株式譲渡後に売主が別会社で競業した場合の競業避止義務違反と損害額―東京地方裁判所令和5年12月26日判決

会社の全株式を譲渡した売主が、株式譲渡契約で競業避止義務を負っていたのに、別の会社を使って同じ種類の事業を始め、譲渡した会社の職員や顧客を移してしまった場面の判例です。東京地方裁判所令和5年12月26日判決は、訪問介護・居宅介護支援事業を営む会社の元経営者が、自ら全株式を保有する別会社で事業所を開設し、ヘルパー6名と利用者17名を移した事案で、5年間・地域の限定なしの競業避止義務の合意を有効とし、売主の義務違反を認めて800万円の損害賠償を命じました。
他方で、買主側が請求した4,000万円(主張した損害総額は8,160万円)に対し、認められた損害は、移った利用者による利益の約6か月分にとどまりました。本記事では、事業所の開設を主導したのは自分ではない、所在地の区が違うので競合しない、競業避止義務は職業選択の自由を過度に制限し無効であるという売主側の反論がどのような理由で退けられたのか、損害額がどのように絞り込まれたのか、売主が引継ぎ業務について提起した反訴がなぜ棄却されたのかを整理します。
裁判例の基本情報
| 裁判所 | 東京地方裁判所民事第42部 |
|---|---|
| 裁判日 | 令和5年12月26日 |
| 事件番号 | 令和3年(ワ)第19278号(本訴)、令和4年(ワ)第3077号(反訴) |
| 裁判の形式 | 判決 |
| 審級 | 第一審 |
| 結論 | 本訴は一部認容(売主に800万円及び遅延損害金の支払を命じ、その余を棄却)。売主の反訴は棄却 |
| 上訴の状況 | 上訴の有無及び確定は確認できていません |
この表は、判決本文の冒頭、主文及び末尾の記載に基づいて当事務所が作成したものです。
当事者の表記
判決に出てくる会社名・氏名は、本記事独自のイニシャルに置き換えています。判決が用いた符号も、そのままでは使わず、次の表記に置き換えています。判決本文を引用する部分でも同じ表記に置き換え、置き換えた箇所を〔 〕で示しています。
| 本記事の表記 | 立場 |
|---|---|
| 売主である元経営者SKT氏 | 被告・反訴原告。対象会社KHNの代表取締役で100%株主でした。ケアマネージャー(介護支援専門員)として業務も行っていました |
| 対象会社である介護事業会社KHN | 指定居宅介護支援事業、居宅介護サービス事業等を行っていた株式会社。令和2年6月1日に介護事業会社CRSに合併されて解散しました |
| 買主である親会社MKH | 介護事業会社CRSの親会社。売主SKT氏から対象会社KHNの全株式を買い受けました |
| 介護事業会社CRS | 原告・反訴被告。介護福祉事業等を目的とする株式会社で、対象会社KHNを合併しました |
| 介護事業所CNT | 介護事業会社CRSが経営する訪問介護・居宅介護支援事業所。合併により対象会社KHNの職員と利用者を引き継ぎました |
| 介護会社DKS | 売主SKT氏が全株式を保有していた休眠会社。商号を変更したうえで、新事業所GRNを開設しました |
| 新事業所GRN | 介護会社DKSが、介護事業所CNTとは別の区に開設した訪問介護・居宅介護支援事業所 |
| 事業部長JNK氏 | 介護事業会社CRSの居宅介護支援事業部の統括責任者。一時期、介護会社DKSの代表取締役に就任しました |
| 売主の子HYT氏 | 売主SKT氏の子で、介護会社DKSの代表取締役 |
| ヘルパーLSM氏 | 株式譲渡前から対象会社KHNで働いていたヘルパー(ケアマネージャーの資格も保有) |
| 別の事業所KCT | 売主SKT氏の退職に際し、利用者のケアプラン(居宅サービス計画)の担当が一時的に移された他の居宅介護支援事業所 |
事案の概要
後継者のいない介護事業会社の全株式を1,500万円で譲渡した
売主SKT氏は、対象会社KHNの代表取締役兼100%株主として、訪問介護・居宅介護支援事業所を経営するとともに、自らケアマネージャーとしての業務も行っていました。事業の後継者がいなかったことや体調が良くなかったことから、令和2年1月24日、介護事業会社CRSの親会社である親会社MKHとの間で、対象会社KHNの全株式を代金1,500万円で譲渡する株式譲渡契約を締結しました。売主SKT氏は、この契約に伴って対象会社KHNの代表取締役及び取締役を辞任し、退職慰労金として土地及び建物の現物支給を受けています。
株式譲渡契約では、売主SKT氏が契約締結後5年以内は対象会社KHNと競業する事業を行わないこと(第9条)のほか、令和4年12月31日までを目途として、月額30万円の報酬で経営の助言及び業務引継ぎ等の支援を行うこと(第5条第3項)などが定められていました。
引継ぎは円滑に進まず、売主は1年足らずで退職した
契約締結の当時、対象会社KHNのケアマネージャーは売主SKT氏しかおらず、事業の継続のためには当面、売主SKT氏がケアマネージャーの業務を続ける必要がありました。対象会社KHNは後任のケアマネージャーを採用しましたが、退職が続き、引継ぎは円滑に進みませんでした。令和2年6月1日、介護事業会社CRSが対象会社KHNを合併し、職員と利用者は介護事業所CNTに引き継がれました。
売主SKT氏は、令和2年夏頃から、介護事業会社CRSの代表者や自らの待遇への不満を述べるようになり、同年12月末日をもって介護事業会社CRSでの業務を辞めることで合意しました。
退職と並行して、別会社で新しい事業所の開設が進められた
その一方で、売主SKT氏は、令和2年秋頃、独立を考えていた事業部長JNK氏に対し、自らが全株式を保有する休眠会社の介護会社DKSを使って介護事業所を開設することを提案しました。介護会社DKSは商号を変更し、事業部長JNK氏が代表取締役に就任して、介護事業所CNTとは別の区に新事業所GRNを開設しました。令和3年2月1日付けで介護事業所CNTのヘルパー8名のうち6名が新事業所GRNに登録し、同年2月1日付け又は3月1日付けで、売主SKT氏がケアプランを担当していた利用者のうち17名が、訪問介護事業所を新事業所GRNに変更しました。売主SKT氏は、現在、新事業所GRNでケアマネージャーとしての業務を行っています。
介護事業会社CRSは、売主SKT氏の行為が株式譲渡契約の競業避止義務に違反するとして損害賠償を求めて提訴し、売主SKT氏は、引継ぎ業務の契約について介護事業会社CRS側に債務不履行があったとして反訴を提起しました。
事案の経緯
| 時期 | 出来事(判決本文の前提事実及び認定事実による) |
|---|---|
| 令和2年1月24日 | 売主SKT氏と親会社MKHが、対象会社KHNの全株式を代金1,500万円で譲渡する株式譲渡契約を締結。売主SKT氏は代表取締役及び取締役を辞任し、退職慰労金として土地建物の現物支給を受ける |
| 令和2年1月24日以降 | 売主SKT氏が、当面、対象会社KHNでケアマネージャーの業務を継続。対象会社KHNはケアマネージャー2名を採用(1名は非常勤、1名は同年3月に退職) |
| 令和2年4月 | 対象会社KHNがケアマネージャー1名を採用(同年6月に退職) |
| 令和2年6月1日 | 介護事業会社CRSが対象会社KHNを合併。職員と利用者は介護事業所CNTに引き継がれる |
| 令和2年夏頃 | 売主SKT氏が、事業部長JNK氏に対し、待遇等への不満や退職の希望を度々述べるようになる |
| 令和2年秋頃 | 売主SKT氏が、事業部長JNK氏に、休眠会社の介護会社DKSを使った介護事業所の開設を提案。発覚しないよう商号を変更し、別の区で開設すること等を取り決める |
| 令和2年10月16日付け | 事業部長JNK氏が、介護会社DKS(旧商号)の代表者として、訪問介護事業所の新規指定に必要な研修を申し込む |
| 令和2年11月12日付け | 売主SKT氏が、介護会社DKSの100%株主として事業部長JNK氏を代表取締役に選任(同月19日に商号変更登記等) |
| 令和2年12月頃まで | 事業部長JNK氏が事業所物件の賃貸借契約を締結し、新事業所GRNの指定を申請。登記費用と賃貸借契約の初期費用約30万円は売主SKT氏が用意 |
| 令和2年12月 | 売主SKT氏と事業部長JNK氏が、介護事業所CNTのヘルパーらと2度会食。売主SKT氏はヘルパーLSM氏らに新しい事業所への移籍を勧める |
| 令和2年12月末日 | 売主SKT氏が介護事業会社CRSでの業務を終える(同社代表者と合意) |
| 令和3年1月1日 | 売主SKT氏が担当していた利用者らの居宅介護支援事業所が、介護事業会社CRS代表者の同意を得て、別の事業所KCTに変更される |
| 令和3年2月1日 | 新事業所GRNが訪問介護事業所の指定を受ける。介護事業所CNTのヘルパー8名中6名が新事業所GRNに登録。利用者の移動が始まる |
| 令和3年3月1日 | 新事業所GRNが居宅介護支援事業所の指定を受ける。利用者計17名が訪問介護事業所を新事業所GRNに変更(2月1日付け又は3月1日付け)。同月、居宅介護支援事業所も新事業所GRNに変更され、売主SKT氏がケアプランを作成 |
| 令和3年3月15日 | 事業部長JNK氏が介護事業会社CRSの代表者に経緯を説明し、介護会社DKSの代表取締役の辞任届を送付 |
| 令和3年3月29日 | 売主の子HYT氏が介護会社DKSの代表取締役に就任した旨の登記 |
| 令和3年4月19日 | 売主SKT氏が、新事業所GRNの居宅介護支援事業の管理者に就任 |
| 令和3年7月21日付け | 売主SKT氏が、介護事業所CNTの事務所として賃貸していた建物について、令和4年1月24日の期間満了による明渡しを求める通知書を送付。介護事業所CNTは同じ区内の別の建物に移転 |
| 令和3年8月14日 | 本訴の訴状送達の日の翌日(遅延損害金の起算日) |
| 令和4年2月16日 | 反訴状送達の日の翌日(反訴で請求された遅延損害金の起算日) |
| 令和5年12月26日 | 東京地方裁判所が本訴を一部認容し、反訴を棄却する判決 |
株式譲渡契約の条項
以下は、判決本文が株式譲渡契約書の条項として掲げた記載に基づくものです。判決本文の記載は契約書の当事者を判決上の呼称に置き換えたものであるため、契約書原本の条文をそのまま再現したものではありません。当事者の呼称は本記事の表記に置き換え、数字は算用数字で表記しています。
第9条―株式譲渡後の売主の競業避止義務
売主SKT氏は、本件株式譲渡契約締結後5年以内に、自ら又は第三者をして、直接的間接的を問わず、対象会社KHNと競業する事業(コンサルティングも含む)を行ってはならない。ただし、親会社MKHの事前の同意を得た場合はこの限りでない。
期間は5年、対象は対象会社KHNと競業する事業で、地域の限定はありません。「自ら又は第三者をして、直接的間接的を問わず」として、売主本人以外の者を通じた競業も対象とする書き方になっています。
第11条第1項―義務違反による損害の補償
親会社MKH及び売主SKT氏は、相手方又は対象会社KHNに対し、本件株式譲渡契約に基づく自己の義務の違反に起因して相手方又は対象会社KHNが被った損害、損失、費用等につき、賠償、補填又は補償を行う。
第5条第3項―売主による経営の助言及び業務引継ぎの支援
売主SKT氏は、本件株式譲渡契約締結日から令和4年12月31日までを目途として経営における助言及び業務引継ぎ等の支援を行うものとし、その間の報酬は月額30万円とする。なお、引継ぎ期間中の売主SKT氏の対象会社KHNでの勤務体系は、売主SKT氏の体調等を最大限考慮するものとする。また、親会社MKHは、本件株式譲渡契約締結後、速やかに居宅介護事業部の責任者候補としての人員を補充するなどして、売主SKT氏によるスムーズな引継ぎができるよう最大限努力するものとする。期間満了後の売主SKT氏の処遇については、協議により決定する。
第6条第1項及び第8条―退職慰労金としての不動産の現物支給と賃貸借
(第6条第1項)親会社MKHは、対象会社KHNの代表取締役及び取締役を退任する売主SKT氏に対し、対象会社KHNからの退職慰労金として、下記不動産を現物支給する(土地及び建物。所在地の記載は省略します)。
(第8条)売主SKT氏は、上記の不動産並びに対象会社KHNのデイサービス事業で使用している建物1階部分及び駐車場として使用している土地について、対象会社KHNとの間で、賃料月額45万円として賃貸借契約を締結することを約束する。
売主SKT氏は、株式の代金1,500万円に加え、退職慰労金として不動産の現物支給を受け、その不動産を賃料月額45万円で対象会社KHNに貸すという構成でした。この対価の内容は、後に競業避止義務の有効性の判断で考慮されています。
当事者の請求と主要な主張
本訴―介護事業会社CRSの請求
介護事業会社CRSは、売主SKT氏に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、損害8,160万円のうち4,000万円と、令和3年8月14日から支払済みまで年3%の割合による遅延損害金の支払を求めました。
介護事業会社CRSの主張によれば、介護事業所CNTの訪問介護の1か月平均は、令和2年6月から令和3年1月までが売上高425万2,434円・営業利益91万569円であったのに対し、令和3年2月及び3月は売上高96万3,085円・営業利益マイナス112万8,269円で、営業利益の差は203万8,838円でした。そこで、損害は月額170万円を下らず、競業避止義務が存続する令和7年1月までの損害は8,160万円を下らないとしました。あわせて、移った利用者17名の売上げ(1か月平均約230万円)、減少した経費(1か月平均約92万円)、利用者の年間残存率63%を基に、5年間で失う利益を4,029万円とする計算も示していました。
反訴―売主SKT氏の請求
売主SKT氏は、第5条第3項により対象会社KHNとの間で経営の助言及び業務引継ぎ等の支援を内容とする業務委託契約が締結されたのに、介護事業会社CRSが定められた業務と異なる業務を行わせ、業務の提供を不可能にしたと主張しました。そして、債務不履行がなければ令和4年12月31日まで月額30万円の報酬を得られたとして、720万円と令和4年2月16日からの年3%の遅延損害金の支払を求めました。
争点ごとの主張の対立
| 争点 | 介護事業会社CRSの主張 | 売主SKT氏の主張 |
|---|---|---|
| 競業避止義務の有効性 | 全株式の譲渡契約で譲渡人が競業避止義務を負うと定めることは通常の商取引であり(会社法第21条を参照として主張)、譲渡代金と退職慰労金という十分な対価も得ているから、公序良俗に反しない | 長年介護事業に携わってきた者に、5年もの長期にわたり地域の限定なく介護事業を禁じるもので、職業選択の自由を過度に制限し、公序良俗に反し無効である。少なくとも、月額30万円の報酬を受けていた期間に限り効力が認められるべきである |
| 競業行為の有無 | 売主SKT氏が介護会社DKSの利用を提案し、事業部長JNK氏を代表取締役に選任し、開設準備を共同で行い、ヘルパーらを勧誘して移籍させ、利用者の契約も変更させた | 開設したのは事業部長JNK氏であり、頼まれてしぶしぶ介護会社DKSの使用に同意したにすぎない。ヘルパーは同氏の勧誘で移籍し、利用者は自らの意思で変更した。別の区の事業所なので競合しない。担当利用者を移したことは同意を得ている |
| 損害 | 上記のとおり8,160万円(又は5年間で4,029万円) | ヘルパー6名の登録と利用者17名の利用開始は認めるが、その余は否認ないし争う |
| 過失相殺 | 開設は売主SKT氏が主体的に行った。事業部長JNK氏の行為は原告の業務と無関係で、取引観念上原告と同視すべき者ではない | 開設を主導したのは原告の重要な地位にある事業部長JNK氏であり、原告に重大な過失がある。大幅な過失相殺がされるべきである |
| 反訴(引継ぎ業務) | ケアマネージャーは実質的に売主SKT氏のみで、その業務の継続は不可欠だった。後任を複数名雇用したが、売主SKT氏が引継ぎをしようとしなかった。退職は本人の希望による | 体調等への配慮や責任者候補の補充を求めたのに聞き入れられず、ケアマネージャー業務をさせられ、支援業務の提供が不可能になった |
お手元の資料と経緯をお聞きし、進め方の順序をお示しします。
結論を左右した争点
判決は、争点を、売主SKT氏の競業避止義務違反による損害賠償責任の有無、介護事業会社CRSの損害、過失相殺の可否、介護事業会社CRSの債務不履行による損害賠償責任の有無、売主SKT氏の損害の5つに整理しました。
結論を左右したのは、第一に、売主SKT氏が新事業所GRNの開設にどこまで関与していたか(事業部長JNK氏が主導したのか)、第二に、5年間・地域の限定なしの競業避止義務の合意が有効か、第三に、損害を介護事業所CNT全体の利益の減少額で長期にわたり算定できるか、という点でした。
裁判所が認定した重要な事実
判決は、前提事実に加え、証拠及び弁論の全趣旨により、次の事実を認定しました(以下は判決本文の認定事実の要約です)。
- 株式譲渡契約の締結当時、対象会社KHNのケアマネージャーは売主SKT氏しかおらず、事業を継続するには当面、売主SKT氏がケアマネージャーの業務を続ける必要がありました。そのため、親会社MKHが引継ぎへの協力を要請し、売主SKT氏が了承して、第5条第3項の合意がされました。
- 売主SKT氏は、令和2年秋頃、事業部長JNK氏に対し、休眠会社の介護会社DKSを使って介護事業所を開設することを提案しました。両氏は、介護事業所の開設が介護事業会社CRSに発覚しないように商号を変更し、介護事業所CNTの所在する区ではなく別の区で開設すること等を取り決めました。
- 売主SKT氏は、介護会社DKSの100%株主として事業部長JNK氏を代表取締役に選任し、登記の手続を売主の子HYT氏に依頼しました。登記費用と事業所の賃貸借契約の初期費用約30万円も、売主SKT氏が用意しました。
- 事業部長JNK氏は居宅介護支援事業部の統括責任者で、訪問介護事業部に所属するヘルパーとの業務上の関わりはありませんでした。これに対し、売主SKT氏は、株式譲渡前からヘルパーLSM氏らとともに対象会社KHNで働き、ケアマネージャーとして利用者とも関わっていました。
- 売主SKT氏は、ヘルパーLSM氏らに対し、介護事業会社CRSでの業務を辞めることを伝え、事業部長JNK氏が代表者として開設する事業所に移籍するよう勧めました。また、令和2年12月には、両氏がヘルパーらと2度にわたり会食しました。
- 売主SKT氏は、自らケアプランを担当していた利用者らに、訪問介護事業所を新事業所GRNに変更するよう勧めました。移った利用者17名は、いずれも株式譲渡前から売主SKT氏がケアプランを担当していた利用者でした。
- 事業部長JNK氏は、令和3年3月15日に介護事業会社CRSの代表者から新事業所GRNとの関係を尋ねられて経緯を説明し、同日付けで介護会社DKSの代表取締役の辞任届を送付しました。同氏は介護会社DKSから報酬や給与を受けたことはありませんでした。後任の代表取締役となった売主の子HYT氏は、別の会社で会社員として働いており、代表取締役としての業務を行うことはほとんどありませんでした。
各主張を採用し又は排斥した理由
競業行為―売主が積極的に関与したと認定
判決は、上記の認定事実を基に、売主SKT氏が、介護会社DKSの100%株主として事業部長JNK氏を代表取締役に選任し、同氏と共同してヘルパーや利用者を勧誘するなど事業所開設の準備を行ったうえで、新事業所GRNを開設して訪問介護・居宅介護支援事業を行ったと認め、次のとおり判断しました。
「〔売主SKT氏〕の上記行為は、本件株式譲渡契約で定められた競業避止義務に違反するものと認められる」
売主SKT氏は、介護会社DKSの利用を提案したことも、ヘルパーや利用者を勧誘したこともないと供述しましたが、判決はこれを採用しませんでした。その理由として、判決は次の点を挙げています。
- 競業避止義務を負っていた売主SKT氏について、「〔売主SKT氏〕が積極的に〔新事業所GRN〕に関与する意思がなければ、〔介護会社DKS〕の100%株主のまま、〔事業部長JNK氏〕が〔介護会社DKS〕を使って介護事業を行うことに同意するとは考え難い」こと
- 積極的に関与する意思を有していたことは、介護会社DKSの登記費用や賃貸借契約の初期費用を自ら用意したことからもうかがわれること
- 事業部長JNK氏はヘルパーとも訪問介護の利用者とも業務上の関わりがなかったのに対し、売主SKT氏は株式譲渡前からヘルパーらと働き、利用者とも関わりを持っていたこと
- 売主SKT氏自身が、訴訟の当初は、担当していた利用者らの訪問介護事業所を自らの意向で新事業所GRNに変更させたことを認めていたこと
判決は、以上から売主SKT氏の供述を不自然、不合理であるとし、同じ趣旨のヘルパーLSM氏の供述も採用しませんでした。
競合性―所在地の区が違っても、職員と利用者が移っている
売主SKT氏は、介護利用者は地域ごとに提供されるサービスを利用するのが通常であるから、別の区の事業所である新事業所GRNの事業は介護事業所CNTの事業と競合しないと主張しました。判決は、実際に介護事業所CNTのヘルパーらと利用者らが新事業所GRNとの契約に変更していることを指摘し、「〔新事業所GRN〕の事業が〔介護事業所CNT〕の事業と競合する事業に当たることは明らかである」と判断しました。
担当利用者を新事業所GRNに移すことについて介護事業会社CRSの同意があったとの主張についても、判決は、そのような事実を認めるに足りる証拠はないとしました。判決が認定した介護事業会社CRSの代表者の同意は、売主SKT氏の退職に伴い、担当していた利用者のケアプランを令和3年1月から別の事業所KCTのケアマネージャーに担当させることについてのものでした。
競業避止義務の有効性―売主は経営者として自ら契約し、十分な対価を得ていた
職業選択の自由を過度に制限し公序良俗に反して無効であるとの売主SKT氏の主張について、判決は次のように述べました。
「〔売主SKT氏〕は、〔介護事業会社CRS〕ないし〔親会社MKH〕の従業員や役員といった立場にあった者ではなく、〔対象会社KHN〕の経営者として、自らの判断により本件株式譲渡契約を締結したものである」
そのうえで、判決は、売主SKT氏が株式譲渡代金1,500万円の支払を受けたうえ、退職慰労金として不動産の現物支給を受けるなど、十分な対価を得ていることを指摘しました。さらに、売主SKT氏自身が、介護事業から引退するつもりで株式譲渡契約を締結したと主張していることも挙げて、競業避止義務の合意が公序良俗に反するとは認められないと結論付けました。
なお、判決は、5年という期間や地域の限定がないことを個別に検討する形では判断を示していません。また、競業避止義務は報酬を受けていた期間に限って効力が認められるべきであるとの売主SKT氏の予備的な主張についても、個別の説示はしていませんが、令和2年12月末の退職後に行われた競業行為について義務違反を認めています。
また、対象会社KHNは株式譲渡契約の当事者ではありませんが、判決は、同契約における競業避止義務の合意の効力が対象会社KHN(合併後は介護事業会社CRS)に及ぶことについては当事者間に争いがないとしています。
損害―移った利用者による利益の約6か月分、800万円
判決は、まず、売主SKT氏の債務不履行により、ヘルパー6名が登録を新事業所GRNに変更し、利用者17名が訪問介護事業所を新事業所GRNに変更したことを認めました。そして、証拠により、令和2年6月から令和3年1月までの利用者17名の訪問介護に関する売上げは1か月平均約230万円、利用者の移動により減少したヘルパーの人件費は1か月平均約92万円(売上げの40%)と認めました。ヘルパーの人件費以外にも減少する経費があり得ることを考慮して経費の減少額を1か月平均95万円とし、失われた利益を1か月平均135万円と計算しています。
そのうえで、判決は、介護事業会社CRSがこの利益を継続して得られたとはいえない事情と、介護事業所CNTが利用者やヘルパーを補充できる事情を、次のように挙げました。
| 考慮された事情 | 判決本文の認定 |
|---|---|
| 利用者側の事情 | 利用者17名のうち5名は1年以内に入院、入所又は死亡のためサービスの利用を中断ないし終了し、4名は入院のため一時中断した。移動しなかったとしても、利益を継続して得られたとは認められない |
| ヘルパー側の事情 | 移籍したヘルパーらは株式譲渡前から対象会社KHNで働いていた者で、売主SKT氏と親密な一方、介護事業会社CRSに不満を抱いていたことがうかがわれる。新事業所GRNが開設されなくても、売主SKT氏が辞めれば、ヘルパーらも辞めていた可能性は否定できない |
| 回復の可能性 | 介護事業所CNTは、少なくとも月に1、2件程度は地域包括支援センターから利用者の紹介を受けられる。ヘルパーは多いときで年間10名程度補充でき、実際に令和5年5月時点の人数は令和3年1月当時の8名から10名程度に増えている |
判決は、これらの事情を考慮して、次のとおり損害額を認めました。
「〔売主SKT氏〕の債務不履行により〔介護事業会社CRS〕に生じた損害は、上記1か月平均利益135万円の約6か月分に相当する800万円と認めるのが相当である」
介護事業所CNT全体の営業利益の差額が令和7年1月まで続くという介護事業会社CRSの主張については、介護事業会社CRSの主張によっても、令和3年4月以降の売上げと営業利益は令和4年1月頃には令和3年1月以前に近い金額になっていることを指摘しました。介護事業会社CRSは、回復は障害者総合支援法に基づく売上げの増加によるもので、介護保険法に基づく訪問介護の売上げは回復していないと主張しましたが、判決は、令和3年2月以降の訪問介護の売上げの減少が全て売主SKT氏の債務不履行によるものかは明らかでないとして、この主張を採用しませんでした。判決本文は、約6か月という期間を導いた計算の過程までは示していません。
過失相殺―買主側の事業部長は原告と同視すべき者ではない
売主SKT氏は、新事業所GRNの開設を主導したのは介護事業会社CRSの事業部長JNK氏であるから、大幅な過失相殺がされるべきであると主張しました。判決は、売主SKT氏も事業部長JNK氏を代表取締役に就任させ、ヘルパーや利用者に対する勧誘を行うなど積極的に開設に関与していたから、事業部長JNK氏が競業行為を主導したとは認められないとしました。さらに、「〔新事業所GRN〕の開設に関して、〔事業部長JNK氏〕が取引観念上〔介護事業会社CRS〕と同視すべき者であるとはいえない」と述べ、過失相殺をすべき事情があることを認めるに足りないと判断しました。
反訴―引継ぎ支援にはケアマネージャー業務も含まれていた
売主SKT氏の反訴について、判決は、第5条第3項が規定された経緯(契約当時、ケアマネージャーは売主SKT氏しかおらず、事業継続のために当面その業務を続ける必要があったこと)を踏まえ、次のとおり判断しました。
「同条項により〔売主SKT氏〕が行うべき業務引継ぎの支援には、ケアマネージャーとしての業務も含まれていたものと認められる」
また、株式譲渡契約の締結後、令和2年4月までに3名のケアマネージャーが採用されており、補充を怠っていたとは認められないこと、体調に配慮しなかったような事実を認めるに足りる証拠はないことも指摘しました。判決は、第5条第3項の業務の提供に関する合意が業務委託契約であるという売主SKT氏の主張を前提としても債務不履行は認められないとして、売主SKT氏の損害(720万円)については判断するまでもなく、反訴請求を棄却しました。
主文及び結論
判決の主文は、次のとおりです(「原告」は介護事業会社CRS、「被告」は売主SKT氏を指します)。
- 「被告は、原告に対し、800万円及びこれに対する令和3年8月14日から支払済みまで年3%の割合による金員を支払え。」
- 「原告のその余の請求及び被告の請求をいずれも棄却する。」
- 「訴訟費用は、本訴反訴を通じてこれを3分し、その2を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。」
- 「この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。」
介護事業会社CRSが請求した4,000万円のうち800万円が認められ、売主SKT氏の反訴請求720万円は全部棄却されました。株式譲渡契約は令和2年1月24日の締結で、民法の債権関係の改正の施行日(令和2年4月1日)より前のものですが、判決本文は適用した民法の条文を明示していません。遅延損害金は年3%の割合で認められています。
判断の射程
以下は、判決の内容を踏まえた当事務所の評価です。判決が述べた事項と区別してお読みください。
参考となる点
- 株式譲渡の売主である経営者の競業避止義務は、有効とされやすい事情がそろっていたこと。本判決は、売主が従業員や役員ではなく、経営者として自らの判断で契約したこと、株式の代金と不動産の現物支給という十分な対価を得ていたこと、売主自身が引退するつもりであったと主張していたことから、5年間・地域の限定なしの合意を有効としました。雇用契約上の競業避止義務とは異なる立場にあることを重視した判断といえます。
- 株式譲渡では、契約で競業避止義務を定めておくことが前提になること。介護事業会社CRSは会社法第21条を参照として主張しましたが、同条は事業譲渡をした会社の競業を制限する規定です。株式譲渡では事業を手放すのは株主個人であり、売主の競業を制限するには、本件のように株式譲渡契約で明示的に定めておく必要があると当事務所は考えます。
- 「自ら又は第三者をして、直接的間接的を問わず」という文言が働いたこと。本件の競業は、売主本人ではなく、売主が全株式を保有する別会社が、買主側の事業部長を代表取締役として行う形をとっていました。判決は、株主としての立場、費用の負担、ヘルパーや利用者との関係、訴訟当初の自認などから、売主の積極的な関与を認定しています。名義上の代表者が別人であっても、実質的な関与の有無が問われることを示す一例です。
- 競合するかどうかは、職員と顧客の実際の移動から判断されたこと。事業所の所在地が別の区であるという主張は、ヘルパーと利用者が実際に移っていることを理由に退けられました。
- 損害額は、請求額より大きく絞り込まれたこと。本判決は、事業所全体の利益の減少額を義務の残存期間にわたって積み上げる方法を採らず、移った利用者17名による利益を基礎に、利用者の入院や死亡、ヘルパーが離職していた可能性、利用者やヘルパーの補充が可能であることを考慮して、約6か月分の800万円にとどめました。競業避止義務違反の損害を長期間にわたって立証することには難しさがあり、買主側では、違約金や損害賠償額の予定を定めておくことも検討に値すると当事務所は考えます(本判決がそのような条項について判断したものではありません)。
- 買主側の従業員が競業に加わっていても、過失相殺は否定されたこと。本判決は、新事業所の開設に関して、買主側の事業部長は取引観念上買主と同視すべき者とはいえないとしました。
- 引継ぎ支援条項の内容は、締結の経緯から解釈されたこと。第5条第3項は経営の助言と業務引継ぎの支援を定めるだけでしたが、判決は、ケアマネージャーが売主しかいなかったという経緯から、ケアマネージャーとしての業務も含まれると解しました。引継ぎ期間中に売主が担う業務の範囲は、契約書で具体的に定めておくことが紛争の予防につながります。
一般化できない点
- 競業避止義務の有効性について、判決は、期間や地域の範囲を個別に検討する形では判断を示していません。売主が経営者として十分な対価を得ていたという本件の事情を前提とする判断であり、対価が乏しい場合や、売主が引き続き従業員として雇用される場合などに、同じ結論になるとは限りません。
- 競業避止義務の合意の効力が対象会社(合併後は介護事業会社CRS)に及ぶことは、当事者間に争いがなかった事項です。株式譲渡契約の当事者ではない対象会社やその合併会社が、売主に直接損害賠償を請求できるかについて、判決が一般的な判断を示したものではありません。
- 約6か月分という損害の期間は、本件の利用者の状況、ヘルパーの補充状況、地域包括支援センターからの紹介の見込み等に基づく個別の判断です。他の業種や事案にそのまま当てはまるものではありません。
- 反訴について、判決は、第5条第3項の合意が業務委託契約であるという売主の主張を前提としても債務不履行はないとしたもので、その合意が業務委託契約か雇用契約かを判断したものではありません。
- 上訴の有無及び確定は確認できていません。
元社長・元役員・元従業員による競業や顧客データの持出しに対する差止めと損害賠償の請求は、次のページでご案内しています。
よくあるご質問
株式譲渡の売主に5年間、地域の限定なしの競業避止義務を課すことはできますか。
本判決では有効とされました。理由として挙げられたのは、売主が従業員や役員ではなく経営者として自らの判断で契約したこと、株式の代金と退職慰労金としての不動産という十分な対価を得ていたこと、売主自身が引退するつもりであったと主張していたことです。もっとも、期間や地域の範囲そのものを個別に検討した判断ではないため、対価や売主の立場が異なる場合には、別に検討が必要です。
売主本人ではなく、売主が株式を持つ別の会社が事業を始めた場合も、競業避止義務違反になりますか。
契約の定め方と、売主の関与の程度によります。本件の条項は「自ら又は第三者をして、直接的間接的を問わず」競業する事業を禁じていました。判決は、売主が別会社の全株式を保有したまま代表取締役を選任し、開設費用を負担し、ヘルパーや利用者を勧誘していたことなどから、売主の義務違反を認めました。
売主の新しい事業所が別の地域にあれば、競合しないといえますか。
本判決では、所在地の区が違うという主張は退けられました。実際に職員と利用者が元の事業所から新しい事業所へ移っている以上、競合する事業に当たることは明らかであるとされています。
競業避止義務違反の損害は、残りの義務期間の全部について認められますか。
本判決では認められませんでした。買主側は、義務が存続する約4年間の事業所全体の利益の減少を主張しましたが、判決は、移った利用者による利益の約6か月分に当たる800万円を損害と認めました。利用者の入院や死亡、職員がいずれ辞めていた可能性、新たな利用者や職員を補充できることが考慮されています。
買主側の従業員が売主の競業に協力していた場合、損害賠償は減額されますか。
本判決では、過失相殺は否定されました。売主も積極的に関与しており、買主側の事業部長が競業を主導したとは認められないこと、新事業所の開設に関して事業部長は取引観念上買主と同視すべき者とはいえないことが理由とされています。
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株式譲渡の後に売主が競業を始めた疑いがある場合は、株式譲渡契約の競業避止条項の文言(期間、対象となる事業、第三者を通じた競業の扱い)を確認したうえで、別会社の株主構成や役員の就任時期、事業所の開設・指定の経過、職員と顧客が移った時期と人数、売主と職員・顧客とのやり取りの記録を整理し、違反の成否と損害額の立証を分けて検討します。売主の競業が判明した場合の対応は売主が競業を開始した場合の対応で、競業避止義務をめぐる紛争の全体像はM&Aの競業避止義務をめぐるトラブルで、競業避止義務の基本的な考え方はM&Aの競業避止義務についての解説で解説しています。
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この記事の位置付け
介護事業会社の全株式を譲渡した元経営者が、自ら全株式を持つ別会社で事業所を開設し、職員と利用者を移した場面の判例を、競業避止義務の有効性、違反の認定及び損害額の算定の観点から解説します。
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