M&A後に退職者が出てしまった場合に売主に損害賠償請求することができるのか?

この記事の位置付け
退職者が出た場合の売主への損害賠償の請求に関するメインのページです。本ページは、M&Aで会社を譲り受けた後に転籍者が退職した場面で、契約の条項に基づく請求の可否をご説明します。動画による解説は別のページをご参照ください。
▶ 譲り受けた会社の従業員が相次いで退職した場合に確認する事項
同じ主題を扱う関連ページ
M&Aによって対象会社の経営権が買主に移転した後、買主に転籍した従業員が短期間のうちに相次いで退職してしまう場合があります。買主としては、優秀な人材の確保を前提として対象会社を譲り受けたにもかかわらず、その前提が崩れることになりますので、売主に対して何らかの補償を求めたいと考えることになります。実務上、M&A契約書には、このような事態に備えて、あらかじめ転籍者の退職に関する条項が定められていることがあります。以下は、その条項の一例です。
- 「買主は、クロージング後1年間の間に、転籍者の申出により転籍者と対象会社との雇用契約が終了した場合には、売主に対して、買主が第○条に基づき当該転籍者に支払った金額(転籍補償金)及び当該転籍者に対する退職金の合計額を通知することができるものとし、売主は、買主からかかる通知を受領したときは、当該通知にかかる金額を速やかに買主又は買主が指定する第三者に対して支払う。」
このような条項が定められている場合、売主は、買主から通知を受けた金額を支払う義務を負うことになりますが、この義務の範囲や、条項が定められていない場合の取扱いについては、慎重な検討が必要です。本記事では、M&A後に退職者が生じた場合に、売主が買主から損害賠償請求を受けることがあるのか、その要件や注意点について解説します。
転籍者の退職に関する条項をめぐる実務上の論点
1 条項の性質
本文に掲げた条項は、転籍者が自らの申出により退職した場合に、買主が支出した転籍補償金及び退職金の額を売主が負担する旨を定めるものです。売主の帰責事由を要件としていない点に特徴があります。すなわち、損害賠償ではなく、一種の危険負担の分配又は補償の合意と解されます。
2 売主の側から確認すべき点
第一に、対象となる期間です。クロージング後1年間とされることが多くありますが、期間が長くなるほど売主の負担は重くなります。
第二に、対象となる退職の範囲です。「転籍者の申出により」とされている場合、買主による解雇又は退職勧奨による退職は含まれないと解されます。もっとも、実質的に買主の側の事情により退職に至った場合の取扱いが明確でないと、後に争いとなります。労働条件の不利益変更、配置転換、職務内容の変更等が原因である場合を除外する旨を明記することが考えられます。
第三に、対象となる金額です。転籍補償金及び退職金の合計額とされておりますが、買主が任意に高額の退職金を支給した場合にもその全額を負担するのかが問題となります。上限額を定めることが考えられます。
第四に、対象となる者の範囲です。全従業員を対象とするのか、主要な人員に限るのかを明確にいたします。
第五に、他の補償条項との重複です。表明保証違反に基づく補償の対象と重複する場合の調整を定めておく必要があります。
3 買主の側から確認すべき点
第一に、通知の期限です。条項に通知の期限が定められていない場合、売主から権利行使の時期が不明確であるとして争われる可能性があります。
第二に、支払の担保です。売主が個人である場合、クロージング後に譲渡代金を費消した後では、実際の回収が困難となることがあります。譲渡代金の一部を一定期間留保する方法(エスクロー)を検討することが考えられます。
第三に、責任の期間及び上限との関係です。株式譲渡契約書に補償責任の期間又は上限額が定められている場合、本条項がその対象に含まれるかどうかを明確にいたします。
4 そもそも人員の流出を防ぐための設計
条項による事後的な補償は、失われた人材そのものを回復するものではありません。買主にとって重要なのは、人員が残留することです。
そのため、実務上は、主要な人員について、クロージング前に処遇の維持又は改善を提示すること、キーマンとの間で個別に一定期間の在籍に関する合意を締結すること、クロージング後の一定期間は労働条件を変更しない旨を株式譲渡契約書に定めることなどが行われます。
売主の側においても、譲渡の事実を従業員にいつ、どのように伝えるかが、人員の流出の有無を大きく左右いたします。公表の時期及び方法は、買主と協議のうえで慎重に設計すべき事項です。
具体的なご相談をお考えの皆様へ
本ページの主題に関し、当事務所の取扱内容、対応の進め方及び費用の考え方は、次のご案内のページに整理しています。あわせてご覧ください。


