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退任した常務取締役との口頭の競業避止特約が認められなかった事例―京都地方裁判所平成14年8月30日判決

公開 2002年8月30日更新 2026年10月30日

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会社の中核事業を担っていた役員が退任し、同業他社に移って同じ種類の商品を扱い始めた。会社は、退任の際に口頭でその商品を扱わないと約束させたと主張して損害賠償を求めましたが、その約束は書面になっていませんでした。この場合、口頭の競業避止の約束を根拠に責任を問えるのでしょうか。

京都地方裁判所平成14年8月30日判決は、繊維製品の製造・販売会社が、退任して呉服卸売会社に入社した元常務取締役と、その呉服卸売会社に対し、退任時の競業避止特約に違反したとして共同不法行為に基づき1億円の損害賠償を求めた事案で、競業避止特約の存在そのものを認めず、請求を棄却しました。元常務取締役らが提起した不当訴訟を理由とする反訴も棄却されています。

最初にお断りしておくと、本件はM&Aの事案ではありません。株式譲渡や事業譲渡は行われておらず、会社の役員が辞任して他社に移った場面の判決です。それでも、判決が競業避止特約を否定した理由は、当事者双方にとって重要な約束であるのに書面が作成されていないこと、退職金の支給と結び付けられていないこと、後の警告で競業避止特約が理由とされていないことという、合意の残し方に関わる事情でした。M&Aで売主や旧経営者に競業避止義務を負ってもらう場面でも、同じ問題が生じ得ます。本記事では、判決の内容を整理したうえで、M&Aの実務から見た示唆を、判決の内容とは区別して解説します。

Contents
  1. 裁判例の基本情報
  2. 当事者の表記
  3. 事案の概要―退任した常務取締役が、同業他社で縮緬洋服を扱い始めた
    1. 中核事業の責任者だった常務取締役
    2. 退任と同業他社への入社
    3. RVSが主張した退任時の口頭の約束
  4. 事案の経緯の時系列
  5. RVSが主張した競業避止の約束の内容
    1. RVSが主張した合意の文言
    2. SMN氏が証言したやり取り
  6. 当事者の請求と主な主張
    1. 本訴―RVSの請求
    2. 本訴に対するKRD氏及びGFMの主張
    3. 反訴―KRD氏及びGFMの請求
  7. 結論を左右した争点
  8. 裁判所が認定した事実と判断の枠組み
    1. 出発点―特約を直接裏付ける客観的な証拠がない
    2. 特約の重要性と書面化の欠如
    3. 退職金の支給との結び付きがないこと
    4. 警告の理由に競業避止特約が挙げられていないこと
    5. 結論―証言を採用せず、特約の存在を否定
    6. 商慣習上・商道徳上当然という認識は通用しない
  9. 各主張を採用し又は排斥した理由
    1. 本訴―特約が認められない以上、GFMの責任や損害は判断されなかった
    2. 反訴―根拠を欠くと知りながらの提訴とまではいえない
  10. 主文及び結論
  11. 判断の射程―参考となる点と一般化できない点
    1. 参考となる点
    2. M&Aの実務から見た示唆
    3. 一般化できない点
  12. よくあるご質問
    1. 退任する役員と口頭で同じ事業はしないと約束しただけでも、競業を止められますか。
    2. 役員が辞めた後も、会社と同じ事業をしてはいけない義務を当然に負いますか。
    3. M&Aで会社を売った売主に競業避止義務を負ってもらうには、どうすればよいですか。
    4. 根拠が認められずに敗訴した場合、訴えたこと自体で損害賠償を請求されますか。
  13. 関連する記事と御相談のご案内

裁判例の基本情報

裁判所 京都地方裁判所第2民事部
裁判日 平成14年8月30日
事件番号 平成13年(ワ)第190号(本訴事件)、平成13年(ワ)第484号(反訴事件)
裁判の形式 判決
審級 第一審
結論 本訴(会社の損害賠償請求)及び反訴(元常務取締役らの不当訴訟を理由とする損害賠償請求)をいずれも棄却。訴訟費用は、本訴事件に関するものは会社の負担、反訴事件に関するものは元常務取締役らの負担
上訴の状況 上訴の有無及び確定は確認できていません

この表は、判決本文の冒頭及び末尾の記載に基づいて当事務所が作成したものです。

当事者の表記

判決に出てくる会社名・氏名は、本記事独自のイニシャルに置き換えています。判決が用いている符号も、そのままは使わずに次の表記へ置き換えています。

本記事の表記 立場
繊維製品会社RVS(以下「RVS」) 本訴の原告・反訴の被告。繊維製品の製造及び販売を業とし、縮緬生地を用いた洋服(判決本文では「縮緬洋服」)の販売などを行う株式会社です
元常務取締役KRD氏(以下「KRD氏」) 本訴の被告・反訴の原告。RVSの従業員から取締役、常務取締役となり、平成9年7月に取締役を辞任してRVSを退社し、呉服卸売会社GFMの常務取締役に就任しました
呉服卸売会社GFM(以下「GFM」) 本訴の被告・反訴の原告。各種繊維製品の卸売を業とし、染呉服の販売などを行う株式会社です。退社後のKRD氏が入社しました
GFMの代表取締役ODY氏(以下「ODY氏」) KRD氏の入社後、KRD氏とともにRVSを訪問した人物です
RVSの当時の代表取締役SMN氏(以下「SMN氏」) KRD氏の退任当時のRVSの代表取締役で、訴訟では証人として、KRD氏との間で競業避止の約束があったと供述しました
縮緬生地の開発会社TRW(以下「TRW」) 縮緬生地を開発し、そのブランド商品を製造する株式会社です。RVSに対し、ブランドを使用した縮緬洋服の独占販売権を与えていました

判決本文を引用する部分では、当事者の呼称を上記の表記に置き換え、置き換えた箇所を〔 〕で示しています。判決は、KRD氏とRVSとの間で成立したとRVSが主張する競業避止の約束を「本件競業避止特約」と呼んでおり、本記事でもこの呼び方を用います。主文の引用では、「原告」はRVS、「被告ら」はKRD氏及びGFMを指します。

事案の概要―退任した常務取締役が、同業他社で縮緬洋服を扱い始めた

以下のうち、前半は判決本文の前提事実(当事者間に争いがないか、証拠等により認められる事実)、後半はRVSの主張です。主張と事実を区別してお読みください。

中核事業の責任者だった常務取締役

KRD氏は、昭和57年2月にRVSに入社し、昭和63年からTRWの商品の企画を担当しました。平成2年からは、TRWが製造するブランド商品を主力に扱う事業部の部長に就任し、平成4年2月に取締役、平成9年2月に同事業部を管轄する常務取締役に就任しました。

RVSは、平成8年3月28日、TRWとの間で、TRWがRVSにそのブランドを使用した縮緬洋服の独占販売権を与え、RVSは類似商品の取扱いや販売をしないという内容の「商品取引基本契約」と「ブランド使用に関する覚え書き」を締結していました。ところが、RVSは平成9年3月ころ、TRWから、ブランドを使用した縮緬洋服と類似する商品を製造・販売しているとして、契約責任を問われました。

退任と同業他社への入社

KRD氏は、平成9年4月10日に事業部の部長職を解かれ、同年7月15日に取締役を辞任してRVSを退社しました。そして、同年8月1日にGFMに入社し、同月3日にGFMの常務取締役に就任しました。

GFMは、平成10年始めころから縮緬洋服の製造・販売を行うようになりました。RVSは、同年2月6日、GFMに対し、縮緬洋服の企画・製造・販売を中止するよう警告しましたが、GFMは縮緬洋服の製造を中止せず、販売を継続しています(判決本文の前提事実では「現在も」継続しているとされています)。

RVSが主張した退任時の口頭の約束

RVSの主張によれば、KRD氏は、退社に際し、当時の代表取締役SMN氏との間で、「今後、縮緬生地を用いた洋服の製造販売等を取り扱わない。」との合意をしたというものでした。RVSは、この約束をした理由として、縮緬洋服事業の企画販売のノウハウを持つKRD氏が他社で同様の事業に携われば営業上大きなダメージを受けること、TRWとのブランド使用契約違反の問題の後にようやく修復できた関係を悪化させるおそれがあったことを挙げていました。

また、RVSは、ODY氏がKRD氏とともにRVSを訪問した際、SMN氏がKRD氏を縮緬洋服事業に携わらせるのかを確認したところ、ODY氏は、GFMは和装の製造卸業であるので縮緬生地を用いた洋服を取り扱うことは一切ない旨を回答したとも主張しました。

なお、判決本文から分かる範囲では、KRD氏の退任に際してRVSとKRD氏の間で取り交わされた書面はなく、KRD氏の退任の前後でRVSの株式の譲渡や事業の譲渡が行われたという記載もありません。

事案の経緯の時系列

日付 出来事(判決本文の前提事実及び判断による)
昭和57年2月 KRD氏がRVSに入社
昭和63年 KRD氏がTRWの商品の企画を担当
平成2年 KRD氏が、TRWのブランド商品を主力に扱う事業部の部長に就任
平成4年2月 KRD氏がRVSの取締役に就任
平成8年3月28日 RVSとTRWが、縮緬洋服の独占販売権と類似商品の取扱禁止を内容とする契約・覚え書きを締結
平成9年2月 KRD氏が同事業部を管轄する常務取締役に就任
平成9年3月ころ RVSがTRWから、類似商品の製造・販売について契約責任を問われる
平成9年4月10日 KRD氏が事業部の部長職を解かれる
平成9年6月12日 SMN氏の証言によれば、SMN氏がKRD氏から辞任とGFMへの入社予定を聞き、縮緬の洋服をやらないよう念を押したとされる日(裁判所は、この証言のうち競業避止の約束に関する部分を採用していません)
平成9年7月15日 KRD氏が取締役を辞任し、RVSを退社
平成9年8月1日 KRD氏がGFMに入社(同月3日、GFMの常務取締役に就任)
平成10年始めころ GFMが縮緬洋服の製造・販売を開始
平成10年2月6日 RVSがGFMに、縮緬洋服の企画・製造・販売の中止を警告(判決によれば、警告の理由はKRD氏の営業秘密保持約束のみ)
平成13年 RVSが本訴を提起(遅延損害金の起算日は、本訴の訴状送達の日の翌日である平成13年2月15日)。KRD氏及びGFMが反訴を提起(同じく、反訴の訴状送達の日の翌日である平成13年3月13日)
平成14年8月30日 京都地方裁判所が本訴及び反訴をいずれも棄却する判決

KRD氏は、退任のおよそ3か月前に部長職を解かれており、その前月にはRVSがTRWから類似商品について契約責任を問われていました。判決本文は、部長職を解かれた理由については記載していません。

RVSが主張した競業避止の約束の内容

本件では、競業避止の約束を記載した契約書や合意書は存在しません。そのため、以下は、判決本文に記載されたRVSの主張と、SMN氏の証言の内容です。裁判所が認定した合意の文言ではないことに御注意ください。

RVSが主張した合意の文言

今後、縮緬生地を用いた洋服の製造販売等を取り扱わない。

RVSは、KRD氏が退社に際し、SMN氏との間でこの内容の合意をしたと主張しました(判決本文の原告の主張の記載のままです)。期間、地域、違反した場合の違約金などの定めは、主張の中にも現れていません。

SMN氏が証言したやり取り

裁判所の判断の部分では、SMN氏の証言の内容が次のように整理されています。SMN氏は、平成9年6月12日、KRD氏から取締役を辞任してGFMに入社する予定であることを聞いた際に、「まさか縮緬の洋服はやらないだろうな。」などと念を押したところ、KRD氏は「ご迷惑はかけません。絶対にやりません。」などと答え、また、ODY氏が挨拶に来た際にも、ODY氏は「縮緬洋服をやることは絶対にあり得ません」と断言したと供述しました(いずれも判決本文に記載された証言の内容の引用です)。

これに対し、KRD氏本人とGFMの代表者は、そのようなやり取りはなかったとそれぞれ供述しました。

当事者の請求と主な主張

本訴―RVSの請求

RVSは、KRD氏及びGFMに対し、共同不法行為に基づき、連帯して1億円及びこれに対する平成13年2月15日(本訴の訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求めました。1億円は、売上減少額の一部として請求されたものです。

RVSの主張の骨子は次のとおりです。

  • KRD氏は、平成10年初めころから、本件競業避止特約に違反して、RVSの取引先に対し、GFMの製品として縮緬洋服を販売しており、不法行為に当たる。
  • GFMは、本件競業避止特約の存在を知りながら、KRD氏に縮緬洋服の販売をさせており、KRD氏と共同不法行為責任を負う。
  • GFMは平成10年度から平成12年度までの3年間で8億円余りの粗利益を上げ、RVSはその3年間で13億円の売上減少が生じている。したがって、RVSの損害は1億円を下らない。

本訴に対するKRD氏及びGFMの主張

  • 本件競業避止特約の存在は否認する。KRD氏とSMN氏との間で、RVSが主張するような合意がされたことはない。
  • ODY氏がRVSを訪問したのは、GFMとRVSが同じ町内にあり、当時の得意先であったRVSの元取締役がGFMに入社したことから、挨拶のためにすぎず、その際に縮緬生地を用いた洋服を取り扱わない旨を述べたことはない。
  • したがって、特約違反の行為はなく、GFMも不法行為責任を負わない。損害も否認する。

反訴―KRD氏及びGFMの請求

KRD氏及びGFMは、RVSの本訴の提起が不当訴訟として不法行為に当たると主張し、RVSに対し、それぞれ300万円及びこれに対する平成13年3月13日(反訴の訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求めました。理由は、RVSは不法行為がないことを知り又は容易に知り得たのに本訴を提起したこと、1億円もの損害が生じていないことは明らかであるのに巨額の損害賠償を請求したこと、応訴を余儀なくされて財産的・精神的損害を被ったことでした。RVSはこれを争いました。

遅延損害金の年5分は、平成14年当時の民法(平成29年の改正前の民法)の法定利率によるものです。現在の民法では法定利率が変更されていますので、同じ割合が当然に当てはまるわけではありません。

お手元の資料と経緯をお聞きし、進め方の順序をお示しします。

結論を左右した争点

判決は、争点を次の2つに整理しました。

  1. 競業避止特約の有無、及びこれが肯定される場合の損害額(本訴)
  2. RVSによる本訴の提起が不法行為に当たるか、及びこれが肯定される場合の損害額(反訴)

本訴の結論を左右したのは、競業避止特約がそもそも存在したかという事実認定の一点でした。判決は特約の存在を認めなかったため、「その余の点を判断するまでもなく」本訴請求を棄却しており、GFMの責任や損害額については判断していません。反訴については、訴えの提起が違法となる場合の判断基準を示したうえで、本件はそれに当たらないとしました。

裁判所が認定した事実と判断の枠組み

出発点―特約を直接裏付ける客観的な証拠がない

判決は、まず、「本件競業避止特約の存在を直接裏付ける客観的な証拠はない」と述べました。そのため、特約の存否は、SMN氏の証言と、KRD氏本人及びGFMの代表者の供述のどちらを信用するかという問題になりました。

特約の重要性と書面化の欠如

判決は、まず、本件競業避止特約が双方にとって重要な約束であったはずであることを確認しました。

「〔KRD氏〕が他社において縮緬洋服事業を行った場合における〔RVS〕の被る営業上のダメージ及び〔RVS〕と〔TRW〕との関係の悪化のおそれを考慮すれば、本件競業避止特約は〔RVS〕の事業にとつて極めて重要なものであることは容易に推認できるところであるし、〔KRD氏〕にとっても、今後〔GFM〕における事業展開の重大な制約となることから、重要な関心事であるといえる。」

そのうえで、判決は、その重要性と、実際の対応との食い違いを指摘しました。

「それにもかかわらず、〔RVS〕と〔KRD氏〕間において、本件競業避止特約に関する書面は作成されておらず、〔RVS〕は、〔KRD氏〕に対して本件競業避止特約を書面化することを求めてさえいないのである」

判決は、書面の作成を求めてさえいないという点を、SMN氏の証言自体から認定しています。

退職金の支給との結び付きがないこと

判決は、KRD氏の取締役辞任と退職金の支給を議題とした取締役会においても、「本件競業避止特約の締結を退職金支給の条件とするなどの議論はされていない」と認定しました。退任役員に対する給付を決める場で、競業避止の約束がまったく取り上げられていなかったことになります。

警告の理由に競業避止特約が挙げられていないこと

さらに判決は、RVSが平成10年2月に、GFMがKRD氏を責任者として縮緬洋服の製造販売を計画していることに対して警告を発した際にも、「〔KRD氏〕の営業秘密保持約束のみが理由とされ、本件競業避止特約の存在は理由とされていない」と指摘しました。競業が問題になった直後の警告で、競業避止特約が持ち出されていなかったという事情です。

結論―証言を採用せず、特約の存在を否定

判決は、以上の事情とKRD氏本人及びGFMの代表者の各供述に照らし、「証人〔SMN氏〕の上記供述は採用できないというべきであり、他に本件競業避止特約の存在を認めるに足りる証拠はない。」と結論付けました。

商慣習上・商道徳上当然という認識は通用しない

SMN氏は、本件競業避止特約のようなことは商慣習上、あるいは商道徳上当然であると認識している趣旨の供述もしていました。これに対し、判決は次のとおり述べています。

「上記説示したような当事者間に及ぼす重要性を考慮すれば、競業避止の明確な合意が存在せねば、その効果を主張することができないことはいうまでもない。」

本判決の中で最も一般的な形で述べられた部分であり、退任した役員に競業をしない義務を負わせるには、明確な合意が必要であるという考え方を示しています。

各主張を採用し又は排斥した理由

本訴―特約が認められない以上、GFMの責任や損害は判断されなかった

RVSの請求は、本件競業避止特約の存在を前提に、その違反を不法行為とし、GFMをその共同不法行為者とするものでした。判決は特約の存在を認めなかったため、「その余の点を判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がない」としました。

したがって、判決は、次の点について判断を示していません。

  • ODY氏が訪問の際に縮緬洋服を扱わないと述べたかどうか、及びGFMが特約の存在を知っていたかどうか
  • KRD氏がGFMで実際にどのような営業活動をしたか
  • RVSの売上減少とGFMの事業との因果関係、及び損害額(RVSは、GFMの3年間の粗利益8億円余りとRVSの13億円の売上減少を主張していました)
  • 競業避止特約が仮に存在した場合に、その内容が有効と認められる範囲

また、判決は、RVSが警告の理由とした「営業秘密保持約束」の内容や、その違反の有無についても判断していません。RVSは本訴で営業秘密保持約束の違反を請求の根拠として主張しておらず、判決はこの約束を、競業避止特約の存在を疑わせる事情の一つとして取り上げたにとどまります。

反訴―根拠を欠くと知りながらの提訴とまではいえない

判決は、訴えの提起が相手方に対する違法な行為となるのは、提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、提訴者がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど、「訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限られるものと解するのが相当である」と述べ、最高裁判所昭和63年1月26日第三小法廷判決を引用しました。

そのうえで、判決は、特約の存在は認められないものの、RVSは、SMN氏の認識等から、「〔KRD氏〕との間には当然に本件競業避止特約が存在し、かつ特約違反の行為があったと判断したものと認められる」としました。また、SMN氏の陳述書及び証言によれば、RVSは売上減少を損害として把握し、内部資料から少なくとも1億円の損害が生じたと判断したものと認められるとしました。

以上から、判決は、RVSが根拠を欠くことを知りながら又は容易に知り得たのにあえて本訴を提起したとまでは認められないとして、反訴請求も「その余の点を判断するまでもなく」理由がないとしました。

主文及び結論

判決の主文は、次のとおりです(ここでの「原告」はRVS、「被告ら」はKRD氏及びGFMを指します)。

  1. 「原告の請求及び被告らの請求をいずれも棄却する。」
  2. 「訴訟費用は本訴事件に関するものは原告の負担とし、反訴事件に関するものは被告らの負担とする。」

RVSの1億円の損害賠償請求も、KRD氏及びGFMのそれぞれ300万円の損害賠償請求も、いずれも認められませんでした。判決本文からは、この判決に対して控訴がされたかどうか、判決が確定したかどうかは確認できていません。

判断の射程―参考となる点と一般化できない点

以下は、判決の内容を踏まえた当事務所の評価です。裁判所が示した判断そのものとは区別してお読みください。特に、M&Aへの当てはめは当事務所の考え方であり、本判決がM&Aの場面について判断したものではありません。

参考となる点

第1に、競業避止の合意は、当事者双方にとって重要であるからこそ、書面がないことが合意の存在を否定する方向に働いたことです。判決は、特約が会社にとって「極めて重要」であり、退任する役員にとっても「事業展開の重大な制約」になることを前提に、そのような約束であれば書面にするのが自然であるのに、書面化を求めてさえいないことを重視しました。重要な約束ほど、口頭だけで済ませたという説明は信用されにくいことを示す例です。

第2に、合意の存否は、周辺の事情との整合性によって判断されたことです。判決は、退職金の支給を決めた取締役会で競業避止が条件として議論されていないこと、競業が始まった直後の警告で競業避止特約が理由とされていないことを挙げました。約束の当事者の証言だけでなく、その前後の社内手続や相手方への通知の内容が、合意の有無を判断する材料になっています。

第3に、「商慣習上、あるいは商道徳上当然」という認識では足りず、競業避止の「明確な合意」が必要とされたことです。本判決は、退任した役員の競業を制限するには明確な合意が必要であるとの考え方に立っていると読めます。

第4に、請求が認められなかったとしても、提訴者が合意の存在と損害を信じるだけの根拠を持っていた場合には、不当訴訟とはされなかったことです。結論として、本件では双方の請求がいずれも棄却されました。

M&Aの実務から見た示唆

M&Aでは、株式譲渡や事業譲渡によって会社や事業を引き継いだ後に、売主であるオーナー経営者や、退任する旧経営者が同じ事業を始めると、買主が取得した顧客や取引先、ノウハウの価値が大きく損なわれます。そのため、売主や旧経営者に競業避止義務を負ってもらうことが、取引の前提となることが少なくありません。本判決は役員の退任の事案ですが、次の点はM&Aの場面にも当てはまると考えます。

  • 競業避止義務は、株式譲渡契約や事業譲渡契約、退任に関する合意書の条項として書面で定めること。本判決では、口頭の約束を主張したものの、書面がなく、証言も採用されませんでした。M&Aの交渉の過程で売主が同じ事業はしないと述べていたとしても、契約書に条項がなければ、本件と同じく合意の存在そのものが争われるおそれがあります。
  • 禁止する事業の範囲、期間、地域、対象者を具体的に定めること。本件でRVSが主張した合意は「縮緬生地を用いた洋服の製造販売等」を取り扱わないというもので、期間や地域の定めは主張にも現れていません。判決はこの点を判断していませんが、M&Aでは、禁止の範囲が不明確であると、合意の有無だけでなく、どの行為が違反に当たるかでも争いになります。売主本人だけでなく、売主の親族や売主が関与する別会社による競業を対象に含めるかも、検討が必要です。
  • 対価との結び付きを書面に残すこと。本判決は、退職金の支給を決めた取締役会で競業避止が条件として議論されていないことを、特約を否定する事情の一つとしました。M&Aでは、株式の譲渡代金や役員退職慰労金の金額が、売主や旧経営者が競業をしないことを前提に決められることがあります。その前提を契約書等に明記しておくことは、合意の存在と内容を裏付ける材料になります。
  • 違反時の効果を定めること。本件では、RVSは損害を売上減少の一部として1億円と主張しましたが、判決は損害額について判断していません。競業による損害の立証は一般に容易ではないため、M&Aの契約では、違反があった場合の差止め、違約金、損害賠償の予定などを定めておくことが考えられます。
  • 競業が始まった後の通知では、根拠となる条項を正確に示すこと。本件では、警告が営業秘密保持約束のみを理由としていたことが、後に競業避止特約の存在を否定する事情とされました。M&Aの後に売主の競業が判明した場合には、契約書のどの条項に違反するのかを特定して通知することが重要です。

なお、事業譲渡については、会社法第21条が、当事者の別段の意思表示がない限り、事業を譲渡した会社に一定の地域・期間の競業を禁止しています。しかし、この規定は事業を譲渡した会社に関するものであり、株式譲渡の売主である株主個人や、退任する旧経営者個人には当然には及びません。そのため、売主や旧経営者個人の競業を制限するには、本判決が述べるとおり、明確な合意が必要になると考えます。この点は当事務所による一般的な説明であり、本判決が判断したものではありません。

一般化できない点

本判決は、口頭の競業避止特約の存否について、証言の信用性を個別の事情から判断したものです。口頭の合意が常に認められないという判断ではなく、本件では書面がないことに加えて、退職金の議論や警告の内容などの事情が重なって特約の存在が否定されました。周辺の事情が合意の存在を裏付ける事案では、結論が異なり得ます。

また、本判決は特約の存在を否定したため、競業避止特約が存在した場合の有効性(禁止の範囲・期間・代償の有無等による制約)、違反の有無、競業先の会社の共同不法行為責任、損害額の算定については判断していません。これらの点について、本判決から一般的な結論を導くことはできません。

さらに、本件はM&Aの事案ではなく、株式の譲渡代金や事業の譲渡代金といった対価が支払われた場面ではありません。M&Aの契約で競業避止義務を定めた場合の解釈や効力について、本判決が直接の判断を示したものではない点に留意が必要です。本判決は平成14年の判決であり、当時の民法(平成29年の改正前の民法)及び商法の下での事案です。上訴の有無及び確定は確認できていません。

元社長・元役員・元従業員による競業や顧客データの持出しに対する差止めと損害賠償の請求は、次のページでご案内しています。

よくあるご質問

退任する役員と口頭で同じ事業はしないと約束しただけでも、競業を止められますか。

口頭の約束も合意として成立し得ますが、その存在を証明できなければ効果を主張できません。本判決では、書面がなく、会社が書面化を求めてさえいなかったこと、退職金の支給の条件とされていなかったこと、後の警告でも理由とされていなかったことから、元代表取締役の証言が採用されず、競業避止特約の存在が否定されました。

役員が辞めた後も、会社と同じ事業をしてはいけない義務を当然に負いますか。

本判決は、競業避止のようなことは商慣習上・商道徳上当然であるとの認識に対し、当事者に及ぼす重要性を考えれば、競業避止の明確な合意がなければその効果を主張できないとしました。退任後の競業を制限するには、明確な合意が必要と考えるべきです。

M&Aで会社を売った売主に競業避止義務を負ってもらうには、どうすればよいですか。

株式譲渡契約や事業譲渡契約の中に、禁止する事業の範囲、期間、地域、対象者、違反した場合の効果を具体的に定めた競業避止条項を設けることが基本です。本判決はM&Aの事案ではありませんが、口頭の約束では合意の存在そのものが否定され得ることを示しており、書面で明確に定めることの重要性は、M&Aの場面でも変わらないと考えます。

根拠が認められずに敗訴した場合、訴えたこと自体で損害賠償を請求されますか。

本判決は、最高裁判所の判例を引用し、訴えの提起が違法となるのは、根拠を欠くことを知りながら又は容易に知り得たのにあえて提訴したなど、著しく相当性を欠く場合に限られるとしました。本件では、会社が競業避止特約の存在と損害を信じるだけの事情があったとして、元常務取締役らの反訴も棄却されています。

M&Aをめぐる紛争で、期限の確認、証拠の保全、仮処分・仮差押えといった初動を誤らないための進め方は、次のページでご案内しています。

関連する記事と御相談のご案内

M&Aで売主や旧経営者に競業避止義務を負ってもらう場合には、契約書の条項として、禁止する事業の範囲、期間、地域、対象者、違反した場合の効果を明確に定めておくことが重要です。M&Aの後に売主の競業が疑われる場合は、契約書の条項、交渉の過程の記録、譲渡代金や退職慰労金の決定の経緯、競業の開始時期と内容を整理し、合意の存否と違反の有無を分けて検討します。競業避止義務違反をめぐる当事務所の対応は競業避止義務違反・顧客データの持出しの御相談のページで御案内しています。売主が買収後に同じ事業を始めた場合の対応は売主が買収後に同じ事業を始めた場合の競業避止義務と差止めの進め方で、株式譲渡契約の競業避止義務違反が認められた裁判例は株式譲渡後に売主が別会社で競業した場合の競業避止義務違反と損害額(東京地方裁判所令和5年12月26日判決)で解説しています。

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M&Aで売主や旧経営者に競業避止を約束してもらう立場の皆様に向けて、退任した常務取締役との口頭の競業避止特約が認められなかった判例を、合意の立証と書面化の観点から解説します。

競業避止義務違反をめぐる当事務所の対応は、競業避止義務違反・顧客データの持出しの御相談のページで御案内しています。

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M&Aトラブルのご相談窓口 成約後の表明保証違反・株式譲渡代金の未払い

執筆者

弁護士法人M&A総合法律事務所 代表弁護士 土屋勝裕(東京弁護士会所属 登録番号26775)

長島・大野・常松法律事務所に在籍した後、慶應義塾大学ビジネス・スクール及びペンシルベニア大学ウォートン校に留学し、ファイナンス理論並びにM&A及び不動産を専攻しました。不動産投資信託(J-REIT)の上場案件に関与し、2024年(令和6年)10月には最高裁判所において株式買取請求権に関する逆転判決を得ました。現在は弁護士法人M&A総合法律事務所の代表弁護士を務めています。

主として取り扱う分野 M&A、株式買取請求権、非上場株式の価格の決定、企業価値評価、事業承継及び企業法務

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著書

非上場会社における少数株主対策の手法と実務
『非上場会社における少数株主対策の手法と実務』(日本法令)
中堅・中小企業のためのM&Aトラブル事例と実務対策
『中堅・中小企業のためのM&Aトラブル事例と実務対策』(清文社)
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