90条)。

第5節 残る従業員への対応

 最も重要な課題

退職者に対する法的な手段を検討することと並行して、残る従業員の離職を防ぐことが、事業の維持において最も重要となります。

退職が続く状況においては、残る従業員にも不安が生じております。この不安を放置いたしますと、離職がさらに進みます。

 説明

買主の方針、雇用の維持に関する考え方、労働条件の取扱いについて、明確に説明することが求められます。説明が行われない状態が続きますと、憶測により不安が拡大いたします。

 労働条件の変更に関する留意

買主の企業集団の基準に合わせるために労働条件を変更する場合には、不利益な変更に当たらないかを検討する必要があります。就業規則の変更による場合には、変更の内容の合理性等が問題となります(労働契約法第9条、第10条)。

譲渡の直後に不利益な変更を行うことは、離職を招く原因となります。時期についても配慮が必要です。

 処遇に関する措置

中核となる従業員に対して、処遇の改善、権限の付与、在籍を条件とする一時金の支給といった措置を検討することがあります。これらは法的な手段ではありませんが、現実の効果は大きいものです。

 退職の手続

期間の定めのない雇用については、各当事者がいつでも解約の申入れをすることができ、雇用は解約の申入れの日から2週間を経過することによって終了するとされております(民法第627条第1項)。

就業規則において、より長い予告の期間が定められていることがあります。もっとも、退職そのものを妨げることはできません。

第6節 損害の主張

 損害の内容

従業員の退職により生じた損害としては、次のものが考えられます。代替の人員を採用するために要した費用、業務の引継ぎに要した費用、外部への委託に要した費用、取引先の離脱により失われた利益です。

 立証の困難

もっとも、退職と損害との間の因果関係を示すことは容易ではありません。とりわけ、失われた利益については、退職がなければ得られたであろう利益を主張し、立証する必要があります。

このため、契約において違約金の定めが置かれている場合には、その定めによることが有利となります(民法第420条第1項)。

 資料の保管

採用に要した費用、委託に要した費用、取引先との取引の推移に関する資料を、時系列により保管いたします。

第7節 譲渡の前に備えておくこと

 契約における手当て

買主としては、契約において、従業員の在籍に関する表明保証、売主による勧誘を行わない旨の誓約、競業を行わない旨の誓約、これらに違反した場合の違約金を定めておくことが望まれます。

 中核となる従業員との面談

決済の前に、中核となる従業員と面談し、その意向を確認することが考えられます。もっとも、譲渡の事実を従業員に知らせる時期については、売主との協議が必要です。

 情報の管理の整備

譲受け後速やかに、情報の管理の状況を確認し、必要な整備を行います。営業秘密としての保護を受けるためには、秘密として管理されていることが要件となるためです。

第8節 弁護士に相談する意味

この類型について弁護士が行う業務は、次のとおりです。第一に、退職の状況を整理し、譲渡前の兆候の有無を資料により確認することです。第二に、株式譲渡契約における表明保証及び誓約の違反を検討し、期間内に通知を行うことです。第三に、前の経営者の関与について、競業避止義務及び勧誘に関する定めの違反を検討することです。第四に、営業秘密の持出しについて、管理の状況を確認した上で採り得る手続を検討することです。第五に、残る従業員への対応について、労働に関する法令上の留意点を助言することです。

この類型においては、法的な手段の検討と並行して、残る従業員の離職を防ぐことが事業の維持において最も重要となります。両者を並行して進めることが求められます。

具体的な対応の方針は、退職の状況、契約の定め、情報の管理の状況等により異なり、当事務所が個別案件を通じて蓄積してきた実務上のノウハウにも属するため、本記事では詳細を開示しておりません。

よくあるご質問

質問1 従業員の退職を止めることはできますか。

できません。期間の定めのない雇用については、各当事者がいつでも解約の申入れをすることができるとされております(民法第627条第1項)。退職そのものを妨げることはできず、検討の対象となるのは、退職を招いた者の責任と、退職者による行為の当否です。

質問2 売主に責任を問えますか。

譲渡の前から退職の意向が示されていたにもかかわらず開示されていなかった場合には、表明保証の違反が問題となります。また、売主が退職を働きかけていた場合には、勧誘を行わない旨の誓約の違反が問題となります。契約の定めを確認いたします。

質問3 退職者が顧客名簿を持ち出した疑いがあります。

営業秘密に該当するかを検討いたします。秘密として管理されていたことが要件となりますので、閲覧の権限の設定、持出しの制限、就業規則の定めといった管理の状況を確認する必要があります。

質問4 前の経営者が同じ事業を始めました。

株式譲渡契約における競業避止義務の定めを確認いたします。期間、地域、事業の内容の範囲に照らして、違反があるかを検討いたします。定めがない場合には、不法行為に基づく請求の余地を検討いたします。

質問5 まず何をすべきですか。

退職の状況を記録により整理すること、契約上の請求期間内に売主へ通知を行うこと、残る従業員に対して方針を説明することの3つです。とりわけ、残る従業員への対応は、時機を失すると回復が困難となります。

弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談

弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕。東京都港区虎ノ門)では、譲受け後の従業員の退職に関するご相談をお受けしております。

  • 電話番号 03-6435-8418
  • 受付時間 8時00分から21時00分まで
  • 土曜日、日曜日及び祝日も受付いたします
  • ご相談は事前予約制です

ご相談の際に、株式譲渡契約書、開示別紙、デューデリジェンスにおける質問と回答、退職届及び面談の記録、就業規則及び誓約書、従業員の名簿をご用意いただけますと、検討が早く進みます。

弁護士費用は、弁護士費用一覧のページをご覧ください。結果は事案ごとに異なります。本記事の記載は一般的な説明であり、特定の結果を保証するものではありません。

本記事の根拠条文

民法 第90条(公序良俗)、第415条第1項(債務不履行による損害賠償)、第420条第1項(賠償額の予定)、第627条第1項(期間の定めのない雇用の解約の申入れ)、第709条(不法行為)、第719条(共同不法行為者の責任)

会社法 第356条第1項第1号(競業の制限)、第423条第1項(役員等の株式会社に対する損害賠償責任)

不正競争防止法 第2条第1項第4号から第10号まで(営業秘密に係る不正競争)、第2条第6項(営業秘密の定義)、第3条第1項(差止請求権)、第4条(損害賠償)

労働契約法 第9条及び第10条(就業規則による労働条件の変更)

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