M&Aで計上した「のれん」の相当額を損害賠償の対象とすることができるか

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会計上計上した「のれん」の減損損失をそのまま損害として請求できるかどうかは、実務上しばしば争われる論点です。本記事では、会計上の処理と法律上の損害との区別を踏まえて整理いたします。

損害額算定の総論及び利益倍率による算定の当否については別の記事で扱っています。あわせて御覧ください。

会社を買い受けてから1年ほどが経ち、決算を締める段になって、会計士から「のれんの減損を検討する必要があります」と告げられる。買収の際に7億円を支払い、そのうち4億円を「のれん」として資産に計上していたところ、対象会社の業績が想定を大きく下回り、その4億円の全部又は一部を一度に費用として落とさなければならない、という話です。損益計算書には多額の損失が並び、金融機関との交渉にも影響が出ます。

そこで買主の側は、当然のことながら、この損失を売主に請求できないかと考えます。しかも調べてみると、対象会社には売主が説明していなかった債務があり、主要な取引先との契約は既に解約の通知を受けていた。表明保証に違反しているのではないか、それならば減損した4億円を損害として請求できるのではないか。こうした相談は、中小企業のM&Aの後に少なからず持ち込まれます。

本稿では、この「のれんの額又はその減損損失の額を、そのまま損害賠償の対象とすることができるか」という問題を整理します。結論を先に申し上げますと、減損損失の額をそのまま損害額として認めさせることは容易ではありません。他方で、買収価格の算定に用いられた前提が虚偽であった場合には、正しい前提に基づく価格との差額を損害として構成する道があります。買主の側の主張の型と、売主の側の反論の型とを、双方お示しします。

Contents
  1. 「のれん」とは会計上どのような数値か
    1. なぜ純資産を超える金額を支払うのか
    2. 「のれん」は独立して評価された金額ではない
    3. 中小企業のM&Aにおける「のれん」の規模
  2. 日本の会計基準における償却と減損の取扱い
    1. 定期償却という考え方
    2. 減損損失という考え方
    3. 国際的な会計基準との違い
  3. 減損損失をそのまま損害と見ることへの批判
    1. 減損損失は現実の支出を伴わない
    2. 減損の金額は買主の見積りに依存する
    3. 買収後の事情による悪化が混入する
    4. 「のれん」は残差にすぎないという批判
  4. 前提が虚偽であった場合に差額を損害とする考え方
    1. 正しい情報に基づく価格との差額という構成
    2. 算定方法との結び付きを示す
    3. 具体的な計算の例
    4. 「のれん」の減損が果たす役割
  5. 税務上の資産調整勘定との関係
    1. 株式譲渡の場合には税務上の「のれん」は生じない
    2. 事業譲渡や合併の場合の資産調整勘定
    3. 損害額の計算において考慮すべき点
  6. 契約書に損害の範囲を限定する定めがある場合
    1. 間接損害や逸失利益を除外する定め
    2. 倍率法や算定式による損害の拡大を認める定め
    3. 上限額、下限額及び請求期間の制限
  7. 買主の立場からの主張の組み立て方
    1. 第1段階として違反の事実を特定する
    2. 第2段階として価格算定の前提を再現する
    3. 第3段階として複数の損害構成を並べる
    4. 減損の主張は補助的に位置付ける
  8. 売主の立場からの反論の組み立て方
    1. 会計処理と損害とを区別させる
    2. 因果関係を切り分ける
    3. 買主の調査の程度を問題とする
    4. 契約上の制限を活用する
  9. よくあるご質問
    1. のれんを全額減損しました。その全額を売主に請求できますか
    2. 買収価格の算定書を作っていません。それでも差額を主張できますか
    3. のれんの償却負担が重く、毎期の利益が出ません。これも損害ですか
    4. 減損の判定を先送りした場合、請求に不利になりますか
    5. 事業譲渡で買った場合と株式譲渡で買った場合とで違いはありますか
    6. 契約書に「間接損害を含まない」とあります。請求は諦めるべきですか
    7. 売主に賠償能力がない場合、どうすればよいですか
  10. まとめ

「のれん」とは会計上どのような数値か

まず、言葉の意味を確認します。「のれん」とは、会社を買収した際に支払った対価の額が、取得した資産と引き受けた負債との差額、すなわち純資産の額を上回る場合の、その上回る部分をいいます。7億円を支払って、時価で評価し直した純資産が3億円であったならば、差額の4億円が「のれん」として買主の貸借対照表に資産として計上されます。逆に対価が純資産を下回る場合には「負ののれん」として利益に計上される取扱いが一般にとられています。

なぜ純資産を超える金額を支払うのか

純資産の額を超えて対価を支払うことには、経済的な理由があります。会社の価値は、貸借対照表に載っている財産の合計ではありません。長年にわたって築いた取引先との関係、技術者の熟練、地域における信用、許認可の存在、そういった帳簿に載らない要素が、将来の収益を生み出します。買主はその将来の収益を見込んで対価を決めますので、帳簿上の純資産を超える金額になることが通常です。「のれん」とは、この超過収益力を金額に置き換えた残差であると説明されます。

「のれん」は独立して評価された金額ではない

ここで押さえておくべきことは、「のれん」が独立に測定された金額ではないという点です。「のれん」は、支払った対価から純資産の時価を差し引いた「残り」として算出されます。したがって、対価を高く払えば「のれん」は大きくなり、安く買えば小さくなります。「のれん」の額それ自体は、対象会社の何らかの実体を直接測ったものではなく、取引の結果として事後的に決まる差額なのです。この性質は、後に述べる損害論において決定的な意味を持ちます。

中小企業のM&Aにおける「のれん」の規模

譲渡代金が1億円から10億円程度の中小企業のM&Aでは、対象会社の純資産が小さく、収益力に対して対価が決められることが多いため、対価の半分以上が「のれん」となる例も珍しくありません。特に、人材や取引関係が価値の中心を占める業種、例えば建設業、人材サービス業、調剤薬局、介護事業などでは、純資産がほとんどないのに数億円の対価が支払われることがあります。この場合、「のれん」が減損すれば、その影響は買主の決算に直接跳ね返ります。

日本の会計基準における償却と減損の取扱い

次に、計上された「のれん」がその後どのように処理されるかを見ます。日本の会計基準と国際的な会計基準とでは取扱いが異なりますので、対象会社の買主がどの基準を用いているかによって、決算に現れる姿が変わります。中小企業のM&Aでは日本の会計基準が用いられることが通常ですので、以下は日本の会計基準を前提として述べます。

定期償却という考え方

日本の会計基準においては、計上された「のれん」は、その効果の及ぶ期間にわたって定期的に償却するという取扱いが一般にとられています。企業結合に関する会計基準では、20年以内の期間にわたって規則的に償却するものとされていると理解されています。10年で償却するのであれば、4億円の「のれん」は毎年4,000万円ずつ費用となり、その分だけ利益が圧縮されます。買主が買収後の事業計画を立てる際には、この償却負担を織り込んでおく必要があります。

減損損失という考え方

他方で、対象会社の収益力が当初の見込みを大きく下回った場合には、定期償却とは別に、資産の帳簿価額を回収可能な金額まで一度に切り下げる処理が求められることがあります。これが減損です。固定資産の減損に係る会計基準に基づく処理であり、「のれん」もその対象に含まれるとされています。減損の兆候があるかどうかを判定し、兆候があれば将来のキャッシュ・フローの見積りと帳簿価額とを比較し、回収できないと判断されれば減損損失を計上するという段階を踏むのが一般的な流れです。

国際的な会計基準との違い

国際財務報告基準では、「のれん」を定期的に償却せず、毎期の減損の判定のみによって処理するという考え方がとられているとされています。この違いにより、同じ買収であっても、日本の会計基準を用いる会社では毎期少しずつ費用が発生し、国際財務報告基準を用いる会社では平時には費用が発生しない代わりに、悪化した際に一度に大きな損失が現れることになります。損害賠償の場面では、どちらの基準を用いているかによって「減損損失」という数値の意味合いが変わりますので、前提として確認しておく必要があります。

減損損失をそのまま損害と見ることへの批判

ここからが本題です。買主が「のれんを4億円減損したので4億円を賠償せよ」と主張したとき、売主の側からは強い反論が返ってきます。この反論には相当の説得力がありますので、買主としてもあらかじめ理解しておく必要があります。

減損損失は現実の支出を伴わない

第1の批判は、減損損失が会計上の帳簿価額の切下げにすぎず、現実の金銭の流出を伴わないという点です。買主が実際に支出したのは買収代金であって、減損の計上によって新たに金銭を支払ったわけではありません。損害賠償は、債務不履行がなければ置かれていたであろう財産状態との差を回復するものですから、帳簿上の数値の変動をそのまま損害と呼ぶことには、理論上の飛躍があるという指摘です。

減損の金額は買主の見積りに依存する

第2の批判は、減損損失の金額が買主自身の将来キャッシュ・フローの見積りによって決まるという点です。買主が悲観的な事業計画を作れば減損額は大きくなり、楽観的な計画を作れば小さくなります。売主から見れば、賠償を請求する側が自ら金額を作り出せる構造になっており、これを損害額としてそのまま認めることは相当でない、という主張になります。実際の交渉や訴訟でも、この点は激しく争われます。

買収後の事情による悪化が混入する

第3の批判は、減損の原因が売主の契約違反だけに求められるとは限らないという点です。買収後に買主が経営方針を変え、従業員が離職し、取引先との関係が悪化した。あるいは景気の後退や法令の改正といった外部の事情が生じた。これらは売主の責任ではありません。減損損失の総額には、こうした買収後の事情による価値の減少が含まれていますので、そのうち売主の契約違反に起因する部分を切り分けなければ、因果関係を認めることは困難です。

「のれん」は残差にすぎないという批判

第4の批判は、先に述べた「のれん」の性質に関わります。「のれん」は対価から純資産を差し引いた残差であり、高く買った買主ほど大きな「のれん」を抱えます。同じ会社を同じ内容の契約違反のもとで買った二人の買主がいても、支払った対価が異なれば「のれん」の額は異なり、減損額も異なります。損害額が買主の値付けの巧拙によって左右されるという結論は、賠償の制度として不自然である、という指摘です。

前提が虚偽であった場合に差額を損害とする考え方

もっとも、以上の批判は「減損損失の額をそのまま損害額とすること」に向けられたものであって、「のれんに関わる価値の毀損がおよそ賠償の対象とならない」ということを意味しません。買主の側には、別の構成の仕方があります。

正しい情報に基づく価格との差額という構成

買主が主張すべきことは、減損したという結果ではなく、価格の算定の過程です。すなわち、買収価格は一定の前提のもとに算定された。その前提のうちに虚偽が含まれていた。真実の情報を前提として同じ算定方法を用いれば、価格はより低い金額となったはずである。したがって、実際に支払った価格と、真実の情報を前提とした価格との差額が、買主の被った損害である。この構成であれば、会計処理の当否ではなく、価格算定という実体に基づいて損害を説明することができます。

算定方法との結び付きを示す

この構成が成り立つためには、価格がどのように算定されたかを具体的に示す必要があります。中小企業のM&Aでは、利払前税引前償却前利益に一定の倍率を乗じて事業の価値を求め、そこから純有利子負債を控除して株式の価値を求める方法や、将来のキャッシュ・フローを一定の割引率で現在価値に引き直す割引現在価値法、あるいは時価純資産に数年分の利益を加算する方法などが用いられます。いずれの方法であっても、算定の入力値が特定されていれば、その入力値を真実の数値に置き換えて再計算することが可能です。

具体的な計算の例

例えば、直近期の利払前税引前償却前利益が1億円であるとの前提で倍率7倍を乗じ、事業価値7億円から有利子負債を控除して株式価値を算定したとします。ところが、その1億円のうち3,000万円が架空の売上げの計上によるものであったことが判明した。真実の利益は7,000万円ですから、同じ倍率を用いれば事業価値は4億9,000万円となり、差額は2億1,000万円です。この2億1,000万円が、買主が過大に支払った金額であるという主張になります。「のれん」の減損額が幾らであったかは、この計算には登場しません。

「のれん」の減損が果たす役割

このように構成する場合、「のれん」の減損は損害額そのものではありませんが、無意味ではありません。減損の事実は、対象会社の収益力が当初の見込みを下回ったことを示す一つの資料となりますし、減損の判定にあたって作成された将来キャッシュ・フローの見積書は、対象会社の実態を示す証拠として用いることができます。損害額の計算の基礎としてではなく、事実の裏付けとして位置付けるのが穏当です。

税務上の資産調整勘定との関係

会計上の「のれん」と並んで、税務上も似た概念があります。用語と取扱いが異なりますので、混同しないよう整理しておきます。

株式譲渡の場合には税務上の「のれん」は生じない

まず前提として、株式を取得する方法によるM&Aでは、買主が取得したのは株式であって、対象会社の資産そのものではありません。この場合、買主の個別の貸借対照表には子会社株式が計上されるだけであり、連結の手続を経て初めて「のれん」が現れます。税務の上でも、株式の取得価額が資産として認識されるにとどまり、償却の対象となる資産は生じないという扱いが一般にとられています。中小企業のM&Aの多くは株式譲渡ですので、この点は実務上重要です。

事業譲渡や合併の場合の資産調整勘定

これに対し、事業譲渡や一定の要件を満たさない合併など、資産と負債を直接に引き継ぐ形態の場合には、支払った対価が引き継いだ純資産の額を超える部分について、税務上「資産調整勘定」として認識され、一定の期間にわたって損金に算入されるという取扱いがあるとされています。この場合には、税額の軽減という現実の経済的効果が生じますので、会計上の「のれん」とは意味合いが異なります。

損害額の計算において考慮すべき点

損害賠償の場面では、この違いが金額に影響します。仮に買主が資産調整勘定を通じて税負担の軽減を受けているのであれば、過大に支払った金額の全額がそのまま損失として残っているとは限りません。売主の側からは、この点を指摘して損害額の減額を求める余地があります。逆に、株式譲渡であって税務上の償却が一切生じない場合には、そうした調整の主張は成り立ちにくくなります。契約の形態がどちらであったかを、まず確認してください。

契約書に損害の範囲を限定する定めがある場合

ここまでは法律上の原則を述べてきましたが、実際の紛争では、契約書の文言が結論を左右します。株式譲渡契約には、補償に関する詳細な条項が置かれていることが通常であり、そこには損害の範囲を限定する定めが含まれていることが多くあります。

間接損害や逸失利益を除外する定め

典型的なものは、「間接損害、特別損害、逸失利益及び事業機会の喪失による損害を含まない」という趣旨の定めです。売主の側は、「のれん」の減損や将来の収益の減少はこれらに当たると主張することになります。買主の側は、過大に支払った対価の返還を求めるものであって、直接の損害であると主張することになります。この対立は、条項の文言の解釈によって決着しますので、契約の締結時にどのような言葉を選ぶかが極めて重要です。

倍率法や算定式による損害の拡大を認める定め

逆に、買主に有利な定めが置かれることもあります。すなわち、対象会社の利益が表明保証に違反して過大に表示されていた場合には、その差額に買収価格の算定に用いた倍率を乗じた金額を損害とする、という趣旨の定めです。こうした条項があれば、先に述べた差額の計算を契約上の根拠をもって主張できます。中小企業のM&Aの契約書では明記されていないことも多いのですが、交渉の段階で買主が提案する価値のある条項です。

上限額、下限額及び請求期間の制限

さらに、補償の総額に上限を設ける定め、一定の金額に達しない請求は行えないとする定め、請求できる期間を1年ないし2年に限る定めが置かれていることが一般的です。損害額をどれほど大きく構成できたとしても、上限額を超えて回収することはできません。期間の制限は特に見落とされやすく、減損の判定が翌々期の決算で行われた頃には、既に請求期間が経過していたという事態が起こり得ます。契約書を受け取ったら、まず請求期間の定めを確認してください。

買主の立場からの主張の組み立て方

以上を踏まえ、買主が実際に請求する場面での組み立て方を整理します。順序を誤ると、最も強い主張が埋もれてしまいます。

第1段階として違反の事実を特定する

まず、どの表明保証条項の、どの部分に違反があったのかを特定します。財務諸表の正確性に関する条項か、簿外債務の不存在に関する条項か、重要な契約の有効性に関する条項か、係争の不存在に関する条項か。条項ごとに、違反を基礎付ける事実と、それを示す資料とを対応させて整理してください。違反の事実が曖昧なままでは、いかに損害額を精緻に計算しても認められません。

第2段階として価格算定の前提を再現する

次に、買収価格がどのように算定されたかを、当時の資料に基づいて再現します。M&A仲介会社が作成した企業概要書、買主が提出した意向表明書、価格の交渉に用いた計算書、取締役会の資料、これらに算定の前提と数値が残っています。どの数値を入力し、どの倍率又は割引率を用いたかを明らかにしたうえで、虚偽であった数値を真実の数値に置き換えて再計算します。

第3段階として複数の損害構成を並べる

そのうえで、損害の構成を一本に絞らず、複数を並べて主張することが実務上有効です。第一に、価格の差額としての構成。第二に、簿外債務が現に弁済を要した場合には、その支出額としての構成。第三に、対象会社が失った取引先からの収益について、確実性の高い範囲での逸失利益としての構成。裁判所がいずれの構成を採るかは事案によって異なりますので、選択肢を用意しておくことが賢明です。

減損の主張は補助的に位置付ける

「のれん」の減損については、損害額そのものとしてではなく、価値の毀損が現実に生じたことを示す事実として主張します。減損の判定に用いた将来キャッシュ・フローの見積書、それを裏付ける実績の推移、監査を受けている場合には会計士の判断の経緯、これらを資料として提出します。主位的な主張を減損額に置いてしまうと、先に述べた批判を正面から受けることになりますので、順序に注意してください。

売主の立場からの反論の組み立て方

他方、請求を受けた売主の側にも、検討すべき反論の型があります。中小企業のM&Aでは、売主は譲渡代金を退職金や個人の債務の返済に充ててしまっていることが多く、多額の賠償請求は生活そのものに関わります。

会計処理と損害とを区別させる

第1に、減損損失は会計上の処理であって現実の支出ではないこと、その金額は買主自身の見積りに依存すること、これらを明確に主張します。買主が減損額をそのまま損害として主張している場合には、この反論だけで請求の相当部分が崩れることがあります。買主が作成した減損の判定資料の開示を求め、見積りの前提が妥当であるかを検証してください。

因果関係を切り分ける

第2に、価値の低下の原因を分解します。買収後の経営方針の変更、キーパーソンの退職、買主による人員の配置転換、業界全体の環境の変化、これらの事情があれば、価値の低下のうち売主の契約違反に起因する部分は限定されると主張できます。買収後の取締役会議事録、事業計画の変更に関する資料、従業員の退職の状況などを求めることが考えられます。

買主の調査の程度を問題とする

第3に、買主がデュー・ディリジェンスにおいて何を調査し、何を認識していたかを問題とします。買主が既に知っていた事情については、表明保証違反を理由とする請求が制限されるという考え方があります。契約書に、買主が知っていた事項について補償を求めないという趣旨の定めが置かれている場合には、その適用を主張します。開示された資料の一覧と、質疑応答の記録を確認してください。

契約上の制限を活用する

第4に、補償の上限額、請求期間、間接損害の除外といった契約上の制限を主張します。これらは契約書に明記されている以上、最も強力な防御となります。また、価格の算定に用いた前提が契約書に明示されていない場合には、買主が内心で用いた算定方法に売主は拘束されないという主張も成り立ち得ます。

よくあるご質問

ここでは、「のれん」と損害賠償に関して実際にお受けすることの多いご質問を取り上げ、考え方の筋道をお示しします。個別の事案では契約書の文言と事実関係によって結論が変わりますので、あくまで一般的な整理としてお読みください。

のれんを全額減損しました。その全額を売主に請求できますか

減損額の全額がそのまま損害として認められることは、実務上まれです。減損は会計上の処理であり、その金額は買主自身の将来の見積りに基づいて算出されます。請求にあたっては、売主のどの契約違反によって、買収価格の算定の前提のどの部分が誤っていたのかを特定し、正しい前提に基づく価格との差額を示すという構成をとることが有効です。減損の事実は、価値が現実に毀損したことを裏付ける資料として位置付けるのが適切です。

買収価格の算定書を作っていません。それでも差額を主張できますか

算定書がなくとも、主張の道が閉ざされるわけではありません。M&A仲介会社が提示した企業概要書、価格の提示に至る電子メールのやり取り、金融機関に提出した稟議の資料、社内の検討資料などから、どのような考え方で価格を決めたかを再現できる場合があります。中小企業のM&Aでは、形式的な算定書がないことは珍しくありません。手元にある資料をできる限り早い段階で保全してください。

のれんの償却負担が重く、毎期の利益が出ません。これも損害ですか

償却の負担は、買収価格を支払ったことから当然に生じる会計上の帰結であり、それ自体を損害と呼ぶことは困難です。もっとも、買収価格が過大であったのであれば、その過大な部分に対応する償却負担も過大であったことになります。この場合でも、請求の対象は過大に支払った対価そのものであって、償却額の累計ではありません。二重に請求する形にならないよう、構成を整理する必要があります。

減損の判定を先送りした場合、請求に不利になりますか

減損の時期そのものが請求の可否を直接に左右するものではありません。ただし、契約書に定められた補償の請求期間は、多くの場合、譲渡の実行日から起算されます。減損の判定を待っているうちに請求期間が経過してしまえば、請求そのものができなくなります。違反の疑いを認識した時点で、期間の中断のために書面による通知を行うかどうかを検討してください。契約書に通知の方式が定められている場合には、その方式に従う必要があります。

事業譲渡で買った場合と株式譲渡で買った場合とで違いはありますか

違いがあります。株式譲渡の場合、買主の個別の帳簿には子会社株式が計上されるにとどまり、税務上の償却も生じないという扱いが一般にとられています。他方、事業譲渡の場合には、税務上「資産調整勘定」として認識され、一定期間にわたり損金に算入される取扱いがあるとされています。損害額の算定において、税負担の軽減を受けている分を控除すべきかという議論が生じ得ますので、契約の形態を確認したうえで検討してください。

契約書に「間接損害を含まない」とあります。請求は諦めるべきですか

諦める必要はありません。争点となるのは、過大に支払った対価の差額が「間接損害」に当たるかどうかです。買主の側からは、これは対価の支払という直接の行為から生じた直接の損害であると主張することが考えられます。売主の側からは、価格の算定に関わる評価上の損害であって除外されると主張することが考えられます。条項の文言、交渉の経緯、他の条項との整合性を総合して判断されることになりますので、契約書の全体を精査したうえで方針を決めてください。

売主に賠償能力がない場合、どうすればよいですか

中小企業のM&Aでは、売主が個人であり、譲渡代金を既に費消しているという事態が起こり得ます。契約の締結時に、代金の一部を一定期間預託しておく仕組みを設けておくことや、分割払とし、違反が判明した場合に未払分と相殺できるようにしておくことが、有効な備えとなります。既に紛争が生じている段階では、売主の資産の状況を調査し、必要に応じて保全の手続を検討することになります。

まとめ

「のれん」の減損は、買主にとって目に見える形で現れる損失であり、その金額をそのまま売主に請求したいと考えることは自然です。しかし、減損は会計上の処理であって現実の支出を伴わず、その金額は買主自身の見積りに依存します。この性質があるために、減損額をそのまま損害額とする主張は、売主から強い反論を受けます。

買主が採るべき道は、価格算定の前提に立ち返ることです。どの数値を用いて価格を決めたのか、その数値のどこが虚偽であったのか、真実の数値であれば価格はいくらであったのか。この三点を資料に基づいて示すことができれば、差額を損害として構成する余地があります。あわせて、簿外債務の弁済額のような現実の支出や、確実性の高い逸失利益についても、別の構成として並べておくことが有効です。

売主の側は、会計処理と損害との区別、買収後の事情による価値の低下、買主の調査における認識、契約書に定められた上限額や請求期間といった点から反論を組み立てることになります。いずれの立場であっても、鍵となるのは契約書の文言と、価格算定の過程を示す当時の資料です。紛争の可能性を認識された段階で、これらの資料を保全し、早期に検討を始められることをお勧めします。弁護士法人M&A総合法律事務所では、こうしたM&A後の紛争について、買主の側からも売主の側からもご相談をお受けしています。

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執筆者

弁護士法人M&A総合法律事務所 代表弁護士 土屋勝裕(東京弁護士会所属 登録番号26775)

長島・大野・常松法律事務所に在籍した後、慶應義塾大学ビジネス・スクール及びペンシルベニア大学ウォートン校に留学し、ファイナンス理論並びにM&A及び不動産を専攻しました。不動産投資信託(J-REIT)の上場案件に関与し、平成23年には最高裁判所において株式買取請求権に関する逆転判決を得ております。現在は弁護士法人M&A総合法律事務所の代表弁護士を務めております。

主として取り扱う分野 M&A、株式買取請求権、非上場株式の価格の決定、企業価値評価、事業承継及び企業法務

所在地 〒105-6017 東京都港区虎ノ門4丁目3番1号 森トラスト城山トラストタワー17階/電話番号 03-6435-8418/受付時間 8:00-21:00(土日祝含む)

本記事の記載は一般的な法律情報であり、個別の事案に関する法律上の助言ではありません。記載した経歴は事実の記述であり、個別の事件の結果を保証するものではありません。