株式譲渡契約の特別補償条項の範囲と表明保証違反の因果関係―東京地方裁判所令和4年9月27日判決

株式譲渡代金の一部をエスクロー(第三者である信託銀行への預託)に留保し、特別補償の引当てとしていた大型のM&Aで、買主が、特別補償の請求と売主の表明保証違反を理由に預託金の払出しの指図を止めた場面の判例です。東京地方裁判所令和4年9月27日判決は、売主である投資組合の組合員らが求めた特別補償債務の不存在確認と払出しの指図を大部分認め、買主が求めた約197億円の損害賠償と預託金からの支払を、いずれも棄却しました。
本判決は、労務関係の特別補償については約5,649万円の範囲で補償債務の存在を認めましたが、特別補償の対象は契約に列挙された事由に限られ、それ以外の表明保証違反に基づく損害はエスクローの対象にならないと判断しました。また、違反がなければ株式を取得しなかったという買主の主張についても、因果関係を否定しています。特別補償条項とエスクローを設ける売主側・買主側の双方にとって、条項の設計と、契約前のデュー・ディリジェンスの位置付けを考えるうえで参考になる判決です。
裁判例の基本情報
| 裁判所 | 東京地方裁判所民事第23部 |
|---|---|
| 裁判日 | 令和4年9月27日 |
| 事件番号 | 平成30年(ワ)第37325号(第1事件)、平成30年(ワ)第39753号(第2事件) |
| 裁判の形式 | 判決 |
| 審級 | 第一審 |
| 結論 | 第1事件(売主側の組合員らによる特別補償債務の不存在確認等)は一部認容・一部棄却。第2事件(買主による損害賠償等)は請求をいずれも棄却 |
| 上訴の状況 | 判決本文には控訴の有無及び確定に関する記載がなく、上訴の有無及び確定は確認できていません |
この表は、判決本文の冒頭及び末尾の記載に基づいて当事務所が作成したものです。なお、判決本文のうち別紙(株式譲渡契約及び特別補償に関する合意の内容、当事者の主張の一部等)は省略されており、認定事実や判断の一部にも省略された箇所があります。本記事は、確認できた判決本文の記載の範囲で解説しています。
当事者の表記
判決に出てくる会社名・氏名は、本記事独自のイニシャルに置き換えています。判決が用いている当事者の略称や符号も、そのままは使わず、次の表記に置き換えています。製品名・取引先名も同様です。
| 本記事の表記 | 立場 |
|---|---|
| 売主である投資組合TMV | 民法上の組合。対象会社GTSの株式6,006万株を保有し、買主に譲渡した売主。第2事件の被告。株式譲渡後に解散しました |
| 組合員である投資事業有限責任組合HNB | 投資組合TMVの組合員で、その清算人。第1事件の原告であり、第2事件の被告 |
| 組合員である投資事業有限責任組合DGR | 投資組合TMVの組合員で、その清算人。第1事件の原告であり、第2事件の被告 |
| 無限責任組合員である株式会社QLS | 投資事業有限責任組合HNB及びDGRの無限責任組合員。第2事件の被告 |
| 無限責任組合員である株式会社JMW | 投資事業有限責任組合DGRの無限責任組合員。第2事件の被告 |
| 買主である投資ファンドRDZ | 外国法に基づき設立されたリミテッド・パートナーシップ(有限責任組合)。株式を買い受けた買主。第1事件の被告であり、第2事件の原告 |
| 対象会社である業務用ソフトウェア開発会社GTS | 大企業向けのソフトウェアの開発及びサポートを主な事業とする会社。株式譲渡の対象会社 |
| 従来の主力製品LMT/後継の主力製品QVR | 対象会社GTSの大企業向けソフトウェア製品。QVRはLMTの後継として開発されたパッケージソフトウェア |
| 受託者である信託銀行CFN | エスクロー契約の受託者。預託された代金の一部を管理し、指図に従って交付します |
| 顧客である非鉄金属製品メーカーEWX | 対象会社GTSの顧客。同社との紛争に関する特別補償債務の存否が第1事件で問題とされました |
| クラウドサーバー事業者CSV | 対象会社GTSがサーバー利用料を支払っていたクラウドサービスの事業者 |
以下では、投資組合TMV、その組合員であるHNB及びDGR、無限責任組合員であるQLS及びJMWの5者をまとめて「売主側」ということがあります(判決本文はこの5者をまとめて「原告ら」と呼んでいます)。判決本文を引用する部分では、当事者等の呼称を本記事の表記に置き換え、置き換えた箇所を〔 〕で示しています。
事案の概要―代金273億円のうち60億円をエスクローに留保した株式譲渡
投資組合が保有する対象会社株式の全部を、1株454円で譲渡した
対象会社GTSは、大企業向けのソフトウェアの開発及びサポートを主な事業とする会社で、従来の主力製品LMTと、その後継として開発されたパッケージソフトウェアQVRが主な販売製品でした。QVRは、あらかじめあらゆる機能を標準機能として備えておき、顧客が特に利用する機能を無償でバージョンアップすることで、追加費用が発生しない点に特徴があると説明されていました。対象会社GTSは既に非上場化しており、契約前のデュー・ディリジェンスの当時、市場での株価の変動は確認できない状態でした。
売主である投資組合TMVと買主である投資ファンドRDZは、平成29年5月から9月までの間、デュー・ディリジェンスを実施しました(判決本文はこれを「本件DD」と呼んでいます)。そのうえで、平成29年9月27日、投資組合TMVが保有する対象会社GTSの普通株式6,006万株の全部を、代金合計273億円(1株当たり454円)で投資ファンドRDZに譲渡する株式譲渡契約と、労務関係の特別補償に関する合意(判決本文の「本件労務合意」)を締結しました。同時に、対象会社GTSが新たに発行する株式1,193万3,200株を投資ファンドRDZが1株当たり419円で引き受けることも合意されています。
平成29年10月16日の変更合意でクロージング日は同月18日と定められ、投資ファンドRDZは、同日、投資組合TMVの指定口座へ213億円、エスクロー財産に係る指定口座へ60億円をそれぞれ送金して、代金273億円を支払いました。
60億円を信託銀行に預け、特別補償の引当てとした
平成29年11月13日、受託者である信託銀行CFNを加えてエスクロー契約(判決本文では支払金管理委託契約と表記され、「本件エスクロー契約」と呼ばれています)が締結されました。投資組合TMVを委託者兼受益者、信託銀行CFNを受託者、投資ファンドRDZを受益者として、代金のうち60億円を信託し、買主の特別補償債権を保全するという仕組みです。
信託銀行CFNは、売主と買主の連名による指図に従ってエスクロー財産から金銭を交付します。平成30年3月1日を第1回とし、以後毎月1日の各交付基準日に、エスクロー財産の残高から、買主に交付すべき金額、基準要留保額及びリザーブ額を控除した金額が売主側に交付されます。基準要留保額は第1回が57億5,000万円で、以後、毎回2億5,000万円ずつ減ります。リザーブ額は、未解決の特別補償請求について請求書に記載された金額から、買主に交付された金額を控除した金額です。第1事件の売主側の主張の整理によれば、買主は、売主が特別補償債務を負わない限り、代金の支払として毎月2億5,000万円ずつ売主側に交付するよう指図する義務を負っていました。
一般補償と特別補償の二本立て
この株式譲渡契約では、補償が二つの系統に分けられていました。
- 一般補償:表明保証違反や通知義務違反に起因又は関連して買主が被った損害等を、平成30年10月18日(補償期限日)までに請求されれば売主が補償するもの。対象会社に生じた損害等は、株式保有割合(56.18%)に応じて買主の損害等とみなされます。補償の上限は、譲渡代金の4%に当たる10億9,200万円とされ(判決本文の「本件上限規制」)、一定の事由に該当する補償請求には上限が適用されません(18条1項、3項、4項)。
- 特別補償:特定の顧客との紛争案件に関する補償(判決本文の「本件顧客補償」。その内容を定義した部分は判決本文で省略されていますが、買主は、契約前のデュー・ディリジェンスで開示されたリスク案件を対象とするものと主張し、売主側は、4社に係る紛争案件4項目であると主張しています)と、対象会社グループで賃金等が支払われていないことに起因又は関連して買主に生ずる損害等の補償(判決本文の「本件労務補償」)。特別補償期限日である令和2年1月31日までに請求されれば、エスクロー財産を上限として売主が補償します(19条1項ただし書、本件労務合意1条)。
買主が特別補償を請求し、エスクローからの払出しの指図を止めた
第1回交付基準日(平成30年3月1日)までに、買主である投資ファンドRDZは、顧客との紛争に関する特別補償として4億6,107万1,840円を請求し、売主と合意が成立して、2億4,311万5,734円が投資ファンドRDZに交付され、2億1,795万6,106円がリザーブ額として残りました。その後、第2回から第4回までの交付基準日には、連名の指図に従って、売主側に3,892万8,160円、2億5,000万円、2億5,000万円が交付されています。
ところが、投資ファンドRDZは、平成30年6月29日付けで、労務関係の特別補償として3億3,355万2,249円を請求しました。対象会社GTS及びその子会社2社で労働法規に適合しない人事制度等が確認されたため社内規程を改定し、人件費の増加(1億6,339万7,666円)と弁護士費用(1億7,015万4,583円)が見込まれるという内容です。投資ファンドRDZは、第5回交付基準日(平成30年7月1日)以降、信託銀行CFNに対する指図をしなくなりました。判決本文の前提事実によれば、現在、エスクロー財産として52億1,798万8,143円が保管されています。
さらに投資ファンドRDZは、対象会社GTSの株式の取得価格(1株当たり454円)と現在の株式価額(1株当たり48円)の差に当たる合計243億8,436万円の補償を求める通知書を送付しました。また、投資ファンドRDZは、令和元年、対象会社GTSの人事労務システムの領域に関連する部門を会社分割で切り出し、承継会社の株式全部を別の海外の投資ファンドに売却しています。訴訟で投資ファンドRDZが主張した損害は、取得時の株式価格と、その後の第三者への売却時の株式価格との差額(配当による回収を含みます)でした。
事案の経緯
| 日付 | 出来事(判決本文の前提事実及び認定事実による) |
|---|---|
| 平成29年5月から9月まで | 売主と買主が契約前のデュー・ディリジェンスを実施 |
| 平成29年6月から7月まで | 投資ファンドRDZが、滞留債権の有無や顧客との紛争に関する情報の開示を対象会社GTSに求める |
| 平成29年8月23日 | この時点で、対象会社GTSは、自社利用ソフトウェアを資産計上するには証憑等の整備が必要であると認識していた |
| 平成29年9月27日 | 株式譲渡契約(6,006万株、代金273億円)及び労務関係の特別補償に関する合意を締結。新株の引受けも合意 |
| 平成29年10月3日から6日まで | 投資ファンドRDZの資料要求に応じ、対象会社GTSがライセンス売上内訳の作成元資料等を開示 |
| 平成29年10月16日 | 変更合意によりクロージング日を同月18日と定める |
| 平成29年10月18日 | クロージング。213億円を売主の口座へ、60億円をエスクローの口座へ送金 |
| 平成29年11月13日 | 信託銀行CFNを加えてエスクロー契約を締結 |
| 平成30年3月1日 | 第1回交付基準日。顧客との紛争に関する特別補償について合意が成立し、買主に2億4,311万5,734円を交付。売主側への交付はなし |
| 平成30年4月1日から6月1日まで | 第2回から第4回の交付基準日。売主側に合計5億3,892万8,160円を交付 |
| 平成30年4月1日 | 対象会社GTS(子会社を含む)が、不備等を是正するため人事規程を改定 |
| 平成30年6月29日付け | 投資ファンドRDZが労務関係の特別補償として3億3,355万2,249円を請求 |
| 平成30年7月1日 | 第5回交付基準日。投資ファンドRDZは以後の指図をしない |
| 平成30年10月17日 | 第2事件の遅延損害金の起算日(投資ファンドRDZによる損害賠償の請求の日の翌日) |
| 平成30年10月18日 | 一般補償の補償期限日 |
| 令和元年 | 投資ファンドRDZが、対象会社GTSの一部の部門を会社分割で切り出し、承継会社の株式を別の投資ファンドに売却 |
| 令和2年1月31日 | 特別補償期限日 |
| 令和4年9月27日 | 東京地方裁判所が、第1事件の請求を一部認容し、第2事件の請求を棄却する判決 |
判断の前提となった契約条項
株式譲渡契約と労務関係の特別補償に関する合意の内容は、判決本文の別紙に記載されていますが、その別紙は省略されています。以下の囲みは、判決本文の中で「 」により引用されている条項の文言を、判決本文のとおりに示したものです(数字の表記も判決本文のとおりです)。それ以外の条項は、判決本文の要約の記載によって説明しています。
表明保証〈8〉―重大な悪影響を与える事由の不存在
対象会社グループの事業、資産、負債、財政状態、経営成績、キャッシュ・フロー又は将来の収益計画に重大な悪影響を与える又は与え得る事由又は事象は発生しておらず、売主の知り得る限り、かかる事由又は事象が生じるおそれもない
判決本文は、買主が主張する表明保証違反を、株式譲渡契約6条1項(2)の〈7〉から〈9〉まで及び〈14〉と整理しています。そのうち〈8〉の文言は、判決本文で上記のとおり示されています。〈7〉は、判決本文の検討の内容からすると、対象会社の財務諸表の会計処理に関わる表明保証と考えられますが、条項の文言は判決本文からは確認できません。
18条4項(ⅰ)―補償上限の適用除外
(ⅰ)売主又は買主による本契約に規定する自らの義務の不履行
18条4項は、一般補償の上限(譲渡代金の4%)が適用されない場合を列挙した規定で、上記はその一つです。判決は、この「自らの義務の不履行」に売主の通知義務(17条)の違反が含まれると解しています。
本件労務合意1条2項(1)号―人事規程の是正に伴う賃金の差額
クロージング後に行うクロージング日前に適用され又はクロージング日時点で適用されている対象会社グループの報酬又は賃金制度の違法性又は不備を是正するために行う人事規程(中略)の変更等に伴い生じる、当該変更等の効力発生日現在の各従業員のクロージング日(クロージング日より後に入社した者については入社日)における是正前の就業規則、賃金規程その他の社内規程又は契約等に定められる労働条件に基づき実際に支給されていた報酬又は賃金等(中略)と当該変更後における是正後の就業規則(中略)等に定められる労働条件に基づく報酬又は賃金等(中略)の特別補償期限日までにおける差額
判決本文によれば、この差額が、補償の対象となる損害に含まれると定められていました。(中略)は判決本文の引用のとおりです。
本件労務合意1条2項(2)号―増資の要請に関する補償
前項に定める事由に関する対象会社損害が生じたことに関し、本金融機関のいずれかから、買主又は対象会社に対し、買主が対象会社の増資を引き受けることの要請がなされ
判決本文は、この号について、上記の部分を補償の要件として引用しています。号の全文は判決本文からは確認できません。
当事者の請求と主要な主張
第1事件―売主側の組合員らの請求
投資組合TMVの総組合員である投資事業有限責任組合HNB及びDGRは、投資ファンドRDZに対し、次の請求をしました。
- 株式譲渡契約19条1項及び本件労務合意1条1項に基づく特別補償債務合計29億7,879万7,748円が存在しないことの確認。内訳は、労務関係の特別補償に係る債務3億3,355万2,249円と、顧客である非鉄金属製品メーカーEWXとの紛争に係る債務26億4,524万5,499円です。
- 信託銀行CFNに対し、エスクロー財産から売主側に金銭を交付するよう指図すること。
- 指図義務の不履行による損害として、各交付金額に対する各指図期限日の翌日から指図の履行済みまで年6分の割合による金員の支払。年6分は、平成29年法律第45号による改正前の商法514条の商事法定利率です。
第2事件―買主の請求
投資ファンドRDZは、売主側の5者に対し、投資組合TMVが株式譲渡契約の表明保証及び通知義務に違反したため、取得時と第三者への売却時の株式価格の差額である合計197億5,974万円の損害を被ったとして、連帯して同額及び平成30年10月17日から年6分の割合による遅延損害金の支払を求めました。あわせて、この損害は、適切に情報が開示されていれば特別補償の対象となるべき事由に起因するのだから、まずはエスクロー財産によって弁済されるべきであるとして、エスクロー財産から投資ファンドRDZへの交付の指図を求めました。
主な主張の対立
| 論点 | 買主(投資ファンドRDZ)の主張 | 売主側の主張 |
|---|---|---|
| 特別補償の対象の範囲 | 正しく表明保証がされ、通知義務が履行されていれば、代金を減額するか、エスクロー財産の積み増しや特別補償の対象の追加をしていたはずである。エスクロー財産は代金の支払の留保であり、表明保証違反等に基づく請求も、まずは留保されている代金から回収するのが当事者の合理的意思に沿う(18条7項及び8項もその趣旨) | 特別補償は、限定列挙された事由について一般補償の例外を定めたものであり、対象は特別補償事由により生じた損害に限られる。交渉の結果、特別補償事由は顧客との紛争案件4項目と労務関係1項目の合計5項目となった。エスクロー財産が一般補償の引当てになるという解釈は、当事者の明示の意思に反する |
| 労務関係の特別補償の額 | 損害額は1億8,367万9,167円であり、エスクロー財産から交付されるべきである | 特別補償の要件に当たらない部分がある(例えば、クロージング日後に施行された働き方改革関連法に適合させるための是正は、クロージング日前の制度の違法性又は不備には当たらない) |
| 損害との因果関係 | 多額の滞留債権や顧客との紛争が開示されていれば、デュー・ディリジェンスを継続し、ソフトウェア資産の計上の問題や事業計画が実態とかけ離れていることが明らかになって、株式を取得しなかった。専門家の評価では、株式価値は最高でも1株当たり48円にすぎなかった | 契約上の補償は、株式の取得を前提とした代金の調整であり、取引の巻戻しに等しい賠償は想定されていない。企業投資の専門家である買主が詳細なデュー・ディリジェンスに基づき投資判断をしたものであり、クロージング後の減損処理等を根拠に取得しなかったと主張するのは不合理である |
| 補償上限の適用 | 表明保証違反の程度が著しく、予測できない極めて大きな損害が生じたから、信義則上、上限は適用されない。通知義務違反に基づく請求には、18条4項(ⅰ)により上限は適用されない | 買主の質問には全て誠実に回答した。上限は当事者間のリスク配分の合意である。通知義務違反を理由に上限の適用を免れる解釈は、当事者の合理的意思に反する |
表明保証違反及び通知義務違反の有無(争点3)に関する当事者の主張は、判決本文の別紙に記載されており、省略されています。以下では、判決の判断の部分から読み取れる範囲で、買主が問題とした事項を説明します。
お手元の資料と経緯をお聞きし、進め方の順序をお示しします。
結論を左右した争点
判決は、争点を次の5つに整理しました。
- 労務関係の特別補償に係る損害及びその額(争点1。第1事件)
- 特別補償の対象が、株式譲渡契約19条1項及び本件労務合意1条に列挙された事由(顧客との紛争に関する補償及び労務関係の補償)に限られるか(争点2。第1事件)
- 投資組合TMVに表明保証違反又は通知義務違反があるか(争点3。第2事件)
- 各違反事実がクロージング日までに判明していれば、投資ファンドRDZは対象会社GTSの株式を取得しなかったか(損害との因果関係。争点4。第2事件)
- 一般補償の上限を適用することが信義則に反するか(争点5。第2事件)
結論を大きく左右したのは、争点2と争点4です。争点2で特別補償の対象が列挙事由に限られるとされたことで、エスクロー財産から差し引かれる額は労務関係の補償に限られることになりました。争点4で因果関係が否定されたことで、約197億円の損害賠償請求は、表明保証違反の一部が認められるかどうかにかかわらず退けられ、争点5(上限規制と信義則)は判断されませんでした。
裁判所が認定した重要な事実と判断の枠組み
労務関係の特別補償は、事後的な譲渡代金の調整
判決は、本件労務合意1条2項(1)号の趣旨を次のように解しました。
「対象会社の人事規程に不備等があり、対象会社の株式の譲渡後に人事規程の改定がされた場合には、その人事規程の改定による特別補償期限日までの影響について、これを特別補償の対象として、買主である〔投資ファンドRDZ〕に補償することで、事後的に譲渡代金の調整を図る趣旨のものであると解される」
さらに判決は、この規定の「各従業員」にクロージング日より後に入社した者も含まれていることから、この規定は、「クロージング後に対象会社の従業員数、職種構成が変動し得ることを当然に予定しており」、一定の期間(平成30年4月1日から令和2年1月31日まで)の実際の従業員数・職種構成を前提として、改定前と改定後の人事規程で計算した賃金等の差額を損害とみる趣旨であるとしました。
特別補償と一般補償は、明確に区別された別の仕組み
判決は、特別補償の対象を判断するにあたって、合意の経緯に加え、次の点を挙げました(合意の経緯を認定した部分は判決本文で省略されています)。
- 株式譲渡契約19条1項及び本件労務合意1条は、いずれも補償事由を限定して列挙するだけで、包括的な条項を設けていないこと
- 一般補償事由(6条等)と特別補償事由(19条1項、本件労務合意1条)について、補償対象、引当てとなる財産、補償上限及び請求期限を別々に定め、明確に区別していること
- 一般補償事由であっても、通知義務違反に当たる場合には補償の上限を設けていないこと(18条4項(ⅰ)の「売主又は買主による本契約に規定する自らの義務の不履行」には売主の通知義務違反が含まれると解されること)
表明保証違反の判断で重視された事実
判決が表明保証違反の有無の判断で重視した事実のうち、判決本文で確認できる主なものは次のとおりです。
- 投資ファンドRDZは、ソフトウェア開発に関する知見を有するコンサルティング会社を加えてデュー・ディリジェンスを実施していました。
- 後継の主力製品QVRは、譲渡直前期である平成29年6月期の対象会社GTSの連結貸借対照表上の資産の約45%を占めていました。
- 平成29年10月3日、対象会社GTSと監査人との面談で、収益計画の前提の妥当性を踏まえた事業計画の検証がポイントとして挙げられていました。監査人は、平成29年6月期の財務諸表について無限定適正意見を表明しており、翌期以降、過年度修正はされていません。
- 平成29年10月3日から6日まで、投資ファンドRDZの具体的な資料要求に応じて、対象会社GTSは、ライセンス売上内訳の作成元資料(ベースケース及びリスクケース)、使用料・保守料やその他売上げの計算根拠資料、販売管理費の積上げの計算根拠資料、資金繰り計画の前提となる入金・支払サイクル、売上計画とライセンス売上内訳の差分に関する資料等を開示しました。投資ファンドRDZは、これらの資料の数値が虚偽であるとの主張はしていません。
- 対象会社GTSは、9月12日に開催した取締役会で、平成30年6月期を初年度とする事業計画を全会一致で承認し、その取締役会には投資ファンドRDZが派遣した社外取締役が参加していました(判決本文はこの日付を「同年」としており、その年を示す部分は省略されているため、年は確認できていません)。
- デュー・ディリジェンス中の平成29年6月から7月にかけて、投資ファンドRDZは、滞留債権を「売り上げの計上から1年を経過しても回収されない、或いは回収の見込みが疑われる売上債権」と明示して、その有無を質問しました。対象会社GTSは、滞留債権はないが、リスク案件一覧を提供すると回答しました。
- 同じ時期、投資ファンドRDZは、顧客との紛争について、紛争となった顧客やリスク案件として認識している顧客との契約、潜在的紛争、過去3年間に受けたクレーム等の情報の開示を求めていました。
各主張を採用し又は排斥した理由
争点1―労務関係の特別補償は5,649万3,451円の限度で認められた
判決は、投資ファンドRDZが主張した労務関係の損害を4つの項目に分けて検討し、対象会社GTSに生じた損害額に株式保有割合56.18%を乗じた額を、特別補償事由に該当する損害と認めました(本件労務合意1条1項なお書)。
| 項目 | 対象会社GTSに生じた額 | 特別補償の対象となる損害(56.18%) |
|---|---|---|
| 人件費増額費用(給与制度改定費用) | 9,105万2,000円 | 5,115万3,014円 |
| 労務制度改革費用 | 338万940円 | 189万9,412円 |
| 未払賃金費用 | 612万5,000円 | 344万1,025円 |
| 増資関連費用 | ― | 認められない |
| 合計 | ― | 5,649万3,451円 |
人件費増額費用について、対象会社GTSは平成30年4月1日付けで不備等を是正するために人事規程を改定し、給与計算の前提となる基礎賃金が増額しました。賞与についても改定がありましたが、賞与の総額を変動させないよう運用されたため、賞与について差額は生じていないとされています。判決は、上記のとおり、実際の従業員数・職種構成を前提に改定前後の賃金等の差額を算定する規定であると解したうえで、9,105万2,000円を対象会社GTSに生じた費用と認めました(算定の過程は判決本文で省略されています)。
労務制度改革費用について、売主側は、クロージング日後(平成31年4月1日)に施行された働き方改革関連法に適合するようにされた是正であれば、クロージング日前の制度の「違法性又は不備」には当たらないと主張しました。この主張に対する判断の部分は判決本文で省略されていますが、判決は、結論として338万940円を対象会社GTSに生じた費用と認めています。
増資関連費用について、判決は、本件労務合意1条2項(2)号の「前項に定める事由に関する対象会社損害」には、未払の賃金等による損害のほか、人事規程の変更等に伴って生じる損害が含まれると解しました。しかし、実際に行われた増資は、専ら「〔QVR〕の開発遅れによる売上減、キャンセルによる返金などの想定外の支出」による資金繰りの大幅な悪化が原因であり、人事規程の改定によるコスト増は増資の実行にほとんど影響を与えていないとして、同号の要件を満たさないと判断しました。
争点2―特別補償の対象は契約に列挙された事由に限られる
判決は、前記の判断の枠組みで挙げた点から、次のとおり判断しました。
「〔投資組合TMV〕及び〔投資ファンドRDZ〕が合意した特別補償事由は、本件株式譲渡契約19条1項及び本件労務合意1条に列挙されているもの、すなわち本件顧客補償及び本件労務補償に限定され、それ以外の表明保証違反については、本件エスクロー財産からではなく、〔投資組合TMV〕の財産一般から損害を填補することを予定していると認められる」
投資ファンドRDZは、デュー・ディリジェンスで開示されるべき情報が開示されていれば、滞留債権や顧客との紛争等も特別補償事由に含めていたはずであるから、これらの損害もまずはエスクロー財産で填補されるべきであると主張しましたが、判決は、合意の経緯及び内容からして採用できないとしました。
争点3―表明保証違反の有無
後継の主力製品QVRの資産計上―違反は認められない
判決は、投資ファンドRDZがソフトウェア開発に詳しいコンサルティング会社を加えてデュー・ディリジェンスを行い、QVRの資産性の判断材料となる資料を確認していたこと、クロージング日直前に自ら求めてライセンス売上げの根拠資料を確認していたことなどを挙げました。平成29年6月26日の時点でQVRを利用した製品の納品が遅延している案件が複数あったことも認めつつ、判決は次のように述べています。
「クロージング日までの時点において、〔QVR〕の販売収益の未達を具体的に予想できるに足りる事情及び〔QVR〕の開発方針の変更を具体的に予想できるに足りる事情があったとは認めるに足りない」
会計処理の面でも、QVRが資産の約45%を占めることから監査人が当然その会計処理に注視していたと推認されること、監査人が無限定適正意見を表明していること、翌期以降に過年度修正がされていないことから、判決は「クロージング日において、〔QVR〕の資産計上処理に会計上の違法があったとは認められない」と判断しました。平成29年6月期の時点でQVRについて最初に製品化された製品マスターが完成していなかったという投資ファンドRDZの主張も採用されず、QVRの資産計上について表明保証〈7〉の違反は認められないと結論付けられました。
自社利用ソフトウェアの資産計上―資産性を認定する根拠を欠いていた
判決は、ソフトウェアの資産計上に関する実務指針(判決本文の「本件実務指針」)のⅠ-12が、自社利用のソフトウェアの資産計上の開始時点を、将来の収益獲得又は費用削減が確実であると認められる状況になった時点とし、そのことを立証できる証憑に基づいて決定すると定めていることを認定しました。
そのうえで、対象会社GTSは、クロージング日前の平成29年8月23日の時点で、それまで資産計上したことのなかった自社利用ソフトウェアを資産計上するには証憑等の整備が必要であると認識していたのに、平成29年6月期に証憑等を整備しないまま資産計上し、その後も整備できなかったため、翌期には費用計上に戻したと認定しました。売主側は、実務指針は客観的な証憑を必ずしも求めていないと主張しましたが、判決は、「このような単年度のみの計上につき資産性を認定し得るような合理的な根拠があったとは到底考え難く」、平成29年6月期の時点で資産として認定するに足る根拠を欠いていたとし、無限定適正意見や過年度修正がないことは、この認定を左右しないとしました。
クラウドサーバー利用料の資産計上―立替金であり資産計上できない
対象会社GTSは、クラウドサーバー事業者CSVに支払ったサーバー利用料を、最終的にはこれを利用した顧客に請求していました。判決は、この支出は顧客が支払うべき費用の立替えにすぎず、資産として計上することは認められないとし、そのため対象会社GTSも平成30年6月期には費用計上することとしたと認定しました。売主側の、開発に恒常的に利用されていたから開発費として資産計上できるという主張に対しては、「〔CSV〕のサーバー利用料は、その性質からして立替金というべきもので、およそ開発費とは認められない」として採用しませんでした。ここでも、無限定適正意見や過年度修正がないことは認定を左右しないとされています。
自社利用ソフトウェアとクラウドサーバー利用料の点について、表明保証違反の成否をまとめた部分は判決本文で省略されています。もっとも、判決は争点4の判断で「上記3で認定した表明保証違反に係る事由」に言及しており、争点3で何らかの表明保証違反が認定されたことがうかがわれます。どの事項についてどの範囲で違反が認定されたかは、判決本文で確認できる範囲では特定できません。
滞留債権と顧客との紛争
売主側は、デュー・ディリジェンスで「滞留債権」の定義が一義的に定まっていなかったと主張しました。判決は、投資ファンドRDZが定義を示して存否を尋ね、対象会社GTSが滞留債権はないがリスク案件一覧を提供すると回答していたことから、売主である投資組合TMVも滞留債権の意味を認識していたと認め、この主張を採用しませんでした。顧客との紛争については、投資ファンドRDZが開示を求めた情報の内容が認定されていますが、その後の認定と判断の部分は判決本文で省略されています。
事業計画―収益が計画どおりになることは保証されていない
事業計画について、判決は次のように述べています。
そもそも、事業計画は、その名のとおり「計画」である上、本件株式譲渡契約における表明保証条項の中にも、〔投資組合TMV〕が対象会社の収益が事業計画どおりになることを保証する旨の定めはなく
判決は、表明保証〈8〉は重大な悪影響を与える事由等が発生しておらず、売主の知り得る限りそのおそれもないことを保証するものにすぎないとしました。そして、事業計画の妥当性は、資産の約45%を占めるQVRの評価が適正かどうかによるところが大きいところ、QVRの資産計上に表明保証違反は認められないとしました。さらに、「〔投資組合TMV〕は、対象会社の収益が事業計画どおりになる、すなわち、少なくともリスクケースを下回ることがないことは保証していない(大幅に下回らないことも保証していない。)」こと、クロージング日までに生じた事由を原因としてリスクケースを下回り増資が必要となったと認めるに足りる的確な証拠もないことを挙げ、表明保証〈8〉の違反は認められないと判断しました。
通知義務違反
通知義務違反についての判断の部分は、判決本文で省略されています。
争点4―違反がなくても株式を取得しなかったとはいえない
投資ファンドRDZは、滞留債権と顧客との紛争が正しく開示されていれば、デュー・ディリジェンスを継続し、QVRの資産計上が会計処理として不適切であること、ひいては事業計画の予測が根拠を欠くことが判明して、株式を取得しなかったはずだと主張しました。
判決は、「仮に、〔投資ファンドRDZ〕が本件DD後にデュー・ディリジェンスを継続したとしても、その中で具体的にどのような事実が判明して、〔QVR〕を主力製品とする対象会社の今後の事業計画の予測が根拠を欠くことが判明するのかも判然としない」と指摘しました。QVRはクロージング後に大幅に減損処理されていますが、デュー・ディリジェンス及びクロージング日の時点でQVRの会計処理が違法であったとは認められないことも、改めて確認しています。
そして、投資ファンドRDZがデュー・ディリジェンス中にQVRの資産性を基礎付ける資料を一通り確認していたこと、開示を受けていなかった情報に関する額が当時の対象会社GTSの資産に占める割合はごくわずかであること、クロージング日時点のQVRの会計処理に違法があったとは認められないことから、次のとおり結論付けました。
「〔投資組合TMV〕が、上記3で認定した表明保証違反に係る事由について通知義務を履行していたとしても、対象会社の今後の事業計画の予測が根拠を欠くことが判明したとも、それによって、〔投資ファンドRDZ〕が対象会社の株式を取得しなかったとも認めることはできない」
争点5―上限規制と信義則は判断されなかった
判決は、争点4までの判断によれば、「争点5については、判断の必要はない」としました。一般補償の上限(譲渡代金の4%)の適用が信義則に反するかという点は、判断されていません。
エスクロー財産からの交付額の計算
判決は、特別補償債務は労務関係の5,649万3,451円を超えては存在しないとしたうえで、エスクロー財産の交付について次のとおり判断しました。
- エスクロー財産の残高52億1,798万8,143円から特別補償債務5,649万3,451円を差し引いた51億6,149万4,692円について、売主側は指図を請求できます。口頭弁論終結時点で基準要留保額は0円です。売主側が求めた指図の額は12億5,000万円であり、その請求には理由があるとされました。
- 第5回交付基準日(平成30年7月1日)については、エスクロー財産の残高52億1,795万6,106円から、基準要留保額47億5,000万円、争いのないリザーブ額2億1,795万6,106円及び特別補償債務5,649万3,451円(リザーブ額として加算されます)を控除した1億9,350万6,549円が、売主側に交付されるべき金額とされました。
- 第6回交付基準日(平成30年8月1日)以降は、基準要留保額が毎回2億5,000万円ずつ減少するのに伴い、同額が各交付基準日に交付されるべき金額とされました。
指図義務の不履行による年6分の割合の金員は、組合(投資組合TMV)に属する債権であり、組合員であるHNB及びDGRの不可分債権になるとされています。
主文及び結論
判決の主文の内容は、次のとおりです(判決本文の当事者の表示は本記事の表記に置き換えています)。
| 項 | 内容 |
|---|---|
| 1 | 投資組合TMVと投資ファンドRDZとの間の平成29年9月27日付け株式譲渡契約19条1項及び同日付け特別補償に関する合意書1条1項に基づくHNB及びDGRの各自の投資ファンドRDZに対する特別補償債務が、5,649万3,451円を超えては存在しないことを確認する |
| 2 | 投資ファンドRDZは、信託銀行CFNに対し、別紙1のとおり指図せよ |
| 3 | 投資ファンドRDZは、HNB及びDGRの各自に対し、別紙2の表の各新規遅滞金額に対する各指図期限日の翌日から第2項の指図の履行済みまで、それぞれ年6分の割合による金員を支払え |
| 4 | HNB及びDGRのその余の請求を棄却する |
| 5 | 投資ファンドRDZの請求をいずれも棄却する |
| 6 | 訴訟費用は、第1事件及び第2事件を通じて100分し、その1をHNB及びDGRの負担とし、その余を投資ファンドRDZの負担とする |
| 7 | 第3項に限り、仮に執行することができる |
売主側の組合員らが不存在確認を求めた特別補償債務約29億7,880万円のうち、労務関係の5,649万3,451円を除く部分は存在しないことが確認され、エスクロー財産からの交付の指図も認められました。他方、投資ファンドRDZの約197億円の損害賠償請求と、エスクロー財産から自らへの交付の指図の請求は、いずれも棄却されました。顧客EWXとの紛争に係る債務として主張された約26億円がなぜ存在しないとされたのかを個別に述べた部分は、判決本文で確認できる範囲では見当たりません(主文第1項の確認の範囲から、その債務は存在しないとされたことが分かります)。
判断の射程―参考となる点と一般化できない点
以下は、判決の内容を踏まえた当事務所の評価です。裁判所が示した判断そのものとは区別してお読みください。
参考となる点
- 特別補償とエスクローの対象は、契約の列挙に従って限定的に解され得ること。本判決は、特別補償事由が限定列挙で包括条項がないこと、一般補償と特別補償で補償対象・引当財産・上限・期限を別々に定めていたことを重視し、それ以外の表明保証違反に基づく損害はエスクロー財産ではなく売主の財産一般から填補する予定であったと判断しました。買主としては、エスクローを幅広い補償の引当てにしたい場合には、その旨を明確に定めておく必要があり、売主としては、列挙と区別を明確にしておくことが、エスクローの早期の解放につながるといえます。
- 違反がなければ買わなかったという損害の構成は、立証の壁が高いこと。本判決は、表明保証違反に当たる事由の一部が認定されたことがうかがわれるにもかかわらず、通知されていたとしても株式を取得しなかったとは認められないとして、取得価格と売却価格の差額を損害とする請求を退けました。買主が詳細なデュー・ディリジェンスを行い、主要な資料を確認していたこと、開示されなかった情報の額が資産に占める割合がごくわずかであったことが重視されています。
- デュー・ディリジェンスの充実は、買主に不利にも働き得ること。買主が専門のコンサルティング会社を加えて調査し、自ら求めた資料を確認していたことは、主力製品の資産計上について違反を否定し、因果関係を否定する理由として用いられました。調査で把握した懸念は、価格や特別補償の対象の追加など、契約の条項に反映させておくことが重要です。
- 監査意見があっても、会計処理の誤りが認定され得ること。主力製品の資産計上については無限定適正意見と過年度修正の不存在が重視された一方、自社利用ソフトウェアやサーバー利用料については、無限定適正意見等があっても資産性の根拠を欠く、又は立替金であるとの認定は左右されないとされました。会計処理の性質によって、監査意見の重みが異なり得ることを示しています。
- 事業計画は表明保証の対象になりにくいこと。判決は、事業計画は「計画」であり、収益が計画どおりになることやリスクケースを下回らないことは保証されていないとしました。事業計画の達成に関するリスクを売主に負わせたい場合は、通常の表明保証とは別の手当てが必要になります。
- 労務関係の特別補償の算定方法。人事規程の是正による賃金の差額を補償する条項について、判決は事後的な譲渡代金の調整と位置付け、クロージング後の実際の従業員数・職種構成を前提に差額を算定するとしました。また、対象会社の損害に株式保有割合を乗じて買主の損害とする定めがそのまま適用されています。
一般化できない点
- 本判決は、特定の株式譲渡契約と特別補償に関する合意の文言、及びその合意に至る交渉の経緯に基づく判断です。合意の経緯を認定した部分や契約条項の全文は判決本文で省略されており、どの事情がどの程度重視されたかを完全には確認できません。
- 自社利用ソフトウェア、サーバー利用料、滞留債権、顧客との紛争、通知義務違反について、表明保証違反等が最終的にどの範囲で認定されたかは、判決本文で確認できる範囲では特定できません。本判決から、これらの事項について一般的な結論を導くことはできません。
- 一般補償の上限(譲渡代金の4%)の適用が信義則に反するかどうか、通知義務違反に基づく請求に上限が適用されないことの具体的な効果については、判断されていません。判決は18条4項(ⅰ)に通知義務違反が含まれると解していますが、これは特別補償の範囲を判断する理由の一つとして述べられたものです。
- 遅延損害金等の年6分は、平成29年法律第45号による改正前の商法514条の商事法定利率によるもので、現在の法定利率とは異なります。
- 上訴の有無及び確定は確認できていません。
M&Aの後に表明保証違反が判明し、売主に補償を請求する場合の進め方は、次のページでご案内しています。
よくあるご質問
エスクローに預けた代金は、表明保証違反に基づく損害の支払にも充てられますか。
契約の定め方によります。本判決では、エスクロー財産は特別補償債権を保全するためのものと定められ、特別補償の対象は契約に列挙された事由に限られるとされたため、それ以外の表明保証違反に基づく損害は、エスクロー財産ではなく売主の財産一般から填補する予定であったと判断されました。
買主が特別補償を請求すれば、エスクローからの払出しの指図を止めてよいのですか。
本判決では、買主が特別補償債務の存在を理由に指図を止めましたが、実際に認められた特別補償債務は請求額の一部にとどまり、それを超える部分について指図義務の不履行による年6分の割合の金員の支払が命じられました。払出しを止めることができる範囲は、契約で定めた留保の仕組みと、認められる補償債務の額によって決まります。
表明保証違反があれば、買収代金と売却代金の差額を損害として請求できますか。
本判決では、違反がなければ株式を取得しなかったという因果関係が認められず、取得価格と売却価格の差額を損害とする請求は棄却されました。買主が詳細なデュー・ディリジェンスを行い、主要な資料を確認していたことや、開示されなかった情報の額が資産に占める割合がごくわずかであったことが、因果関係を否定する理由とされています。
事業計画が大きく外れた場合、売主の表明保証違反になりますか。
本判決は、事業計画は「計画」であり、表明保証条項にも収益が計画どおりになることを保証する定めはないとして、表明保証違反を否定しました。重大な悪影響を与える事由の不存在の表明保証は、事業計画の達成を保証するものではないと解されています。
労務問題の特別補償では、どのような損害が補償されますか。
本判決では、人事規程の是正による賃金の増額分(改定前後の差額)、労務制度改革費用、未払賃金費用が補償の対象と認められ、対象会社に生じた額に株式保有割合を乗じた額が補償額とされました。他方、増資関連費用は、増資の原因が主に主力製品の開発遅れ等による資金繰りの悪化であったとして、補償の対象とされませんでした。
M&Aトラブルで請求する損害額の算定の考え方は、次のページでご案内しています。
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株式譲渡契約の特別補償条項やエスクローをめぐる紛争では、特別補償事由と一般補償事由の区別、エスクロー財産の交付の仕組み、補償の上限と請求期限、契約前のデュー・ディリジェンスで開示された資料を整理し、補償の範囲と損害との因果関係を分けて検討します。表明保証違反に関する当事務所の対応は表明保証違反の御相談のページで、買主が取引の巻戻しを検討する場合の考え方は株式譲渡契約を解消する場合の要件と効果で解説しています。
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大型の株式譲渡で代金の一部をエスクローに預けた売主側と買主の双方に向けて、買主が特別補償と表明保証違反を理由に預託金の払出しを止めた場面の判例を、特別補償の対象の範囲と損害との因果関係の観点から解説します。
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