運転資本の調整による返金要求の当否を検証する方法

この記事の位置付け

運転資本の調整による返金の要求に関するメインのページです。本ページは、譲渡の後に価格の調整を求められた場面で、定義と基準額を検証する順序を全体から示します。会計方針の変更の影響は別のページをご参照ください。

会社の株式を譲渡いたしましたところ、決済から数か月を経て、買主から「運転資本が基準額を下回っていたので、M&A譲渡代金の一部を返還してほしい」との連絡がありました。買主が作成したという計算書が添付されておりますが、金額の根拠がよく分かりません。契約書には価格調整に関する条項が置かれておりますが、詳細な定めはありません。返還に応じなければならないのでしょうか。このようなご相談をいただくことがあります。

結論から申し上げます。運転資本の調整による返還の要求は、契約に定められた算定の方法に従っているかを検証することにより、その当否を判断いたします。検証の視点は、定義、基準額、会計処理の継続、算定の基準時、項目の重複、手続の遵守の六つです。買主の計算書が示されたからといって、直ちに応じる必要はありません。他方、契約に異議の期限が定められている場合には、期限を徒過すると争うことが困難となりますので、速やかな検討が必要です。本記事では、検証の手順を整理いたします。

価格調整条項の仕組み

 調整が行われる理由

株式譲渡においては、価格の算定の基礎とした計算書類の基準日と、実際の決済日との間に期間が生じます。この間に対象会社の財政状態が変動いたしますので、その変動を代金に反映させるために、価格調整に関する条項が置かれます。

 調整の対象

表1 価格調整の対象とされる項目

項目 内容 調整の方向
運転資本 売掛金、棚卸資産、買掛金等の増減 基準額との差額を加減いたします
純有利子負債 借入金から現預金を控除した額 増加した場合は減額されるのが通例です
純資産 純資産の額の増減 基準額との差額を加減いたします
設備投資 予定された投資の実施の有無 個別に定められます

 運転資本の意味

運転資本は、事業の運営に必要となる資金を示す概念です。売上債権及び棚卸資産から仕入債務を控除した額として定義されるのが通例ですが、契約における定義がすべてです。一般的な用語法と契約の定義とが一致するとは限りません。

 紛争が生じやすい理由

決済の後は、対象会社の帳簿を管理するのは買主です。売主は、算定の基礎となる資料を自ら確認することが困難となります。この構造が、紛争が生じやすい理由です。

検証の第一 定義を確認いたします

 契約の定義が出発点です

まず、契約における「運転資本」の定義を確認いたします。定義に含まれる勘定科目が列挙されている場合には、その列挙が基準となります。列挙されていない科目を買主が算入している場合には、契約の定義に反する算定となります。

 含まれるかが争われやすい科目

表2 運転資本に含まれるかが争われやすい項目

項目 争点
未払費用及び未払金 運転資本に含めるか、有利子負債として扱うか
前受金 負債として控除するかどうか
貸倒引当金 売上債権から控除するかどうか
役員貸付金及び役員借入金 事業に関する項目として扱うかどうか
未払の賞与 計上の要否と算定の方法
未収入金及び仮払金 回収の可能性をどのように評価するか
消費税に係る債権債務 運転資本に含めるかどうか

定義が抽象的である場合には、これらの項目の扱いが争点となります。契約の交渉の経過に関する資料が、解釈の手掛かりとなることがあります。

 定義の別紙の確認

契約の本文に定義が置かれておらず、別紙に算定の例が添付されている場合があります。別紙に示された科目及び算定の方法が、定義の内容を示すものと解されることになります。

検証の第二 基準額の根拠を確認いたします

 基準額の定め方

運転資本の調整は、決済日における運転資本の額と、あらかじめ定めた基準額との差額により行われます。基準額は、契約において具体的な金額として定められている場合と、過去の一定期間の平均額として定められている場合とがあります。

 平均額による場合の検証

過去の一定期間の平均額とされている場合には、その期間の取り方、月次の数値の採用の方法、季節による変動の扱いを確認いたします。買主が自らに有利な期間を選択している場合があります。

 基準額の算定の前提

基準額が算定された時点における会計処理と、決済日における算定の会計処理とが同一であるかを確認いたします。異なる処理により算定された数値を比較することは、意味がありません。

検証の第三 会計処理が継続しているかを確認いたします

 継続性の原則

契約においては、算定に用いる会計処理を、対象会社が従前採用していた処理と同一のものとする旨が定められているのが通例です。この定めがある場合には、買主が処理を変更した上で算定していないかを確認いたします。

 処理の変更が生じやすい項目

貸倒引当金の計上の基準、棚卸資産の評価の方法、収益の認識の時期、未払費用の計上の範囲といった項目において、処理の変更が生じやすいものです。

買主の企業集団において統一された処理に合わせた結果として、対象会社の運転資本が減少して算定されることがあります。契約に継続性に関する定めがある場合には、これは契約に反する算定となります。

 定めがない場合

継続性に関する定めが置かれていない場合であっても、基準額と同一の前提により算定すべきであるという主張が考えられます。異なる前提による数値を比較して差額を求めることは、条項の趣旨に反すると解する余地があるためです。

検証の第四 基準時と対象範囲を確認いたします

 算定の基準時

運転資本の額は、決済日の時点で算定するのが通例です。決済日の直前又は直後の月末の数値を用いる旨が定められている場合もあります。

買主が、契約に定められた基準時と異なる時点の数値を用いていないかを確認いたします。基準時が数日ずれるだけで、金額が大きく変動することがあります。

 決済後の事情

決済日の後に生じた事情は、原則として算定に影響を及ぼしません。決済日の後に売掛金が回収不能となった場合、その事情を貸倒引当金として決済日の数値に反映させることができるかは、争点となり得ます。

買主が、決済後に判明した事情を根拠として、決済日の数値を修正している場合には、その当否を検討することになります。

 対象となる会社の範囲

対象会社に子会社がある場合には、算定が個別の計算書類によるのか、連結によるのかを確認いたします。契約の定めと異なる範囲により算定されている場合があります。

検証の第五 項目の重複を確認いたします

 二重の調整

同一の事項について、運転資本の調整と純有利子負債の調整の双方において算入されている場合があります。これは、二重の減額となります。

表3 重複が生じやすい組合せ

項目 重複の生じ方
未払の賞与 運転資本の負債と純有利子負債の双方に算入
未払の役員報酬 同上
リースに係る債務 運転資本と有利子負債の双方に算入
未払の法人税等 運転資本と有利子負債の双方に算入

 補償条項との重複

さらに、価格調整により減額された事項について、補償の請求も併せて行われることがあります。同一の損失について二重に負担することとなりますので、契約に重複を排除する定めが置かれていないかを確認いたします。

定めが置かれていない場合であっても、同一の損失について二重に回復を受けることは許されないとの主張が考えられます。

 開示された事項

デューデリジェンスにおいて既に開示され、価格の算定に織り込まれた事項について、改めて調整の対象とすることは、契約の趣旨に反する場合があります。開示別紙の記載と、買主が主張する調整の内容とを照合いたします。

検証の第六 手続が守られているかを確認いたします

 算定書の交付の期限

契約においては、買主が算定書を作成し、決済日から一定の期間内に売主に交付すべき旨が定められているのが通例です。この期限を経過した後に交付された算定書について、効力を争う余地があります。

 添付すべき資料

算定書に添付すべき資料が定められている場合には、これが添付されているかを確認いたします。資料が添付されていない場合には、算定書としての要件を満たさないとして、資料の交付を求めることが考えられます。

 売主の異議の期限

売主が異議を述べる期限が定められている場合には、これを徒過しないことが最も重要です。期限を経過した場合、算定書の内容が確定する旨の定めが置かれていることがあります。

資料が不足しているために検討ができない場合であっても、まず期限内に異議を述べた上で、資料の交付を求めるという順序で進める必要があります。

 異議の記載の程度

異議において、争う項目を特定すべき旨が定められている場合があります。特定されなかった項目については確定するとの定めが置かれていることもありますので、検討が及んでいない項目についても、留保を付して異議を述べておくことが考えられます。

 第三者による判断

協議が調わない場合に、公認会計士等の第三者の判断に委ねる旨が定められていることがあります。この場合、判断の対象となる事項の範囲、選任の方法、費用の負担を確認いたします。

返還に応じる場合と応じない場合の進め方

 支払を留保する場合

買主の算定に理由がないと考える場合には、その旨を書面により回答いたします。回答には、争う項目、その理由、契約上の根拠を記載いたします。

買主が、支払われるべき代金の残額との相殺を主張してくることがあります(民法第505条第1項)。相殺の可否についても、契約の定めを確認する必要があります。

 一部について理由がある場合

検証の結果、一部について理由があると判断される場合には、その範囲を明らかにした上で協議いたします。全部を争うことに固執することは、かえって解決を遅らせることがあります。

 訴訟となった場合

協議が調わない場合には、買主から返還を求める訴訟が提起されることがあります。この場合、算定が契約に従っていないことを主張することとなります。

資料が買主の手元にあることから、資料の提出を求める手続を併せて検討することになります。

 時効

買主の返還請求権についても、消滅時効が問題となります。債権は、債権者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないときは、時効によって消滅いたします(民法第166条第1項第1号)。契約に別段の期間の定めが置かれている場合には、その定めによります。

弁護士に相談する意味

価格調整による返還の要求に関して弁護士が行う業務は、次のとおりです。第一に、契約における定義、基準額、会計処理の前提、手続の各条項を確認し、買主の算定が契約に従っているかを検証することです。第二に、異議の期限を管理し、期限内に必要な留保を付した回答を作成することです。第三に、算定の根拠となる資料の交付を求めることです。第四に、補償の請求との重複を確認し、二重の負担を避けることです。第五に、協議又は訴訟における主張を組み立てることです。

価格調整に関する紛争は、会計に関する事項を含みますが、その中心は契約の解釈です。契約に定められた方法に従っているかという視点から検証することが、出発点となります。

なお、会計処理及び税務に関する事項は、公認会計士又は税理士の業務に属します。当事務所は、これらの業務を行うものではなく、必要に応じてこれらの専門家と連携して検討いたします。

具体的な検証の方法や主張の組み立ては、契約の定め、事業の内容、買主の対応等により異なり、当事務所が個別案件を通じて蓄積してきた実務上のノウハウにも属するため、本記事では詳細を開示しておりません。

よくあるご質問

質問1 買主から計算書が届きました。すぐに応じなければなりませんか。

直ちに応じる必要はありません。契約に定められた算定の方法に従っているかを検証いたします。もっとも、異議の期限が定められている場合には、期限内に異議を述べる必要がありますので、速やかに検討を始める必要があります。

質問2 算定の根拠となる資料が示されません。

契約において添付すべき資料が定められている場合には、その交付を求めます。資料が交付されないことを理由として、算定書の効力を争うことも考えられます。あわせて、期限内に留保を付した異議を述べておきます。

質問3 買主が会計処理を変更していました。争えますか。

契約に会計処理の継続に関する定めがある場合には、契約に反する算定であると主張することが考えられます。定めがない場合であっても、基準額と同一の前提により算定すべきであるとの主張の余地があります。

質問4 価格調整と補償の請求の両方を受けています。

同一の事項について二重に負担することとならないかを確認する必要があります。契約に重複を排除する定めが置かれていることがあります。定めがない場合であっても、二重の回復は許されないとの主張が考えられます。

質問5 異議の期限を過ぎてしまいました。

契約に確定に関する定めが置かれている場合には、争うことが困難となるのが通例です。もっとも、算定が契約に定められた方法によっていない場合や、買主が資料を交付しなかった場合には、なお主張の余地が残ることがあります。事実関係を確認した上で検討いたします。

弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談

弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕。東京都港区虎ノ門)では、価格調整条項に基づく返還の要求に関するご相談をお受けしております。

  • 電話番号 03-6435-8418
  • 受付時間 8時00分から21時00分まで
  • 土曜日、日曜日及び祝日も受付いたします
  • ご相談は事前予約制です

ご相談の際に、株式譲渡契約書、価格調整に関する別紙、買主から交付された算定書及び添付資料、決済日前後の計算書類をご用意いただけますと、検討が早く進みます。異議の期限が定められている場合には、その期日をお申し出ください。

弁護士費用は、弁護士費用一覧のページをご覧ください。結果は事案ごとに異なります。本記事の記載は一般的な説明であり、特定の結果を保証するものではありません。

本記事の根拠条文

民法 第166条第1項(債権の消滅時効)、第412条(履行期と履行遅滞)、第415条第1項(債務不履行による損害賠償)、第505条第1項(相殺)、第533条(同時履行の抗弁)、第541条(催告による解除)

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