退職者による顧客名簿の持ち出しへの対応

譲り受けた会社の営業を担当していた従業員が退職いたしました。退職の直前に、当該従業員が顧客の名簿と見積りの資料を私物の記録媒体に複製していたことが、記録から判明いたしました。退職後、当該従業員は前の経営者が設立した会社に移り、当社の取引先に営業をかけているとの情報もあります。どのように対応すればよいのでしょうか。このようなご相談をいただくことがあります。
結論から申し上げます。顧客名簿の持出しに対しては、不正競争防止法に基づく差止め及び損害賠償の請求と、雇用契約又は誓約書における秘密保持の定めに基づく請求とが考えられます。もっとも、不正競争防止法による保護を受けるためには、当該情報が「秘密として管理されていた」ことが必要です。中小の会社においては、この要件を満たさないことが少なくありません。まず情報の管理の状況を確認し、採り得る手段を判断することが出発点となります。本記事では、その手順を整理いたします。
第1節 まず事実を確定いたします
持出しの事実
持出しの事実を、記録により確認いたします。業務用の機器における操作の記録、記録媒体の接続の記録、電子メールの送信の記録、印刷の記録、入退室の記録が手掛かりとなります。
これらの記録は、時間の経過により失われることがありますので、疑いが生じた段階で保全することが重要です。
持ち出された情報の内容
表1 確認すべき事項
| 項目 | 確認の内容 |
|---|---|
| 情報の種類 | 顧客名簿、価格、仕様、原価、取引の条件 |
| 範囲 | 件数、対象となる期間 |
| 持出しの方法 | 複製、送信、印刷のいずれか |
| 時期 | 在職中か、退職の直前か |
| 権限 | 業務上、当該情報に接する権限があったか |
| 使用の状況 | 退職後に使用されている形跡があるか |
使用の状況
取引先から、退職者又はその転職先からの営業を受けた旨の連絡があることがあります。取引先との関係に配慮しつつ、事実を確認いたします。
取引が現実に移転している場合には、その時期と内容を記録いたします。
記録の保全
業務用の機器における記録は、そのまま保全いたします。機器を初期化し、又は他の従業員に貸与いたしますと、記録が失われます。
記録の調査に際しては、個人情報及び通信の秘密に関する配慮が必要ですので、進め方を検討した上で行うことが望まれます。
第2節 不正競争防止法による保護の要件
営業秘密の定義
不正競争防止法においては、秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないものを営業秘密と定義しております(不正競争防止法第2条第6項)。
したがって、次の3つの要件を満たす必要があります。
表2 営業秘密の3つの要件
| 要件 | 内容 |
|---|---|
| 秘密として管理されていること | 秘密として管理する意思が客観的に認識できる状態にあること |
| 有用であること | 事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であること |
| 公然と知られていないこと | 一般に入手することができない状態にあること |
管理の状況の確認
実務上、最も問題となるのが、秘密として管理されていたという要件です。次の点を確認いたします。
第一に、当該情報への接近が制限されていたかです。閲覧の権限の設定、記録媒体への複製の制限、保管場所の施錠が該当いたします。
第二に、秘密であることが認識できる状態にあったかです。書面又は電子的な記録における表示、就業規則又は規程における定め、従業員への周知が該当いたします。
要件を満たさない場合
誰でも閲覧できる状態に置かれていた情報や、秘密である旨の表示も定めもない情報については、この要件を満たさないと判断されることがあります。
この場合には、不正競争防止法による保護を受けることが困難となりますので、契約に基づく請求を中心とすることとなります。
顧客名簿の有用性
顧客名簿については、単に名称と住所を列挙したにとどまるものと、取引の履歴、担当者、価格、要望といった情報を含むものとで、有用性の評価が異なり得ます。
第3節 採り得る手続
差止めの請求
不正競争によって営業上の利益を侵害され、又は侵害されるおそれがある者は、その侵害の停止又は予防を請求することができるとされております(不正競争防止法第3条第1項)。あわせて、侵害の行為を組成した物の廃棄等を請求することができるとされております(同条第2項)。
緊急を要する場合には、仮処分の申立てを検討いたします。
損害賠償の請求
故意又は過失により不正競争を行って営業上の利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負うとされております(不正競争防止法第4条)。
損害の額については、推定に関する規定が置かれております(不正競争防止法第5条)。損害の額の立証が困難であるこの類型において、有用な規定です。
不正競争に該当する行為
営業秘密を保有する者から示された営業秘密を、不正の利益を得る目的で、又はその保有者に損害を加える目的で、使用し、又は開示する行為が、不正競争として規定されております(不正競争防止法第2条第1項第7号)。
また、窃取、詐欺、強迫その他の不正の手段により営業秘密を取得する行為等についても規定が置かれております(同項第4号から第6号まで)。
転職先に対する請求
営業秘密が不正に開示されたことを知りながら、又は重大な過失により知らないで取得し、使用する行為についても、規定が置かれております(不正競争防止法第2条第1項第8号、第9号)。
したがって、退職者本人のみならず、転職先の会社に対する請求も検討の対象となります。
刑事上の問題
営業秘密の侵害については、罰則の規定が置かれております(不正競争防止法第21条)。もっとも、刑事の手続を用いるかどうかは、慎重に判断する必要があります。
第4節 契約に基づく請求
秘密保持の定め
雇用契約、就業規則、入社時又は退職時の誓約書において、秘密保持の定めが置かれている場合には、これに基づく請求を検討いたします。
営業秘密の要件を満たさない情報についても、契約上の秘密として保護される余地があります。
定めの範囲
対象となる情報の範囲、期間、退職後も効力を有するかどうかを確認いたします。範囲が過度に広い定めについては、効力が制限されることがあります。
退職後の競業避止
退職後の競業避止義務については、雇用契約又は誓約書に定めがある場合に問題となります。定めがある場合であっても、期間、地域、職種の範囲、代償の措置の有無により、その効力が制限されることがあります。
職業選択の自由を過度に制約する定めについては、効力が否定される余地があります(民法第90条)。
誓約書の徴求
退職に際して、秘密保持及び情報の返還に関する誓約書を徴求することが望まれます。もっとも、退職者に署名の義務があるものではありません。
第5節 前の経営者及び売主との関係
前の経営者が関与している場合
退職者が前の経営者の設立した会社に移り、そこで持ち出した情報を使用している場合には、前の経営者及び当該会社に対する請求も検討いたします。
株式譲渡契約における競業を行わない旨の誓約、勧誘を行わない旨の誓約の違反も併せて問題となります。
売主に対する補償
情報の管理が不十分であったこと自体が、株式譲渡契約における表明保証の違反となる場合があります。法令の遵守、又は知的財産の管理に関する表明保証の内容を確認いたします。
もっとも、この主張が認められる場面は限られております。
通知
売主に対する請求を検討する場合には、契約に定められた期間内に通知を行う必要があります。
第6節 将来に向けた管理の整備
管理の体制
譲受け後速やかに、情報の管理の状況を確認し、必要な整備を行います。営業秘密としての保護を受けるためには、秘密として管理されていることが要件となるためです。
表3 整備すべき事項
| 事項 | 内容 |
|---|---|
| 接近の制限 | 閲覧の権限の設定、記録媒体の使用の制限 |
| 表示 | 秘密である旨の表示 |
| 規程 | 情報の管理に関する規程の整備 |
| 周知 | 従業員への説明及び研修 |
| 誓約書 | 入社時及び退職時の誓約書の徴求 |
| 記録 | 操作及び持出しの記録の保存 |
退職時の手続
退職に際して、貸与した機器及び記録媒体の返還、業務用の記録の消去、誓約書の徴求を行う手続を定めておきます。
整備の時期
整備は、事案が生じてからでは間に合いません。譲受け後の早い時期に着手することが望まれます。
第7節 弁護士に相談する意味
顧客名簿の持出しについて弁護士が行う業務は、次のとおりです。第一に、持出しの事実を示す記録の保全について助言することです。第二に、情報の管理の状況を確認し、営業秘密の要件を満たすかを検討することです。第三に、不正競争防止法に基づく手続と、契約に基づく請求のいずれによるかを判断することです。第四に、差止め又は仮処分の申立てを検討することです。第五に、前の経営者及び売主に対する請求を併せて検討することです。
この類型においては、記録の保全と、管理の状況の確認が結論を左右いたします。疑いが生じた段階で、速やかに着手することが重要です。
具体的な手続の選択及び主張の組み立ては、情報の内容、管理の状況、使用の状況等により異なり、当事務所が個別案件を通じて蓄積してきた実務上のノウハウにも属するため、本記事では詳細を開示しておりません。
よくあるご質問
質問1 顧客名簿は当然に保護されるのではありませんか。
当然に保護されるものではありません。不正競争防止法による保護を受けるためには、秘密として管理されていたこと、有用であること、公然と知られていないことの3つの要件を満たす必要があります(不正競争防止法第2条第6項)。管理の状況の確認が出発点となります。
質問2 管理が十分でなかった場合はどうなりますか。
不正競争防止法による保護を受けることが困難となります。この場合には、雇用契約、就業規則、誓約書における秘密保持の定めに基づく請求を中心とすることとなります。
質問3 転職先の会社にも請求できますか。
営業秘密が不正に開示されたことを知りながら、又は重大な過失により知らないで取得し、使用する行為についても規定が置かれております。転職先に対する請求も検討の対象となります。
質問4 退職者のパソコンの記録を調べてもよいですか。
会社が貸与していた業務用の機器については、業務上正当な目的による調査として一定の範囲で認められる余地があります。もっとも、個人情報及び通信の秘密に関する配慮が必要ですので、進め方について事前に検討することをお勧めいたします。
質問5 損害の額をどのように主張しますか。
不正競争防止法には、損害の額の推定に関する規定が置かれております(不正競争防止法第5条)。この規定により、立証の負担が軽減される場合があります。あわせて、取引の移転の状況に関する資料を整理いたします。
弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談
弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕。東京都港区虎ノ門)では、退職者による営業秘密の持出しに関するご相談をお受けしております。
- 電話番号 03-6435-8418
- 受付時間 8時00分から21時00分まで
- 土曜日、日曜日及び祝日も受付いたします
- ご相談は事前予約制です
ご相談の際に、就業規則及び情報の管理に関する規程、誓約書、持出しを示す記録、株式譲渡契約書、取引先との取引の推移に関する資料をご用意いただけますと、検討が早く進みます。
弁護士費用は、弁護士費用一覧のページをご覧ください。結果は事案ごとに異なります。本記事の記載は一般的な説明であり、特定の結果を保証するものではありません。
本記事の根拠条文
不正競争防止法 第2条第1項第4号から第10号まで(営業秘密に係る不正競争)、第2条第6項(営業秘密の定義)、第3条(差止請求権)、第4条(損害賠償)、第5条(損害の額の推定等)、第21条(罰則)
民法 第90条(公序良俗)、第415条第1項(債務不履行による損害賠償)、第709条(不法行為)、第715条第1項(使用者等の責任)、第719条第1項(共同不法行為者の責任)
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