雇用の維持及び屋号の存続の約束が守られない場合の請求

長年営んでまいりました会社を譲渡いたしました。譲渡の際、買主からは「従業員の雇用は維持する」「屋号はそのまま残す」との説明を受けており、私もこれを重視して、他の候補者よりも低い価格で買主に譲ることといたしました。ところが、譲渡から1年を経て、従業員の相当数が退職を余儀なくされ、屋号も買主の企業集団のものに変更されてしまいました。買主に責任を問うことはできるのでしょうか。このようなご相談をいただくことがあります。

結論から申し上げます。雇用の維持及び屋号の存続に関する約束が、株式譲渡契約における買主の義務として定められている場合には、その違反として履行の請求又は損害の賠償を請求することが考えられます。他方、契約に定めがなく、交渉における説明にとどまる場合には、請求は容易ではありません。まず契約の定めを確認し、定めがない場合には交渉の経過を示す資料により主張を組み立てることとなります。本記事では、その手順を整理いたします。

第1節 まず契約の定めを確認いたします

 誓約として定められている場合

株式譲渡契約においては、決済の後の買主の義務が誓約として定められていることがあります。雇用の維持、労働条件の不利益な変更を行わないこと、屋号又は商号を変更しないこと、事業の内容を変更しないことが該当いたします。

表1 譲渡後の買主の義務として定められることがある事項

事項 定め方の例
雇用の維持 決済日から○年間、整理解雇を行わない
労働条件 決済日の労働条件を実質的に不利益に変更しない
商号及び屋号 決済日から○年間、変更しない
事業所の維持 本店又は主要な事業所を移転しない
事業の継続 事業の内容を実質的に変更しない
役員の処遇 売主又はその親族の在任を一定期間維持する
違約金 違反した場合の金額の定め

 努力義務にとどまる場合

「努めるものとする」「配慮するものとする」といった表現が用いられている場合には、法的な義務の内容が限定されると解されるのが通例です。

この場合、違反を主張することが困難となります。もっとも、全く配慮がされていない場合には、なお主張の余地が残ることがあります。

 基本合意書における記載

基本合意書に記載されているものの、最終契約に引き継がれていないことがあります。基本合意書は法的拘束力を有しない旨が定められているのが通例ですので、これに基づく請求は困難です。

もっとも、交渉の経過を示す資料としての意味は残ります。

 違約金の定め

違反した場合の違約金が定められている場合には、損害の額を立証することなく、その金額を請求することが考えられます。違約金は、賠償額の予定と推定されます(民法第420条第3項)。

第2節 雇用の維持に関する約束

 定めの内容の確認

「雇用を維持する」という定めが、どのような行為を禁ずる趣旨であるかを確認いたします。整理解雇を行わないことを意味するのか、退職の勧奨を行わないことまで含むのか、人員の総数を維持することを意味するのかにより、違反の判断が異なります。

 退職の勧奨による場合

解雇ではなく、退職の勧奨により従業員が退職した場合には、「解雇を行わない」旨の定めには違反しないとの反論がされることがあります。

この点を避けるためには、契約において「解雇その他の方法により雇用を終了させない」といった表現を用いておく必要があります。

 労働条件の変更による場合

雇用そのものは維持されているものの、労働条件が不利益に変更され、これにより従業員が退職を選択した場合があります。

労働条件の不利益な変更を行わない旨の定めが置かれている場合には、その違反を主張いたします。定めがない場合には、雇用の維持に関する定めの趣旨に反すると主張することとなります。

 請求の主体

この請求の主体は、契約の当事者である売主です。従業員自身が買主に対して請求することができるかは、別の問題となります。

契約において、第三者に対して直接に給付をさせる旨の合意がされている場合には、その第三者が直接に権利を取得することがあります(民法第537条第1項)。もっとも、雇用の維持に関する定めが、このような趣旨によるものであるかは、契約の解釈によります。

 従業員自身の権利

従業員は、労働契約に基づく権利を有しております。解雇については、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には、権利を濫用したものとして無効とされます(労働契約法第16条)。

従業員自身の救済は、この枠組みによることとなります。

第3節 屋号及び商号に関する約束

 商号の変更

会社の商号は、定款に定められ、登記されます。商号の変更には、定款の変更を要し、株主総会の特別決議が必要となります(会社法第466条、第309条第2項第11号)。

契約において商号を変更しない旨が定められている場合には、その違反となります。

 屋号及び店舗の名称

屋号や店舗の名称は、商号とは別のものであり、変更に会社法上の手続を要しません。契約において「屋号」と定められている場合には、その範囲を明確にしておく必要があります。

 商標との関係

屋号が商標として登録されている場合には、その商標権は対象会社に帰属しているのが通例です。株式譲渡においては、対象会社が権利を保有したまま支配権が移転いたしますので、商標権も買主の支配の下に入ります。

売主個人が商標権を保有していた場合には、その取扱いを契約において定めておく必要があります。

 創業者の氏名を含む場合

屋号に創業者の氏名が含まれている場合には、その使用について特別の配慮を求めることがあります。もっとも、氏名が含まれることのみを理由として、使用の差止めを求めることは容易ではありません。

この点については、契約において、使用の条件、変更の際の手続、売主への通知を定めておくことが望まれます。

第4節 契約に定めがない場合

 交渉における説明

契約に定めがなく、交渉における説明にとどまる場合には、請求は容易ではありません。もっとも、次の主張の余地があります。

 契約の解釈による主張

契約の解釈として、当事者の合理的な意思を認定することにより、義務が存在すると主張することが考えられます。交渉の経過、価格の決定の経緯、契約の前文の記載が手掛かりとなります。

価格が他の候補者の提示額よりも低いにもかかわらず買主が選定された場合には、雇用の維持及び屋号の存続が価格の決定において考慮されていたことをうかがわせる事情となります。

 不法行為に基づく主張

買主が、当初から履行する意思がないにもかかわらず約束をし、これにより売主に譲渡させた場合には、不法行為に基づく損害賠償の請求が成り立つ余地があります(民法第709条)。

もっとも、当初から意思がなかったことを立証する必要があり、容易ではありません。譲渡の直後に方針が変更されている場合には、この点をうかがわせる事情となります。

 資料の収集

表2 交渉の経過を示す資料

資料 示す事項
意向表明書 買主が提示した方針
面談の記録 説明の内容
電子メールの往復 約束の内容と時期
基本合意書 合意された事項
他の候補者の提示 価格の比較
仲介会社の記録 選定の理由
従業員への説明 買主が従業員に述べた内容

第5節 請求の内容

 履行の請求

契約上の義務として定められている場合には、その履行を請求することが考えられます。もっとも、雇用の維持や屋号の使用は、その性質上、強制することが困難な場合があります。

既に商号が変更され、従業員が退職した後においては、原状の回復を求めることは現実的ではありません。

 損害賠償の請求

実務上は、損害の賠償を請求することが中心となります。違約金の定めがある場合には、その金額を請求いたします。

定めがない場合には、損害の内容を主張する必要があります。この点が、この類型における最大の課題です。

 損害の内容

売主にとっての損害をどのように構成するかが問題となります。雇用が維持されなかったことにより、売主自身にどのような財産上の損害が生じたかを示す必要があるためです。

考えられる構成としては、第一に、雇用の維持等を前提として価格を低く設定したのであるから、その差額が損害であるという構成です。第二に、精神的な損害を主張する構成です。第三に、売主の信用が損なわれたことによる損害を主張する構成です。

いずれも、立証は容易ではありません。第一の構成については、他の候補者の提示額に関する資料が重要となります。

 違約金の定めの重要性

以上のとおり、損害の立証が困難であるため、契約において違約金を定めておくことの意味が大きくなります。

譲渡の際に雇用の維持や屋号の存続を重視される場合には、これらを契約上の義務として定めた上で、違反した場合の違約金を併せて定めておくことが望まれます。

第6節 譲渡の前に備えておくこと

 契約への記載

重視される事項は、必ず最終契約に記載いたします。基本合意書や交渉における説明にとどめることは、避けるべきです。

 文言の具体化

「努めるものとする」ではなく、義務として定めます。また、禁じられる行為を具体的に列挙いたします。「解雇その他の方法により雇用を終了させない」「退職の勧奨を行わない」といった表現です。

 期間の設定

期間を明確に定めます。無期限の義務は、買主が受け入れないのが通例です。3年から5年程度の期間とすることが多いものです。

 違約金及び確認の方法

違反した場合の違約金を定めます。あわせて、売主が履行の状況を確認する方法として、定期的な報告を求める定めを置くことが考えられます。

 価格との関係

これらの義務を課すことは、買主にとって負担となりますので、価格に影響することがあります。何を優先するかを、譲渡の方針として整理しておく必要があります。

第7節 弁護士に相談する意味

この類型について弁護士が行う業務は、次のとおりです。第一に、株式譲渡契約における誓約の内容を確認し、義務の範囲を特定することです。第二に、買主の行為が違反に当たるかを検討することです。第三に、契約に定めがない場合に、交渉の経過を示す資料を収集し、契約の解釈又は不法行為による主張を組み立てることです。第四に、損害の内容を構成し、資料により裏付けることです。第五に、譲渡の前の段階においては、条項の設計について助言することです。

この類型は、契約に定めがあるかどうかにより、結論が大きく異なります。譲渡の前の段階で条項を整えることが、最も確実な備えとなります。

具体的な主張の組み立ては、契約の定め、交渉の経過、買主の行為の内容等により異なり、当事務所が個別案件を通じて蓄積してきた実務上のノウハウにも属するため、本記事では詳細を開示しておりません。

よくあるご質問

質問1 口頭の約束でも請求できますか。

契約に定めがない場合の請求は容易ではありません。もっとも、交渉の経過、価格の決定の経緯を示す資料により、契約の解釈として義務が存在すると主張する余地があります。資料の有無が結論を左右いたします。

質問2 解雇ではなく退職の勧奨でした。違反になりますか。

定めの文言によります。「解雇を行わない」旨の定めにとどまる場合には、違反しないとの反論がされる余地があります。「その他の方法により雇用を終了させない」といった表現が用いられているかを確認いたします。

質問3 損害はどのように主張しますか。

雇用の維持等を前提として価格を低く設定したのであるから、その差額が損害であるという構成が考えられます。他の候補者の提示額に関する資料が重要となります。違約金の定めがある場合には、その金額を請求いたします。

質問4 従業員自身が買主に請求できますか。

契約において第三者に直接に給付をさせる旨の合意がされている場合には、その第三者が権利を取得することがあります(民法第537条第1項)。もっとも、雇用の維持に関する定めがこの趣旨によるかは、契約の解釈によります。従業員自身の救済は、労働契約に基づく枠組みによるのが通例です。

質問5 これから譲渡します。どのように定めればよいですか。

努力義務ではなく義務として定め、禁じられる行為を具体的に列挙し、期間を明確にし、違反した場合の違約金を定めることが望まれます。あわせて、履行の状況を確認するための報告を求める定めを置くことが考えられます。

弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談

弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕。東京都港区虎ノ門)では、譲渡の際の約束が守られない場合のご相談をお受けしております。

  • 電話番号 03-6435-8418
  • 受付時間 8時00分から21時00分まで
  • 土曜日、日曜日及び祝日も受付いたします
  • ご相談は事前予約制です

ご相談の際に、株式譲渡契約書、基本合意書、意向表明書、交渉の経過に関する電子メール及び記録、他の候補者の提示に関する資料をご用意いただけますと、検討が早く進みます。

弁護士費用は、弁護士費用一覧のページをご覧ください。結果は事案ごとに異なります。本記事の記載は一般的な説明であり、特定の結果を保証するものではありません。

本記事の根拠条文

民法 第414条(履行の強制)、第415条第1項(債務不履行による損害賠償)、第420条(賠償額の予定)、第537条第1項(第三者のためにする契約)、第709条(不法行為)、第710条(財産以外の損害の賠償)

会社法 第6条(商号)、第309条第2項第11号(定款の変更に係る特別決議)、第466条(定款の変更)

労働契約法 第16条(解雇)

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