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ホテル2軒の売買代金と新型コロナウイルス等を理由とする事情変更の主張―東京地方裁判所令和3年4月20日判決

公開 2021年4月20日更新 2026年10月30日

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ホテル事業を売却するために、ホテルの土地と建物を買主に売る契約を結んだものの、売主側の補助金の返還問題を避けるために売買の実行を先送りし、その間は建物を賃貸する仕組みを採った。ところが、売主側の内部対立や訴訟が続いて売買は約6年間実行されず、その間に新型コロナウイルスの感染拡大が起きた。この場合、買主は、事情が変わったことや売主の長年の不誠実な対応を理由に、売買契約を解除したり代金を減額したりできるのでしょうか。

東京地方裁判所令和3年4月20日判決は、ホテル2軒に係る不動産の売主(ホテル経営会社とその株主である夫婦)が買主に売買代金を請求した事案で、買主が主張した事情変更の原則・信義則による解除と代金減額をいずれも否定しました。判決は、売買の実行が数年後になることも、その場合でも当初の代金額で売買を行うことも、当事者が覚書で採用した仕組みの中で予定されていたと判断しています。そのうえで、売買代金の消滅時効も否定し、買主の相殺の主張だけを認めて、不動産の引渡し及び所有権移転登記手続と引換えに、合計7億4,453万3,627円の支払を命じました。一方、売主が求めた遅延損害金は、履行の提供が認められないとして棄却されています。

本件は、株式譲渡ではなく、ホテルの土地・建物の売買契約(及びその後に結ばれた建物の賃貸借契約と覚書)によってホテル事業を移転しようとした取引です。本記事では、事業の譲渡に伴う代金をめぐるM&Aトラブルとして、売主・買主双方の視点から、事情変更の主張の限界と、契約時に定めておくべき事項を、判決本文に基づいて整理します。

Contents
  1. 裁判例の基本情報
  2. 当事者の表記
  3. 事案の概要―補助金の返還を避けるため、ホテルの売買を賃貸借で先送りした
    1. ホテル事業の売却を、ホテル2軒の不動産の売買として行った
    2. 補助金の返還問題が浮上し、建物の賃貸借と覚書で対処した
    3. 売主側の内部対立と訴訟で、売買も賃貸借も実行されなかった
    4. MTO氏による二重譲渡
    5. 建物の引渡請求訴訟と、ホテルVTCの引渡し
    6. 補助金についての県の説明と、代金をめぐる交渉の決裂
  4. 事案の経緯の時系列
  5. 覚書の条項
    1. 覚書1条1項・2項―ホテルの建物の賃借と動産等の譲渡
    2. 覚書1条3項―補助金の問題が解決され次第、売買を実行する
    3. 覚書1条4項―売買の実行による賃貸借契約の失効
    4. 覚書2条―代金支払日の修正
    5. 賃貸借契約の更新と更新後の賃料
  6. 当事者の請求と主要な主張
    1. 売主側の請求
    2. 争点の一覧
    3. 買主PWBの主張―事情変更・信義則による解除と減額
    4. 売主側の反論
    5. その他の主要な主張
  7. 結論を左右した争点
  8. 裁判所が示した判断の枠組み―覚書の仕組みは、実行の遅れと代金の据置きを予定していた
    1. 夫婦の一方は覚書の当事者ではないが、同じ仕組みに従う合意があった
    2. 賃料の一括前払は、実行が長期化する事態を想定した定め
    3. 実行の時期にかかわらず、支払の総額は6億9,000万円
  9. 各主張を採用し又は排斥した理由
    1. 新型コロナウイルスの感染拡大―解除権も代金の減額も生じない
    2. 売主側の長年の対応―責任の問題は別として、信義則で契約内容は変わらない
    3. 補助金の問題が「解決され次第」の意味―売主は補助金の返還を覚悟して履行を求められる
    4. 二重譲渡による履行不能―双方とも履行不能と認識しておらず、実際にも履行可能だった
    5. 不動産処分許可申請の義務―売買の債務の内容ではない
    6. 代金債権の消滅時効―支払日は延期され、買主の減額提案は債務の承認
    7. 抵当権の抹消―先履行の合意はない
    8. 履行の提供―認められず、遅延損害金は棄却
    9. 相殺の抗弁―執行費用899万5,336円の限度で認める
    10. 同時履行の抗弁―引換給付
  10. 主文及び結論
  11. 判断の射程―参考となる点と一般化できない点
    1. 参考となる点
    2. 一般化できない点
    3. 契約時に定めておきたいこと
  12. よくあるご質問
    1. 契約後に新型コロナウイルスの感染が拡大して事業の収益が見込めなくなった場合、買主は事情変更を理由に契約を解除できますか。
    2. 売主が長年履行を拒んできたのに、今になって当初の代金全額を請求するのは信義則に反しませんか。
    3. 補助金や許認可の問題が「解決され次第」実行するという条項がある場合、問題が解決していなくても売主は代金を請求できますか。
    4. 代金の支払日から5年以上経過していれば、買主は消滅時効を主張できますか。
    5. 売主が代金と遅延損害金を請求するには、何が必要ですか。
  13. 関連する記事と御相談のご案内

裁判例の基本情報

裁判所 東京地方裁判所民事第6部
裁判日 令和3年4月20日
事件番号 令和元年(ワ)第26199号(判決本文の冒頭の表記は「令和1年(ワ)第26199号」)
裁判の形式 判決
審級 第一審
結論 原告ら(売主側)の請求を一部認容。不動産の引渡し及び所有権移転登記手続との引換給付で、売主会社に7億453万3,627円、売主である夫婦にそれぞれ2,000万円の支払を命じ、遅延損害金の請求その他の請求を棄却。訴訟費用は2分し、その1を原告らの負担、その余を被告(買主)の負担
上訴の状況 控訴の有無及び確定は確認できていません

この表は、判決本文の冒頭及び末尾の記載に基づいて当事務所が作成したものです。判決本文には仮執行宣言の記載はありません。

当事者の表記

判決に出てくる会社名・氏名は、本記事独自のイニシャルに置き換えています。判決が用いている符号も、そのままは使わずに次の表記へ置き換えています。ホテルの所在地など、組み合わせると特定につながる事項も一般的な表現に改めています。

本記事の表記 立場
売主であるホテル経営会社KSH(以下「売主会社KSH」) 原告。ホテル経営等を目的とする株式会社で、2軒のホテルを経営していました。ホテルの建物と土地の大部分を所有していました
売主である前代表者MTO氏(以下「MTO氏」) 原告。売主会社KSHの株主かつ取締役で、平成26年2月まで代表取締役でした。ホテルの敷地の一部と未登記建物を所有していました
売主であるMTO氏の妻NRE氏(以下「NRE氏」) 原告。MTO氏の妻で、売主会社KSHの株主かつ取締役です。ホテルの敷地の一部を所有していました
売主会社KSHの現代表者RYU氏(以下「RYU氏」) MTO氏とNRE氏の子で、平成26年2月28日から売主会社KSHの代表取締役です。売買に反対しました
買主であるホテル経営会社PWB(以下「買主PWB」) 被告。ホテル経営等を目的とする株式会社です
M&A仲介会社GNC 企業買収仲介等を業とする株式会社。MTO氏と企業買収に関する業務委託契約を結び、売却先として買主PWBを紹介しました
ホテルHLA 売主会社KSHが経営していたホテルの一つ。敷地上にMTO氏夫妻の自宅建物も建っています
ホテルVTC 売主会社KSHが経営していたもう一つのホテル

判決本文では、補助金を交付した地方公共団体として特定の県の名称が記載されていますが、本記事では「県」と表記します。判決本文を引用する部分では、当事者の呼称を上記の表記に置き換え、置き換えた箇所を〔 〕で示しています。判決本文の数字は全角の算用数字で記載されているため、引用部分では判決本文の表記のままとしています。

事案の概要―補助金の返還を避けるため、ホテルの売買を賃貸借で先送りした

ホテル事業の売却を、ホテル2軒の不動産の売買として行った

判決本文の前提事実によれば、MTO氏は、ホテル経営事業の売却を考えるようになり、M&A仲介会社GNCとの間で企業買収に関する業務委託契約を締結していたところ、売却先として買主PWBを紹介されました。

平成25年12月24日、売主側の3名は、それぞれが所有する不動産を買主PWBに売りました(判決本文はこれらをまとめて「本件各売買契約」と呼んでいます)。対象は、ホテルHLAとホテルVTCの建物と敷地・駐車場の合計18筆・棟の不動産です。

契約 売主 対象と代金
本件売買契約1 売主会社KSH 不動産1から9(両ホテルの建物の大部分と敷地の一部)。代金6億5,000万円(内訳:建物6億3,528万9,630円(消費税別)、土地1,471万370円)
本件売買契約2 MTO氏 不動産10から12及び18(ホテルHLAの敷地の一部と、同ホテルを構成する未登記建物)。代金2,000万円
本件売買契約3 NRE氏 不動産13から17(両ホテルの敷地の一部)。代金2,000万円

3つの売買の代金の合計は6億9,000万円です。いずれの契約にも、代金の支払を平成26年1月31日に口座振込で行うこと、所有権は代金全額の支払時に移転すること、所有権移転登記と引渡しは代金全額の支払と引換えに行うこと、売主は抵当権の負担がない完全な所有権を移転することが定められていました。

本件は、会社の株式を譲渡したのではなく、ホテル事業に使われていた不動産を売買したものです。ホテルの営業そのもの(従業員、取引関係等)を包括的に移転する事業譲渡契約や合併契約が結ばれたという記載は、判決本文にありません。この点は、後記の補助金の問題にも関係します。

補助金の返還問題が浮上し、建物の賃貸借と覚書で対処した

売主会社KSHは、施設等の復旧整備のために県から9,495万7,000円の補助金の交付を受けていました。MTO氏の子であるRYU氏は、ホテルを売却するとこの補助金を返還しなければならなくなるなどと主張して、売買に反対しました。

そこで、MTO氏は、買主PWBの代表者及びM&A仲介会社GNCの担当者と協議し、補助金の返還を求められる事態を避けるため、問題解決までの間、ホテルの建物を売主会社KSH及びMTO氏が買主PWBに賃貸する方法で対処することにしました。平成26年1月28日、売主会社KSH及びMTO氏と買主PWBとの間で、両ホテルの建物について次の内容の賃貸借契約(判決本文の「本件賃貸借契約」)が締結され、同じ日に覚書(判決本文の「本件覚書」)も締結されました。

項目 ホテルHLA ホテルVTC
賃貸期間 平成26年2月1日から平成36年1月31日まで(10年) 平成26年2月1日から平成46年1月31日まで(20年)
賃料 月額115万円(消費税別) 月額230万円(消費税別)
全期間の賃料 1億3,800万円(消費税別) 5億5,200万円(消費税別)

全期間の賃料の合計は6億9,000万円で、3つの売買の代金の合計と同じ額です。期間の表記は判決本文のとおりであり、「平成36年」「平成46年」は、それぞれ令和6年、令和16年に当たります。

売主側の内部対立と訴訟で、売買も賃貸借も実行されなかった

RYU氏は、MTO氏が株主総会及び取締役会の決議を経ずに本件売買契約1と本件賃貸借契約を締結したと主張し、会社法360条に基づく差止請求権を被保全権利として、各契約の履行行為の仮の差止めを求める仮処分を申し立てました。地方裁判所は、平成26年1月28日と同月31日に、それぞれ申立てを認容する決定をしました。RYU氏は買主PWBにも警告書を送り、買主PWBは、同年2月1日からのホテル営業の開業準備を断念しました。建物の引渡しはされませんでした。

RYU氏は平成26年2月28日に売主会社KSHの代表取締役に就任し、売主会社KSHは、同年4月、買主PWBを相手方として、本件売買契約1と本件賃貸借契約の無効確認の訴えを提起しました。しかし、地方裁判所は平成27年11月に請求棄却の判決をし、高等裁判所は平成28年7月に控訴棄却の判決をし、同年12月には上告不受理とされました。この別件訴訟で、契約が無効であるという売主会社KSH側の主張は認められなかったことになります。

MTO氏による二重譲渡

MTO氏は、平成26年11月28日、不動産10から12(ホテルHLAの敷地の一部)を売主会社KSHに売り、同年12月1日に所有権移転登記をしました。この売買は、本件訴訟の係属中の令和2年12月4日に合意解除され、同日に登記も抹消されています。また、MTO氏は、平成28年12月から平成29年5月までの間に、不動産18(未登記建物)も売主会社KSHに売りました。

建物の引渡請求訴訟と、ホテルVTCの引渡し

買主PWBは、平成29年3月31日、売主側に売買の履行を求める通知をし、二重譲渡によって売主側の義務や責任が免れるものではないことを告げました。同年6月には、本件賃貸借契約に基づいて両ホテルの建物の引渡しを求める訴えを提起し、地方裁判所は平成30年6月に全部認容の判決を、高等裁判所は同年12月7日に控訴棄却の判決をしました。

この訴訟と並行して和解協議も行われ、補助金に関する承認が得られるか否かにかかわらず、決済日を平成30年6月30日として売買を履行する解決案も浮上しましたが、まとまりませんでした。同年9月には、売主側の代理人弁護士から、買主PWBの損害を補填するので売買契約と賃貸借契約をいずれも白紙撤回にしたいとの提案がありましたが、補償額に隔たりがあり、これもまとまりませんでした。

買主PWBは、平成31年1月16日、ホテルVTCの建物の引渡しの強制執行を申し立て、実施予定日は同年3月18日とされました。売主会社KSHと買主PWBは、同年3月14日、売主会社KSHがホテルVTCの動産一式を1,000万円で譲渡し、同月17日に明け渡すことなどを内容とする合意書を締結し、売主会社KSHは同月17日にホテルVTCの建物を引き渡しました。買主PWBは強制執行を取り下げましたが、それまでに予納金から899万5,336円が執行費用として支出され、返還されませんでした。その後、買主PWBはホテルVTCの営業を開始しました。ホテルHLAの建物は引き渡されず、売主会社KSHが営業を続けています。

補助金についての県の説明と、代金をめぐる交渉の決裂

売主会社KSHは、平成31年3月29日頃、県の担当者から、買主PWBが事業承継をすることについて国の承認を得られれば補助金の返還が不要となる可能性はあるが、そのためには売主会社KSHのホテル事業に係る財産、従業員等、権利義務を買主PWBが包括的に承継することが必要で、吸収合併契約などの書面で確認できる必要があること、本件売買契約1と本件賃貸借契約の契約書は単なる売買契約と賃貸借契約であり事業承継とはいえないことなどの説明を受けました。

平成31年4月17日、買主PWBの代表者は、売主側の代理人弁護士に対し、ホテルVTCとホテルHLAの不動産とホテルHLAの什器備品の合計で売買代金を5億2,400万円とすること、MTO氏の自宅について敷地を10年間使用貸借することを提案するメールを送りました。売主側の代理人弁護士は翌日、減額の提案には応じられないと返信し、その後も合意には至りませんでした。同年8月には、売主側の代理人弁護士から、ホテルHLAを売買等の対象から外すことができないかとの質問や、補助金の返還を求められた場合に買主PWBが支払ってくれるのであれば直ちに売却するつもりであったといった内容のメールも送られています。

売主側の3名は、令和元年9月27日、本件訴えを提起しました。

事案の経緯の時系列

日付 出来事(判決本文の前提事実及び当事者の主張による)
平成25年12月24日 売主側3名と買主PWBが、ホテル2軒の不動産の売買契約を締結(代金合計6億9,000万円、支払日は平成26年1月31日)
平成26年1月28日 建物の賃貸借契約と覚書を締結。同日、地方裁判所が本件売買契約1の履行行為の仮の差止めを認める決定
平成26年1月29日 RYU氏が買主PWBに警告書を送付
平成26年1月31日 地方裁判所が本件賃貸借契約の履行行為の仮の差止めを認める決定。当初の代金支払日
平成26年2月1日 賃貸期間の始期。建物の引渡しはされず、買主PWBは開業準備を断念
平成26年2月28日 RYU氏が売主会社KSHの代表取締役に就任。覚書2条が代金支払の目途とした日
平成26年4月 売主会社KSHが本件売買契約1と本件賃貸借契約の無効確認の訴えを提起(平成27年11月請求棄却、平成28年7月控訴棄却、同年12月上告不受理)
平成26年11月28日 MTO氏が不動産10から12を売主会社KSHに売却(同年12月1日登記)
平成28年12月から平成29年5月 MTO氏が不動産18を売主会社KSHに売却
平成29年3月31日 買主PWBが売主側に売買の履行を求める通知
平成29年6月 買主PWBが賃貸借契約に基づく建物の引渡請求訴訟を提起(平成30年6月全部認容、同年12月7日控訴棄却)
平成30年 和解協議(決済日を同年6月30日とする案など)。同年9月、売主側が白紙撤回を提案。いずれもまとまらず
平成31年1月16日 買主PWBがホテルVTCの建物の引渡しの強制執行を申立て
平成31年3月14日 ホテルVTCの動産一式を1,000万円で譲渡し、同月17日に明け渡すことなどを内容とする合意書
平成31年3月17日 売主会社KSHがホテルVTCの建物を引渡し。強制執行は取下げ(執行費用899万5,336円は返還されず)
平成31年3月29日頃 県の担当者が、売買契約と賃貸借契約では事業承継とはいえないことなどを説明
平成31年4月17日 買主PWBの代表者が、代金を5億2,400万円とする提案のメールを送信(翌日、売主側が拒否)
令和元年8月 補助金の問題やホテルHLAを対象から外す案などについてのメールのやり取り
令和元年9月27日 売主側3名が本件訴えを提起
令和2年7月14日 買主PWBが売買代金債権の消滅時効を援用(弁論準備手続期日での準備書面の陳述)
令和2年11月5日 買主PWBの解除の意思表示を記載した準備書面(同年8月25日付け)の陳述。同日、執行費用相当額の損害賠償請求権による相殺の意思表示
令和2年12月4日 不動産10から12の二重譲渡に係る売買を合意解除し、登記を抹消
令和3年1月26日 売主側が解除権の消滅時効を援用(弁論準備手続期日での準備書面の陳述)
令和3年4月20日 東京地方裁判所が、引換給付で売買代金の支払を命じる判決

令和2年の解除の意思表示、令和3年の消滅時効の援用の日付は、判決本文に記載された当事者の主張によるものです。

覚書の条項

以下は、判決本文が「次の内容の覚書」として整理した記載に基づくものです。覚書の原本の条文をそのまま再現したものではありません。当事者の呼称は本記事の表記に置き換えています。

覚書1条1項・2項―ホテルの建物の賃借と動産等の譲渡

売主会社KSHと買主PWBは、買主PWBが平成26年2月1日からホテルの建物を賃借して運営することに合意する(1条1項)。売主会社KSHと買主PWBは、本件賃貸借契約の実行に当たり、ホテルで利用している動産及び在庫等の譲渡契約を締結する(1条2項)。

覚書1条3項―補助金の問題が解決され次第、売買を実行する

売主会社KSHと買主PWBは、本件賃貸借契約の実行に当たり、県からの補助金に関する不動産処分許可申請が許可されない場合、買主PWBは、本件賃貸借契約にて契約満了時までに支払う賃料を一括して前払いするが、県からの補助金に関する問題が解決され次第、売買契約を実行し、その際は、本件賃貸借契約の残存期間分を売主会社KSHから買主PWBに返却し、買主PWBはその返却額を売買代金として支払うことに合意する。

覚書1条4項―売買の実行による賃貸借契約の失効

売主会社KSHと買主PWBは、売買契約の実行に当たり、本件賃貸借契約を失効することに合意する。

覚書2条―代金支払日の修正

売買契約を修正し、売買契約の代金支払について、平成26年2月28日を目途とするが、公官庁の許可等が必要な場合は別途売主会社KSHと買主PWBとで協議の上、支払日を決定することとする。

賃貸借契約の更新と更新後の賃料

本件賃貸借契約には、借主が期間満了の6か月前までに更新しない旨を通知しないときは、賃料を除く同一条件で1年間更新され、その後も同様とする旨の定め(10条)と、更新された場合は賃料を物件の公租公課(固定資産税等)を月割計算した金額に改定する旨の定め(3条5項)がありました。判決は、これらの定めも、覚書の仕組みを理解する手掛かりとしています。

当事者の請求と主要な主張

売主側の請求

売主側の3名は、買主PWBに対し、それぞれ次の支払を求めました。

原告 請求の内容
売主会社KSH 7億1,352万8,963円及びこれに対する平成31年3月15日から支払済みまで年6分の割合による金員
MTO氏 2,000万円及びこれに対する平成31年3月15日から支払済みまで年6分の割合による金員
NRE氏 2,000万円及びこれに対する平成31年3月15日から支払済みまで年6分の割合による金員

売主会社KSHの請求額は、本件売買契約1の代金に建物部分の消費税を加えた額です(判決は、建物代金6億3,528万9,630円、消費税、土地代金1,471万370円の合計と説明しています)。遅延損害金の起算日は、売主側が口頭による履行の提供をしたと主張する平成31年3月14日の翌日です。年6分の割合は、平成29年の民法改正に伴う整備で削除される前の商法が定めていた商事法定利率と同じ割合ですが、判決本文は根拠条文を示していません。

争点の一覧

判決は、争点を次の7つに整理しました。

  1. 売買契約の解除が認められるか(ⅰ信義則・事情変更の原則、ⅱ二重譲渡による履行不能、ⅲ不動産処分許可申請をすべき義務の不履行)
  2. 売買代金債権の消滅時効が認められるか
  3. 信義則・事情変更の原則による売買代金額の減額が認められるか
  4. 抵当権の抹消を先履行とする合意が認められるか
  5. 不動産の引渡し及び所有権移転登記手続について履行の提供があったか
  6. 相殺の抗弁が認められるか
  7. 同時履行の抗弁が認められるか

買主PWBの主張―事情変更・信義則による解除と減額

買主PWBは、売主側が6年以上にわたって売買の履行を拒み続け、不誠実な対応を続けてきたのに、売主会社KSHの財政状況が逼迫した途端に履行を求めるのは身勝手で、信義誠実の原則に反すると主張しました。また、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、不動産を取得しても営業活動により投資金を回収することが見込めなくなっており、契約締結時とは明らかに事情が異なり、契約当事者として負うべきリスクを超えると主張しました。売主側は6年以上不動産で営業して利益を上げており、約定どおりの代金を受領すれば利得を二重に得ることになるとも述べています。

代金の減額については、買主PWBは、少なくとも二つの観点から代金を改定すべきだと主張しました。

  • 収益を上げられなかった期間の不動産価値の控除:投資は建物の耐用年数等から決まる営業期間での回収を見込んで行うもので、ホテルHLAは10年、ホテルVTCは20年での回収を見込んでいた(賃貸期間もこの考えで定めた)。平成26年2月分から令和2年8月分までの期間に相当する価値として、1か月当たりホテルHLAは115万円、ホテルVTCは230万円で計算した合計1億8,170万円を差し引くべきである。
  • 売主の借入金の減少分の控除:代金は、不動産に設定された抵当権の被担保債権を全て返済できるように決められていた。売主会社KSHの金融機関に対する債務は、契約時の6億6,000万円から平成31年3月末には約4億8,250万円に減っており、売主会社KSHは営業を続けた結果、その減少分に相当する利得を得ている。二重譲渡の代金の借入れ等を考慮し、2億7,750万円を差し引くべきである。

売主側の反論

売主側は、売買契約は仲介会社のずさんな仲介により締結させられた不本意な内容のものであったため解除に応じるよう申し入れてきたが、買主PWBが応じなかったこと、ホテルVTCを引き渡して経営も譲ったのに買主PWBは一度も賃料を支払っていないこと、買主PWBは本件訴え提起後に新型コロナウイルスの影響でホテルVTCの業績が悪化すると解除を言い出したのであり身勝手であることを主張しました。代金減額の主張については、その実質は債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求であり、買主PWBはその発生を主張立証していないと反論しました。

その他の主要な主張

論点 買主PWBの主張 売主側の主張
二重譲渡による履行不能 MTO氏が敷地の一部と未登記建物を売主会社KSHに譲渡し、本件売買契約2は履行不能になった。2つのホテルを一括して譲渡する目的の契約であり、全体を解除する 二重譲渡に係る売買は合意解除され履行不能は解消した。契約は一体ではない。仮に解除権が生じても5年の経過で時効消滅しており、援用する
不動産処分許可申請の義務 覚書により、売主会社KSHは直ちに不動産処分許可申請をする義務を負っていたのに、これをしなかった 覚書には、申請が買主PWBに対する義務であるとは記載されていない
代金債権の消滅時効 支払期日の平成26年1月31日から5年が経過しており、時効を援用する。代金の減額交渉は別の合意の形成を目指したもので、債務の承認ではない 覚書で支払期限は後日協議して定めることとされた。買主PWBは代金を支払うと述べ、平成31年にも減額を求めており、債務を承認している
抵当権の抹消 完全な所有権を移転する合意があり、抵当権の抹消が代金支払に先立つべきである 代金で被担保債権を弁済して抵当権を抹消することが前提であり、先履行の合意はない
履行の提供 平成31年3月の協議は補助金を免れるための事業譲渡の検討やMTO氏の住居の問題など多岐にわたり、履行の提供ではない 平成31年3月14日以降、不動産を引き渡すので代金を支払うよう繰り返し求めており、口頭の提供をした
相殺 ホテルVTCの引渡しの強制執行で支出された執行費用899万5,336円は、賃貸借契約の不履行による損害であり、本件売買契約1の代金と相殺する 代金を支払えばいつでも明け渡すと伝えており、強制執行の必要はなかった

お手元の資料と経緯をお聞きし、進め方の順序をお示しします。

結論を左右した争点

本件の中心は、契約締結から約6年後に売主側が代金の支払を求めたことに対し、買主PWBが、新型コロナウイルスの感染拡大という事情の変化と、売主側の長年の不誠実な対応を理由に、契約の解除又は代金の減額を主張できるかという点です(争点1のⅰ及び争点3)。判決はこの2つの争点をまとめて最初に判断し、その判断の基礎とした覚書の解釈を、消滅時効(争点2)や抵当権の抹消(争点4)の判断にも用いています。

結論を分けたのは、補助金の問題を避けるために採用された覚書と賃貸借契約の仕組みが、売買の実行が遅れる事態をどのように予定していたか、という点でした。

裁判所が示した判断の枠組み―覚書の仕組みは、実行の遅れと代金の据置きを予定していた

夫婦の一方は覚書の当事者ではないが、同じ仕組みに従う合意があった

判決は、本件賃貸借契約と覚書の当事者として表示されているのは売主会社KSH、MTO氏及び買主PWBであるものの、売買がホテルの建物と敷地を売却するためのものであり、売主側相互の関係性にも照らすと、NRE氏との間でも、賃貸借契約と覚書で合意された仕組みに従うことが合意されていたといえるとしました。

賃料の一括前払は、実行が長期化する事態を想定した定め

判決は、覚書1条3項で補助金の問題が解決され次第売買を実行するとされ、覚書2条で代金支払を平成26年2月28日を目途とするとされていることから、当事者が早期解決を目指していたことはうかがわれるとしつつ、実行までの期間が長期になる事態も想定されていたと判断しました。理由は次のとおりです。

  • 覚書1条3項は、不動産処分許可申請が許可されない場合に、全賃貸期間の賃料(ホテルHLAにつき1億3,800万円、ホテルVTCにつき5億5,200万円、合計6億9,000万円。いずれも消費税別)の一括前払を定めている。これは、暫定的な法形式であったはずの賃貸借の期間が長引き、売主側が売買によって意図した債務整理が遅れることになるため、前払賃料を原資として借入金債務を早期に返済できるようにするものと解される。
  • 買主PWBにとっても、一括前払により賃借人としての地位の安定化を図ることができ、賃貸期間の経過後も借主から更新拒絶をしない限り同一条件で賃貸借が継続し、更新後の賃料は公租公課の月割額に減額されるから、売買が履行されたのとほぼ同一の法的地位を確保できる仕組みとなっている。
  • 当初の決済日から3年以上経過した平成29年6月の時点で、買主PWB自身が、売買の実行ではなく賃貸借契約に基づいて建物の引渡しを求める訴えを提起しており、賃貸借契約の仕組みを用いていた。

判決は、この仕組みについては、前記の建物の引渡請求訴訟の控訴審判決でも同様の解釈が示されていることにも触れています。

実行の時期にかかわらず、支払の総額は6億9,000万円

判決は、売買を実行する際には、一括前払された賃料の中から残存期間の賃料に相当する額を売主会社KSHから買主PWBに返却し、買主PWBはその返却額を売買代金として支払うこととされていることに着目し、次のように述べました。

「本件各売買契約の実行時期にかかわらず〔買主PWB〕から〔売主側3名〕への支払が総額で6億9000万円になる仕組みとなっているのであって、本件各売買契約が実行される時期によって売買代金額の減額等がされることは予定されていない。」

そして、次のとおり結論付けています。

「本件各売買契約の締結の数年後になってから本件各売買契約の履行がされることや、その場合でも本件各売買契約で合意された代金額をもって売買を行うことは、当事者間で予定されていたものといえる。」

つまり、判決は、事情変更の原則を抽象的に論じるのではなく、まず当事者が契約で採用した仕組みの中に、実行の遅れや代金額の扱いがどのように織り込まれていたかを確定し、そのうえで買主PWBの主張を検討するという順序をとっています。

各主張を採用し又は排斥した理由

新型コロナウイルスの感染拡大―解除権も代金の減額も生じない

判決は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で利益を上げることができない現状において売買の実行を求めることは衡平に反するという買主PWBの主張について、次の2点を挙げて退けました。

  • 当事者が、売買を締結しても数年間その実行がされない可能性も想定した仕組みを採用していたこと
  • 売主側が売買の履行を求めて本件訴えを提起したのは、買主PWBが主張する事情が生じる前であり、売主側が社会状況の変化による不利益を殊更に買主PWBに負わせようとして履行を求めるに至ったわけではないこと

そのうえで、判決は次のとおり判断しました。

「〔買主PWB〕が主張する上記事情の変化をもって、本件各売買契約について解除権を生じさせたり、代金額の減額等の契約内容の変更を生じさせるべきものとはいえない。」

売主側の長年の対応―責任の問題は別として、信義則で契約内容は変わらない

判決は、売主側が売買契約や賃貸借契約の有効性を争ったり、賃貸借契約の引渡し義務を履行しなかったりしたこと、これにより買主PWBが予定していた平成26年2月1日からホテル営業をすることができなかったことを認めました。しかし、次のとおり述べて、信義則を根拠とする解除や代金減額を否定しました。

「このような〔売主側3名〕の対応について債務不履行等の責任が生じることはあり得るとしても、〔売主側3名〕の一連の対応をもって信義則違反として信義則を根拠に本件各売買契約について解除権を生じさせたり、代金額の減額等の契約内容の変更を生じさせることはできない。」

判決は、以上から、次のとおりまとめています。

「信義則、事情変更の原則を理由として、本件各売買契約を解除することはできないし、売買代金額が減額されることもない。」

判決は、買主PWBが主張した1億8,170万円や2億7,750万円の控除額の当否を個別に計算して検討してはいません。事情変更の原則と信義則のいずれによっても契約内容の変更自体が生じないとした以上、控除額の算定に入る必要がなかったものと理解されます(この点は当事務所の理解です)。

補助金の問題が「解決され次第」の意味―売主は補助金の返還を覚悟して履行を求められる

売主側は、不動産処分許可申請の承認を得たわけでも、補助金の返還義務を負わないことが判明したわけでもない段階で、本件訴えを提起していました。判決は、補助金の問題が解決されるまで売買の実行を留保したのは、売主会社KSHが補助金を返還しなければならなくなる事態を避けるためであり、売主会社KSHにその不利益を回避する手続をとる機会を与えようとしたものであるとし、覚書の「補助金に関する問題が解決され次第」という文言は、次の場合も含むと解釈しました。

「補助金返還義務を免除されたり不動産処分許可申請が承認されるなどした場合のみをいうのではなく、この免除を受ける見込みがなくなった場合や〔売主会社KSH〕が免除を受ける手続を断念した場合など本件各売買契約の実行を留保し続ける意味がなくなった場合のことも意味しているといえる。」

したがって、売主側は、補助金の返還義務を負うことになってもやむを得ないとの判断で、売買の履行を求めることができるとされました。この留保は売主側の利益のためのものであり、売主側がその利益を放棄して履行を求めることは妨げられないという判断です。

二重譲渡による履行不能―双方とも履行不能と認識しておらず、実際にも履行可能だった

判決は、MTO氏が不動産10から12を売主会社KSHに二重に譲渡して登記をしたことを認めつつ、譲渡後も買主PWBが売主側の責任は免れない旨を告げて履行を求めていたこと、売主側も二重譲渡によって履行ができなくなったと主張したことはうかがわれないこと、売主側相互の関係や、その後に二重譲渡に係る売買が合意解除されて登記も抹消されたことに照らせば、実際にも履行をすることは可能な状況であったとして、履行不能を否定しました。不動産18の譲渡についても同様です。判決は履行不能自体を否定したため、売主側が主張した解除権の消滅時効や、契約の一体性の問題には判断を示していません。

不動産処分許可申請の義務―売買の債務の内容ではない

判決は、覚書の合意内容をみても、売主会社KSHが売買の債務の内容として不動産処分許可申請をすることが合意されたとは解されないとしました。申請をしなくとも売主会社KSHが補助金の返還を請求される可能性があるというだけで、次のとおりであると述べています。

「本件各不動産の所有権移転が制限されるなどするわけでなく本件各売買契約の履行の障害となるものではない。」

よって、申請をしなかったことは債務不履行に当たらず、これを理由とする解除も認められませんでした。

代金債権の消滅時効―支払日は延期され、買主の減額提案は債務の承認

判決は、前記の覚書の解釈によれば、売買の実行が留保され代金支払日も延期することが合意されたといえるから、当初の代金支払日(平成26年1月31日)を起算点とする消滅時効の主張には理由がないとしました。

さらに、買主PWBの代表者が平成31年4月17日に送信した、ホテルVTCとホテルHLAの不動産とホテルHLAの什器備品の合計で5億2,400万円とすることなどを提案するメールをはじめとするやり取りの文面は、売買の代金額とは別の事項を交渉していると理解できる内容ではなく、この提案は売買の代金額についての提案であるとして、買主PWBの代表者は少なくとも同日に売買代金債務を承認したと認定しました。その後の令和元年9月27日に訴えが提起されているから、時効期間は経過していないとされています。

抵当権の抹消―先履行の合意はない

判決は、売買契約では抵当権の負担のない所有権を移転することが合意されているものの、代金支払に先立って抵当権を抹消することまでは合意されていないとしました。賃料の一括前払の仕組みからも分かるように、売買代金で債務を返済して抵当権を抹消することが予定されていたものであり、「売買代金の支払に先立ち本件各不動産の抵当権を抹消する旨の合意があったとは認められない」と判断しています。

履行の提供―認められず、遅延損害金は棄却

判決は、引渡し及び所有権移転登記と代金の支払が同時履行の関係にあることを確認し、ホテルVTCの建物以外は引渡しがされておらず、所有権移転登記もされていないとしました。売主側が平成31年3月14日に口頭の提供をしたことの証拠として提出した代理人弁護士の手控えには、代金の支払が議題の一つになったことをうかがわせる記載があるにとどまるとされました。むしろ、令和元年8月に売主側の代理人弁護士が、ホテルHLAを売買の対象から外すことができないかと提案したり、補助金の返還を買主PWBが負担するなら直ちに売却するつもりであったとのメールを送ったりしていたことに照らすと、それより前に履行の提供といえる申し出がされていたとは考えにくいと判断しました。こうして、売主側の遅延損害金の請求は理由がないとされました。

相殺の抗弁―執行費用899万5,336円の限度で認める

判決は、売主会社KSHが賃貸借契約に基づくホテルVTCの建物の引渡し義務を履行しなかったこと、買主PWBが強制執行の申立てをし、断行日の前日に任意の引渡しがされて取り下げたこと、それまでに予納金から899万5,336円が執行費用として支出され返還されなかったことを認め、買主PWBは売主会社KSHに対し同額の債務不履行による損害賠償請求権を有するとしました。そして、令和2年11月5日の相殺の意思表示により、本件売買契約1の代金請求権は対当額で消滅したと判断しました。

同時履行の抗弁―引換給付

履行の提供が認められない以上、買主PWBの同時履行の抗弁が認められ、代金の支払は、各売主からの不動産の引渡し及び所有権移転登記手続と引換えに命じられることになりました。

主文及び結論

判決の主文の要旨は、次のとおりです(不動産の番号は判決の別紙物件目録の番号です。別紙は判決本文では省略されています)。

対象 支払額 引換えの条件
売主会社KSH 7億453万3,627円 不動産1から7の引渡し及び不動産1から9について平成25年12月24日売買を原因とする所有権移転登記手続
MTO氏 2,000万円 不動産10から12及び18の引渡し並びに不動産10から12について同日売買を原因とする所有権移転登記手続
NRE氏 2,000万円 不動産13から17の引渡し及び所有権移転登記手続

主文4項は「原告らのその余の請求をいずれも棄却する。」、5項は「訴訟費用は、これを2分し、その1を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。」です(「原告ら」は売主側3名、「被告」は買主PWBを指します)。売主会社KSHへの引渡しの対象が不動産1から7とされ、不動産8及び9が含まれていないのは、ホテルVTCの建物である不動産8及び9が既に引き渡されているためです。

売主会社KSHへの支払額7億453万3,627円は、本件売買契約1の代金7億1,352万8,963円から、相殺された執行費用899万5,336円を差し引いた額です(当事務所の検算で一致します)。なお、判決本文は、7億1,352万8,963円の内訳の消費税の額を「6352万863円」と記載していますが、建物代金と土地代金を差し引いて逆算すると6,352万8,963円となり、この部分の記載は合計額と一致しません。主文の金額は、合計額から相殺額を差し引いた額と一致しています。

3名に対する支払額の合計は7億4,453万3,627円です。売主側が求めた年6分の遅延損害金は認められませんでした。

判断の射程―参考となる点と一般化できない点

以下は、判決の内容を踏まえた当事務所の評価です。裁判所が示した判断そのものとは区別してお読みください。

参考となる点

第1に、事情変更の主張は、当事者が契約で採用した仕組みに照らして判断されることです。本判決は、賃料の一括前払と残存期間分の返却による代金充当という覚書の仕組みから、実行の遅れも当初の代金額での売買も「当事者間で予定されていた」と認定し、そのうえで新型コロナウイルスの感染拡大という事情の変化を退けました。契約の段階で、実行が遅れた場合の代金の扱いを定めていると、後からその前提が崩れたと主張することは難しくなります。

第2に、相手方の長年の不誠実な対応があっても、それは損害賠償等の責任の問題として扱われ、信義則によって契約内容が変わるわけではないとされたことです。本件で買主PWBが実際に回収できたのは、強制執行の費用899万5,336円の損害賠償請求権による相殺だけでした。買主の側からみれば、相手方の遅延によって生じた損害は、具体的な債務不履行に基づく損害として主張立証する必要があることを示す例です。

第3に、一方当事者の利益のために実行を留保する条項は、その当事者が利益を放棄して履行を求めることを妨げないと解されたことです。本件では、補助金の問題が「解決され次第」売買を実行するという条項が、補助金の返還を覚悟して売主側が履行を求める場合も含むとされました。条件の文言が、誰のための条件か、どういう場合に条件が満たされたことになるかによって、実行の時期が大きく左右されます。

第4に、代金の減額交渉が、代金債務の承認と評価され得ることです。買主PWBは、別の合意の形成を目指した交渉だと主張しましたが、判決はメールの文面から、売買の代金額についての提案であるとしました。減額を求める交渉であっても、時効の関係では債務の存在を前提とした行動と評価される可能性があります。

第5に、売主側が遅延損害金を得るには、履行の提供を具体的に示す証拠が必要とされたことです。売主側は、協議の場で代金の支払を求めたと主張しましたが、手控えの記載や、後のメールでホテルの一部を対象から外す提案をしていたことなどから、履行の提供は認められませんでした。代金を請求する売主の側では、引渡しと登記の準備が整っていることを示し、条件を付けずに代金の支払を求めた記録を残すことが重要になります。

一般化できない点

本判決は、賃料の一括前払と代金への充当という、本件の覚書と賃貸借契約に特有の仕組みを前提とした判断です。このような仕組みがなく、実行の遅れや代金額の扱いについて契約に定めがない事案で、事情変更の原則がどのように判断されるかについて、本判決から一般的な結論を導くことはできません。

また、判決は、売主側が新型コロナウイルスの感染拡大の前に訴えを提起していたことも理由に挙げています。感染拡大の後に初めて履行を求めた事案や、事情の変化が契約の実行前に生じた事案では、評価が異なる可能性があります。判決は、事情変更の原則の一般的な要件を示して当てはめる形をとっておらず、新型コロナウイルスの感染拡大が一般に事情変更に当たるか否かを判断したものでもありません。

買主PWBが主張した控除額(1億8,170万円、2億7,750万円)の当否、二重譲渡による解除権の消滅時効、売買契約の一体性については、判決は判断を示していません。売主側の長年の対応について、判決は「債務不履行等の責任が生じることはあり得る」と述べていますが、相殺された執行費用を除き、その責任の有無や額は本件では判断されていません。

本件の売買契約は平成25年に締結されており、令和2年4月1日に施行された改正後の民法の前の法律関係です。消滅時効の期間や遅延損害金の割合について、当事者はいずれも改正前の規律を前提に主張しており、判決も根拠条文を示していません。現在締結される契約に当てはめる場合には、改正後の民法の規定を前提に検討する必要があります。控訴の有無及び確定は確認できていないため、その点にも留意が必要です。

契約時に定めておきたいこと

本判決を踏まえると、事業(ホテル等)の譲渡に伴う代金の紛争を防ぐため、契約時に次の事項を定めておくことが考えられます。これらは本判決を踏まえた当事務所の着眼点であり、本判決が特定の条項例の有効性を判断したものではありません。

  • 実行の条件の内容と、条件が満たされない場合の扱い:補助金の処分承認、許認可、第三者の同意などを実行の条件とする場合は、誰が手続を行う義務を負うのか、いつまでに条件が満たされなければどうなるのか(期限、解除権、白紙撤回、費用負担)を明記します。本件では、申請の義務が定められていなかったため、申請をしないことは債務不履行とされませんでした。
  • 実行が遅れた場合の代金の調整:実行までの期間が長引いた場合に、代金を据え置くのか、期間や業績に応じて調整するのかを定めます。本件では、支払総額が実行の時期にかかわらず一定となる仕組みが、代金減額を否定する根拠となりました。買主の側で調整を望むのであれば、その旨を契約に明記しておく必要があります。
  • 重大な外部環境の変化への対応:感染症の流行や営業規制など、実行前に事業価値が大きく変わる事態が生じた場合の解除権や再協議の定めを置くかを検討します。本判決は、そのような定めがないまま事情変更の原則によって契約内容を変えることには慎重な判断を示しています。
  • 事業承継として必要な契約の形式:本件では、県の担当者から、不動産の売買契約と賃貸借契約では事業承継とはいえず、財産・従業員・権利義務の包括的な承継が書面で確認できる必要があるとの説明がありました。補助金や許認可の承継が問題になる取引では、不動産の売買だけでなく、事業譲渡契約や合併などの方法が必要となるかを、契約前に確認しておくことが大切です。
  • 担保権の抹消と代金の支払の順序:抵当権が設定された不動産を売買する場合は、代金で被担保債権を弁済して同時に抹消するのか、抹消を先履行とするのかを明記します。
  • 売主側の社内手続と関係者の同意:本件では、株主総会・取締役会の決議を経ていないとして仮処分が出され、長期の紛争の発端となりました。売主が会社である場合は必要な機関決定を、不動産の一部を個人株主が所有する場合はその全員の合意と協力を、契約時に確保しておくことが重要です。

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よくあるご質問

契約後に新型コロナウイルスの感染が拡大して事業の収益が見込めなくなった場合、買主は事情変更を理由に契約を解除できますか。

本判決では、認められませんでした。判決は、当事者が数年間実行されない可能性も想定した仕組みを採用していたこと、売主側が感染拡大の前に履行を求めて訴えを提起していたことを挙げ、解除権も代金の減額も生じないとしました。もっとも、本判決は本件の覚書の仕組みを前提とした判断であり、契約の定めや事情の変化が生じた時期が異なる事案では、別に検討が必要です。

売主が長年履行を拒んできたのに、今になって当初の代金全額を請求するのは信義則に反しませんか。

本判決は、売主側の対応について債務不履行等の責任が生じることはあり得るとしても、信義則を根拠に解除権を生じさせたり代金を減額したりすることはできないとしました。買主の側では、遅延によって生じた具体的な損害を、債務不履行に基づく損害賠償として主張立証することになります。本件では、強制執行の費用899万5,336円の損害賠償請求権による相殺が認められました。

補助金や許認可の問題が「解決され次第」実行するという条項がある場合、問題が解決していなくても売主は代金を請求できますか。

本判決では、この条項は補助金の返還を避けるために売主側に手続の機会を与えるものであり、免除を受ける見込みがなくなった場合や売主側が手続を断念した場合など、実行を留保し続ける意味がなくなった場合も含むと解釈されました。そのため、売主側は、補助金の返還義務を負うことになってもやむを得ないとの判断で履行を求めることができるとされました。

代金の支払日から5年以上経過していれば、買主は消滅時効を主張できますか。

本判決では、覚書によって売買の実行が留保され支払日も延期されたとして、当初の支払日を起算点とする時効の主張が退けられました。また、買主の代表者が代金の減額を提案したメールが、代金債務の承認に当たるとされました。減額の交渉であっても、時効の関係では債務の承認と評価されることがあります。

売主が代金と遅延損害金を請求するには、何が必要ですか。

本件のように引渡し・登記と代金の支払が同時履行の関係にある場合、遅延損害金を請求するには、売主が履行の提供をしたことが必要です。本判決では、協議の場で代金の支払が議題になったことをうかがわせる手控えだけでは足りず、後に売買の対象の変更を提案していたことなどから、履行の提供は認められませんでした。そのため、代金の支払は引換給付として命じられ、遅延損害金の請求は棄却されました。

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この記事の位置付け

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執筆者

弁護士法人M&A総合法律事務所 代表弁護士 土屋勝裕(東京弁護士会所属 登録番号26775)

長島・大野・常松法律事務所に在籍した後、慶應義塾大学ビジネス・スクール及びペンシルベニア大学ウォートン校に留学し、ファイナンス理論並びにM&A及び不動産を専攻しました。不動産投資信託(J-REIT)の上場案件に関与し、2024年(令和6年)10月には最高裁判所において株式買取請求権に関する逆転判決を得ました。現在は弁護士法人M&A総合法律事務所の代表弁護士を務めています。

主として取り扱う分野 M&A、株式買取請求権、非上場株式の価格の決定、企業価値評価、事業承継及び企業法務

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