買収後の売上減少、主要顧客の離反及び中核人材の退職による損害と逸失利益の請求
この記事の位置付け
買収後の業績の悪化については、表明保証違反に引き当てられるかどうか、及び買主自身の経営に起因する部分をどのように切り分けるかが争点となります。本記事では、逸失利益の請求の可否を含めて整理いたします。
損害額算定の総論については別の記事で扱っています。あわせて御覧ください。
株式を譲り受けて経営を引き継いだところ、半年ほどで売上が目に見えて落ち込み始めた。長年の取引先だったはずの会社から取引量を絞りたいと告げられた。現場を支えていた技術者や営業の中心人物が、相次いで辞表を出した。買収の直後にこうした事態が重なると、買主は、自分が買ったものは一体何だったのかという思いを抱くことになります。支払った譲渡代金は、過去の決算数値だけではなく、これから先も同じように事業が回っていくという前提の上に算定されているからです。
他方で、売主の側にも言い分があります。会社を引き渡した後の経営は買主が行っているのであり、売上が落ちたのは買主の経営判断の結果ではないか。顧客が離れたのは、買主の側が値上げをしたり担当者を交代させたりしたからではないか。従業員が辞めたのは、買主が就業規則や評価制度を変えたからではないか。こうした反論は、決して的外れなものではありません。買収後の業績は、売主から引き継いだ要素と、買主自身が加えた要素との両方によって形作られます。
本稿では、買収後に発生した売上の減少、主要な顧客の離反及び中核となる人材の大量退職について、買主が売主に対して損害賠償又は補償を請求できるかどうかを整理します。表明保証条項のどの項目に引き当てられるか、誓約事項との関係はどうか、因果関係の立証にどのような困難があるか、そして将来得られたはずの利益を損害として請求できるかどうかを、買主の立場と売主の立場の双方から見ていきます。譲渡代金1億円から10億円程度の中小企業のM&Aを念頭に置いた記述としています。
買収後の業績悪化という場面で最初に整理すべきこと
買収後に業績が悪化した場合、買主がまず行うべきことは、感情に基づいて売主を責めることではなく、何がいつ起きたのかを時系列で並べることです。請求の可否は、悪化の原因が譲渡実行の前に既に存在していたのか、それとも譲渡実行の後に生じたのかによって、大きく分かれます。この線引きが曖昧なままでは、いかなる主張も説得力を持ちません。
譲渡実行の前に存在した事実か、後に生じた事情か
売主が責任を負う余地があるのは、原則として、譲渡実行の時点で既に存在していた事実に限られます。例えば、主要な顧客が譲渡の3か月前に取引の縮小を通告しており、売主がそれを知りながら開示しなかったという場合は、譲渡実行前の事実です。これに対して、譲渡実行の後に競合他社が新製品を投入し、それによって売上が落ちたという場合は、譲渡実行後の事情であり、売主に責任を問うことは通常できません。
収集すべき資料の具体的な内容
線引きを行うためには、資料が必要です。買収後に手元にある社内資料のうち、次のものを速やかに保全します。第一に、顧客別の月次売上推移表であり、譲渡実行の24か月前から現在までを揃えます。第二に、主要な顧客との間の受発注記録、見積書及び失注記録です。第三に、退職した従業員の退職願、退職面談の記録及び離職票の写しです。第四に、売主が在任中に作成した営業会議の議事録、稟議書及び電子メールです。これらは、時間が経つほど散逸しますので、疑いを持った段階で保全の指示を出すことが実務上有益です。
デュー・ディリジェンスで何を確認していたかの振り返り
買主自身が、買収前の調査、すなわちデュー・ディリジェンスにおいて何を確認し、何を確認しなかったかも振り返る必要があります。売主に対して顧客との契約の継続性を質問し、書面で回答を得ていたのであれば、その回答は後の主張の土台になります。他方、そもそも質問していない事項について、後から売主の説明義務違反を主張することは、容易ではありません。質問と回答のやり取りを記録した書面は、請求の可否を左右する重要な資料です。
表明保証条項のどの項目に引き当てられるか
株式譲渡契約には、通常、表明保証条項が置かれます。これは、売主が買主に対して、対象会社に関する一定の事実が真実かつ正確であることを表明し、保証する条項です。表明保証に違反があった場合、買主は補償条項に基づいて金銭の支払を求めることができます。買収後の業績悪化について請求を行う場合、まず、どの表明保証項目に違反があるかを特定することから始まります。
重要な契約の有効な存続に関する項目
多くの株式譲渡契約には、対象会社が締結している重要な契約が有効に存続しており、対象会社に債務不履行がなく、かつ相手方から解除、解約又は取引条件の変更の申入れを受けていないことを表明保証する条項が置かれます。主要な顧客の離反を問題とする場合、この項目が第一の手がかりになります。確認すべきは、契約書の別紙に当該顧客との契約が列挙されているか、表明保証の文言が「解約の通知を受けていない」までなのか「解約されるおそれのある事情が存在しない」まで及ぶのか、という点です。文言が狭ければ、口頭での取引縮小の示唆は捕捉できません。
従業員に関する事項の項目
従業員に関する表明保証は、多くの場合、未払賃金の不存在、労働紛争の不存在、社会保険の適正な加入といった事項を対象としています。中核となる人材が退職したことそのものを捕捉する文言は、必ずしも置かれていません。ただし、退職の意思表示を受けている従業員がいないこと、又は主要な従業員の一覧が正確であることを表明保証している例はあります。譲渡実行前に既に退職の申出があったにもかかわらず、その一覧に記載されていなかった場合には、この項目への引き当てが可能となる余地があります。
事業に重大な悪影響を及ぼす事実の不存在の項目
包括的な受け皿として、対象会社の事業、財産又は経営成績に重大な悪影響を及ぼす事実が存在しないことを表明保証する条項が置かれることがあります。個別項目に当てはまらない事象について、この条項に引き当てることが試みられます。もっとも、重大な悪影響という文言は抽象的であり、何をもって重大とするかが争点になります。契約書に金額の基準が定められている場合は、その基準を満たすかどうかが先に検討されます。基準が定められていない場合は、譲渡代金の額との対比、営業利益への影響の割合、影響の継続期間といった要素から判断されることになります。
財務諸表の正確性及び簿外債務の不存在との関係
売上の減少それ自体は、過去の財務諸表の不正確さを直ちに意味するものではありません。ただし、譲渡実行前の売上が架空の取引や押し込みによって水増しされていた場合、それは財務諸表の正確性に関する表明保証の違反となり得ます。買収後に売上が急落した場合、その原因が水増しの反動である可能性を検討する価値があります。確認の方法としては、譲渡直前期の売上のうち、実際の出荷や役務提供の記録と突合できないものがないかを洗い出すことが挙げられます。
主要な顧客の離反をどのように位置付けるか
中小企業のM&Aでは、売上の相当部分を上位の数社の顧客が占めていることが少なくありません。その顧客が離れれば、事業の価値は大きく損なわれます。買主が離反を理由として請求を行う場合、離反の原因が売主側にあったことを示す必要があります。
離反の原因の類型
顧客が離れる原因は、いくつかの類型に分けられます。第一に、譲渡実行前に既に取引の縮小又は終了が決まっており、売主がそれを開示しなかった場合です。第二に、当該顧客との取引が売主個人の人的関係に依存しており、売主が退任したことで取引の基盤が失われた場合です。第三に、契約に支配権の変更に関する条項が置かれており、株主が変わったことを理由に顧客が解約権を行使した場合です。第四に、買収後に買主が価格や納期の条件を変更したことで顧客が離れた場合です。このうち、売主に責任を問い得るのは第一と第三であり、第二については契約上の手当ての有無によって結論が分かれ、第四については買主の側の事情です。
支配権の変更に関する条項の確認
主要な取引先との契約に、株主構成の変更があった場合に相手方が解約できる旨の条項が置かれていることがあります。この条項の有無は、買収前の調査で確認すべき事項です。条項が存在するにもかかわらず、売主が契約書を開示しなかった、又は開示した契約書一覧に当該契約を記載しなかった場合には、表明保証違反を主張し得ます。他方、契約書が開示されており、買主が読める状態にあったのであれば、買主の側の調査の不足が問題とされる可能性があります。
取引が売主個人に依存していた場合
創業者が長年の付き合いで受注を確保していた、という事案は中小企業に多く見られます。この場合、売主の退任によって取引が細ることは、ある程度予測できる事象です。買主としては、譲渡実行の前に、売主に対して主要顧客への紹介と引継ぎを求め、その内容を契約上の義務として定めておくことが望まれます。事後に紛争となった際、そうした定めがなければ、売主は「個人の信用に基づく取引であることは買主も承知していたはずである」と反論することになります。
中核となる人材の大量退職をどのように位置付けるか
製造業の熟練工、建設業の有資格者、情報処理業の技術者、士業事務所の有資格職員など、特定の人材が事業の遂行に不可欠である業種は数多くあります。こうした人材が買収後に一斉に退職すれば、受注を維持できず、許認可の要件を満たせなくなることさえあります。
退職の時期と意思決定の時期を区別する
ここで重要なのは、退職した時期ではなく、退職を決意し、又は退職の意思を表明した時期です。譲渡実行の前に既に退職の申出をしていた従業員がいたにもかかわらず、売主がそれを買主に伝えていなかったのであれば、開示の不備を問題にできます。他方、譲渡が公表された後に、新しい経営方針を嫌って退職を決めたというのであれば、それは譲渡実行後の事情です。退職願の日付、退職面談の記録、社内の連絡文書の日付を突き合わせることで、この区別は相当程度明らかになります。
許認可及び資格者要件への影響
建設業、産業廃棄物処理業、宅地建物取引業、介護事業などでは、一定の資格を有する者を配置することが許認可の要件とされています。その資格者が退職すれば、許認可を維持できなくなり、事業そのものが継続できなくなります。この場合の損害は、単なる売上の減少にとどまりません。買収前の調査においては、資格者が誰であり、その者が譲渡後も在籍する見込みがあるかを、名簿と本人への確認の双方によって押さえておくことが実務上有益です。
競業避止義務及び従業員の引抜きの禁止
退職した従業員が、売主が新たに設立した会社又は売主の関連会社に移籍しているという事案があります。この場合は、売主の競業避止義務違反及び従業員の引抜きの禁止に関する条項の違反として構成することが考えられます。株式譲渡契約に、売主が譲渡実行後の一定期間、対象会社と競合する事業を行わないこと、及び対象会社の従業員を勧誘しないことを定める条項が置かれているかを確認します。退職者の転職先を把握することは、この主張の前提となります。
誓約事項及び補償条項との関係
表明保証条項は、過去及び契約時点の事実に関する保証です。これに対して誓約事項は、当事者が一定の行為を行うこと又は行わないことを約束する条項であり、将来に向けた義務を定めます。買収後の業績悪化を巡っては、この誓約事項の内容が結論を左右することが少なくありません。
中核となる人材の継続勤務に関する条項
実務では、事業の遂行に不可欠な人材を特定し、その者が譲渡実行後の一定期間、対象会社に在籍することを譲渡実行の前提条件とし、又は売主の努力義務として定めることがあります。この条項の定め方には幅があります。第一に、譲渡実行の前提条件として、対象者から継続勤務に関する同意書を取得することを求める形です。第二に、売主が対象者の継続勤務に向けて最大限努力する義務を負う形です。第三に、対象者が一定期間内に退職した場合に、譲渡代金の一部を減額し、又は売主が違約金を支払う形です。買主の立場からは、第一と第三を組み合わせることが望ましく、第二だけでは実効性に乏しいというのが率直なところです。
顧客への説明に関する条項
主要な顧客に対して、いつ、誰が、どのように株主の変更を説明するかを定める条項も置かれます。売主が同行して説明を行い、取引の継続について理解を求めるという内容です。この義務を売主が履行しなかったために顧客が離れたのであれば、誓約事項の違反として請求を組み立てる余地があります。逆に、売主が定められたとおりに説明を行ったにもかかわらず顧客が離れたのであれば、売主の義務は履行されており、責任を問うことは困難になります。訪問の日時と同席者を記録に残しておくことが、双方にとって意味を持ちます。
補償条項の制限に関する定め
補償条項には、通常、制限が付されています。第一に、請求できる期間の制限であり、譲渡実行から12か月又は24か月といった期間が定められます。第二に、1件当たりの金額が一定額に達しなければ請求できないという定めです。第三に、請求の総額が一定の金額に達して初めて請求できるという定めです。第四に、補償額の上限であり、譲渡代金の一定割合とされることが一般的です。請求を検討する際には、まずこれらの制限に抵触しないかを確認します。期間の制限は特に重要であり、業績の悪化に気付いてから資料を集めているうちに期間が経過してしまうという事態は、現実に起こり得ます。
因果関係の立証という最大の関門
表明保証違反又は誓約事項違反が認められたとしても、それだけで金銭の支払が命じられるわけではありません。違反と損害との間に因果関係が必要です。買収後の業績悪化を巡る紛争において、この因果関係の立証こそが、最も高い壁となります。
買主自身の経営に起因する部分の切り分け
買収後の会社は、買主が経営しています。買主は、価格を改定し、人事制度を見直し、システムを入れ替え、営業の方針を変えます。売上が減少したとき、その原因が売主から引き継いだ事情にあるのか、買主が加えた変更にあるのかは、直ちには判別できません。売主の側は、この点を必ず突いてきます。買主としては、買収後に自らが行った変更を時系列で整理し、売上の減少がその変更よりも前から始まっていたこと、又は変更を行っていない部門でも同様に減少していることを示すといった立証の工夫が求められます。
外部環境の変化との切り分け
景気の後退、原材料価格の高騰、法規制の変更、競合他社の参入といった外部環境の変化も、売上の減少をもたらします。これらは売主の責任に帰し得ない事情です。買主としては、同業他社の業績や業界統計と対比して、対象会社の落ち込みが業界全体の傾向を超えていることを示すことが考えられます。逆に、業界全体が同じように落ち込んでいるのであれば、売主に責任を問うことは難しくなります。
立証の方法として何を用いるか
因果関係の立証に用いる資料としては、次のものが考えられます。顧客別かつ月次の売上推移、離反した顧客の担当者から得た書面又は聴取の記録、退職者から得た退職理由に関する陳述、業界団体が公表する統計、対象会社の内部で作成された営業報告書などです。特に、離反した顧客が「経営者が交代したことを理由に取引を見直した」と述べているのか、「価格が上がったことを理由に他社に切り替えた」と述べているのかは、決定的な違いを生みます。第三者からの聴取は、時間の経過とともに困難になりますので、早期に着手する必要があります。
逸失利益又は将来の利益を損害として請求できるか
買主が最も強く感じている損害は、多くの場合、これから得られたはずの利益を失ったという点にあります。しかし、この将来の利益を損害として請求できるかどうかは、契約の定めと法律上の考え方の双方に照らして検討する必要があります。
契約書に間接損害及び逸失利益を除外する定めがある場合
株式譲渡契約の補償条項には、間接損害、特別損害、逸失利益及び事業機会の喪失に係る損害を補償の対象から除外する旨の定めが置かれていることがあります。この定めがある場合、買主が将来の利益を請求することは、原則として封じられます。もっとも、除外の文言がどこまで及ぶかは解釈の問題です。例えば、離反した顧客との取引が継続していれば得られたはずの利益が逸失利益に当たるとしても、売上の減少によって固定費を回収できなくなった分は直接の損害として構成し得る、という主張が試みられます。また、売主に故意又は重大な過失がある場合には除外の定めを適用しないという例外が置かれていることもあり、その適用の可否が争点となります。
除外の定めがない場合の考え方
除外の定めがない場合には、損害賠償の一般的な考え方に立ち返ります。民法第415条第1項は、債務の本旨に従った履行がされないときに債権者が損害賠償を請求できることを定めています。そして、その範囲については、民法第416条が、債務不履行によって通常生ずべき損害を対象とし、特別の事情によって生じた損害については当事者がその事情を予見すべきであったときに限り請求できることを定めています。将来の利益が通常生ずべき損害に当たるか、特別の事情による損害に当たるかは、事案によって異なります。
相当因果関係の範囲をどう考えるか
実務上の争点は、将来の利益をどの期間について認めるかという点に集約されます。離反した顧客との取引が、仮に離反がなければ永久に続いたと考えることは通常できません。過去の取引期間、契約の残存期間、当該業界における取引関係の平均的な継続年数、対象会社の他の顧客の状況といった要素から、合理的に見込まれる期間を設定し、その期間に係る利益を算定するという考え方が取られます。また、買主が代替の顧客を獲得する努力を行ったかどうかも、損害の拡大を防ぐ観点から考慮され得ます。
損害額の算定方法の選択
損害額の算定には、いくつかの方法があります。第一に、失われた売上に限界利益率を乗じて算定する方法です。第二に、譲渡代金が事業計画上の利益に基づいて算定されていた場合に、その前提が誤っていたことによる代金の過払分として算定する方法です。第三に、企業価値評価の手法を用いて、表明保証違反がなかった場合の株式価値と実際の株式価値との差額を算定する方法です。いずれの方法を用いるかは、契約書の補償条項の文言と、手元にある資料の内容によって決まります。事業計画に基づく評価が行われていた場合には、その計算過程を示す資料が重要な意味を持ちます。
買主の立場からの主張の型と売主の立場からの反論の型
紛争の見通しを立てるためには、双方がどのような主張を組み立てるかを予め理解しておくことが役に立ちます。ここでは、実際の交渉及び訴訟で繰り返し現れる主張の型を整理します。
買主の側が組み立てる主張
買主の側は、おおむね次の順序で主張を構成します。第一に、譲渡実行の時点で既に存在していた事実を特定し、それが表明保証の対象に含まれることを示します。第二に、売主がその事実を知っていたこと、又は知り得たことを、社内資料や電子メールによって示します。第三に、その事実が買主に開示されていれば、譲渡代金の額又は取引の条件が異なっていたことを述べます。第四に、悪化した業績のうち、当該事実に起因する部分を切り分けて算定します。第五に、契約上の期間の制限、金額の下限及び上限に抵触しないことを確認して、請求額を確定します。
売主の側が組み立てる反論
売主の側は、次の反論を用意します。第一に、表明保証の文言が当該事実を捕捉していないという反論です。第二に、当該事実は既に開示済みであり、開示された資料の中に含まれていたという反論です。第三に、買主は買収前の調査でその事実を知っていた、又は通常の調査を行えば知り得たという反論であり、契約に売主が知る限りという限定が付されている場合には、その限定を援用します。第四に、業績の悪化は買収後の買主の経営判断又は外部環境の変化によるものであるという反論です。第五に、逸失利益は補償の対象から除外されているという反論です。第六に、補償を請求できる期間が既に経過しているという反論です。
交渉による解決の実際
これらの主張が正面からぶつかると、判断には時間と費用がかかります。そのため、実務では、譲渡代金の一部を返還する、未払の分割代金の支払を減額する、売主が保有する残余株式の買取価格を調整する、売主が一定期間の顧客対応に無償で協力するといった形で、交渉により解決が図られる例が多く見られます。買主としては、請求の根拠を丁寧に組み立てたうえで交渉に臨むことが、結果として早期の解決につながることがあります。
紛争を未然に防ぐための契約上の工夫
ここまでは、事後の請求について述べてきました。もっとも、最も効果があるのは、契約を締結する段階での手当てです。これから買収を行う立場の方にとっては、次の点が参考になります。
代金の一部を後払とする仕組み
譲渡代金の全額を譲渡実行時に支払うのではなく、一部を一定期間後に支払うこととし、その間に表明保証違反が判明した場合には支払額から控除できるようにする仕組みがあります。また、買収後の業績が一定の水準に達した場合に追加の代金を支払うという、業績連動型の定めを置くこともあります。後者は、売主にとっても引継ぎに協力する動機となり得ます。
顧客及び人材に関する前提条件の設定
譲渡実行の前提条件として、主要な顧客の上位数社から取引継続に関する確認を得ていること、及び事業の遂行に不可欠な人材から継続勤務に関する同意書を得ていることを定める方法があります。前提条件が満たされない場合には、買主が実行を拒み、又は条件の再交渉を求めることができます。事後の損害賠償よりも、事前の確認のほうが、はるかに実効性があります。
表明保証保険の検討
表明保証違反による損害を対象とする保険を利用する方法もあります。売主の資力に不安がある場合や、売主が代金を分配して手元に資金を残さない見込みである場合に、検討の余地があります。ただし、保険には対象外となる事項があり、また買収前の調査を十分に行っていることが引受けの前提とされますので、あらゆる場面で利用できるわけではありません。中小企業のM&Aにおける利用の可否は、案件の規模や内容によって異なります。
よくあるご質問
ここでは、買収後の業績悪化に関して実際に多く寄せられる疑問について、順にお答えします。事案によって結論が異なる事柄が多く含まれますので、個別の判断にあたっては契約書の全文と手元の資料をご確認ください。
買収から1年が経ってから売上の減少に気付きました。今から請求できますか
まず株式譲渡契約の補償条項を確認してください。補償を請求できる期間が譲渡実行から12か月と定められている場合、その期間を過ぎていれば、契約に基づく請求は困難になります。ただし、売主に故意による不実の表明があった場合には、期間の制限を適用しない旨の例外が置かれていることがあります。また、契約上の補償とは別に、不法行為に基づく損害賠償の請求を検討する余地もあります。いずれにしても、期間の制限は請求の可否を大きく左右しますので、疑いを持った段階で契約書を確認することをお勧めします。
主要な顧客が離れた原因が、売主の退任にあるのか、当方の値上げにあるのか判然としません
この場合は、離反の時期と当方が値上げを行った時期との前後関係を確認することが出発点になります。値上げの通知より前に取引の縮小が始まっていたのであれば、値上げが原因であるという説明は成り立ちにくくなります。あわせて、当該顧客の担当者に対して、取引を見直した理由を確認し、その内容を記録に残すことが有益です。値上げを行っていない他の顧客についても同様の離反が生じているのであれば、値上げ以外の原因があることを示す材料になります。
中核となる人材の継続勤務に関する条項を契約に入れていませんでした。何か請求できますか
その条項がない場合でも、従業員に関する表明保証、又は事業に重大な悪影響を及ぼす事実の不存在に関する表明保証への引き当てを検討します。鍵となるのは、譲渡実行の前に退職の意思表示が既にされていたかどうかです。既に退職の申出を受けていたにもかかわらず、売主がそれを開示せず、従業員名簿にも反映していなかったのであれば、表明保証違反を主張し得ます。他方、譲渡実行後に退職を決めたのであれば、売主に責任を問うことは難しくなります。また、退職者が売主の関係する会社に移籍している場合には、競業避止義務又は従業員の勧誘の禁止に関する条項の違反として構成する余地があります。
契約書に逸失利益を除外する定めがあります。将来の利益は一切請求できないのでしょうか
除外の定めがある以上、将来の利益をそのまま請求することは原則として困難です。もっとも、検討の余地がいくつかあります。第一に、除外の対象が何かを文言に即して確認することです。間接損害及び逸失利益とのみ記載されている場合、何が直接の損害に当たるかは解釈の問題として残ります。第二に、故意又は重大な過失がある場合の例外の有無です。第三に、損害を将来の利益としてではなく、譲渡代金の過払分として構成できるかどうかです。事業計画に基づいて代金が算定されていた場合には、その前提の誤りを主張する道があり得ます。
売主は「引き渡した後の経営は買主の責任である」と主張しています。どう反論すればよいですか
この主張は一般論としては正当ですので、正面から否定するのではなく、時期と範囲で切り分けることが有効です。具体的には、業績の悪化が当方の経営上の変更よりも前から始まっていたことを月次の数値で示すこと、当方が変更を加えていない部門でも同様の悪化が生じていることを示すこと、離反した顧客や退職した従業員から得た説明が売主側の事情を指していることを示すことが考えられます。要は、悪化した全体のうち、売主に帰し得る部分がどれだけであるかを、資料に基づいて特定していく作業になります。
買収前の調査で気付くべきだったと言われています。買主の調査不足は不利に働きますか
働き得ます。株式譲渡契約に、買主が知っていた事項については補償を請求できない旨の定めが置かれている場合には、その定めの適用が問題となります。もっとも、買主が現実に知っていたことと、調査を尽くせば知り得たこととは区別されます。売主が積極的に事実を秘匿し、又は虚偽の説明を行っていた場合には、買主の調査の程度にかかわらず売主の責任が認められる余地があります。買収前の調査における質問と回答のやり取りを記録した書面が残っていれば、その点を示す有力な資料になります。
訴訟を起こす前に、まず何をすればよいですか
第一に、株式譲渡契約の全文と別紙、及び買収前の調査で開示された資料の一式を揃えます。第二に、業績悪化の状況を月次かつ顧客別に整理し、退職者の一覧を作成します。第三に、社内の電子メールと文書を保全し、削除されないよう指示を出します。第四に、補償を請求できる期間が経過していないかを確認します。第五に、これらを踏まえて、売主に対して事実関係の説明を求める書面を送ります。書面を送ることで期間の経過を防ぎ得る場合もありますので、この手順は早めに進める価値があります。
まとめ
買収後の売上の減少、主要な顧客の離反及び中核となる人材の大量退職は、いずれも買主に深刻な打撃を与えます。しかし、これらの事象が生じたという事実だけでは、売主に対する請求は成り立ちません。譲渡実行の前に存在していた事実であること、それが表明保証又は誓約事項の対象に含まれること、売主がそれを開示していなかったこと、そして業績の悪化のうち当該事実に起因する部分が特定できることを、資料に基づいて示していく必要があります。
とりわけ、因果関係の切り分けと、将来の利益を損害として請求できるかという二つの論点は、結論を大きく左右します。契約書に逸失利益を除外する定めがあるかどうかを確認し、除外がある場合には損害の構成そのものを組み替えることを検討します。あわせて、補償を請求できる期間の制限に注意し、疑いを持った段階で速やかに資料の保全と事実の確認に着手することが求められます。
これから買収を行う立場であれば、事後の請求よりも事前の手当てのほうがはるかに確実です。主要な顧客と不可欠な人材について、譲渡実行の前提条件として確認を取り付けること、代金の一部を後払とすること、中核となる人材の継続勤務に関する条項と顧客への説明に関する条項を具体的に定めることが、後の紛争を防ぎます。弁護士法人M&A総合法律事務所では、買収後の業績悪化に関する請求の検討、及び契約締結段階での条項の設計について、買主の立場からも売主の立場からもご相談をお受けしています。事案の内容によって取り得る手段は異なりますので、契約書と手元の資料をご持参のうえ、お早めにご相談ください。
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