精算の定めがない場合の債権債務の帰趨

株式譲渡が完了いたしましたが、契約書を見返しますと、前の経営者と会社との間の債権債務について、精算に関する定めが置かれておりません。決算書には、会社から前の経営者への貸付金と、前の経営者から会社への借入金の双方が計上されております。また、前の経営者が個人で所有する不動産を会社が使用しており、その賃料の授受も曖昧なままです。これらは、譲渡の後どのようになるのでしょうか。このようなご相談をいただくことがあります。
結論から申し上げます。株式譲渡は、会社の株主が交替する取引であり、会社と第三者との間の債権債務に影響を及ぼすものではありません。したがって、精算に関する定めが置かれていない場合には、これらの債権債務はそのまま存続いたします。譲渡代金の算定において考慮されていたかどうかは、法律上の帰趨とは別の問題です。本記事では、類型ごとの帰趨と、事後の整理の方法を整理いたします。
第1節 原則 債権債務は存続いたします
株式譲渡の性質
株式譲渡は、会社の株式を売主から買主に移転する取引です。会社そのものは、同一の法人格を維持したまま存続いたします。
したがって、会社が有する債権及び会社が負う債務は、そのまま存続いたします。相手方が前の経営者であっても、変わりはありません。
代金への反映との区別
譲渡代金の算定において、これらの債権債務が考慮されていたとしても、そのことによって債権債務が消滅するものではありません。
買主が「代金に織り込まれていたはずである」と主張し、売主が「代金とは別である」と主張することにより、争いが生じます。この争いは、契約に定めがないことに起因いたします。
類型ごとの整理
表1 精算の定めがない場合の帰趨
| 類型 | 帰趨 | 争いとなりやすい点 |
|---|---|---|
| 会社から前の経営者への貸付金 | 会社が引き続き債権者です | 報酬であったとの主張 |
| 前の経営者から会社への貸付金 | 前の経営者が引き続き債権者です | 代金に含まれていたとの主張 |
| 前の経営者による会社の債務の保証 | 保証は当然には外れません | 解除の手続の主体と時期 |
| 会社による前の経営者の債務の保証 | 保証は当然には外れません | 解除の要否 |
| 前の経営者所有の不動産の使用 | 従前の関係が続きます | 賃料の額、契約の有無 |
| 未払の役員報酬 | 手続を経ていれば債務として残ります | 決議の有無 |
| 役員退職慰労金 | 手続を経ていなければ債務は生じません | 支給の合意の有無 |
第2節 貸付金及び借入金
会社から前の経営者への貸付金
会社が債権者として存続いたしますので、会社から前の経営者に対して返還を請求することができます。返還の時期が定められていない場合には、相当の期間を定めて催告することとなります(民法第591条第1項)。
前の経営者からは、貸付けではなく報酬であった、既に返済した、未払の報酬と相殺されるといった反論がされることがあります。
前の経営者から会社への貸付金
前の経営者が債権者として存続いたしますので、会社に対して返還を請求することができます。
買主からは、代金に含まれていたとの反論がされることがあります。もっとも、契約に定めがない以上、この主張が当然に認められるものではありません。
双方が存在する場合
会社から前の経営者への貸付金と、前の経営者から会社への貸付金の双方が存在する場合には、相殺により整理することが考えられます(民法第505条第1項)。
いずれかが弁済期にない場合には、期限の利益を放棄することにより相殺が可能となる場面があります。
時効
いずれの債権についても、消滅時効が進行いたします(民法第166条第1項)。長年にわたり返済がされていない債権については、時効の完成が問題となります。
第3節 個人保証
当然には外れません
前の経営者が会社の借入れについて個人保証をしている場合、株式を譲渡いたしましても、保証契約は当然には終了いたしません。保証契約は、前の経営者と金融機関との間の契約であるためです。
解除の手続
保証を外すためには、金融機関との交渉により、保証人の交替又は保証の解除について合意を得る必要があります。金融機関の同意が必要であり、当然に応じてもらえるものではありません。
買主又は新たな経営者が保証人となること、担保を提供することが求められることがあります。
契約に定めがない場合
契約において、買主が保証の解除に協力する義務を負う旨の定めが置かれていない場合には、買主に協力を求めることが困難となります。
この場合であっても、譲渡の趣旨から、協力すべき義務が認められる余地があるとの主張は考えられます。もっとも、この主張により金融機関の同意が得られるものではありません。
保証債務を履行した場合
保証が外れないまま会社が返済を怠り、前の経営者が保証債務を履行した場合には、会社に対して求償することができます(民法第459条第1項、第462条)。
譲渡の前に手当てをいたします
保証の解除は、譲渡の前に金融機関と協議し、決済の条件とすることが望まれます。決済の後では、当事者の関心が薄れ、手続が進まないことがあります。
第4節 不動産の使用
従前の関係が続きます
前の経営者が個人で所有する不動産を会社が使用している場合、株式の譲渡により、この関係が変わるものではありません。
賃貸借契約が締結されている場合には、その契約が続きます。契約書がなく、賃料の授受も明確でない場合には、その法的な性質が争点となります。
使用貸借か賃貸借か
賃料の授受がない場合には、使用貸借と評価される余地があります。使用貸借は、貸主が返還を求めやすい関係です。
他方、賃料に相当する金銭の授受があった場合には、賃貸借と評価され、借地借家法による保護を受けることがあります。この場合、貸主が容易に明渡しを求めることはできません。
争いとなる場面
譲渡の後に前の経営者が明渡しを求める、又は賃料の増額を求めることがあります。事業に不可欠な不動産である場合には、会社にとって重大な問題となります。
逆に、会社が賃料の減額又は無償での使用を求めることもあります。
譲渡の前に整理いたします
事業に用いられている不動産が経営者の個人所有である場合には、譲渡の前に、会社が買い取る、賃貸借契約を締結する、譲渡の対象に含めるといった整理を行うことが望まれます。
第5節 役員報酬及び役員退職慰労金
未払の役員報酬
取締役の報酬等については、定款にその額を定めていないときは、株主総会の決議によって定めるとされております(会社法第361条第1項)。
手続を経て定められた報酬が未払である場合には、会社に対する債権として残ります。手続を経ていない場合には、債権の存在自体が争点となります。
役員退職慰労金
役員退職慰労金についても、報酬等に含まれるものとして、定款又は株主総会の決議による必要があるとされております。
譲渡に際して支給する旨の合意があったとしても、必要な手続を経ていない場合には、請求が困難となります。この点は、譲渡の際に手続を了しておくことが重要です。
契約における定め
株式譲渡契約において、決済の時までに支給の決議を行う旨、又は決済の後に買主が決議を行わせる旨を定めておくことが考えられます。
第6節 事後の整理の方法
現状の把握
まず、存続している債権債務を一覧として整理いたします。相手方、内容、金額、根拠となる資料、争点を明らかにいたします。
合意による解決
売主と買主及び会社との間で、これらを一括して整理する合意を行うことが、最も簡明な解決となります。相殺、放棄、分割による返済を組み合わせて、清算いたします。
合意に際しては、対象とする事項の範囲を明確にし、他に債権債務が存在しないことを確認する条項を置いておくことが望まれます。
合意が調わない場合
合意が調わない場合には、それぞれの債権について個別に請求することとなります。この場合、複数の手続が並行して進むこととなり、時間と費用を要します。
税務上の取扱い
放棄、返済、相殺のいずれによるかにより、税務上の取扱いが異なります。この点は税理士の業務に属しますので、当事務所は行うものではありません。整理の方法を定めるに際しては、税理士に確認いただくことが必要です。
第7節 弁護士に相談する意味
この類型について弁護士が行う業務は、次のとおりです。第一に、存続している債権債務を一覧として整理し、それぞれの帰趨を検討することです。第二に、契約における定めの有無を確認し、当事者の請求の根拠を特定することです。第三に、時効の完成の有無を確認することです。第四に、一括して整理する合意の案を作成することです。第五に、合意が調わない場合の個別の請求を進めることです。
この類型は、譲渡の前に整理しておけば生じない問題です。譲渡の設計の段階で、経営者と会社との間の債権債務を洗い出し、精算の方法を契約に定めておくことが最も確実な備えとなります。
具体的な整理の方法は、債権債務の内容、資料の状況、当事者の関係等により異なり、当事務所が個別案件を通じて蓄積してきた実務上のノウハウにも属するため、本記事では詳細を開示しておりません。
よくあるご質問
質問1 株式を譲渡すれば債権債務も整理されるのではありませんか。
整理されません。株式譲渡は株主が交替する取引であり、会社と第三者との間の債権債務に影響を及ぼすものではありません。精算に関する定めが置かれていない場合には、そのまま存続いたします。
質問2 代金に織り込まれていたはずだと言われました。
契約に定めがない以上、この主張が当然に認められるものではありません。価格の算定に関する資料、交渉の経過から、これらの債権債務がどのように扱われていたかを確認いたします。
質問3 個人保証は自動的に外れますか。
外れません。保証契約は前の経営者と金融機関との間の契約ですので、金融機関との交渉により解除又は交替の合意を得る必要があります。譲渡の前に協議し、決済の条件としておくことが望まれます。
質問4 会社が使っている私の不動産はどうなりますか。
従前の関係が続きます。賃貸借契約が締結されている場合にはその契約が続き、契約書がない場合には法的な性質が争点となります。賃料の授受の有無により、使用貸借か賃貸借かの評価が分かれ得ます。
質問5 まとめて整理する方法はありますか。
売主と買主及び会社との間で、一括して清算する合意を行うことが最も簡明です。相殺、放棄、分割による返済を組み合わせ、他に債権債務が存在しないことを確認する条項を置いておくことが望まれます。
弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談
弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕。東京都港区虎ノ門)では、譲渡後に残った経営者と会社との間の債権債務の整理に関するご相談をお受けしております。
- 電話番号 03-6435-8418
- 受付時間 8時00分から21時00分まで
- 土曜日、日曜日及び祝日も受付いたします
- ご相談は事前予約制です
ご相談の際に、株式譲渡契約書、計算書類及び勘定科目の内訳明細書、金銭消費貸借契約書、保証契約書、不動産の登記事項証明書及び賃貸借契約書、株主総会の議事録をご用意いただけますと、検討が早く進みます。
弁護士費用は、弁護士費用一覧のページをご覧ください。結果は事案ごとに異なります。本記事の記載は一般的な説明であり、特定の結果を保証するものではありません。
本記事の根拠条文
民法 第166条第1項(債権の消滅時効)、第415条第1項(債務不履行による損害賠償)、第459条第1項(委託を受けた保証人の求償権)、第462条(委託を受けない保証人の求償権)、第505条第1項(相殺)、第587条(消費貸借)、第591条(返還の時期)、第593条(使用貸借)、第601条(賃貸借)
会社法 第356条第1項(競業及び利益相反取引の制限)、第361条第1項(取締役の報酬等)、第365条第1項(取締役会設置会社における承認)
借地借家法 第26条(建物賃貸借契約の更新等)、第28条(建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件)
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