補償の上限額、免責額及び一定額に達するまで請求できない定めの読み方

この記事の位置付け

補償責任には、上限額、1件あたりの免責額及び累計額が一定額に達するまで請求できない定めという3つの金額的な制限が置かれることが一般的です。本記事では、それぞれの意味と適用の順序を整理いたします。

損害額算定の総論については別の記事で扱っています。あわせて御覧ください。

株式譲渡契約の最終案が届き、補償に関する条項に並ぶいくつもの金額を前にして、これが自分にとって結局いくらの負担を意味するのかが分からないまま、調印の期日が近づいてくる、という場面は少なくありません。「補償の総額は譲渡代金の20パーセントを上限とする」「1件あたり100万円を下回る請求については補償を請求できない」「請求の累計額が1000万円に達するまでは補償を請求できない」といった文言は、いずれも売主が最終的に支払う可能性のある金額を大きく左右します。ところが、これらは互いに関係し合っており、一つの条文だけを取り出して眺めても、実際の負担の姿は見えてきません。

中小企業のM&Aでは、譲渡代金の大半が創業者一族の老後の生活資金や次の事業の元手になります。売主にとっては、代金を受け取った後で数千万円の請求を受ける可能性がどこまであるのかということが、価格そのものと同じくらい重い問題です。他方、買主にとっては、デュー・ディリジェンスで拾いきれなかった簿外の負担が後から出てきたときに、どこまで売主に戻せるのかという問題です。補償の金額的な制限に関する条項は、この双方の関心がぶつかる場所であり、株式譲渡契約の中でも交渉が最後まで残りやすい部分です。

ここでは、補償の上限額、1件あたりの免責額、累計額が一定額に達するまで請求できない定めという3つの仕組みについて、それぞれの意味と定め方、相互の関係と適用の順序、売主と買主それぞれの交渉の勘所、そして文言が曖昧な場合に生じやすい紛争の型と予防のための書き方を、順を追って整理します。譲渡代金が1億円から10億円程度の非上場の同族企業を念頭に置いて説明します。

Contents
  1. 補償責任に金額的な制限が置かれる理由
    1. 表明保証と補償の関係を確認します
    2. 制限がない場合に売主が負う不確実性
    3. 買主にとっての制限の意味
  2. 補償の上限額(キャップ)の定め方
    1. 買収価格の一定割合とする定め
    2. 項目により上限を分ける定め
    3. 上限の対象外とする事項
  3. 1件あたりの免責額(デミニミス)の意味と決め方
    1. 少額の請求を排除する趣旨
    2. 金額の水準の決め方
    3. 「1件」の数え方をめぐる論点
  4. 累計額が一定額に達するまで請求できない定め(バスケット)
    1. 超過した部分のみを請求できる型
    2. しきい値を超えた場合に全額を請求できる型
    3. 累計額に算入できる請求の範囲
  5. 3つの定めの相互の関係と適用の順序
    1. 適用される順序
    2. 数値の例で確認します
    3. 他の制限条項との関係
  6. 売主の立場から見た交渉の勘所
    1. 優先して交渉すべき順序
    2. デュー・ディリジェンスで判明した事項の取扱い
    3. 支払の原資の確保との関係
  7. 買主の立場から見た交渉の勘所
    1. 上限の対象外とすべき事項の見極め
    2. 免責額と累計額のしきい値の水準の考え方
    3. 補償以外の手当てとの組合せ
  8. 文言が曖昧である場合に生じる紛争の型と予防のための書き方
    1. 実務で起こりやすい争いの型
    2. 条項を確認するための着眼点
    3. 契約書の全体の整合性を確かめます
  9. よくあるご質問
    1. 上限額は譲渡代金の何パーセントが標準ですか
    2. 1件あたりの免責額を高くすれば、売主は安全になりますか
    3. 累計額のしきい値を超えた場合に全額を請求できるという条項を求められました。応じるべきでしょうか
    4. 租税に関する事項について上限を適用しないという条項は、必ず受け入れなければなりませんか
    5. デュー・ディリジェンスで開示した事項について、後から補償を請求される可能性はありますか
    6. 売主が複数いる場合、上限額は全員の合計ですか、それとも一人ずつですか
    7. 補償の請求を受けたときは、まず何を確認すればよいですか
  10. まとめ

補償責任に金額的な制限が置かれる理由

金額の水準を交渉する前に、そもそもなぜこうした制限が置かれるのかを押さえておくと、条文の読み方が変わります。制限は売主を守るためだけのものではなく、取引を成立させるための仕組みでもあります。

表明保証と補償の関係を確認します

株式譲渡契約では、売主が対象会社に関する一定の事実を「真実かつ正確である」と述べて保証します。これが表明保証です。財務諸表が適正に作成されていること、簿外の債務がないこと、未払の残業代がないこと、係争や紛争の芽がないこと、許認可が有効に維持されていること、といった項目が並びます。そして、この表明保証が事実と異なっていたために買主又は対象会社が損害を被った場合に、売主が金銭で埋め合わせることを約束する条項が補償の条項です。補償は、一般の債務不履行による損害賠償とは別に、契約で作り込まれた独自の責任です。民法第415条第1項に基づく損害賠償では、債務者の帰責事由や損害の範囲をめぐって争いになりやすいところ、補償の条項は「この事実が違っていたら、いくらをどのような手続で支払う」という取決めをあらかじめ置くことで、紛争の解決を予測しやすくする働きを持ちます。

制限がない場合に売主が負う不確実性

もし補償に何の金額的な制限も置かれていなければ、売主は、譲渡代金の全額を超える金額の請求を受ける可能性を、期間の制限が切れるまで抱え続けることになります。中小企業では、経理処理が税務申告を中心に組み立てられていて、会計基準に厳密に沿った処理がなされていない例が珍しくありません。役員と会社の資金のやり取り、家族名義の資産、慣行として続いてきた残業代の扱い、在庫の評価など、細かく見れば表明保証との食い違いがいくつも出てくる余地があります。制限がないと、売主はそのすべてについて無限の責任を負う姿勢を取らざるを得ず、そもそも取引に応じられないという判断に傾きます。金額的な制限は、売主が引き受けられる範囲を区切ることで、取引を前に進めるための装置でもあるのです。

買主にとっての制限の意味

買主から見ると、制限は自らの回収可能性を狭めるものですから、当然に抵抗があります。しかし買主にとっても、制限には意味があります。第1に、少額の請求を積み上げる作業には手間と費用がかかり、買収後の対象会社の運営に注力すべき人員をそこに割くことは合理的ではありません。第2に、制限の水準を売主に示すことで、売主に表明保証の作成へ真剣に取り組んでもらうという効果もあります。第3に、制限の交渉を通じて、売主がどの項目に不安を持っているのかが浮かび上がることがあり、これはデュー・ディリジェンスの補完としての価値を持ちます。したがって、買主の側でも、制限そのものを一律に拒むのではなく、どの事項を制限の外に置くかという点に力を注ぐことが実務的です。

補償の上限額(キャップ)の定め方

金額的な制限のうち、売主にとって最も重要なのが総額の上限です。以後は上限額と表記します。ここでは、どのような決め方があり、それぞれ何を意味するのかを整理します。

買収価格の一定割合とする定め

最も一般的なのは、譲渡代金の一定の割合を上限とする方法です。中小企業のM&Aでは、10パーセントから30パーセント程度に落ち着くことが多く、対象会社の規模、業種、デュー・ディリジェンスの充実度、売主が経営を続けるかどうかといった事情によって上下します。ここで必ず確認していただきたいのは、割合を掛ける基礎となる金額が何かという点です。「譲渡代金」とだけ書かれていると、価格調整の条項によって決済後に金額が動いた場合に、どちらの数字を基礎とするのかが分かりません。また、代金の一部が後日の業績に連動して支払われる仕組みになっている場合、その部分を含めるのか含めないのかで、上限額は大きく変わります。「クロージング時に現実に支払われた金額」なのか「価格調整後の最終的な金額」なのかを、条文の中で言い切っておくべきです。

項目により上限を分ける定め

すべての表明保証に一律の上限を適用するのではなく、項目ごとに上限を分ける定め方もあります。たとえば、一般の表明保証については譲渡代金の20パーセント、環境に関する事項については50パーセント、租税に関する事項については100パーセント、といった形です。買主から見れば、リスクの大きさに応じて回収可能額を確保できるという利点があり、売主から見れば、全体の上限を引き上げずに買主の懸念に応えられるという利点があります。交渉の場面では、買主が全体の上限の引上げを求めてきたときに、「特定の項目についてだけ別枠を設ける」という対案を出すと、まとまりやすくなることがあります。ただし、項目を分けるときは、一つの事象が複数の項目にまたがる場合にどちらの上限が適用されるのかを定めておかないと、後で争いになります。

上限の対象外とする事項

買主は、一定の事項については上限を適用しないことを求めるのが通常です。実務でよく対象外とされるのは、次のような事項です。

  • 租税に関する事項。過去の申告に誤りがあった場合の追徴課税は、金額が読みにくく、行政の手続によって後から確定するため、上限の外に置くよう求められやすい事項です。
  • 表明保証のうち基本的な事項。売主が対象株式を適法に保有していること、対象会社が適法に設立され存続していること、契約を締結する権限を有していることなど、取引の土台に関わる事項です。これらが崩れると取引の前提そのものが失われるため、上限を適用しないという整理に合理性があります。
  • 売主の故意又は重大な過失による表明保証の違反。知っていながら隠していた事項について上限で守られるのは公平ではない、という考え方に基づきます。

売主の立場からは、これらの対象外の範囲をどこまで受け入れるかが交渉の核心になります。とりわけ「故意又は重大な過失」という文言は、後に買主から「知っていたはずだ」という主張を招きやすい部分です。「売主が現に認識していた事項に限る」といった形で、認識の対象と程度を明確にしておくことが望まれます。

1件あたりの免責額(デミニミス)の意味と決め方

次に、個々の請求について下限を設ける定めを見ます。以後は免責額と表記します。少額の請求を初めから対象外とする仕組みです。

少額の請求を排除する趣旨

この定めは、1件あたりの損害額が一定の金額に満たない場合には、そもそも補償の請求ができないとするものです。中小企業のM&Aでは、50万円から300万円程度に設定される例が多く見られます。趣旨は明快で、数万円から数十万円の請求を一件ずつ処理していては、双方の担当者の時間と専門家の費用が損害額を上回ってしまうためです。また、細かな請求が続くと、買収後の対象会社の運営と売主との関係が悪化し、引継ぎや取引先への説明といった、買主にとって本来重要な作業に支障が出ることもあります。免責額は、こうした摩擦を避けるための実務的な工夫です。

金額の水準の決め方

水準を決めるにあたっては、譲渡代金の規模だけでなく、対象会社の日常の取引の単位を見ることが有益です。1件あたりの売上や仕入の金額が数十万円の会社と、数千万円の会社とでは、「少額」の感覚がまったく異なります。売主としては、デュー・ディリジェンスで指摘されたものの、金額が小さいために価格に反映されなかった事項がどの程度の規模だったのかを思い出し、その水準を下回らない金額を提案する、という進め方が現実的です。買主としては、想定される請求の中で最も件数が多くなりそうな類型、たとえば未払残業代や在庫の評価の是正について、1件あたりの金額がどの程度になるのかを試算してから水準を提示することが望まれます。

「1件」の数え方をめぐる論点

この定めで最も争いになりやすいのは、金額の水準そのものではなく、「1件」をどう数えるかという点です。たとえば、同じ人事制度に起因する未払残業代が従業員30人分あるとき、これを従業員ごとに30件と数えるのか、制度の不備という1つの事象として1件と数えるのかで、結論は正反対になります。従業員1人あたり40万円で免責額が100万円であれば、30件と数えれば全額が脱落し、1件と数えれば1200万円が対象になります。したがって、「同一の原因又は事実関係から生じた損害は、これを合算して1件として取り扱う」という趣旨の一文を置くかどうかは、極めて重要です。売主は分けて数える方向、買主は合算する方向が有利ですが、いずれにせよ、書かずに済ませることが最も危険です。

累計額が一定額に達するまで請求できない定め(バスケット)

3つ目の仕組みは、個々の請求が免責額を超えていても、それらの合計が一定の金額に達するまでは請求できないとする定めです。以後は累計額のしきい値と表記します。

超過した部分のみを請求できる型

第1の型は、累計額がしきい値を超えた場合に、その超えた部分だけを請求できるとするものです。しきい値が1000万円で、累計額が1200万円になったときには、200万円を請求できます。この型では、しきい値の金額は、売主が確定的に負担しない部分、いわば免責の枠として働きます。売主にとっては、想定される小さな食い違いの積み重ねが一定の範囲に収まる限り、支払が生じないという安心につながります。買主にとっては、しきい値の金額は自らが飲み込む金額になりますので、その分は価格の交渉の段階で織り込んでおく必要があります。

しきい値を超えた場合に全額を請求できる型

第2の型は、累計額がしきい値を超えた場合に、しきい値の部分も含めて全額を請求できるとするものです。同じ例で言えば、累計額が1200万円になった時点で、1200万円の全額を請求できます。この型では、しきい値は「請求を始めるための入口」として働き、免責の枠としては働きません。当然ながら売主にとって不利であり、しきい値の直前と直後で負担額が1000万円以上も跳ね上がるという性質を持ちます。この不連続性を和らげるために、「累計額がしきい値を超えた場合には全額を請求できるが、しきい値は低めに設定する」といった調整や、「しきい値の一定倍に達した場合にのみ全額型とする」といった折衷が用いられることもあります。

累計額に算入できる請求の範囲

累計額を計算するときに、どの請求を足し合わせるのかも、条文で明らかにしておくべき点です。第1に、免責額に満たないために脱落した請求を累計額に算入するのかどうかです。算入しないのが通常の整理ですが、書いていないと争いになります。第2に、上限の対象外とされた事項に関する請求、たとえば租税や特別補償の対象事項に関する請求を、累計額の計算に入れるのかどうかです。これらを累計額の計算からも外すのであれば、その旨を明記します。第3に、まだ確定していない請求、たとえば税務調査が進行中で追徴額が確定していない場合や、訴訟が係属中の場合に、見込み額を累計額に算入できるのかという問題があります。「現実に支払われ、又は確定した損害に限る」とするのか、「合理的に見積もられた金額を含む」とするのかで、請求できる時期が変わります。

3つの定めの相互の関係と適用の順序

ここまで見てきた3つの仕組みは、別々に働くのではなく、決まった順序で積み重なって適用されます。この順序を理解しないまま金額だけを交渉すると、思っていたのと違う結果になります。

適用される順序

通常の条文では、次の順序で判断が進みます。第1に、個々の損害について、それが補償の対象となる事項に該当するかを判断します。第2に、該当する損害それぞれについて、1件あたりの免責額を超えているかを判断し、超えていないものはこの段階で脱落します。第3に、残った損害の金額を合計し、累計額のしきい値を超えているかを判断します。超えていなければ、この段階で請求は認められません。第4に、しきい値を超えている場合に、超過部分のみを請求できる型か全額を請求できる型かに従って、請求できる金額を算出します。第5に、その金額が総額の上限を超えていないかを確認し、超えている場合は上限額までに切り詰められます。つまり、免責額は入口の網、累計額のしきい値は中間の関門、上限額は出口の天井として働きます。

数値の例で確認します

譲渡代金5億円、上限額を譲渡代金の20パーセントである1億円、1件あたりの免責額を100万円、累計額のしきい値を1000万円とする契約を想定します。買収後に、3つの損害が判明したとします。第1は在庫の評価の誤りによる80万円、第2は未払残業代の300万円、第3は取引先との紛争の解決に要した900万円です。まず第1の80万円は、1件あたりの免責額である100万円に満たないため脱落します。残る300万円と900万円の合計1200万円が累計額に算入され、しきい値の1000万円を超えます。ここで、超過部分のみを請求できる型であれば請求できる金額は200万円、全額を請求できる型であれば1200万円です。いずれも上限額の1億円の範囲内ですので、その金額がそのまま請求可能額になります。同じ損害が生じても、型が違うだけで6倍の差が出ることが分かります。

他の制限条項との関係

金額的な制限は、他の制限条項と組み合わさって初めて全体像が見えます。第1に、請求できる期間の制限です。一般の表明保証については1年から2年、租税に関する事項については更正等の期間制限に対応した期間、労務に関する事項については賃金の請求権の消滅時効に対応した期間とする例があります。上限額が高くても期間が短ければ実際の負担は限られますし、その逆もあります。第2に、二重の回収を防ぐ定めです。同じ損害について価格調整によって既に調整済みである場合、決算に引当金が計上されていた場合、保険金や第三者から回収があった場合、税務上の利益が生じた場合には、その分を控除するという定めが置かれるのが通常です。第3に、損害の範囲の定義です。逸失利益や間接損害、弁護士費用を含むのかどうかによって、免責額や累計額のしきい値を超えるかどうかの判断が変わります。これらは金額の制限と切り離せません。

売主の立場から見た交渉の勘所

売主として何を優先し、どこで譲るかを整理しておくと、限られた交渉の時間を有効に使えます。すべてを取りにいくと、かえって重要な点を落とします。

優先して交渉すべき順序

売主にとっての優先順位は、第1に上限額の水準と対象外の範囲、第2に請求できる期間、第3に累計額のしきい値の型、第4に免責額の水準、という順になることが多いと考えられます。上限額は最終的な負担の天井を決めるものですから、ここを譲ると他をいくら整えても効果が限られます。とりわけ、上限の対象外とされる事項をどこまで認めるかは重要で、「租税と基本的な表明保証に限る」という形で範囲を絞れるかどうかが分かれ目です。他方、免責額の水準は、金額の大きな請求には影響しないため、交渉の終盤で買主に譲る材料として使いやすい項目です。何を譲るかをあらかじめ決めておくことが、交渉の主導権につながります。

デュー・ディリジェンスで判明した事項の取扱い

売主が最も注意すべきなのは、デュー・ディリジェンスで買主に開示し、買主も認識している事項について、後から補償の請求を受けることです。買主が既に知っている事項については補償の対象としないという趣旨の定めを置くよう求めるのが基本ですが、買主はこれを嫌います。折衷として、開示別紙に個別に記載した事項に限って対象外とする、という整理がよく採られます。そのため、開示別紙に何をどこまで書くかは、金額の交渉と同じくらい重要です。書き方が抽象的すぎると「その事象までは読み取れない」と言われ、対象外の効果が及ばない余地があります。事象の内容、関係する当事者、想定される金額の幅、対応の状況を、具体的に記載しておくべきです。

支払の原資の確保との関係

上限額の交渉と併せて確認すべきなのが、実際に補償の請求がなされたときにどこから支払うのかという点です。譲渡代金の一部を一定期間、第三者に預けておく仕組みが設けられる場合、その預託の金額と期間は、上限額と実質的に連動します。預託の金額が上限額と同額であれば、買主から見れば上限額の全部が確保されていることになりますし、預託が上限額の半分であれば、残りは売主の個人資産から支払われることになります。売主としては、預託の金額を上限額より低く抑えたい一方で、預託の枠内で請求を完結させる定めを置ければ、個人資産への追及を避けられる余地があります。どちらを狙うのかを、代金の使い道と併せて考えておく必要があります。

買主の立場から見た交渉の勘所

買主としては、金額の制限を認めつつ、本当に守りたいリスクについては制限が及ばない構造を作ることが要点になります。数字を削る交渉よりも、構造を作る交渉のほうが効果的です。

上限の対象外とすべき事項の見極め

買主は、デュー・ディリジェンスの結果を踏まえて、上限の対象外とすべき事項を具体的に選びます。中小企業では、租税と労務が二大論点になりやすい領域です。役員報酬の損金算入、交際費の処理、同族関係者との取引価格、家族に対する給与の支払といった事項は、税務調査で指摘を受ける余地があり、金額が読みにくいものです。労務については、固定残業代の設計、管理監督者の範囲、社会保険の加入漏れといった事項が、従業員の人数に比例して金額が膨らむ性質を持ちます。これらについては、上限を別枠にする、あるいは上限の対象外とすることを求める合理性があります。他方、抽象的に「重要な違反」といった括りで対象外を広げようとすると、売主の抵抗を招き、交渉が長引きます。

免責額と累計額のしきい値の水準の考え方

買主としては、想定される請求の分布を踏まえて水準を決めることが重要です。たとえば未払残業代のように1人あたりの金額が小さく人数が多い類型が想定される場合には、免責額の水準よりも、「同一の原因から生じた損害は合算する」という定めを取ることのほうが、実質的な効果が大きくなります。また、累計額のしきい値については、しきい値を超えた場合に全額を請求できる型を取れるかどうかが焦点になりますが、これが認められない場合には、しきい値の金額そのものを低く抑えるという方向に切り替えることになります。型と金額はセットで交渉すべきものであり、片方だけを見て譲歩の可否を判断すべきではありません。

補償以外の手当てとの組合せ

金額の制限が厳しく設定されてしまう場合、買主は補償以外の手段で手当てを図ることになります。第1に、デュー・ディリジェンスで判明した具体的な事項については、表明保証による一般的な補償ではなく、その事項に限った特別の補償を設け、上限額や累計額のしきい値の適用を外すという方法があります。第2に、判明した金額を価格そのものから差し引くという方法です。これは最も確実であり、後日の請求の手間もかかりません。第3に、当該事項が解消されることをクロージングの前提条件とし、解消されるまで実行しないという方法です。第4に、代金の一部の支払を後日に繰り延べ、請求権と相殺できるようにしておく方法です。金額の制限の交渉で行き詰まったときは、これらの選択肢に移すほうが早く結論に至ることがあります。

文言が曖昧である場合に生じる紛争の型と予防のための書き方

補償の金額的な制限をめぐる紛争の多くは、法律論の対立ではなく、条文の書き方が足りないことから生じます。どこが曖昧になりやすいかを知っておけば、予防できます。

実務で起こりやすい争いの型

典型的な争いの型として、次のようなものがあります。

  • 1件の数え方に関する争い。同一の原因から生じた複数の損害を合算するのかどうかが書かれていない場合に生じます。
  • 上限額の基礎となる金額に関する争い。価格調整の後の金額なのか、当初の金額なのかが書かれていない場合に生じます。
  • 累計額の計算に算入する請求の範囲に関する争い。免責額に満たず脱落した請求や、上限の対象外とされた事項に関する請求を算入するのかが書かれていない場合に生じます。
  • 損害の範囲に関する争い。弁護士費用、専門家に支払った調査の費用、対象会社の役職員が対応に費やした時間の価値を含むのかどうかが書かれていない場合に生じます。
  • 控除の順序に関する争い。保険金や税務上の利益を控除する場合に、免責額と比較する前に控除するのか、後に控除するのかで結論が変わります。
  • 複数の条項が重なる場合の争い。同じ事象が一般の表明保証と特別の補償の双方に該当する場合に、どちらの制限が適用されるのかが書かれていない場合に生じます。

条項を確認するための着眼点

契約書の案を受け取ったときには、次の点を一つずつ確認してください。第1に、上限額、免責額、累計額のしきい値の3つの数字が、それぞれ具体的な金額又は明確な算式で書かれているか。第2に、それぞれの数字が適用される順序が、条文を読んで一義的に定まるか。第3に、免責額における「1件」の意味が定義されているか。第4に、累計額のしきい値を超えた場合に、超過部分のみを請求できるのか全額を請求できるのかが明記されているか。第5に、上限額の対象外とされる事項が列挙され、その事項については免責額や累計額のしきい値も適用されないのかどうかが書かれているか。第6に、損害の定義に何が含まれ何が除かれるかが書かれているか。第7に、控除の対象と順序が書かれているか。これらのうち一つでも空白があれば、その部分が将来の紛争の芽になります。

契約書の全体の整合性を確かめます

補償の条項は単独では完結しません。表明保証の各項目に付された「重要な点において」「売主の知る限り」といった限定、開示別紙の記載、価格調整の条項、代金の預託や後払に関する条項、期間の制限、解除の条項と、すべてがつながっています。金額の制限だけを修正すると、他の条項との間で辻褄が合わなくなることがあります。たとえば、上限額を引き下げた一方で代金の預託の金額を据え置くと、預託の一部が使われないまま長期間拘束されることになります。修正案を出すときは、その修正が他のどの条項に影響するかを併せて確認し、必要な箇所を同時に直しておくことが、後の手戻りを防ぎます。弁護士法人M&A総合法律事務所では、こうした条項の相互の関係を一覧にして確認する作業を、修正案の作成と併せて行っています。

よくあるご質問

補償の金額的な制限について、売主の方からも買主の方からも繰り返しお尋ねいただく事項を整理しました。個別の事案では対象会社の規模や業種、デュー・ディリジェンスの内容によって適切な水準が異なりますので、以下は考え方の目安としてお読みください。

上限額は譲渡代金の何パーセントが標準ですか

一律の標準はありません。中小企業のM&Aでは10パーセントから30パーセント程度に収まる例が多く見られますが、対象会社の業種、簿外の負担が生じやすいかどうか、デュー・ディリジェンスをどこまで行えたか、売主が引き続き経営に関与するかどうかによって、上下します。デュー・ディリジェンスを十分に行い、判明した事項を価格に反映できた場合には、上限額は低めに落ち着きやすい傾向があります。逆に、時間の制約から調査が限られた場合には、買主は高めの上限額を求めることになります。数字だけを他の案件と比べても意味がありませんので、自らの案件で何が確認できていないのかという観点から検討してください。

1件あたりの免責額を高くすれば、売主は安全になりますか

限定的な効果しかありません。免責額は少額の請求を排除する仕組みですので、金額の大きな請求には影響しません。売主にとって本当に怖いのは、数千万円規模の追徴課税や未払残業代の請求であり、これらは免責額をいくら高くしても排除できません。免責額の引上げに交渉の労力を割くよりも、上限額の水準と対象外の範囲、請求できる期間、そして「同一の原因から生じた損害を合算するかどうか」の定め方に注力するほうが、実質的な効果は大きくなります。

累計額のしきい値を超えた場合に全額を請求できるという条項を求められました。応じるべきでしょうか

直ちに拒む必要はありませんが、しきい値の金額とセットで考えるべきです。全額を請求できる型を受け入れるのであれば、しきい値の金額を引き下げてもらう理由がなくなりますので、しきい値を高めに保つ交渉が可能になります。逆に、超過部分のみを請求できる型を維持できるのであれば、しきい値は低めでも売主の実質的な負担は限られます。どちらの型を選ぶかではなく、型と金額の組合せで、想定される損害の規模のもとで負担額がどうなるかを試算し、比較して判断してください。

租税に関する事項について上限を適用しないという条項は、必ず受け入れなければなりませんか

必ずというものではありませんが、買主の要求には一定の合理性があります。過去の申告に関する指摘は、税務当局の判断によって後から確定するものであり、売主の側で管理していた期間の処理に起因するためです。売主として交渉する場合には、上限を完全に外すのではなく、租税に関する事項についてのみ別枠の上限を設ける、期間を更正等の期間制限に対応した範囲に限る、対象を売主が株式を保有していた期間に係る事業年度に限る、といった形で範囲を絞る方向が現実的です。あわせて、追徴課税に伴って将来の税負担が軽くなる部分がある場合には、その分を控除する定めを置くことも検討に値します。

デュー・ディリジェンスで開示した事項について、後から補償を請求される可能性はありますか

契約書の書き方によります。買主が既に認識していた事項を補償の対象から外す定めがなく、開示別紙にも記載していない場合には、請求を受ける余地が残ります。したがって、デュー・ディリジェンスの過程で買主に伝えた事項のうち、表明保証に抵触する可能性のあるものは、開示別紙に具体的に記載しておくことが重要です。データルームに資料を置いただけでは、開示したことにならないという整理をされる場合もありますので、何をもって開示とみなすのかについても、条文で明らかにしておくべきです。

売主が複数いる場合、上限額は全員の合計ですか、それとも一人ずつですか

これも明記しておくべき点です。中小企業では、創業者とその配偶者、子、関係会社など、複数の株主が売主となる例が多くあります。全員で合計して上限額に達するまで、という定め方と、各売主がそれぞれ譲渡した株式の割合に応じた上限額を負担する、という定め方があります。あわせて、売主が連帯して責任を負うのか、それとも各自が持分の割合に応じて責任を負うのかを定めておかないと、少数の株式しか持たない親族が全額の請求を受ける事態が生じ得ます。中小企業のM&Aでは、この点の取決めが後の親族間の争いにつながることがありますので、調印前に必ず確認してください。

補償の請求を受けたときは、まず何を確認すればよいですか

第1に、請求書に記載された事象が、表明保証のどの項目に該当すると主張されているのかを特定します。第2に、その項目に「重要な点において」「売主の知る限り」といった限定が付いていないかを確認します。第3に、開示別紙に記載済みの事項に当たらないかを確認します。第4に、請求できる期間の制限を過ぎていないかを確認します。第5に、金額の面から、1件あたりの免責額を超えているか、累計額のしきい値に達しているか、上限額の残りがどれだけあるかを計算します。第6に、保険金の受領や税務上の利益、既に価格調整で処理された部分など、控除すべき事項がないかを確認します。これらを整理したうえで、書面で回答することが望まれます。感情的なやり取りを避け、条文と資料に即して応答することが、結果的に負担を軽くする余地を生みます。

まとめ

補償の上限額、1件あたりの免責額、累計額が一定額に達するまで請求できない定めは、それぞれ独立した仕組みではなく、免責額という入口の網、累計額のしきい値という中間の関門、上限額という出口の天井として、順序を追って積み重なって働きます。したがって、条文を読むときも交渉するときも、3つの数字を並べて眺めるだけでは足りず、想定される損害の規模を当てはめて、実際にいくらの請求が通るのかを試算することが必要です。同じ数字でも、累計額のしきい値の型が違うだけで、請求できる金額が何倍にもなり得ます。

そして、これらの条項をめぐる紛争の多くは、金額の水準ではなく、書かれていない事項から生じます。「1件」の数え方、上限額の基礎となる金額、累計額に算入する請求の範囲、損害の定義、控除の順序、複数の売主がいる場合の責任の分担といった点は、いずれも一文を加えるだけで争いを防げるものです。調印までの時間が限られている場面ほど、こうした細部が後回しにされがちですが、後から直すことはできません。

売主の方は、上限額の水準と対象外の範囲、そして開示別紙の書き方に力を注いでください。買主の方は、デュー・ディリジェンスで判明した具体的な事項について、一般の補償に頼らず、特別の補償、価格への反映、前提条件、代金の後払といった手段を組み合わせることを検討してください。弁護士法人M&A総合法律事務所では、株式譲渡契約の補償に関する条項について、想定される損害の類型ごとに負担額を試算したうえで、条文の修正案を作成する取扱いを行っています。条項の意味に不安を感じられた場合には、調印の前の段階でご相談いただくことをお勧めします。

具体的な御相談をお考えの皆様へ

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執筆者

弁護士法人M&A総合法律事務所 代表弁護士 土屋勝裕(東京弁護士会所属 登録番号26775)

長島・大野・常松法律事務所に在籍した後、慶應義塾大学ビジネス・スクール及びペンシルベニア大学ウォートン校に留学し、ファイナンス理論並びにM&A及び不動産を専攻しました。不動産投資信託(J-REIT)の上場案件に関与し、平成23年には最高裁判所において株式買取請求権に関する逆転判決を得ております。現在は弁護士法人M&A総合法律事務所の代表弁護士を務めております。

主として取り扱う分野 M&A、株式買取請求権、非上場株式の価格の決定、企業価値評価、事業承継及び企業法務

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