買収監査で会計処理の問題を見抜けなかった買主は補償を求められるか―東京地裁平成18年1月17日判決

買収後に不適切な会計処理が判明しても、売主から「買主は調査で知っていたはずだ」と反論されることがあります。東京地方裁判所平成18年1月17日判決は、貸付金の返済を元本ではなく利息へ充当して資産を水増しした事案について、表明保証違反、買主の認識、デューデリジェンスの実態、損害額を順に検討した判決です。
裁判所は、重大な過失で違反を知らなかった買主について売主が責任を免れると解する余地に言及しましたが、本件の買主には悪意も重大な過失も認めず、売主側の補償責任を認めました。免責の可能性についての判示と、実際に請求を認めた結論を区別して読む必要があります。
本記事が扱う場面と、扱わない場面
本記事は、上記判決の会計処理、契約条項、情報開示、買主の調査及び損害認定を解説します。買主の知識の扱いを契約で定める一般的な方法は、サンドバッギング条項とは?種類や買主側のメリット、事例もわかりやすく解説をご覧ください。本判決だけで、あらゆる契約に共通する免責のルールが確定したと説明するものではありません。
裁判例の基本情報と当事者
| 裁判所 | 東京地方裁判所民事第37部 |
|---|---|
| 裁判日・事件番号 | 平成18年1月17日・平成16年(ワ)第8241号 |
| 事件名 | 損害賠償等請求事件 |
| 結論 | 売主らに対し、連帯して3億529万3,523円及び平成16年4月22日からの年6%の遅延損害金の支払を命じた |
当事者等は、本記事独自の呼称で「買主会社A」「売主会社B」「売主会社C」「売主D」「対象会社E」と表記します。売主Dは売主会社Bの代表者であり、対象会社Eの代表取締役だった人物です。買主が調査を依頼した専門会社を「調査会社F」、対象会社の旧監査法人を「監査法人G」、後任を「監査法人H」とします。引用中も当事者名をこの表記に置き換えています。
以下は上記地裁判決に関する説明であり、上訴の有無や確定を確認した旨の表示ではありません。契約及び会計処理が行われた当時の法令・基準に基づく判断として紹介します。
事案の概要―貸金業を営む会社の全株式を23億3,000万円で取得
赤字予測を受け、和解債権の入金処理を変更した
対象会社Eは、金銭の貸付け等を営む会社で、会計監査人の監査を受ける大会社でした。平成14年11月、当期が赤字になるとの予測を受け、営業本部は決算対策として和解債権の入金処理を変更しました。
従来は元本の返済に充てていた入金を、利息の弁済へ優先的に充てる設定に切り替えたのです。本件で対象となった和解債権は、利息が発生せず未収利息も回収しないものでした。それにもかかわらず利息収入を計上すると、本来減るはずの元本が帳簿に残ります。対象会社Eは、その残る元本に対応する貸倒引当金を計上していませんでした。
財務部は、回収できず残る元本について引当てが必要であり、利益操作と評価される可能性もあると指摘していました。監査法人Gも必要な引当てを指摘しましたが、対象会社Eは期中に同法人との契約を解消し、監査法人Hへ変更しました。平成15年3月期の決算書には、この処理の変更は注記されませんでした。
買主は専門会社に依頼して2回の調査を行った
買主会社Aは調査会社Fへ依頼し、平成15年7月から9月に第1次デューデリジェンスを、同年11月に第2次デューデリジェンスを行いました。顧客の貸付け、入金、延滞等を記録した加工前の生データも交付されていました。
第1次調査では、将来の元利合計の回収額を見積もって現在価値へ割り戻す方法等が用いられました。和解債権は回収総額が決まっていることなどから、元本と利息への振分けを全件照合する調査ではありませんでした。第2次調査も、基準日以後の資産・負債の増減を確認するという目的に沿って行われました。
調査会社Fは監査法人の交代理由や会計方針の変更について質問していましたが、本件の和解債権処理を記載した通達等は開示されず、会計方針に変更はない旨の説明を受けていました。
最終的な価格は簿価純資産額を基準として合意された
第1次調査による評価額は約12億1,300万円から約16億4,200万円でした。しかし、売主側は簿価純資産額を下回る売却に応じない意向であり、買主側も価格の客観性や株主への説明を考慮して、簿価純資産額を基準とすることにしました。
平成15年10月31日現在の貸借対照表の資本合計は25億1,101万9,000円とされていました。減価償却や退任役員の退職慰労金等も踏まえて価格が交渉され、12月18日、全200万株を1株1,165円、合計23億3,000万円で譲渡する契約が締結されました。
取得後、新たな代表取締役が業務の実態を調べ、入金の充当先が元本から利息へ変わっていることを発見しました。その後の調査により、不適切に利益計上された額は2億7,538万5,023円と判明しました。
株式譲渡契約の具体的な規定
以下は判決本文に記載された契約条項の引用です。関連する部分を抜粋し、当事者名のみ独自の匿名表記へ置き換えています。記載していない項目は省略しており、契約全体の全文ではありません。
第1条第2項―価格算定の基準
前項の株式の譲渡価格については,平成15年10月31日時点の貸借対照表に基づく対象会社Eの財務状況により算出された1株当たり1165円(全200万株で23億3千万円)とする。
この規定は、後に損害額を算定する場面でも重視されました。調査過程で用いた評価方法と、当事者が最終的に合意した代金の基準を分けて確認する必要があります。
第8条第7項・第8項・第9項―財務諸表及び貸出債権の正確性
売主らは,買主会社Aに対し,次の事項を表明,保証する。
7項 対象会社Eの財務諸表が完全かつ正確であり,一般に承認された会計原則に従って作成されたこと
8項 対象会社Eの平成15年10月31日の財務内容が上記貸借対照表のとおりであり,簿外債務等の存在しないこと
9項 すべての貸出債権について,
(d)平成15年10月31日における各貸出債権の融資残高は,その日の貸出債権に関する記録に正確に反映されている。
(f)対象会社Eの帳簿,記録,取引記録又はその他の記録はいずれも,すべての重要な点において完全かつ正確であり,貸出債権の状況を正確に反映している。また,取引記録及びその他の勘定記録に記載されるものを除き,いずれの貸出債権も修正されることはない。
第8条第12項・第20項―必要手続と情報開示
12項 対象会社Eの役員及び従業員においては,対象会社Eの業務遂行及び資産保有について,法令,行政通達,定款等により必要とされる手続はすべて完了しており,またそれらの重大な違反は何ら存在しないこと
20項 本契約に至る前提として行われた,買主会社Aによる対象会社Eの財務内容,業務内容その他対象会社Eの経営・財務に関する事前監査(会計・法務に関する監査を含むがこれに限られない。)において,通常の株式譲渡契約において信義則上開示されるべき資料及び情報が漏れなく提示,開示されたこと及びそれらの資料及び情報は真実かつ正確なものであること
第9条第1項―補償と合理的な費用負担
売主らは,前条により規定された表明,保証を行った事項に関し,万一違反したこと又は売主らが本契約に定めるその他義務若しくは法令若しくは行政規則に違反したことに起因又は関連して買主会社Aが現実に被った損害,損失を補償するものとし,合理的な範囲内の買主会社Aの費用(弁護士費用を含む。)を負担する。
本件では、財務上の水増しによる損害だけでなく、システム修正や訴訟のための専門家費用等も争われました。これらを検討する根拠として、補償の対象と合理的な費用負担を定めた規定が重要でした。
争点と裁判所の判断
会計処理と注記の欠落は表明保証に違反するか
裁判所は、元本の入金を利息収入として計上する本件の処理が、真実な報告を求める企業会計原則第一の一に反するとしました。また、当時の金融商品会計に関する実務指針120項は、未収利息を計上しない債権への入金について、契約に基づく利息の支払が明確な部分以外は元本入金として処理する旨を定めていると説明しました。
企業会計原則第三の五Cについては、債権金額から正常な貸倒見積額を控除した金額を貸借対照表価額とする規定として検討しています。本件では、回収できない元本を残したまま資産額を計上したことが問題とされました。
さらに、回収不能となる元本に対応する貸倒引当金を計上していない点について、当時の実務指針123項との関係を検討しました。後任の監査法人が一定の会計処理を容認していたことだけでは、本件で必要な引当てが行われていることにはなりませんでした。
以上から、財務諸表の会計原則への適合、財務内容、貸出債権の残高等について、第8条第7項、第8項及び第9項の違反を認めました。重要な会計方針として注記すべき処理を決算書に記載していなかった点は、第12項の必要手続に関する保証の違反と判断しました。
買主は契約前から会計処理を知っていたか
売主側は、担当者が会議等で説明した、生データや営業実績を見れば気付くはずだと主張しました。しかし、裁判所は、説明したとする供述に客観的な裏付けがなく、他の証拠や交渉経緯と整合しないとして採用しませんでした。
対象会社側は会計上の問題を認識しながら旧監査法人の指摘に従わず、後任の監査法人にも当該処理を説明していませんでした。裁判所は、一連の対応が決算対策の効果を維持するためのものであり、簿価純資産額を基準とする本件の価格を水増しする効果をもたらすと評価しました。
仮に買主へ説明していたなら、買主は水増し分の減額を求め、売主もその処理を表明保証から除外するよう求めると考えられます。しかし、双方がそのような行動をしていなかったことも、開示がなかったとの認定を裏付けました。
また、調査報告書に当該処理の記載がなく、買収後の代表者による発見と社内報告の経緯も確認されました。裁判所は、生データ等を交付しただけでは当該会計処理を開示したとはいえず、第8条第20項にも違反し、買主が契約時に違反を知っていたとはいえないとしました。
買主が見抜かなかったことは重大な過失に当たるか
この点についての判示は、次のとおりです。当事者名のみ上記の表記に変更しています。
本件において,買主会社Aが,本件株式譲渡契約締結時において,わずかの注意を払いさえすれば,本件和解債権処理を発見し,売主らが本件表明保証を行った事項に関して違反していることを知り得たにもかかわらず,漫然これに気付かないままに本件株式譲渡契約を締結した場合,すなわち,買主会社Aが売主らが本件表明保証を行った事項に関して違反していることについて善意であることが買主会社Aの重大な過失に基づくと認められる場合には、公平の見地に照らし,悪意の場合と同視し,売主らは本件表明保証責任を免れると解する余地があるというべきである。
「免れると解する余地がある」という表現が重要です。本判決は、買主に調査上の落ち度があれば常に免責される、としたものではありません。続けて具体的な調査の方法、目的、期間、開示状況を検討し、本件では重大な過失を否定しました。
裁判所は、デューデリジェンスが買主の権利であり、限られた期間と売主が提供する資料のもとで、価格決定等のために行う調査であることを踏まえました。和解債権の元利の振分けを全件照合していなかったことは、本件の調査目的・評価方法に照らして特段の問題とはされませんでした。
監査法人の監査を受けている会社の財務諸表について、会計原則に従った処理を前提に調査したことも、それ自体は非難されるものではないとされました。監査法人の交代理由を後任法人や対象会社の担当者へ確認しており、旧監査法人へ直接確認しなかったことも重大な落ち度とは認めませんでした。
とりわけ、売主側と対象会社が当該処理を故意に秘匿していたことが重視されました。一般論として「生データを調べれば分かる」という意見だけでは、本件の調査実態と秘匿の事実を踏まえた判断は覆らないとされました。
資産の水増しと損害の関係をどう認定したか
裁判所は、第1条第2項により株式譲渡価格が簿価純資産額を基準としていたことを重視しました。本来減少すべき元本が帳簿上残っていたため、価格は2億7,538万5,023円だけ水増しされたとして、同額の補償義務を認めました。
加えて、処理を元に戻すシステム修正費用168万円、意見書・陳述書の作成及び証言等の費用122万8,500円、合理的な弁護士費用2,700万円を認めました。これらは本件の補償条項と証拠に基づく認定であり、他の事件でも専門家費用が全額当然に回収できるという意味ではありません。
認められた金額と、請求が認められなかった部分
| 認容された項目 | 金額 |
|---|---|
| 株式譲渡価格の水増しによる損害 | 2億7,538万5,023円 |
| システム修正費用 | 168万円 |
| 意見書等の作成・証言に関する費用 | 122万8,500円 |
| 弁護士費用 | 2,700万円 |
| 合計 | 3億529万3,523円 |
売主らは、この合計額を連帯して支払うよう命じられました。他方、買主が契約締結翌日から求めていた遅延損害金については、その起算日は認められず、請求が明らかな訴状送達翌日の平成16年4月22日から認められました。「買主の請求を全面的に認容した」とだけ説明すると、この部分が抜け落ちます。
年6%は本判決で適用された当時の商事法定利率です。現在の取引の遅延損害金を、そのまま年6%とする根拠にはなりません。
本判決をほかのM&Aに当てはめる際の注意点
まず、悪意とは本件では違反の事実を知っていることを指し、一般的な「悪意がある人」という意味ではありません。また、調査で何らかの資料を受け取っていることと、その資料が示す具体的な処理を認識していることは区別されました。
次に、本判決の重過失に関する判断を、買主が善意・無重過失であることを常に自ら立証しなければならないという一般的な要件へ置き換えるのは適切ではありません。売主側の反論に対し、この事案でどのような事情から重過失が否定されたかを確認する必要があります。
本判決には、実際に存在する資産の「評価の違い」と、回収できない元本を残す「会計処理の不正確さ」という区別もあります。評価方法への異論と表明保証違反の関係を扱う別の事案は、株価算定書の評価に異論があれば株式譲渡契約を解除できるか―東京地方裁判所平成22年3月8日判決で解説しています。
情報開示と重過失についてのよくあるご質問
生データを受け取っていれば、違反を知っていたことになりますか。
本判決はそのように判断していません。調査目的、実際の照合範囲、説明された内容、開示されなかった通達等を具体的に検討し、当該処理の開示と買主の認識を否定しました。
デューデリジェンスは権利だから、何も調べなくても補償されますか。
そのような判決ではありません。本件では専門会社による2回の調査が行われ、調査の実態と売主側の秘匿が判断されました。調査を全くしない場合まで同じ評価を示したものではありません。
水増しされた資産額が、いつでもそのまま損害になりますか。
本件では、契約に簿価純資産額を基準とする価格算定が明記されていました。価格形成が異なる取引では、問題の数値が代金にどう影響したかを別途検討する必要があります。
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出典
東京地方裁判所平成18年1月17日民事第37部判決、平成16年(ワ)第8241号、損害賠償等請求事件。判決本文に基づき事実関係と判断を要約し、契約条項及び判示を引用しています。
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