買収直後に主要顧客が離れた場合の原因の切り分けと売主への請求

この記事の位置付け

主要な顧客の離脱に関するメインのページです。本ページは、M&Aで会社を譲り受けた直後に顧客が離れた場面で、原因の切り分けと売主への請求をご説明します。主要な仕入先との契約の終了は別のページをご参照ください。

主要な仕入先との契約が終了した場面は買収後に主要な仕入先との契約が終了した場合の確認事項を、支配権の異動を理由に契約を解除された場面は支配権の異動を理由に取引先から契約を解除された場合の検討を、それぞれご覧ください。

株式の譲渡代金を払い込み、役員の変更登記も終え、これから腰を据えて事業を伸ばそうとした矢先に、売上の柱であった取引先から取引の縮小や打切りの連絡が届くことがあります。中小企業のM&Aでは、決して珍しい出来事ではありません。取引先の数が限られ、上位の数社で売上の過半を占める会社では、1社が離れるだけで買収時に描いた事業計画の前提が崩れます。

このとき買主の頭に真っ先に浮かぶのは、「売主は知っていたのではないか」という疑いです。疑い自体は自然なものですが、疑いのまま売主に連絡を取ると、多くの場合は感情的な応酬になり、事実の確認が進まなくなります。取引先が離れる理由には、売主の責任を問える種類のものと、買収に伴う事業上の危険として買主が負うべき種類のものと、買主自身の買収後の行動が招いたものとが混在しています。

本稿では、中小企業のM&Aで株式を取得した買主の方を念頭に、買収直後に主要な顧客が離れた場面において、原因をどのように切り分け、売主の説明義務違反又は表明保証違反として構成できるかをどのように判定し、失われた価値をどのような考え方で金額に置き換えるかを、確認すべき資料とともに整理します。

Contents
  1. 顧客が離れた原因を切り分ける
    1. 離反の原因を四つの類型に分ける
    2. 時系列表を作って先後関係を固定する
    3. 数字で兆候を裏づける
    4. 買主自身の行動が原因である場合には請求は成り立たない
  2. 売主が事前に把握していたといえるか
    1. 認識の痕跡が残る資料
    2. 開示の有無を条項に照らして確かめる
    3. 沈黙をどう評価するか
  3. 契約の更新及び解約の通知の状況
    1. 契約の形態と期間の定めを確認する
    2. 通知の書面を原本で確認する
    3. 支配権の異動に関する条項の有無
  4. 表明保証の条項との関係
    1. 関係し得る条項を洗い出す
    2. 買主の認識と補償の限界を確認する
  5. 売上及び利益への影響
    1. 限界利益で測る
    2. 残る固定費と余剰能力を織り込む
    3. 回復の見込みを織り込む
  6. 損害額の算定
    1. 失われた利益を積み上げる考え方
    2. 株式の価値の差額として捉える考え方
    3. 代替に要した費用で捉える考え方
    4. 減額の要素をあらかじめ織り込む
  7. 売主への請求
    1. 資料を確保してから動く
    2. 通知の内容と時期
    3. 回収の手段を先に確かめる
    4. 交渉と手続の選択
  8. よくあるご質問
    1. 買収後に値上げをしたところ取引先が離れました。売主に請求できますか。
    2. 担当者が買収を機に退職し、その担当先が離れました。どう考えますか。
    3. 表明保証の別紙に、その取引先の記載がありませんでした。請求できますか。
    4. 支配権の異動に関する条項に基づいて解除されました。誰の責任になりますか。
    5. 補償の期間制限が過ぎてしまいました。ほかに手段はありますか。
    6. 離れた取引先に、直接事情を聞いてもよいでしょうか。
    7. まだ原因がはっきりしません。売主への連絡はいつすべきですか。

顧客が離れた原因を切り分ける

最初に行うべきは、売主への追及ではなく、事実の再現です。取引先が離れるという結果は一つでも、そこに至る経路は複数あり、経路ごとに売主に責任を問えるかどうかが分かれます。この作業を飛ばして進めると、後になって買主側の事情が明らかになり、交渉の場で立場を失います。

離反の原因を四つの類型に分ける

実務上、顧客の離反は次の四つに整理すると見通しがよくなります。第一に、買収の前から既に離反の原因が存在していた場合です。品質の問題や納期の遅れが繰り返されていた、価格の面で他社に劣後していた、担当者と取引先との関係が悪化していた、といった事情がこれに当たります。第二に、支配権が移ったこと自体を理由とする離反です。取引先が競合する企業グループに買われたと受け止めた、与信の枠を見直された、内部の調達基準で株主の変更時に取引の可否を再審査する定めがあった、といった場合です。第三に、買収後の買主の行動を理由とする離反です。第四に、取引先自身の事情や外部環境の変化による離反であり、取引先の業績悪化、事業の撤退、業界の再編、内製化への方針転換が含まれます。

時系列表を作って先後関係を固定する

類型を判定する土台になるのは、時系列の表です。横軸に日付を取り、買収の手続の節目と、取引先との出来事とを同じ表の上に並べます。手続の節目としては、秘密保持契約の締結、意向表明書の提出、基本合意の締結、デュー・ディリジェンスの開始と終了、株式譲渡契約の締結、代金の払込みと株式の移転、役員の交代、取引先への挨拶の日を置きます。取引先との出来事としては、受注量が減り始めた月、見積りの依頼が途絶えた日、担当者から相談があった日、書面による通知が届いた日、最後の納品日を置きます。

数字で兆候を裏づける

印象ではなく数字で確かめます。取引先別の月次の売上高を過去36か月分そろえます。あわせて、受注残高の推移、見積りの提出件数と受注に至った件数、単価の推移、支払サイトの変更の有無、返品や値引きの発生状況を並べます。多くの場合、取引の打切りは突然には起きておらず、その6か月から18か月前から受注の頻度が落ち、見積りを出しても通らない状態が続いています。

買主自身の行動が原因である場合には請求は成り立たない

ここは最も重要な点です。買収後に買主が行った施策が原因で取引先が離れたのであれば、売主に対する請求は成り立ちません。典型的なのは、収益性の改善を目的とした値上げです。買収後に単価を引き上げ、あるいは長年据え置かれていた運賃や梱包費の負担を取引先に求めた結果として取引が終わったのであれば、それは買主の経営判断がもたらした結果です。長年の担当者を配置転換した、あるいはその担当者が買収を機に退職したまま後任を置かなかった場合も同様です。中小企業の取引は担当者個人の信頼関係に支えられていることが多く、その糸を切ったのが買主であれば、責任の所在は買主にあります。

このほか、支払条件や検収の運用を買主の社内基準に合わせて厳格化した、受注の可否を本社の決裁事項として回答が遅くなった、少額の注文や短納期の対応を採算を理由に断るようにした、といった行動も離反の原因となり得ます。いずれも経営方針の変更として合理性のある施策ですが、合理的であることと、その結果を売主に転嫁できることとは別の問題です。買収後の自らの行動が寄与している部分は、請求の対象から外して考える必要があります。

売主が事前に把握していたといえるか

離反の原因が買収の前から存在していた場合、次の問いは、売主がそれを知っていたか、又は当然に知り得たかです。売主が知らなかったのであれば、説明しなかったことを責めるのは難しくなります。他方、書面による解約の予告を受け取っていながら、デュー・ディリジェンスの質問に対して「重要な取引先との関係に問題はない」と回答していたのであれば、評価は大きく変わります。争点となるのは売主の内心ではなく、売主の手元にどのような情報がいつの時点で存在していたかという客観的な事実です。

認識の痕跡が残る資料

売主の認識は、次のような資料に痕跡を残します。株式を取得した後は会社の資料に接することができますので、速やかに保全します。

  • 取引先から届いた書面の通知、電子メール、取引条件の見直しの申入れ及びその控え
  • 営業の日報、週報、訪問記録、商談の記録、社内の営業会議の資料
  • 取締役会及び経営会議の議事録、稟議書、予算の編成資料
  • 取引先ごとの与信管理表、クレームの管理台帳、品質不具合の報告書
  • 売主及び役員の電子メール、会社が貸与していた携帯電話の通話記録
  • デュー・ディリジェンスの質問回答書、経営陣への聞取りの議事録、開示資料の一覧

開示の有無を条項に照らして確かめる

資料が集まったら、株式譲渡契約に添付された開示別紙と突き合わせます。取引先の一覧に当該取引先が掲げられているか、解約の申入れや取引縮小の予告が注記されているか、除外事項として記載されているかを確認します。開示別紙に書かれていた事項は通常は表明保証の対象から外れますので、記載の有無は決定的な意味を持ちます。あわせて、デュー・ディリジェンスの過程で買主側が発した質問の文言と、これに対する売主の回答の文言を、原文のまま対照表にします。「上位の取引先から契約の解除又は取引量の減少の通知を受けていますか」という質問に対して「ありません」と回答していたのであれば、その回答書自体が有力な証拠になります。

沈黙をどう評価するか

売主が積極的に虚偽を述べていなくても、買主が当然に知りたいはずの重大な事実を、質問されなかったことを理由に告げなかった場合には、信義則上の説明義務の違反として評価される余地があります。売上の相当部分を占める取引先の解約の申入れが実行前に届いていた事実は、買主が代金の額を決めるにあたって当然に知りたい情報です。もっとも、この構成は「知りたいはずだ」という評価に依存しますので、次に述べる表明保証の違反の構成が使えるのであれば、そちらを主軸に据えるのが実際的です。

契約の更新及び解約の通知の状況

取引先が離れたといっても、法的な形は一様ではありません。契約期間の満了に伴って更新されなかったのか、期間の途中で解約の予告がなされたのか、債務不履行を理由に解除されたのか、そもそも契約書がなく個別の注文が途絶えただけなのかによって、争える範囲も売主に問える内容も変わります。感覚的に「切られた」と表現される事象を、契約の言葉に翻訳する作業が要ります。

契約の形態と期間の定めを確認する

まず、当該取引先との間に基本取引契約書、業務委託契約書、売買基本契約書といった書面があるかを確認します。書面がある場合には、契約期間、自動更新の定めの有無、更新を拒絶する場合の予告期間、中途解約の可否とその予告期間、解除事由、最低取引数量の定めの有無を読み取ります。予告期間が30日か90日か6か月かによって、代替の取引先を確保するために与えられた猶予の長さが変わり、後の損害額の算定にも影響します。書面がなく注文書と注文請書だけで取引が続いていた場合には、個別の契約が積み重なっていたにすぎず、将来の取引が続くことへの期待をどこまで法的に保護される利益として主張できるかが問題となります。

通知の書面を原本で確認する

解約や更新拒絶の通知は、必ず原本又はこれに準ずる記録で確認します。見るべきは、通知の日付、差出人の名義、宛先が誰であったか、どの契約のどの条項に基づく通知であるか、そして理由として何が書かれているかです。理由の記載は特に重要です。「貴社の株主の変更に伴い」と書かれているのか、「価格改定の提案を受け入れられないため」と書かれているのかで、原因の類型がほぼ決まります。理由が書かれていない場合には、通知に先立つ担当者間のやり取りを掘り起こします。

支配権の異動に関する条項の有無

取引先が株主の交代を理由に契約を終了させた場合には、契約に支配権の異動に関する条項が置かれていたかどうかが争点になります。この条項は、株主の構成に重要な変更が生じたときに相手方への事前の通知を求め、又は事前の承諾を要するものとし、これに反した場合や承諾が得られない場合に相手方が契約を解除できるとする定めです。条項の有無を確認し、置かれていた場合には、通知で足りるのか承諾までを要するのか、承諾が得られなかったときの効果は解除なのか協議なのかを読み取ります。

次に問うべきは、その手続を誰が履践すべきであったかです。株式譲渡契約において、主要な取引先から支配権の異動についての承諾を取得することが実行の前提条件とされていた場合や、売主の誓約事項とされていた場合には、承諾を得ないまま実行に至った経緯が問題になります。売主が取引先の意向を確かめずに問題ないと述べていたのか、買主が交渉の秘密を保つために接触を避けたのかによって、責任の分配は変わります。他方、条項が存在しないにもかかわらず取引先が支配権の異動を理由に取引を打ち切った場合は、契約上の権利の行使ではなく取引先の任意の判断ですので、売主の表明保証の違反を構成しにくく、事業上の危険として扱われる場面が多くなります。

表明保証の条項との関係

売主に責任を問う場合、実務上の中心は表明保証の違反です。表明保証とは、株式譲渡契約の中で、売主が会社に関する一定の事実が真実かつ正確であることを表明し、これを保証する条項をいい、その内容が事実と異なっていた場合には、契約に定められた補償の請求ができます。過失の有無を問わない建付けとされていることが多く、説明義務の違反を主張するよりも通しやすい構成です。

関係し得る条項を洗い出す

顧客の離反に関係し得る条項は一つではありません。次のような条項が組み合わさって根拠になります。

  • 重要な取引先の一覧を開示別紙のとおりとし、その記載が正確であるとする条項
  • 主要な取引先から契約の解除、更新の拒絶、取引条件の重大な変更の申入れを受けていないとする条項
  • 重要な契約が有効に存続し、会社に契約上の債務不履行がないとする条項
  • 買主に開示した情報が重要な点において正確であり、判断を誤らせる不記載がないとする条項
  • 基準となる決算日から契約の締結日まで、事業に重大な悪影響を及ぼす事象が生じていないとする条項
  • 顧客との取引が通常の事業の過程に従って行われてきたとする条項

これらを条文の文言のまま書き出し、判明した事実を当てはめて、立証が最も容易な条項を主軸に置き、他を予備的に位置づけます。

買主の認識と補償の限界を確認する

あわせて、補償の枠組みを定める条項を確認します。実務では、補償の請求に上限額が設けられ、また1件当たりの最低額や累積の最低額に達しない請求は認めないという定めが置かれます。さらに、表明保証の存続期間が実行の日から12か月、18か月、24か月などと限定され、その期間内に書面で通知しなければ請求できないと定められているのが通常です。この期間の管理が最も見落とされやすく、原因の調査に時間をかけている間に期限が過ぎることがあります。調査が終わっていなくても期限の前に暫定的な通知を出せるかどうかを、早い段階で検討します。

もう一つ確認すべきは、買主がデュー・ディリジェンスの過程で知っていた事項を補償の対象から除外する定めの有無です。この定めがある場合、買主が資料の中で当該取引先の受注減少を認識し得たと評価されると、補償の対象から外れる余地があります。条項の文言を確認したうえで、開示資料の該当箇所を精査します。また、補償を唯一の救済とする定めが置かれている場合には、契約外の請求が制限される可能性がある点にも留意します。

売上及び利益への影響

責任の構成が見えてきたら、次は影響の測定です。ここで多くの買主が誤るのは、失われた売上高をそのまま損害として主張してしまうことです。売上が消えれば、その売上に対応して発生していた材料費や外注費も消えます。測るべきは、その取引先から得られていた利益であり、かつ、会社全体として実際にどれだけ悪化したかです。

限界利益で測る

出発点は、当該取引先に係る売上高から、その売上に直接ひもづいて変動する費用を差し引いた金額です。材料費、仕入原価、外注加工費、運賃、荷造費、販売手数料などがこれに当たります。この金額を月次で、直近の24か月から36か月分について算出します。ここで重要なのは、全社平均の粗利率を当てはめてはならないという点です。大口の取引先は単価が抑えられ、粗利率が全社平均より低いことがしばしばあります。取引先別の元帳から実際の数字を拾います。

残る固定費と余剰能力を織り込む

次に、売上が消えても残る費用を確認します。当該取引先の仕事に専従していた従業員の人件費、その仕事のために導入した機械の減価償却費と保守費用、専用の倉庫の賃料、金型や治具の費用などです。これらは短期的には削減できませんので、その分だけ利益の悪化幅は大きくなります。もっとも、その人員や設備を他の仕事に振り向けられるのであれば、悪化幅はその範囲で縮まります。実際に何か月で他の受注に振り向けられたのか、あるいは遊休となっているのかを月ごとに記録します。

回復の見込みを織り込む

失われた利益が永久に続くと想定するのは、通常は過大です。新たな取引先の開拓、既存の取引先からの受注の拡大、離反した取引先の一部復帰といった回復が、程度の差はあれ見込まれます。そこで、影響を測る期間を区切り、その中で逓減させる考え方を採ります。実務では、1年目は失われた限界利益の全額、2年目はその6割、3年目は3割といった形で置き、4年目以降は見込まないという整理がよく用いられます。逓減の割合に唯一の正解はありませんので、当該業界で顧客の開拓に要する期間や過去の回復の実績といった、自社の事情に基づく説明を用意します。

損害額の算定

影響を測ったら、それを請求する金額に置き換えます。中小企業のM&Aにおける顧客の離反では、次の三つの考え方が用いられます。どれを採るかは、株式譲渡契約の補償条項の文言と、代金がどのように算定されたかによって決まります。複数の考え方で試算し、最も説明のつく金額を主位に置き、他を参考として示すのが実際的です。

失われた利益を積み上げる考え方

第一は、失われる限界利益を将来にわたって積み上げ、必要に応じて現在の価値に引き直す考え方です。前の節で整理した年ごとの逓減率を用い、影響が及ぶ期間を3年程度に区切って合計します。資料との対応関係を示しやすい反面、期間と逓減率の設定に主観が入りますので、その理由を先に文章で説明できるようにしておきます。

株式の価値の差額として捉える考え方

第二は、表明保証が真実であった場合の株式の価値と、真実でなかった場合の株式の価値との差額を損害と捉える考え方です。譲渡代金が、正常収益力として算定した利益に一定の倍率を乗じて決められていた場合には、その算定の枠組みをそのまま用い、失われた利益に同じ倍率を乗じた金額を主張することになります。もっとも、倍率をそのまま乗じてよいかについては争いが生じやすく、売主からは、倍率は会社全体の継続性を前提としたものであり個別の取引先の増減にそのまま乗じるべきではないという反論が予想されます。

代替に要した費用で捉える考え方

第三は、失われた取引を埋めるために現に支出した費用を積み上げる考え方です。営業の人員の増員、広告の出稿、展示会への出展、新規の取引先に対する初期の値引き、遊休となった設備の処分に要した費用などです。金額の裏づけが領収書や契約書で明確であるため争いにくい反面、金額が小さくなりがちですので、他の考え方と組み合わせて用います。

減額の要素をあらかじめ織り込む

どの考え方を採る場合でも、次の減額の要素を自ら先に織り込んでおきます。買主自身の値上げや担当者の交代が寄与している場合はその割合、損害の拡大を防ぐために採るべきであった措置を採らなかった部分、他の取引先からの受注の増加によって現に埋め合わされた部分、補償金を受け取ることによる税負担の影響、そして補償条項に定められた最低額と上限額です。算定の過程は表計算の形で保存し、前提となる数値の出所を一つずつ帳簿の科目まで遡れるようにしておきます。

売主への請求

事実と金額の整理ができたら、売主に対する請求に移ります。ここで落ち着いて行うべきは資料の確保であり、急ぐべきは期間制限への対応です。この順序を誤ると、証拠が失われるか、権利が失われるかのいずれかが生じます。

資料を確保してから動く

売主が会社の役員として残っている場合や、事務所に出入りできる状態にある場合には、請求の意思を示す前に、電子メールのデータ、共有の保存領域の資料、営業の記録、取引先との通知の原本を複製して保全します。会計の帳簿と元帳は、取引先別の集計が可能な形で出力しておきます。従業員から事情を聴く場合には、日時、対象者、質問と回答の要旨を書面にまとめ、可能であれば本人の署名を得ます。売主からの働きかけに備え、聴取は早い時期に行います。

通知の内容と時期

表明保証の存続期間の満了が近い場合には、調査の完了を待たずに期間内に書面で通知します。通知は配達証明付きの内容証明郵便で行い、契約に通知の宛先や方法の定めがあれば、その定めに従います。記載すべきは、対象となる事実の内容と判明の経緯、根拠とする条項の番号と文言、現時点で把握している損害額とその内訳、算定の根拠となる資料の一覧、そして回答を求める期限です。感情的な非難や、責任の追及以外の要求を混ぜると後の交渉の妨げになりますので、事実と条項に限って記載します。

回収の手段を先に確かめる

請求が認められても、相手方に支払う資力がなければ実益は乏しくなります。株式譲渡代金の一部が未払いである場合、分割払いの残額がある場合、業績に連動した追加の支払の定めがある場合には、これらとの相殺又は支払の留保が最も確実な手段になり得ます。代金の一部が第三者に預託されている場合には、その預託の期限と払戻しの条件を確認し、期限の到来前に手続を採ります。

交渉と手続の選択

まずは協議による解決を試みるのが通常です。中小企業のM&Aでは、売主が引継ぎのために一定期間は関与を続けている場合が多く、取引先の一部が復帰する可能性や、売主の紹介による新規の取引先の獲得といった、金銭以外の解決の余地も残ります。協議が調わない場合には、株式譲渡契約に定められた紛争解決の条項を確認します。仲裁の合意がある場合には裁判所に訴えを提起できませんので、条項の内容を先に読み、管轄の定めや準拠法の定めとあわせて確認します。手続に進む場合には、要する期間と費用、経営に及ぶ影響を見積もり、請求し得る金額と比較して判断します。損害の回復には不確実さが伴いますので、和解による早期の解決も選択肢に含めて検討することになります。

よくあるご質問

ここでは、買収の直後に主要な取引先が離れた場面で、買主の方から実際に寄せられることの多い質問を取り上げます。いずれも結論は事案の内容によって異なりますので、ご自身の株式譲渡契約の文言と手元の資料に即して当てはめてご覧ください。

買収後に値上げをしたところ取引先が離れました。売主に請求できますか。

その値上げが離反の原因であるならば、売主に対する請求は成り立ちません。取引先が離れた結果は、買主自身の経営判断がもたらしたものだからです。ただし、値上げの前から受注が落ち込んでいた、値上げの提案に先立って取引先から見直しの申入れが届いていた、といった事情がある場合には、値上げは引き金にすぎず、原因は買収前から存在していたと評価される余地があります。値上げの通知を出した日と、受注が減り始めた月との先後関係を、月次の数字で確認してください。

担当者が買収を機に退職し、その担当先が離れました。どう考えますか。

退職の経緯によります。買主が配置転換や処遇の変更を行った結果として退職したのであれば、買主側の事情です。他方、売主が買収の前から退職の意向を把握していながら開示していなかった場合や、株式譲渡契約に主要な従業員の継続勤務に関する売主の誓約が置かれ、これに反する働きかけがあった場合には、売主の責任を問う余地があります。退職の届出の日付、面談の記録、売主とのやり取りを確認してください。

表明保証の別紙に、その取引先の記載がありませんでした。請求できますか。

重要な取引先を網羅的に列挙する建付けの別紙であれば、記載の漏れ自体が表明保証の違反となり得ます。もっとも、記載がないことよりも、主要な取引先から解除又は取引縮小の申入れを受けていないとする条項の違反として構成するほうが、事実の当てはめが明快になる場合が多くあります。

支配権の異動に関する条項に基づいて解除されました。誰の責任になりますか。

まず、その条項の存在が買主に開示されていたかを確認します。重要な契約の写しが開示されておらず、あるいは開示された一覧にその契約が載っていなかったのであれば、開示に関する表明保証の違反を問い得ます。開示されていた場合には、承諾の取得を誰の義務としていたかが問題になります。実行の前提条件や売主の誓約事項とされていたのであれば売主の責任を問いやすく、買主が承知のうえで承諾を得ずに実行したのであれば、買主が引き受けた危険と評価される可能性が高くなります。

補償の期間制限が過ぎてしまいました。ほかに手段はありますか。

まず、契約に詐欺又は故意による不実の表明があった場合の例外が定められていないかを確認してください。定めがない場合でも、売主が事実を知りながら虚偽の説明をしていたと評価できるときには、契約に基づく補償とは別に、不法行為による損害賠償や、詐欺を理由とする取消しを検討する余地があります。ただし、いずれも売主の認識の立証を要し、補償を唯一の救済とする定めがあると制限を受ける可能性もありますので、見通しは事案により異なります。

離れた取引先に、直接事情を聞いてもよいでしょうか。

差し支えありませんが、目的を分けて臨んでください。第一の目的は取引の再開の可能性を探ることであり、第二の目的は離反の理由を確かめることです。訪問の際は、離反の理由を売主の責任として語らせようとせず、いつ頃からどのような事情で検討を始めたのかを事実として伺うにとどめます。訪問後は、日時、対応者、話の要旨を記録に残してください。取引先を紛争に巻き込まない配慮も必要です。

まだ原因がはっきりしません。売主への連絡はいつすべきですか。

原因の特定と、期間制限への対応とを分けて考えてください。表明保証の存続期間の満了が近いのであれば、調査の途中であっても、期間内に暫定的な通知を出すことを優先します。一方、期間に余裕がある場合には、時系列表と月次の数字をそろえ、買主自身の行動による部分を除いたうえで連絡するほうが、交渉は進めやすくなります。いずれの場合も、最初の連絡の前に社内の資料の保全を済ませておいてください。

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