譲渡の後に残った役員貸付金を回収する手順

長年にわたり会社を経営してまいりましたが、資金繰りのために私個人の資金を会社に入れてきており、決算書には役員からの借入金として相当額が計上されておりました。このたび会社の株式を譲渡いたしましたが、決済の際にこの貸付金の精算は行われず、そのまま残っております。買主からは「会社の債務であって当方には関係がない」と言われております。回収することはできるのでしょうか。このようなご相談をいただくことがあります。
結論から申し上げます。株式を譲渡いたしましても、売主が会社に対して有する貸付金の債権が消滅するものではありません。したがって、会社に対して返還を請求することができます。もっとも、株式譲渡契約において、この債権の取扱いに関する定めが置かれている場合には、その定めによります。また、債権の存在及び金額を示す資料が不十分であること、会社に返済の資力がないことが、現実の障害となります。本記事では、回収の手順を整理いたします。
第1節 まず契約の定めを確認いたします
精算に関する条項
株式譲渡契約においては、決済の時までに役員に対する貸付金及び役員からの借入金を精算する旨が定められていることがあります。この定めがある場合には、その履行がされているかを確認いたします。
放棄に関する条項
表1 契約に置かれることがある定め
| 定め | 内容 | 売主への影響 |
|---|---|---|
| 決済時の精算 | 決済の時までに返済する | 履行されていなければ請求できます |
| 債権の放棄 | 売主が債権を放棄する | 請求することができなくなります |
| 代金への反映 | 債権の額を代金に織り込む | 実質的に回収済みとなります |
| 譲渡後の返済 | 一定の期日までに返済する | 当該期日に請求できます |
| 定めがない場合 | — | 債権は残り、請求できます |
放棄の定めがある場合
契約において売主が債権を放棄する旨が定められている場合には、請求することができません。この場合、放棄が代金の額に反映されていたかを確認することとなります。
放棄の定めが置かれる場合には、通常、その分だけ代金が増額されているはずです。交渉の経過に関する資料を確認いたします。
定めがない場合
契約に何らの定めもない場合には、債権はそのまま残ります。売主は、会社に対して返還を請求することができます。
この場合、買主が「代金に含まれていたはずである」と主張することがあります。もっとも、契約に定めがない以上、この主張が認められるとは限りません。
第2節 債権の存在と金額を確認いたします
資料の収集
債権の存在及び金額を示す資料が必要となります。譲渡の後は会社の帳簿に接することができませんので、譲渡の前に写しを保管しておくことが重要です。
表2 債権を示す資料
| 資料 | 示す事項 |
|---|---|
| 金銭消費貸借契約書 | 貸付けの合意、金額、返還の時期 |
| 計算書類 | 役員からの借入金の計上 |
| 勘定科目の内訳明細書 | 相手方ごとの内訳 |
| 総勘定元帳 | 個々の入出金の記録 |
| 個人の預金の記録 | 会社への振込みの事実 |
| 取締役会又は株主総会の議事録 | 貸付けの承認 |
| 確定申告に関する書類 | 債権の存在の裏付け |
契約書がない場合
中小の会社においては、金銭消費貸借契約書が作成されていないことが少なくありません。この場合には、計算書類における計上、勘定科目の内訳明細書の記載、預金の記録から、貸付けの事実を示すこととなります。
計算書類に「役員借入金」として計上され、内訳明細書に売主の氏名が記載されている場合には、有力な資料となります。
デューデリジェンスの資料
買収に先立って行われたデューデリジェンスにおいて、この債権が確認され、報告書に記載されていることがあります。買主がその存在を認識していたことを示す資料となります。
金額の確定
長期にわたる貸付けと返済が繰り返されている場合には、残高の確定が問題となります。決済日の時点における残高を、帳簿により確定いたします。
決済の際に、残高を確認する書面を取り交わしておくことが望まれます。
第3節 返還の請求
返還の時期
金銭消費貸借において、当事者が返還の時期を定めなかったときは、貸主は、相当の期間を定めて返還の催告をすることができるとされております(民法第591条第1項)。
役員からの借入金については、返還の時期が定められていないことが少なくありません。この場合には、相当の期間を定めて催告することとなります。
催告の方法
書面により、債権の内容、金額、返還を求める期限を記載して催告いたします。内容証明郵便に配達証明を付すことにより、内容と到達の日を記録に残すことができます。
請求の相手方
請求の相手方は、会社です。買主個人ではありません。買主が「当方には関係がない」と述べることは、この意味では正しいものです。
もっとも、買主が契約において精算の義務を負っていた場合には、買主に対する請求が別途成り立ちます。
会社に資力がない場合
会社に返済の資力がない場合には、現実の回収が困難となります。会社の資力を確認した上で、方針を検討いたします。
分割による返済の合意、他の債権との調整、代物による弁済といった方法を検討することが考えられます。
時効
貸金の返還請求権についても、消滅時効が進行いたします。債権は、債権者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないとき、又は権利を行使することができる時から10年間行使しないときは、時効によって消滅いたします(民法第166条第1項)。
返還の時期が定められていない場合の起算点については、議論があるところです。いずれにしても、早期に請求を行うことが望まれます。
第4節 買主に対する請求
精算の義務がある場合
契約において、買主が決済の時までに精算させる義務を負う旨が定められている場合には、その義務の違反として、買主に対して損害の賠償を請求することが考えられます(民法第415条第1項)。
誓約として定められている場合
契約において、決済の後の一定期間内に会社から売主に返済させる旨が誓約として定められている場合には、その履行を求めることができます。
定めがない場合
契約に定めがない場合には、買主に対する請求は困難です。会社に対する請求によることとなります。
代金への反映の主張
買主が「代金の算定において債権の額を考慮していた」と主張することがあります。この主張の当否は、価格の算定に関する資料、交渉の経過により判断されることとなります。
企業価値の算定において役員からの借入金がどのように扱われていたかを、資料により確認いたします。
第5節 回収を確実にする方法
保全
会社が資産を処分するおそれがある場合には、仮差押えを検討いたします(民事保全法第20条第1項)。
担保の設定
会社が直ちに返済することができない場合には、分割による返済の合意とともに、担保の設定を求めることが考えられます。会社が所有する不動産に抵当権を設定する、代表者が保証するといった方法です。
公正証書による合意
分割による返済の合意をする場合には、強制執行を受諾する旨の記載のある公正証書によることが考えられます。会社が履行を怠った場合に、訴訟を経ずに強制執行に移ることができます。
相殺の可能性
売主が会社に対して債務を負っている場合には、相殺が問題となります(民法第505条第1項)。会社側から相殺を主張されることがありますので、双方の債権債務を整理しておく必要があります。
第6節 譲渡の前に備えておくこと
決済の際に精算いたします
最も確実な方法は、決済の際に精算することです。譲渡代金の受領と同時に、会社から返済を受ける形とすることが考えられます。
会社に資金がない場合には、譲渡代金の一部を会社に貸し付ける形を採るなど、資金の流れを設計する必要があります。
契約への記載
精算が決済の時までに行われない場合には、その取扱いを契約に明記いたします。返済の期日、方法、履行されない場合の効果を定めておきます。
残高の確認
決済の際に、債権の残高を確認する書面を、会社との間で取り交わしておきます。後に金額が争われることを避けるためです。
資料の保管
計算書類、勘定科目の内訳明細書、総勘定元帳の写しを保管しておきます。譲渡の後は、これらの資料に接することができなくなります。
税務上の取扱い
債権の放棄、返済、代金への反映のいずれによるかにより、税務上の取扱いが異なります。この点は税理士の業務に属しますので、当事務所は行うものではありません。譲渡の設計に際しては、税理士に確認いただくことが必要です。
第7節 弁護士に相談する意味
この類型について弁護士が行う業務は、次のとおりです。第一に、株式譲渡契約における精算又は放棄に関する定めを確認し、請求の可否を判断することです。第二に、債権の存在及び金額を示す資料を整理することです。第三に、会社に対する催告及び請求を行うことです。第四に、契約において買主が精算の義務を負っていた場合に、買主に対する請求を検討することです。第五に、会社の資力を踏まえて、担保の設定又は分割による返済の合意を検討することです。
この類型においては、譲渡の前の設計が最も重要です。決済の際に精算する形とすることができれば、後の紛争を避けることができます。
具体的な回収の方法は、契約の定め、会社の資力、資料の状況等により異なり、当事務所が個別案件を通じて蓄積してきた実務上のノウハウにも属するため、本記事では詳細を開示しておりません。
よくあるご質問
質問1 株式を譲渡したら貸付金も消えるのですか。
消えません。株式の譲渡と、売主が会社に対して有する債権とは、別のものです。契約において放棄の定めが置かれている場合を除き、債権はそのまま残ります。
質問2 買主に請求できますか。
債務者は会社ですので、原則として会社に対して請求いたします。もっとも、契約において買主が精算させる義務を負っていた場合には、その義務の違反として買主に対する請求が成り立つ余地があります。
質問3 契約書がありません。証明できますか。
計算書類における役員借入金の計上、勘定科目の内訳明細書の記載、個人の預金から会社への振込みの記録により、貸付けの事実を示すことが考えられます。譲渡の前に写しを保管しておくことが重要です。
質問4 買主が「代金に含まれていた」と言っています。
契約に定めがない以上、この主張が当然に認められるものではありません。価格の算定に関する資料、交渉の経過から、役員からの借入金がどのように扱われていたかを確認いたします。
質問5 会社にお金がありません。
分割による返済の合意、担保の設定、強制執行を受諾する旨の記載のある公正証書の作成を検討いたします。会社の資力を確認した上で、現実的な回収の方法を定めることとなります。
弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談
弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕。東京都港区虎ノ門)では、譲渡後に残った役員貸付金の回収に関するご相談をお受けしております。
- 電話番号 03-6435-8418
- 受付時間 8時00分から21時00分まで
- 土曜日、日曜日及び祝日も受付いたします
- ご相談は事前予約制です
ご相談の際に、株式譲渡契約書、譲渡前の計算書類及び勘定科目の内訳明細書、金銭消費貸借契約書、個人の預金の記録、買主とのやり取りの記録をご用意いただけますと、検討が早く進みます。
弁護士費用は、弁護士費用一覧のページをご覧ください。結果は事案ごとに異なります。本記事の記載は一般的な説明であり、特定の結果を保証するものではありません。
本記事の根拠条文
民法 第166条第1項(債権の消滅時効)、第412条(履行期と履行遅滞)、第415条第1項(債務不履行による損害賠償)、第419条第1項(金銭債務の特則)、第505条第1項(相殺)、第587条(消費貸借)、第591条(返還の時期)
会社法 第356条第1項(競業及び利益相反取引の制限)、第365条第1項(取締役会設置会社における承認)
民事保全法 第20条第1項(仮差押命令の要件)
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