労働基準監督署の是正勧告を受けた場合の手順

株式を取得して間もない時期に、労働基準監督署の調査を受けました。その結果、時間外労働に関する協定の届出がないまま時間外労働をさせていたこと、割増賃金の一部が支払われていないことについて是正勧告を受け、期日までに是正報告書を提出するよう求められました。前の経営者の時代からの運用であり、どこまで遡って対応すべきかが分かりません。このようなご相談をいただくことがあります。

結論から申し上げます。是正勧告は行政指導であり、それ自体が処分ではありません。もっとも、これに対応しない場合には、更なる調査、事案によっては送検といった手続に進む可能性があります。したがって、期日までに是正報告書を提出し、指摘された事項について是正を行う必要があります。あわせて、譲渡前の期間に係る負担については、株式譲渡契約に基づく売主への補償請求を検討することになります。本記事では、その手順を整理いたします。

第1節 是正勧告の性質

 行政指導としての位置付け

労働基準監督官は、事業場、寄宿舎その他の附属建設物に臨検し、帳簿及び書類の提出を求め、又は使用者若しくは労働者に対して尋問を行うことができるとされています(労働基準法第101条第1項)。

調査の結果、法令に違反する事実が認められた場合には、是正を求める文書が交付されます。これは行政指導としての性質を有するものであり、行政処分ではありません。したがって、これに対する不服申立ての手続が用意されているものではありません。

 指導票との違い

法令違反が認められる場合の是正勧告書のほか、法令違反とまではいえないものの改善が望ましい事項について指導票が交付されることがあります。両者は性質が異なりますので、交付された書面の種類を確認いたします。

 対応しない場合の帰結

是正勧告に対応しない場合、再度の調査が行われることがあります。労働基準法に違反する行為については罰則が定められており、悪質な事案においては送検されることがあります。

また、是正勧告を受けた事実は、対象会社の労務管理に問題があることを示すものとして、後の労働者との紛争においても影響し得ます。

 調査の端緒

調査の端緒としては、定期的な監督、労働者からの申告(労働基準法第104条第1項)、労働災害の発生、他の事業場に関する情報が挙げられます。労働者からの申告による場合には、当該労働者との間に既に紛争が生じている可能性があります。

なお、使用者は、労働基準法違反の事実を申告したことを理由として、労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならないとされています(労働基準法第104条第2項)。

第2節 指摘されることの多い事項

表1 是正勧告において指摘されることの多い事項

区分 指摘の内容 関係する条文
労働時間 法定労働時間を超える労働 労働基準法第32条
時間外労働に関する協定 協定の未締結又は未届出 労働基準法第36条
割増賃金 割増賃金の不払又は計算の誤り 労働基準法第37条
労働条件の明示 労働条件通知書の未交付 労働基準法第15条
就業規則 作成義務違反、届出の懈怠 労働基準法第89条、第90条
賃金台帳 記載事項の不備 労働基準法第108条
労働者名簿 未作成、記載事項の不備 労働基準法第107条
労働時間の把握 記録が行われていないこと 労働安全衛生法第66条の8の3
年次有給休暇 時季指定義務の不履行 労働基準法第39条第7項
健康診断 未実施 労働安全衛生法第66条

中小企業の取得後に指摘されることが多いのは、時間外労働に関する協定の届出の懈怠、労働時間の記録の不備、割増賃金の計算の誤りです。

第3節 対応の手順

表2 是正勧告を受けた場合の手順

順序 作業 留意点
1 交付された書面の確認 是正勧告書か指導票か、指摘事項、是正期日
2 事実関係の調査 指摘の対象となる期間、対象者、金額
3 株式譲渡契約の確認 補償の請求期間、通知の要件
4 売主への通知 期間内に書面により行います
5 是正の方針の決定 遡及して支払う範囲、将来に向けた是正
6 是正の実施 支払、規程の改定、届出
7 是正報告書の提出 期日までに提出いたします
8 売主への補償請求 支出した金額を基礎といたします

 指摘事項の確認

是正勧告書には、違反の条文、事実、是正の期日が記載されています。指摘の内容を正確に把握することが出発点となります。

指摘の対象が、特定の労働者に限られるのか、事業場の全体に及ぶのかによって、対応の範囲が異なります。

 遡及して支払う範囲

割増賃金の不払について指摘を受けた場合、どこまで遡って支払うかが問題となります。監督署から特定の期間について支払を求められることがありますが、これとは別に、賃金請求権の消滅時効の範囲において労働者から請求される可能性があります。

賃金請求権の消滅時効については、労働基準法第115条に定めが置かれていますが、同法附則第143条第3項により、当分の間は3年とされています。

対応としては、監督署から求められた範囲にとどめる方法と、時効の範囲において遡及して支払う方法とがあります。前者にとどめた場合、後に労働者から残余の期間について請求される可能性が残ります。いずれによるかは、労働者との関係、金額の規模、他の従業員への波及の見込みを踏まえて判断いたします。

 是正報告書の作成

是正報告書には、指摘された各事項について、是正の内容と実施の時期を記載いたします。記載にあたっては、次の点に留意いたします。

第一に、事実に反する記載をしないことです。是正が完了していない事項について完了した旨を記載することは避けるべきです。

第二に、期日までに完了しない事項については、その理由と完了の予定時期を記載することです。あらかじめ監督署に相談することも考えられます。

第三に、是正報告書の内容は、後に労働者との紛争において資料となり得るということです。記載の内容が、対象会社の認識を示すものとして用いられることがあります。

 将来に向けた是正

遡及しての対応と併せて、将来に向けた是正を行う必要があります。

表3 将来に向けた是正の内容

事項 是正の内容
労働時間の把握 客観的な方法による記録の実施
時間外労働に関する協定 締結及び届出、限度時間の遵守
就業規則 作成、意見聴取、届出、周知
賃金規程 割増賃金の算定方法の明確化
固定残業代 対象時間及び金額の明示
管理監督者 取扱いの範囲の見直し
賃金台帳及び労働者名簿 記載事項の整備

是正を行わない限り、同種の指摘が繰り返されることになります。

第4節 売主に対する補償請求との関係

 通知の期限

株式譲渡契約に基づく補償の請求には、契約に定められた期間内の通知が要件とされているのが通例です。是正勧告を受けた時点で、まず契約の請求期間を確認し、期間内に売主へ通知を行う必要があります。

是正の対応に追われて通知を失念しますと、後に請求ができなくなります。是正の作業と並行して、契約の確認と通知を行うことが重要です。

 補償の対象となる範囲

表4 補償の対象となり得る項目

項目 検討する点
遡及して支払った割増賃金のうち譲渡前の期間に対応する部分 期間の区分、算定の根拠
遅延損害金及び遅延利息 契約における損害の範囲の定め
社会保険料の追加負担 保険料の再計算の要否
是正に要した専門家の費用 契約における費用の扱い
是正に要した社内の費用 損害として認められる範囲

譲渡後の期間に対応する部分は、買主が経営していた期間の問題ですので、補償の対象とはならないのが通例です。期間ごとに区分して算定する必要があります。

 表明保証の内容の確認

労務に関する表明保証として、「対象会社は労働関係法令を遵守しており、行政機関から指導又は勧告を受けていない」といった項目が置かれていることがあります。譲渡前に既に是正勧告を受けていた場合には、この表明保証に違反することになります。

譲渡後に初めて調査が行われ、譲渡前の期間について指摘を受けた場合には、「労働関係法令を遵守している」という表明保証の違反として構成することになります。

 開示別紙及び限定の確認

開示別紙に労働時間の管理の状況が記載されている場合、当該事項は表明保証の対象から除外されます。また、「売主の知る限り」という限定が付されている場合には、売主が問題を認識していたことを示す必要があります。

過去に監督署の調査を受けたことがあるか、労働者から指摘を受けたことがあるかといった事実が、認識の有無を判断する上での手がかりとなります。

 従業員への説明

遡及して割増賃金を支払う場合、対象となる従業員に対する説明が必要となります。説明にあたっては、算定の方法、対象となる期間、支払の時期を明らかにいたします。

支払に際して清算に関する書面を取り交わす場合には、その記載の内容を検討する必要があります。将来の請求を制限する趣旨の記載を設けるか否か、設ける場合の範囲について、慎重な判断を要します。

 是正勧告を受けた事実の扱い

是正勧告を受けた事実は、後に労働者との紛争が生じた場合において、対象会社の労務管理に問題があったことを示す資料として用いられることがあります。他方、速やかに是正を行った事実は、対象会社が問題に適切に対応したことを示すものとなります。

是正の経過を記録として残しておくことに、実務上の意味があります。

第5節 弁護士に相談する意味

是正勧告を受けた局面において弁護士が行う業務は、次のとおりです。第一に、指摘事項の内容を確認し、遡及して対応すべき範囲を判断することです。第二に、是正報告書の記載を検討し、後の労働者との紛争において不利に働かないようにすることです。第三に、株式譲渡契約の請求期間を確認し、期間内に売主へ通知を行うことです。第四に、将来に向けた労務管理の是正を設計することです。

とりわけ第二の点は見落とされやすい事項です。是正報告書は行政機関に対する文書ですが、その内容は対象会社の認識を示すものとして、後の紛争において用いられることがあります。

具体的な進め方は、指摘の内容、労働時間の記録の状況、契約の定め等により異なり、当事務所が個別案件を通じて蓄積してきた実務上のノウハウにも属するため、本記事では詳細を開示しておりません。

よくあるご質問

質問1 是正勧告に従わないとどうなりますか。

是正勧告は行政指導であり処分ではありませんが、対応しない場合には再度の調査が行われることがあります。労働基準法に違反する行為については罰則が定められており、悪質な事案においては送検されることがあります。

質問2 前の経営者の時代の問題です。買主が対応しなければならないのですか。

株式の譲渡では法人格が変わりませんので、対象会社が使用者としての義務を負います。行政機関及び労働者に対する関係では、対象会社が対応することになります。売主に対する補償請求は、これとは別の問題です。

質問3 どこまで遡って支払うべきですか。

監督署から求められた範囲と、労働者から請求され得る範囲とは異なります。賃金請求権の消滅時効は、労働基準法第115条及び同法附則第143条第3項により、当分の間3年とされています。判断は、労働者との関係、金額の規模、波及の見込みを踏まえて行います。

質問4 是正報告書はどのように書けばよいですか。

指摘された各事項について、是正の内容と実施の時期を、事実に即して記載いたします。完了していない事項については、その理由と完了の予定時期を記載いたします。後の紛争において資料となり得ることに留意して作成いたします。

質問5 売主への請求はいつ行えばよいですか。

是正の対応と並行して、株式譲渡契約の請求期間を確認し、期間内に通知を行ってください。金額が確定していなくても、通知は先に行う必要があります。

弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談

弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕。東京都港区虎ノ門)では、株式の取得後に労働基準監督署の是正勧告を受けた場合のご相談をお受けしております。

  • 電話番号 03-6435-8418
  • 受付時間 8時00分から21時00分まで
  • 土曜日、日曜日及び祝日も受付いたします
  • ご相談は事前予約制です

ご相談の際に、是正勧告書、指導票、株式譲渡契約書、開示別紙、就業規則、賃金規程、賃金台帳、労働時間の記録をご用意いただけますと、検討が早く進みます。是正の期日が迫っている場合には、その旨をお申し出ください。

結果は事案ごとに異なります。本記事の記載は一般的な説明であり、特定の結果を保証するものではありません。

本記事の根拠条文

労働基準法 第15条(労働条件の明示)、第32条(労働時間)、第36条(時間外及び休日の労働)、第37条(割増賃金)、第39条第7項(年次有給休暇の時季指定)、第89条、第90条(就業規則)、第101条第1項(労働基準監督官の権限)、第104条(監督機関に対する申告及び不利益取扱いの禁止)、第107条(労働者名簿)、第108条(賃金台帳)、第115条(時効)、附則第143条第3項(賃金請求権の消滅時効を当分の間3年とする経過措置)

労働安全衛生法 第66条(健康診断)、第66条の8の3(労働時間の状況の把握)

民法 第415条第1項(債務不履行による損害賠償)、第166条第1項(債権の消滅時効)

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